何処かしら探せば答えが見つかるような物事や問題を扱う程度ならそもそも議論なんてする必要無いんだよなー。
2:アーリア:2021/05/14(金) 19:57 ID:MOg固定概念の解消には役立つかもしれません。
3:invincible(故)◆NU3RYoU:2021/05/14(金) 19:58 ID:qHE >>1
資料批判が主な議論は、不確かなことについての議論に入るのだろうか
>>1
うん、議論(議題)ってさー“常識とされている事に対して疑問を持つ”‥みたいな発端があったりもするもんね?
つまり「通説をもって正論とする」的な考えに対するアンチテーゼとしての反論だとか
もっとラジカルに「他の皆は納得しているらしいのだが、オレだけはどうしても納得できない!」
‥からの〜議論提起だってアリだと思うし。
確かに引用ソースこそが究極の解答である‥とか単純に思っちゃうヤツとは、あんまし関わりたくは無いわな。
イヤー色々あって返すのが遅れたよ。
>>3
もうすでに探せばどこかに転がってる資料出し合いとかその精査になるのは、議論と言うよりもうそれ事務処理。すでに用意されてるピースをただはめていくだけの作業に等しく思うね。
>>4
俺としてはですよ、現状定量し難い対象をどのように定量していくかとか、物事を不明瞭な構造の解析。なんかがね一番議論するにふさわしいって思ってる。一方、資料の出し合いとかになるとまぁそんなの議論するまでないと思うもんね。あと試せば分かる内容を議論するのとかも退屈よな。
>>5
お疲れ様。
確かにそう言う考え方もわかるけど、例えば歴史問題なんて、膨大な資料が出されてるのに決着つかないじゃん。ちょっと照らし合わせるだけの簡単なものならともかく、程度によっては議論にしてもいいと思う。解釈の問題とかもあるし。
うんこ!