皆さん、いじめの定義について説明してごらん!
何処から何処までがいじめなんだ?
な⁈ 誰も答えられないだろ??
答えられないものには答えなんてない
つまりは、『いじめなんてもんはない』
弱い立場の人間が強い立場な人間から理不尽な嫌がらせを受ける
これを「いじめ」と呼ぶなら、いじめなんてもんは世界中の日常にあふれかえっていて…一つひとついちいち問題視していったら切りがない
つまりは、『いじめなんてもんはない』
あるのは被害行為を受けたと主張する側の個人的な主張でしか説明がつかない
どこからどこまでがいじめだと定義するのは難しいけど、だからっていじめなんてものはないと決めつけるのはいいかがかと。いじめの線引きとといじめの存在自体は=で結ばれるものではないと思う。
例えいじめが個人的な主張だったとしてもそこに物的証拠があったなら、それはいじめがあったといえるのでは?ならいじめが存在しないことにはならない。
>>2
>例えいじめが個人的な主張だったとしてもそこに物的証拠があったなら、それはいじめがあったといえるのでは?ならいじめが存在しないことにはならない。
それなら物的証拠さえ残らなければいじめは成立しなくてもいいのかい?
このスレッドでは、いじめの「実態」があっても「実体」がなければいじめはない、という俺の極論について意見を聞かせて欲しい
お前も理不尽にいじめられてみたら?としか言えんな
5:ivy:2019/06/07(金) 20:31 ID:NSM いじめ自体は存在するでしょ
ただ、その定義が個人の主観によってバラバラな非常に曖昧な概念なだけで
本当のいじめとは何かというのを突き詰めたら、イデア論的な話になってくるな
>>4
お前はなに言ってんだ?
やられたらやり返す、ただそんだけの話だろ?
理不尽なことで小突かれたなら…なおさら仕返すにきまっんだろ!
そんな両者の小突き合いをいじめと呼ぶか?呼ばねーよな!
>>5
>いじめ自体は存在するでしょ
↓
>その定義が個人の主観によってバラバラな非常に曖昧な概念なだけで
俺は定義付け出来ないから「いじめはない」という極論を主張しているんだけどなσ^_^;
>イデア論
そういう哲学的なものや精神論的なもんって…理屈でしかなく実態がまるでない
つまり、いじめを定義付けするのにイデア論を引き合いに出すこと自体、いじめには実態がないよと証明しちゃってんじゃないの?って話だよな
犯罪行為があるだけでいじめはないよね。いじめなんて所詮ごまかしに過ぎない
8:サビぬき。◆ps:2019/06/08(土) 22:57 ID:iIw 【地味ないじめ】
第三者によってちゃんと可視化されなければ、それは単に“生徒間のトラブル”と認識されて
その(善意による)解決法のベクトルは「仲直り」…とされてしまう事となる。
それ故、被害者側の処罰感情が満たされる可能性はかなり低い。
文部科学省の定義においては、児童の一定の人間関係のある人物から、精神的、物理的な攻撃を受けたことで苦痛を感じていることであり、国際的には児童に限らず「自尊心を損なわせ弱体化させることを目的とした、執念深い、冷酷な、あるいは悪意のある企てによる、長期に亘って繰り返される不快な行為」である。
上の文章はウィキペディアからいじめの定義とされるものを引っ張ってきました。
これらの定義はかなり人によりけりで主観的ですよね。精神的苦痛なんて、本人しか分からないのだから、嘘か本当かを確かめるのはすごく困難だと思いますし、それに物理的攻撃も、第三者や監視カメラなどの客体が捉えなければ、いくら暴行を受けたと本人が主張しても、真実かは分かりませんしね…。実際に心の病気を持っている方で、いじめを受けたと訴えたとしても、本当に起こったのか起こっていないのか分からない以上、実際に起こったものとして、詳らかに調査しなければなりませんし、いじめの定義は人によりけりの主観であって都合のいい言葉であることは否めません。ただ、実際に暴力的苦痛・精神的苦痛を受けている方や、その結果心の病に陥ってしまった本当の被害者の方々はいると思います。そういったさまざまなケースで被害者の方々に対する暴力的攻撃・精神的攻撃を総括して、いじめ、と便宜上一括りにしているのだと思います。
だから厳密な定義はないけれど、被害者の方々に対して故意に行われ、そして客観的に証明されたさまざまな暴力的攻撃・精神的攻撃を便利的に、いじめと言っているだけかと思います。