個人的意見ですが、会話文の「」には句読点を含まない方がいいかと思います。もう一つこれは意見が割るかも知れませんが会話文中にwを含まない方がいいかと思います。最近はこのwが読み物に含まれるのを嫌う方が増えてきているため注意です。
>>4アドバイスありがとうございます!
wが嫌いな方が増えてきてるのですね…初めて知りました。
今後、このアドバイスを参考に書かせて頂きます。
読ませていただきました。とりあえず基本的には「キド」を例に色々と書かせていただこうかと思います。
「キド」の一番最初、「作っているところだった」という表現は日本語として違和感がありますので、「作っているときだった」の方がいいと思います。
それから、何作目からか何故か鍵カッコの後ろの部分(」←これのことです)が消えていたので、あった方がいいと思います。
>>4さんのおっしゃっていた「w」と同じように「(ry」も嫌う方がいると思うのでこれを使わない表現を考えてみてください。
個人的には鍵カッコの中にカッコを入れるのも見にくいと思います。
「俺は笑って誤魔化す。脳の回転が鈍くなる」という表現ですが、短文を重ねるのは焦っていることを表すのに効果的です。とてもいいと思いますが、これだけでは少し物足りないので、できればもう一、二文足して三文以上重ねられるとさらに良いと思います。また、その際主語はできるだけ省いた方が良いでしょう。
全体的に、描写が少ないなという印象でした。どういう状況なのか、誰がどこに立っていて、何がどこにあるのか、誰がどんな仕草や表情をしているのか。説明文になってはいけませんが、読んでいて自然に頭の中で描けるような文章が作れるといいですね。
例えば、キドはどうして「カノが欺かず、本気で言っている」と判断できたのか、「誕生日おめでとう」と言っている彼らの表情はどんなか、またそれを聞いているキドの様子(涙のことだけでなく、声が震えている、腰が抜けた、心臓が冷えた心地がした、指先がまだ震えている)など。少し地の文を付け足してみてはいかがでしょうか。
上から目線の長文失礼しました。