小説の原理

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1:枕上 白痴:2017/04/07(金) 01:36

 アリストテレスのポエチカ、ポーの詩の原理、ヴァレリーの手帳、ロシア・フォルマリズム、そこに帰ろう。
 
 帰納法的な創作〜僕が小説を書く場合の精神過程〜


 僕は短編小説を書きあげたいと思う。
 理由は暇つぶし、興奮剤、それを求める故である。
 まず、「効果」を選びたい。悲しみ、怒り、幸福……九鬼周造の「情緒の系譜」は、
 レストランのメニュー表に過ぎぬ。
 僕は今、「幸福」を食べたい気分である。オーダー!
 幸福とは何か。「幸福論」を読むまでもなく、愛する人といつまでもいられる、ということが、
 幸福なのだ、と言ったところで、(哲学的にいろいろつっこみどころがありそうでも)多くの人が
「まあ、そんなものかな」
と妥協するところのものだろう。
 すると、いわゆる「日常系」が、まず思いつく。しかしただ男女の日常を書き綴っただけでは、ただの退屈である。
 日常でも、それが特別な日常でなければ、つまり、「日常の異常性」が、その時間に生命を与えるのである。
 そこで、アンチ日常、男女の日々を脅かす何者かの存在が、必要になってくる。たとえば仏教の無常、因果の考えは、
僕たちの今を、かけがえなくする。さらに言えば、本来、日常というものなど存在しない、あるのはただ異常だけで、日常とは、
それに疲れたくない人間の発明した言葉なのである。それを壊すのが、仏教の修行だとさえ言えそうだ。
 そこで、それをシンボライズすると、こうなる。

 そこは雪国でありました。それは不思議な雪でした。
 その雪に触れると、体が石のように、動かなくなってしまうのです。
 雪に触れると、心まで固まってしまうのかは不明ですが、体が固まってしまうということは、
間違いありません。
 大学生の守が、雪よけの傘をさしながら、この村を歩いています。ざっざっざっと、大きな長靴で、魔法の雪を、
踏みしめて。好奇心の強い守は、この不思議な雪の魅力に引き寄せられて来たのです。
「この雪は、死のようなものだ。触れるとどうなる?どうにかなった時には、自分はもういない」
 そんなことを考えながら歩いていると、ふと、美しい少女の像かと思われるものが立っているのを見つけました。
 いや、それは像などではありません。まさしくこの雪に触れてしまって、固まってしまった少女なのでした。
「ここでは、固まってしまったものは、そのままにしておく風習があると聞いていたが、全くその通りだった。しかし、
この娘は、どういきさつで雪にさわってしまったのだろう?」
 守は、こんなに美しい少女がなんでもなくなってしまったことを、残念に思いながら、旅館に向かって歩き始め
ました。旅館につくまでに、もう2、3人の、石像を見ました。そのうちの一人は、なんとなく腰のひけたような、
滑稽なポーズのまま、固まってしまっているのでしたから、守は、少し可哀想だと思ったのでした。


 この魔法の雪が、例えば時に吹雪になり、家を破壊したりして、人々の生活をおびやかす。悪意でもって、
手袋をはめて人にぶつければ、誰かを石にできる。雪に埋もれるとは、日常に飲み込まれるということである。
さて、ここで凍ってしまったあの美しい少女をとかしたい、そして、恋に落ちたい、さらになぜ雪にふれてしまったのか、
それを聞き出して、その原因を根絶したい。すると、ついに幸福ではないか。そこで、このようにしてみる。

 


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