マリアナ決戦(マリアナ沖海戦、第三次グアム島の戦い、第二次テニアン島の戦い、第二次硫黄島沖海戦)
年月日1943年2月10日
場所⠀マリアナ沖(サイパン、グアム島、テニアン島、硫黄島)
結果⠀痛み分け(ただし連合軍はグアムを陥落、日本軍はテニアンへ上陸するも陥落できず)
⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀交戦戦力
🇯🇵大日本帝国⠀⠀⠀⠀⠀🇺🇸アメリカ合衆国
⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀指導者・指揮官
小沢治三郎中将 ⠀⠀⠀⠀⠀W.ハルゼー中将
角田覚治中将⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀W.フェクテラー少将⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀
栗田健男中将⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀H.スミス少将
高品彪中将⠀
⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀戦力 (括弧内は中核戦力)
第一艦隊(戦艦2)⠀⠀⠀⠀⠀第五艦隊(空母3、戦艦3)
第二艦隊(空母2)⠀⠀⠀⠀⠀第11艦隊(空母2、戦艦5)
第三艦隊(空母5戦艦3)⠀10大隊以上(グアム)
2大隊(グアム)⠀⠀⠀⠀⠀⠀12大隊(テニアン上陸)
3大隊(テニアン上陸)⠀⠀航空機51(サイパン)
航空機240(グアム)⠀⠀⠀航空機10程度(テニアン)
航空機124(硫黄島)⠀⠀⠀艦載機350以上
艦載機500以上⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀
⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀損害
戦艦1沈没⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀戦艦2大破
戦艦1大破⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀戦艦1中破
重巡1沈没⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀空母1大破
重巡2中破⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀空母1中破
軽巡1大破⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀重巡1大破
軽巡1中破⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀駆逐1沈没
駆逐2沈没 ⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀駆逐2大破
駆逐1大破⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀航空機11(サイパン)
航空機219(グアム)⠀⠀⠀艦載機69
航空機10(硫黄島)⠀⠀⠀陸軍1大隊(テニアン)
艦載機18
陸軍1大隊(グアム)⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀
上記海戦の詳細説明。
1943年、連合軍(米英)は占領したサイパンを用いた戦略爆撃を実行に移そうとしていた。そのため、サイパンに10機ほどのB24を輸送した。しかし、敵硫黄島基地から行われる空襲により、なかなか戦略爆撃を実行できないでいた。この事実を重く見たアーネスト・キング元帥など作戦指導部は、硫黄島への攻撃を命じた。これは、英国機動部隊が担当する事になった。
三隻の空母と五隻の戦艦を基幹とする精強な英機動部隊は、順調に硫黄島を無力化するものと思われたが、たまたま米第六艦隊(北海道攻略任務)を殲滅した帰りの日本軍第三艦隊による空襲を受けてしまう。英機動部隊は、まともな反撃を行う事もできず、空母1沈没、空母1被撃破の大損害を負い、行動不能になる。
この敗戦を受けた作戦指導部は、硫黄島の無力化ではなく、日本本土を空襲する事で日本軍の目を背けさせることを企図した。このため、ハルゼー中将率いる第五艦隊が東京方面まで進出した。また、この作戦には試験的にジェット機が一部使用された。
同艦隊は、東京を空襲し、市街地及び基地に大損害を与えるも、日本軍航空隊の反撃を受け、無視できない損害を負ってしまう。その後、横須賀の航空隊の攻撃を受けるも、これは少ない損害で切り抜け、次に日本軍の母校呉を空襲する。この時、呉には日本軍第三艦隊が寄港しており、これを知ったハルゼー中将は目標を基地から空母に切り替えた。果たして、この空襲は連合軍の惨敗に終わった。日本空母ショウカク・タイプを撃破するも、攻撃隊はほぼ壊滅した。
こうして打撃力を失ったこの二艦隊だが、日本軍の反撃が止んでいるうちに航空機を補充し、マリアナ沖に進出することになった。それは、日本軍によって再占領されたグアム基地の航空隊が、サイパン基地へ大打撃を与えていたからである。こうして、第五艦隊はサイパンの防衛、英機動部隊(第11艦隊とす)はグアムの攻略を命じられ、マリアナ沖へ進出した。(続く)
>>853
連合軍のこの動きを察知した日本軍軍令部はトラック方面に進出中の第一艦隊、第二艦隊及び呉に寄港中の第3艦隊にマリアナ沖への進出を命じた。第二、三艦隊は連合軍機動部隊の撃滅、第一艦隊はテニアンの占領を命じられた。テニアンを占領する事で、サイパンの補給線を完全に断とうとしたのだ。サイパンの存在は日本にとって脅威であったからである。当初、聯合艦隊司令長官兼第一艦隊司令長官の小沢治三郎は消極的であったが、聯合艦隊参謀長・宇垣纏は、「マリアナにおいて決戦の算大なり」との進言を受け、積極的行動に移ることとなる。
翻って、連合軍作戦指導部は、日本軍の動きを全く察知していなかった。むしろ、第一艦隊は第三次マーシャル沖海戦、第二艦隊は第四次マーシャル沖海戦で、第三艦隊は日本本土機動空襲において行動不能ならしめたと思っており、気楽に構えていた。しかし、この誤断により、連合軍は苦戦することになる。
まず、一月下旬から第五艦隊がサイパン方面での哨戒任務についた。また、第11艦隊がテニアンに寄港する。しかし、この二艦隊は先手を取ることができなかった。その理由としては、日本軍機の航続距離を軽視していたからと考えられる。理由としては、2/10、サイパン周辺を哨戒中の第五艦隊が日本軍戦闘機隊の攻撃を受けたことにある。無防備なこの艦隊は、なす術なく、駆逐艦1中破の損害を負い、サイパンの航空隊も戦闘機1機を失った事である。
この日本軍の先制攻撃により決戦の火ぶたが切られた。