>>11の追記と元ネタ等の説明
静は黒髪で巴は金髪
二人とも垂髪です。
薙払静のサンプルボイス
「薙払静と申します…」
「私達付喪神も、所詮は道具に過ぎません…」
「主の子も守れなかった私に…存在する意義などあるのでしょうか…」
薙払巴のサンプルボイス
「私は薙払巴!よろしく!」
「姉上は暗すぎます!笑う門には福来たり、ですよ!」
「私も主の守りたかった方を守れなかった。だけれどあの方は主に『生きろ』と命じたんだよ。だから私は例え意義なんて無くても存在している。」
元ネタ説明
『巴型』『静型』と言うのは薙刀の型であり、>>11に書いてある通り『巴形』は刀身の幅が広く反りの大きく、『静型』は逆に刀身の幅が細く反りが少ないのが特徴です
『巴型』『静型』の定義は江戸時代辺りから発祥
言わずもかな型の名前の由来は、木曾義仲に仕えた女傑『巴御前』と白拍子であり源義経の愛妾『静御前』
巴御前は兄とともに木曾義仲に仕えた女傑であり
騎馬武者を馬ごと投げ飛ばした
刺客の首を素手で捩じ切った
などの逸話が残っています
後に義仲は自分達が追い詰められた際に巴御前に『女のお前は逃げろ』と命じ、巴御前は鎧を脱ぎ捨て敵を斬り捨てながら逃げたとされています
静御前は白拍子であり、源義経の愛妾
唯一『神に届く雨乞い』をした白拍子であり
日照りが続き困り果てた後白河法皇が百人の僧に読経させたが効果は無く、次に百人の美しい白拍子に舞わせ雨乞いをさせた。人まで効験がなかったが静御前が舞うと、たちまち黒雲が現れ三日間雨が降り続いたと言う逸話が残っています
義経死後は義経の兄頼朝の元で白拍子の舞を命じられ、義経を懐かしむ唄を歌い頼朝の怒りに触れますが、頼朝の妻政子の取り成しで命を救われました
後に頼朝の元で義経の子を産み落としますが男児であった為やや子は由比ヶ浜に沈められてしまいます
>>26の岩切慶子の元ネタは『岩融』(いわとおし)と言う武蔵坊弁慶の愛用した刃だけでも三尺五寸(106cm位)も有る大薙刀
三条小鍛冶宗近の作との伝説があります
(天下五剣であり最も美しい太刀と名高い三日月宗近の作者)
武蔵坊弁慶の振るった薙刀でありながら逸話は無く、『岩融』の号の由来すら残ってはいないのに加え、現存すらしていません