どこからどこまでがいじめだと定義するのは難しいけど、だからっていじめなんてものはないと決めつけるのはいいかがかと。いじめの線引きとといじめの存在自体は=で結ばれるものではないと思う。
例えいじめが個人的な主張だったとしてもそこに物的証拠があったなら、それはいじめがあったといえるのでは?ならいじめが存在しないことにはならない。
>例えいじめが個人的な主張だったとしてもそこに物的証拠があったなら、それはいじめがあったといえるのでは?ならいじめが存在しないことにはならない。
それなら物的証拠さえ残らなければいじめは成立しなくてもいいのかい?
このスレッドでは、いじめの「実態」があっても「実体」がなければいじめはない、という俺の極論について意見を聞かせて欲しい