注意事項
*ホラー系が苦手な方は閲覧を控えた方が良いです
*流血シーン有りです
*感想やアドバイスがありましたら、書き込んでくれると嬉しいです
*なりすまし、暴言、荒らしは厳禁
ドアノブに手をかけドアを開けると、やや耳障りな音がした。
視界に入ったのは、グレーの壁で囲まれた無機質な部屋だった。
小さな机と向かい合う2つの椅子しかない。
窓は無く、蛍光灯だけでは少し薄暗かった。
しかし、それらよりも目に留まったのは、2つのうち1つの椅子に座っている髪を2つ結びにし、眼鏡をかけている制服姿の女子だった。
俯いている彼女の名前を俺は呼んだ。
「萩野」
俺の声に気付いたのか、彼女は、
「あ……来てくれたんだね」
と声を漏らした。
萩野はクラスメイトであり、俺の恋人でもある大切な存在だ。
彼女の目は隈ができており、髪はボサボサだった。
無理もない。
あんな事件が起きたのだから。
「大丈夫か?寝てないだろ」
「大丈夫だよ。それに、そっちも寝てないでしょ?」
苦笑いを浮かべながら、答える萩野。
その顔を見ると、胸が締め付けられた。
側にいた警察官に促され、俺はもう一方の椅子に座った。
俺と彼女は警察署にて、取り調べを受けることになった。
あの事件の関係者、または生き残りとして。
お互い別々の場所で取り調べを行っていたが、彼女からの希望で、数時間後に二人で会うことが出来た。
正確に言えば、この部屋には一人警察官がいるが。
しかし、こうしてゆっくりと話し合える時間を取ってくれた警察には、むしろ感謝をしなければならない。
それに、警察署の外には事件を聞き付けた報道陣がいるらしく、しばらくは外に出られないだろう。
「あのね……警察に二人で会うことを要求したのはね、聞きたいことがあったの」
「聞きたいこと?」
俺がそう言うと、萩野は少し申し訳なさを含んだ困り顔をしながら、口を開いた。
「私……事件のこと、あまりよく覚えてないの」
その言葉に、俺は目を見開いた。
「……本当か?」
「うん。思い出そうとするけど、霧がかかったみたいにモヤモヤしちゃって……」
きっと、事件のショックで記憶が失われてしまったのだろう。
それほど、この出来事が彼女にとって苦痛だったと思うと、こちらが辛くなってしまった。
「だから、私と同じ生存者から話を聞けば、記憶を取り戻せるかな、って思ったの」
彼女は理解したが、俺はなかなか首を縦に振ることが出来なかった。
あの出来事を話して、萩野が全てを思い出してしまったら、彼女はさらに悲しむに違いない。
酷ければ、心を壊してしまうかもしれない。
困惑する俺に、彼女は察したような顔で言った。
「私は全てを受け入れるって決めたから、正直に話して。記憶が曖昧なまま、皆の死を見届けられないの」
彼女は真っ直ぐな瞳で俺を見つめると、俺は溜め息をつき、決心したように口を開いた。
「……わかった。全部話すよ。まずあの時、俺らは夜の学校の教室にいたんだ」
「それじゃあ、始めようか」
誰かの合図とともに、タイミングよく雷が鳴った。
外は大雨で今もシトシトと音が聞こえる。
連続する雷の音で、誰かが悲鳴を上げたが、それが誰かは分からなかった。
【2年A組】と書かれたこの教室は真っ暗なのだから。
この空間に今、俺を含めた8人の人間がいること以外、誰が何をしているのかは全くと言っていいほど、分からない。
教室を暗くしようって言ったのは……ああ、大槻か。
視覚を奪われ、聴覚が敏感になった状態での【犯人探し】は最適だと、彼は言っていた。
1週間前、クラスメイトの小倉が亡くなった。
背中にナイフが刺された状態の彼が、夜道で発見されたそうだ。
普通、クラスメイトが死んだら、悲しいと思うだろう。
ましてや、彼は自分達と同じ高校生なのだから、尚更だ。
しかし、俺と他の7人は違った。
俺達は彼をいじめていたのだから。
最初は些細なことでからかったり、陰口を言う程度だったが、それはエスカレートしていき、壮絶的ないじめに発展してしまった。
俺が属するこのグループは、良くも悪くも目立っていた。
いや、グループというより、リーダー格のあの二人と言った方がいいかもしれない。
とにかく、俺達は彼をいじめ続けた。
勿論、俺はやりたくてやってたわけじゃない。
ただ、彼を庇えば、今度は自分が標的になることを恐れていただけだ。
多分いじめを楽しんでいたのは、あの二人だけだろう。
自分を守るために、彼に対する罪悪感ばかりが募っていく日々を俺は過ごしていた。
そんなある日、彼が何者かに殺されたということを知った。
クラスに、俺達8人の誰かが犯人だと噂が流れるのに時間はかからなかった。
最初は絶対違うと思った。
まず、あの二人からすれば彼は自分のストレス解消の道具であり、ある意味欠かせない存在だった。
それに、罪悪感に耐えていた俺達だって、彼のお陰で自分は標的にされずに済んでいるのだ。
彼を殺害する理由など、なかったはずだった。
「本当にこの中にいたりして……殺人犯」
大槻のこの言葉が、全ての始まりだった。
8人しかいない放課後の教室では、先程まで喋り声で溢れていたが、それで一気に止んだ。
皆の顔が強張る。
「な、何言ってんだよ。俺達には彼奴を殺す理由なんてないだろ?」
すぐに俺は反論したが、大槻は俺達の顔を見渡すと、口を開いた。
「いや、案外いたりしてね。本当はいじめをやりたくなくて罪悪感ばかりが募っていく奴が、最終的に小倉……いじめの標的の存在を恨んで殺したかもしれない。いじめを楽しんでいた奴も、ふざけ半分でナイフで脅してみたら背中に刺さってしまったって可能性もある。それか、もともと小倉に何か恨みがあっていじめでストレス解消していたけど物足りずに、殺害した……ってことも有り得る」
彼の言葉で、心臓が激しい鼓動を打った。
額から冷や汗が流れる。
「この中にいるんだろ?殺人犯」
大槻の目は獲物を探る狩人のようだった。
この緊迫した空気の中、次に口を開いたのはいじめの主犯の西尾だった。
「んなわけねぇだろ!俺達の中にいるなんて信じられるか!」
怒鳴る西尾に対し、大槻は冷静に答えた。
「まあまあ、怒るのは後にして。【犯人探し】をするのが先だよ」
その声は少し上ずっていた。
まるでこの状況を楽しんでいるかのように。
「犯人探し?」
一人の女子が彼に訊いた。
「そう。皆から小倉に関係する話を全て話して欲しい。この中に犯人がいるとしたら、何か矛盾点が生まれたりするかもしれない。そうすれば、この中に犯人がいるかどうか、わかるからね」
再び彼は全員の顔を見渡した。
その威圧を含んだ目に、反論していた西尾が溜め息混じりの声で言った。
「……わかった。だけど、犯人探しして何になるんだよ」
その質問に、大槻は少し間を開けて話し出した。
「……いじめを繰り返さないためだよ。仮に犯人が俺達の中にいたとしたら、【いじめていた奴が死んだ】【その犯人は自分の仲間にいた】って頭の中に叩き込まれるからね。トラウマに近いよ。殺人犯が自分の近くにいたんだから。だけどそうすれば、このことを思い出さないように、いじめはやらなくなる。少なくとも、俺達は、だけど」
彼の意見は理解することが出来た。
しかし、なかなか首を縦に振る者はいない。
それに賛成してしまえば、自分達の中に犯人がいると認めたようなものなのだから、当然かもしれない。
沈黙が続いた。
その空気に耐えきれなくなったのか、自分の席の椅子に座っている江川が口を開いた。
「いいんじゃないの?」
軽い口調で彼女はそう言った。
「こうやってジメジメしてるより、犯人がいるなら犯人を探す!いないと思うなら、私は楽しく過ごしたい」
もともと楽観的な性格の彼女の発言は、反感を買われるかもしれないが、この場では淀んだ空気を浄化してくれたような感覚になった。
そんな彼女を見つめながら、大槻は微笑した。
「江川らしい考えだな。別に俺は、疑心暗鬼になれとは言ってないし、思ってもない。ただ、過去を回想することで自分のしたことの重さに気付けるかな、って思ったんだ。ぶっちゃけ俺も、今回のことは反省してるし」
「犯人探し兼反省会……ってことかぁ」
大槻の言葉に、江川が相槌を打った。
「反対の奴、いる?」
大槻が言う。
反対する者はいなかった。
反省するためにそれに参加する人もいるかもしれないけど、俺の場合引っ掛かったのだ。
犯人の正体に。
一体誰が、何のために__
「もう、何でわざわざ夜の学校でしなきゃいけないのよ。しかも、こんなに暗くするなんて」
一人の女子の声で、今までの出来事から現実に戻ってきた気分になった。
声の正体は大槻の幼馴染みで、クラスのリーダー的存在である松下里奈だった。
「だから言っただろ。視覚を奪われた方が、より聴覚が敏感になるって。そうすれば、話の辻褄が合ってなかったり、何か可笑しい点があった時、気付きやすくなる。それにいつもと違う環境にした方が面白いかな……って思ってさ。放課後ここで話すにも、最終下校時刻があるから時間は限られてしね」
暗いため、彼が今どのような表情をしているのかはわからないが、その言葉や上ずった声からして、笑っているのだろう。
本当にコイツは反省しているのだろうか?と疑いたくなるほど、大槻はこの状況を楽しんでいるように思えた。
犯人探しをすると決めた日から2日が経ち、俺達8人は夜の学校に集まった。
場所を決めたのは、大槻だった。
本人曰く「友達を7人も泊めてくれる家なんてないだろうし、ファミレスとかだと周囲に話を聞かれる可能性がある」という考えらしい。
勿論、夜の学校に忍び込むのはやってはいけないことだ。
最初は皆反対していたが、8人が入れて、周りに話を聞かれない環境が良いという考えは全員一致していたため、渋々了解した。
しかし、教室に入ると同時に俺が付けた電気を、彼は突然消したのだった。
聴覚を敏感にするためとはいえ、女子……特に怖がりな松下からはかなりこのやり方は非難された。
再び、雷が轟音を立てて鳴った。
カーテンは全て閉めきっているが、それでも白い光を放っているのがよくわかった。
雷が白い光を放つ度に、一瞬だけ教室の様子が少しわかる。
俺達は四人ずつ向かい合う形に机と椅子を移動させ、そこに座った。
「何かあったら、この懐中電灯を使って」
大槻はあらかじめ用意しておいた懐中電灯を、机の上に置いた。
「それで……最初は誰から話すの?」
準備が整ったところで、名取が早速【犯人探し】を始めようとした。
「出席番号順とか?」
名取に続き、声を発したのは萩野。
「んー……じゃあ、笠原からで」
西尾の声に、名前を呼ばれた彼女は驚いたような声を上げた。
「……え?何で私?」
「向かいに笠原がいたから、なんとなく」
西尾のその言葉で、初めて彼の向かい側の席に笠原がいるということがわかった。
笠原は溜め息混じりの声で答える。
「別にいいけど……。本当に話していいの?タブーな話とかも?」
その言葉は、大槻に投げ掛けてるのだと思っていた。
しかし意外にも、返事をしたのは西尾だった。
「ああ……構わねぇよ」
その声は、投げやりのように聞こえた。
だが、それよりも気になったのは笠原が言った【タブーな話】だった。
俺には、そのことがいまいちよくわからなかった。
彼女は何か隠しているのだろうか。
いや、西尾は彼女の【何か】を察していたような感じがした。
もしかして、二人は何か秘密を共有しているのだろうか。
聴覚を研ぎ澄ましながら話を聞いていると、様々な考えが浮かんでくる。
話してる人の声色や間の開け方、話す速さ次第でその人の気持ちがよく伝わってくるからだ。
もし、誰かが嘘をついたら、見破れる可能性だってあるかもしれない。
「それじゃあ、話すね」
俺は目を軽く閉じ、笠原の話を聞くことに集中させた。
「実は私___」
彼女がそう切り出した時、外で雷が激しく轟いた。
私の中には、常に【本音】と【建前】がいた。
その性格は昔から変わらず、高校2年生になった今もだ。
「ねぇ、今日の放課後カラオケに行こうよ!」
緑が生い茂る中庭で、いつものグループと昼食を食べていた時、このグループのリーダーともいえる人物、友村紗代里がそう言った。
「いいね!」
彼女の意見に賛成する子の声が聞こえたが、私は申し訳なさそうな顔をしながら口を開いた。
「ごめん。今日塾があるからパス」
「そっかぁ……じゃあ、知花とはまた今度行こう」
紗代里は大袈裟に溜め息をついた。
端を持つ手を止めていた私は、再びそれを動かす。
塾があるなんて嘘だった。
私は単純に行きたくなかったのだ。
別に彼女達の事は、嫌いではない。
高2になった時、仲の良い子とクラスが離れ、友達作りに悩んでいた私に真っ先に声をかけてくれたのが紗代里達だった。
お陰でクラスにはなんとか馴染めたし、何か困ったことがあると紗代里は「大丈夫?」と優しく声をかけてくれた。
しかし、私と彼女達とは何もかもが違った。
このグループには容姿が優れている、成績が優秀、運動が得意、コミュ力が高い、彼氏がいるなど、何かしらステータスを兼ね備えていた。
そして、グループのリーダーの紗代里はその全てを持っていた。
……いや、正直成績の方はあまり芳しくないらしい。
だけど、大きな瞳にふわふわのロングヘア、スタイルの良い身体には女子の私でさえ、一瞬惚れても可笑しくなかった。
そんな容姿とは裏腹に、常に面白い話や顔芸などをして皆を笑わせたり、体育では持ち前の運動能力を発揮したりしていた。
また、他校に1つ年上の彼氏がいるらしい。
そんな彼女を羨ましく思ったが、同時に自分の平凡さに悲しくなってしまった。
成績と運動は良くも悪くもなく、顔も特別可愛いってわけじゃない。
コミュ力はどちらかというと低いだろう。
恋愛に関しては、彼氏どころか恋すらしたことがない。
それだけならまだ良かった。
しかし、5月に入った頃、私は圧倒的な私と彼女達の差を思い知ることになった。
彼女達と出掛けることになり、買い物を楽しんだ後、私達は近くのファーストフード店で休憩することになった。
他愛もない話をしていると、紗代里のポテトを掴む手が止まり、彼女は眉間に皺を寄せた。
彼女の視線は、ファーストフード店の向かいにある小さなアニメイトから出てきた中学生くらいの女子二人に向いていた。
「うわぁ……アニオタじゃん」
その声には、明らかに嫌悪感が混じっていた。
心臓がどきりと鳴った。
「何あれ。気持ち悪い」
他の女子も口を揃えて、彼女達を非難した。
勿論、二人の女子はそれが聞こえてないので、何食わぬ顔で別の方へ行ったが。
しかし、私の心臓は激しく鼓動を打ち続けた。
私は恐る恐る皆に質問した。
「あのさ……皆ってもしかして、オタクが嫌いなの?」
その言葉に、紗代里は、
「あったり前じゃん。単にアニメや漫画が好きって程度ならまだしも、オタクの度合いまでいくと流石に引く」
と答えた。
心臓の鼓動がさらに速くなる。
額から嫌な汗が流れた。
私の様子に気付いたのか、紗代里が私の顔を覗き込んだ。
「どうしたの?大丈夫?」
彼女の言葉は、私には聞こえなかった。
やはり私と彼女達は、何もかもが違っていた。
何故なら、私は中学時代、自分でも認めるほどのオタクだったのだから。
受験を機に、アニメを見ることをやめたせいか、以前ほどアニメを見たいという欲はなくなっていたが、それでも時々ウォークマンでアニソンを聴いたり、好きな漫画家の新作情報などは毎月チェックしていた。
勿論、オタクを苦手とする人もいると理解はしていたが、まさか目の前にいたなんて、思ってもみなかった。
彼女達の言葉は、私の心を深く抉った。
彼女達に自分がオタクだとバレれば、即効ハブられるだろう。
幸い、高校に進学してからはアニメへの熱意が薄れたのか、それについての話題は一切出さなかったため、私に【アニメ好き】というキャラ付けはされなかった。
それに、中学時代の自分を知る人もここにはいなく、いつの間にか私は完全に普通の女子高生になっていた。
「そういえば、知花はオタクについてどう思う?」
一人の女子が、私に質問を投げ掛けてきた。
「あ……」
本当は私は元々オタクだった。
大声を出してそうアピールしたかったが、そうすれば一貫の終わりだ。
やがて私は意を決して、口を開いた。
「……私もだよ!オタクってキモいよね」
これは自分を守るためなんだ、と言い聞かせたが、私の心はズキズキと痛んだ。
「だよね」
紗代里の相槌など、聞こえなかった。
この日以来、彼女達といると一方的に居心地の悪さを感じてしまった。
しかし、このグループを抜けてしまったら、私は独りぼっちになるだろう。
一応、他のグループの人とも話したり、連絡先を交換したりはしているが、それぞれのグループの結束力は強く、他のところへ行くことは不可能に近い。
オタクとバレない限り、私には居場所があるが、精神的にはなかった。
……いや、1つだけあった。
昼食を食べ終え、教室に戻った私は自分の席に着くと、机にの横に引っ掛けてある鞄から、スマホを取り出した。
私はスマホで、【愚痴サイト】と検索した。
やがて、ハンドルネームや内容を書く画面が現れた。
ハンドルネームのところには「C.K」と打ち込み、早速内容を書く欄に文字を書き込み始めた。
あの日から2週間後、偶然にも私はこのサイトに出会った。
このサイトを利用してる人の書き込みを見ると、成績や親子関係、進路、会社の上司、中には私と同じ友人関係など、様々な愚痴が羅列していた。
最初は思いとどまったが、私は自分のイニシャルの【C.K】というハンドルネームで紗代里達への愚痴を書き込んだ。
最初は愚痴というよりは、「自分の性格を恨みたい」「何でアニメ好きになんかなったんだろう」「独りぼっちにはなりたくない」など、自分を責めるようなことを書いていたが、最近は違った。
書きたいことを全て書き終えると、誤字の確認もせずに、【投稿】を押した。
【[752]投稿日:2017/7/2(12:54) 投稿者:C.K
確かにマナーの悪いオタクだっているけど、皆が皆そうとは限らないのに、オタクに対して「消えて欲しい」「キモい」「社会の屑」は流石にないよ。あの人達の発言は、人種差別みたいなもの。酷すぎる。もし、私みたいに実はオタクって人がそれを聞いたら、傷付くだろうな……。本当、あの人達と友達やめたい】
いつしかサイトに書き込む内容は、前より激しくなっていた。
投稿した文章を読み直すと、私は無意識に溜め息が出た。
私は紗代里達のことを嫌いじゃないと思いたかっただけかもしれない。
独りぼっちになるのが怖くて、苦手な人と無理に付き合っている弱虫な自分を認めたくなかっただけだったかもしれない。
ちらりと、教室の後ろでクラスメイトと談笑している紗代里を見た。
彼女と話しているのは、松下さんだった。
紗代里と同じく、容姿端麗でコミュ力が高い彼女は、このクラスのリーダー的存在だ。
彼女は良くも悪くも目立っていた。
クラスを仕切ってくれるところは尊敬しているが、彼女に目を付けられれば、自分の居場所を奪われてしまうのだ。
あくまで噂だが、1年の頃に彼女はクラスメイトの女子を不登校にしたとも聞いている。
まあ、松下さんと関わる機会なんて滅多にないし、ぼっちってわけじゃないから、目を付けられることもないだろう。
その考えが脆くも儚く崩れていくことを、私はまだ知らなかった。
夏休みまであと1週間となったある日のことだった。
紗代里がトイレに行ってる隙に、私は自分の席に座っていつものように、愚痴サイトと検索した。
今日もストレスをサイトにぶつけようとした時、私はあることに気付いた。
昨日私が書いた愚痴に、返信が来ていたのだ。
【[908]投稿日:2017/7/14(8:32) 投稿者:V.P
>>C.K
そんなことがあったんですね……。私も好きなものを友達に好きって言えないから、困ってます。お互い頑張りましょう。】
少ない文章だが、さっきまで重かった心が急に軽くなった。
やはり、友達に自分の本音をしっかり言えない子もいるんだ、と仲間が出来たような感じがした。
私は彼女に返信をするため、再び書き込みを始めた。
【[913]投稿日:2017/7/14(10:48) 投稿者:C.K
>>V.P
ありがとうございます。V.Pさんのお陰で、少し心が軽くなりました!】
本当はV.Pさんの境遇を聞きたいが、相手が不快になるかもしれないので、それはやめた。
お礼の返信はしたので、これっきり、私とV.Pさんとは喋ることはないと思っていた。
しかし昼休みになり、再びそのサイトを検索すると、私は目を見開いた。
【[916]投稿日:2017/7/14(11:42) 投稿者:V.P
>>C.K
それなら良かったです!もしよろしければ、チャットサイトでお話ししませんか?】
もう来ないと思っていた返信が、来ていたのだ。
しかも、チャットサイトで話す……彼女は私ともっと関わろうとしている。
私は即効返信をした。
【[918]投稿日:2017/7/14(12:34) 投稿者:C.K
>>V.P
いいですね!そうしましょう!】
その文章を投稿し、トイレに行った後、私はもう一度そのサイトをチェックした。
すると期待通り、返信はあった。
彼女はチャットサイトのURLを貼ってくれていた。
それを通じて私はそのチャットサイトに繋げると、【最新】の欄にV.Pというハンドルネームと【C.Kさん待ってます〜!】というメッセージがあった。
私は【返信】という欄に、メッセージを書き込もうとしたが、
「知花、お昼食べよう!」
と、紗代里の声が聞こえてきた。
返信はいつでも出来ると自分に言い聞かせ、諦めて弁当箱を抱えながら紗代里の方へ移動した。
それから、私はそのサイトで、彼女とたくさん話をした。
彼女は現在高3で、青森在住らしい。
本当は小説や漫画が好きだが、男性アイドルやオシャレが大好きな友人達に話を合わせていると、彼女は言った。
夏休みまでの日々、私達はその日起こったことや、タイミングが良ければリアルタイムで誰が何をしているかを書き込んだ。
その内容は紗代里達に対する愚痴も含むが、教室で誰かがこんな面白いことをやっていたとか、嫌いな科目の抜き打ちテストがあったなど、普通の学校生活に関係することをたくささん書いた。
夏休みに入ると、前以上に彼女とよくチャットをした。
スマホのやりすぎで、親に注意されるほどたくさん。
【今日は家族で、旅行に行きます!楽しみだなぁ(*´∇`*)】
【海に行ったら、日焼けしました……。皮がめっちゃ剥けます。助けて下さい(涙)】
【課題が終わりません。そして眠いです。】
【暑すぎて夏バテになりそうです(´゚ω゚`)】
【今日はたくさん勉強しよう!と気合いを入れたはずが、気付けば何もせずに夕方になってました。】
何の変哲もない会話だが、私はこれが楽しかった。
思ったことを話せる人が、私はずっと欲しかったのだ。
私はV.Pさんの存在に感謝した。
青森県か……。
冬休みにでも行ってみようか。
そして、一度だけ彼女に会ってみたい。
彼女はどんな顔をしているのか、すごく気になったのだ。
しかし、その希望は新学期の朝に打ち砕かれたのだった。
休みが終わったため、階段を上る足取りは重い。
2年の教室がある2階の階段を上り終えた瞬間、私の足がぴたりと止まった。
「おはよう。笠原さん」
そこには、松下さんと西尾君がいた。
絡みのない私に挨拶をするなんて、珍しい。
「お、おはよう」
私は挨拶をした瞬間、二人が笑みを浮かべたのを見逃さなかった。
嫌な予感がした。
松下さんは私の方に歩み寄ると、静かにこう言った。
「夏休みは楽しかった?C.Kさん」
その瞬間、私はまるで時が止まったかのように、凍りついた。
額から冷や汗が流れる。
何故、そのことを彼女は知っているのだろうか。
「そうそう。私前にも言ったけど、海に行ったら日焼けしちゃって、皮がめちゃくちゃ剥けちゃったのよ。今は大丈夫だけどね」
その言葉で、私はすぐにわかった。
V.Pさんの正体は、松下さんだということを。
しかしそれなら、何故彼女のハンドルネームは【V.P】なのだろうか。
【松下里奈】なら【R.M】になるはずだ。
私の考えを見透かしたように、彼女は含み笑いで言う。
「VはVillageで【里】、PはPine treeで【松】って意味よ。あんたも馬鹿よねぇ。クラスで起こったことをリアルタイムで書き込むなんて。クラスメイトが見たら、すぐにバレるわよ」
……終わった。
全てが終わった。
呆然とする私に、さっきまで黙っていた西尾君がこう言った。
「意外だな。お前が友達の悪口をネットに書くなんて」
きっと、二人は紗代里にそのことを言うだろう。
そして、それを知った紗代里達は私をハブり、私は独りぼっちになる。
すると、自然と私がやったことはクラスに広まり、私の居場所は完全に無くなる。
完璧なシナリオが、私の頭の中で完成した。
しかし次の瞬間、彼が口にした言葉は意外なものだった。
「このことは、友村達には言わないでやるよ」
その言葉に、私は目を丸くした。
言わない……?
どういうこと?
一瞬、安堵しそうになったが、絶対何かあると直感した。
「その代わり」
西尾君のその声で、私の予感は的中したと感じた。
間を開ける彼の次の言葉を、私は固唾を呑みながら待ち構えた。
「俺らのグループに入ってくれよ」
「……え?」
再び、私は目を丸くした。
その条件はあまりにも簡単すぎて、腰が抜けそうだった。
西尾君や松下さんのグループは、私が所属する紗代里のグループ以上に優れた人達が集まるグループだった。
運動神経抜群な西尾君と誰もが振り返ってしまいそうになる美少女の松下さん、冷静な性格で明晰頭脳な大槻君、高身長で切れ長な目が特徴のイケメン系女子の名取さん。
そして、このメンバーに時々加わっているのが、私ともそこそこ仲の良い光貴だった。
彼とは男子の中では一番仲が良く、唯一名前で呼べる存在だ。
彼はよく西尾君達と一緒にいるが、いつもというわけではなく、別のグループの男子とお昼を食べたり、帰る姿を何度か目撃している。
容姿端麗で頭も良いが、何故温厚な性格の彼が西尾君や松下さんのような気の強い人達と一緒にいるのか、疑問に思ったこともあった。
それを言っちゃえば、あまり目立ちたがらない大槻君や優しい性格の名取さんもそうなるが。
「で?どうするんだ?」
西尾君の言葉で、私は今、グループに入るか入らずに居場所を失うか、選択を迫られているところだということを思い出した。
答えは決まっていた。
「うん。入る」
私の言葉を聞くと、松下さんは手を差し出した。
「よろしくね」
まるで私の答えを予想していたかのように、彼女は握手を求めてきた。
最初は戸惑ったが、私も彼女の方へ手を差し出すと、握手を交わした。
まるで、契約のように。
お昼を知らせるチャイムが鳴った。
私が四時間目の授業で使った教科書やノートを片付けようとした時、
「知花、お昼食べよう!」
いつものように、紗代里は私をお昼に誘ってきた。
私は首を縦に振ろうとした瞬間だった。
「ごめんね紗代里。知花は私達と食べるから」
突然、後ろから松下さんが声を発した。
下の名前で呼ばれたことよりも、お昼を彼女達と食べることになっていることに対しての驚きが大きかった。
「え、そうなの?」
目を丸くする紗代里。
「じゃあ、そういうことで」
松下さんは私の手を掴むと、引っ張った。
「あ……また今度食べよう!」
私は紗代里にそう言うと、松下さんが行こうとしているところへ視線を向けた。
予想はしていたが、そこには西尾君と名取さんがいた。
後ろから紗代里の声が聞こえてきたが、私はそれを無視した。
「あ、笠原さん。こっちこっち」
手招きをしてくれたのは、名取さんだった。
彼女は、抱えていたお弁当箱を机に置くように促した。
「あ、ありがとう」
名取さんは私がグループ入りすることを知っているのだろう。
しかし、彼女は私が紗代里達の悪口をネットに書いていたことなどは、知っているのだろうか。
彼女の口から聞きたかったが、聞く勇気などなく、私は黙って席に着いた時だった。
「あれ、何で笠原がここにいるんだ?」
突然、背後から誰かの声が聞こえてきた。
振り向くと、そこには右手に飲み物、左手に菓子パンを持っている光貴がいた。
その後ろには、同じくコーラを片手に持った大槻君もいる。
二人は売店に行っていたのだろうか。
次の瞬間、私はふと気付いた。
光貴は私がグループ入りしたことを知らないと。
「あ……それは……えっと……」
どう説明すればいいかわからなかった。
【グループに入ることになった】と答えれば、その理由を聞いてくるのが、最も自然な流れだろう。
しかし、そうなれば私が紗代里達の悪口をネットに書き込んだことがバレてしまう。
仲の良い彼にそれがバレてしまうのは、避けたかった。
私が困惑していると、助け船を出してくれたのは松下さんだった。
「あ、ごめんごめん。言うの忘れてたけど、私知花と仲良くなったんだ。グループ入れてもいいよね?」
語尾に力が込められているのは、明らかだった。
本当のことを彼に話さなかったのは、ありがたかったが。
しかし、そんな彼女に臆した様子も見せず、彼は、
「別にいいよ。笠原とは仲良いし」
と言うと、席に着いた。
彼のお陰で、心が少し軽くなったのは気のせいじゃないはずだ。
私はこれからの不安と微かな嬉しさを胸に、箸をつまんだ。
それから、私は松下さん達のグループと一緒にいることが多くなった。
お昼は毎日一緒に食べるようになったし、帰りも彼等と帰ることが日課になった。
最初は少し戸惑ったけど、名取さんや時々グループに加わる光貴は優しくしてくれたり、勉強が分からなくなった時は大槻君が丁寧に教えてくれたりした。
本人からの希望で、松下さんのことは里奈、名取さんのことは沙也と呼ぶようにもなった。
だけど、楽しかったのは最初だけだった。
西尾君と里奈が私の弱味を握っていることをいいことに、私にこき使い始めたのだ。
喉が渇けば飲み物を買いに行け、彼等の荷物が多いわけでもないのに鞄を持たせられるなど、やられることは大したことではないが、日に日にストレスが溜まった。
何度も逆らおうとしたが、きっとそうすれば私の秘密はバレてしまうだろう。
グループを抜けることなんて、もってのほかだ。
涼しい季節になった時のことだった。
9月の下旬、10月の上旬に一人ずつメンバーが増えたのだ。
一人目は萩野真帆。
比較的大人しい性格で、クラスでも地味なグループに属していた子だ。
二人目は江川莉子。
彼女は、表情豊かでパワフルな性格が特徴だ。
光貴のように特定のグループには属していないが、クラスの人気者で、先生からも慕われている。
二人が入ってきた時、私は彼等が二人とたまたま仲が良くなったため、グループに入ってきたのだと思っていた。
特に江川さんは。
今考えると、なんて馬鹿馬鹿しい発想だと思うが。
二人が入ってからも、西尾君と里奈の私への扱いは変わらなかった。
前より、エスカレートしてる気もした。
しかし、そろそろ限界が近付いてきたある日、転機が訪れた。
小倉君が転校してきたのだ。
「よろしくお願いします」
笑みを浮かべながら、小倉君は軽く頭を下げた。
彼は父親の転勤のため、隣の県から引っ越してきたらしい。
先生に促され、指定された席に移動していく小倉君をちらりと見る。
無造作な髪と整った顔立ちは、まるでテレビに出てるアイドルのようだった。
さっきから、周りの女子が騒がしいのもそのせいだろう。
ここまでの彼に関しては、格好いいなくらいの印象だった。
しかし、席に着こうとした瞬間、小倉君が発した一言で、私の思考は停止した。
「もしかして、お前……西尾か?」
中央の席に座っている西尾君を指しながら、彼は目を見開いて言った。
すると、さっきまで黙っていた西尾君も、目を丸くしながら口を開いた。
「え……?ていうことは、やっぱりお前……」
クラスメイトは、二人に視線を注ぐ。
話から察するに、二人は知り合いなのだろうか。
「え!?本当か!?久しぶりだな!!」
嬉しそうな顔をする小倉君。
西尾君も、最初は驚いたような顔をしていたが、徐々に顔を綻ばせた。
今にも、二人が会話を始めようとした時、その二人に割って入ったのは沙也だった。
「はいはい。感動の再会もいいけど、これからHR始まるから後にしてね」
はーい、と返事をして席に着く二人。
私は視線を窓の外に移した。
先生は今日の授業変更や連絡などを言っているが、私の耳にそれらは入らなかった。
あの二人はどのような関係なのだろうか。
彼はどんな人なのだろうか。
そのことしか頭になかった。
第一印象は優しそうな人だったが、西尾君の知り合いともなると、不安がよぎる。
きっと、西尾君は小倉君をグループに入れるつもりだ。
もし、西尾君みたいに気が強いタイプなら、私のストレスはもっと溜まるかもしれない。
いや、情緒が不安定になっても可笑しくないだろう。
私は西尾君が彼を紹介するまで、その考えが脳内にこびりついて離れなかった。
里奈達とお昼を食べるのは完全に、日常と化していたが、今日は違った。
小倉君がグループに加わったからだ。
「小倉は、小学校の頃の友達だったんだよ」
そう言って西尾君はコーラをあおる。
「おい。【だった】だと、今は友達じゃないみたいだろ」
「悪い悪い」
不機嫌そうな顔をしながら言う小倉君と、それを適当に流す西尾君。
その二人の様子を見る限り、彼等はとても仲が良さそうだ。
「へぇ……そっかぁ。よろしくね!」
そう言って、彼に手を差し出したのは江川さんだった。
そんな彼女に対して、嬉しそうな笑顔を浮かべながら、応じる小倉君。
見たところ、悪い人ではなさそうだ。
「趣味は何?」
「テニスかな」
「得意科目は?」
「英語と古典。文系は大体得意だな」
「彼女いる?」
「いないよ」
ごく普通の質問と彼の回答を、私は右から左に聞き流す。
お弁当の中身が空になったことに気付くと、私は席から立ち上がり、自分の席に戻ろうとした。
その時だった。
「あ、そうだ。知花、麦茶買ってきて」
そう言って、里奈は私の手のひらに500円玉を置いた。
またか、と思ったが、私はそれを表情に表さなかった。
「わかった」
お弁当箱を自分の机の横に掛けてある鞄に入れると、500円玉を持って売店へ向かった。
小倉君が転校してきてから、1週間が経った。
彼はすっかりクラスに馴染み、私達のグループの一員として定着した。
しかしある日、それは崩壊へ向かった。
「笠原。これ先生に渡しといてくれ」
放課後を知らせるチャイムが鳴った時、西尾君は私に3枚のプリントを渡した。
内容からして、数学の先生に渡せばいいだろう。
「え?何か用事あるの?」
「特にねぇけど」
その言葉や偉そうな態度に、私は拳を握り締めながら、じっと彼を見た。
そんな私の様子が勘に触ったのか、西尾君は眉を寄せた。
「何だよ、その態度」
【ふざけるな】と、叫び散らしたいほど、私のストレスは溜まっていた。
これ以上、彼や里奈の言いなりになっていたら、可笑しくなりそうだった。
私は唇を噛み締めると、
「別に」
と素っ気なく彼に背を向けて、教室を出て行こうとしたその時だった。
「プリントくらい自分で出せに行けよ」
背後から声がした。
振り向くと、そこには小倉君がいた。
唖然とする私と西尾君とは反対に、いかにも機嫌が悪そうな顔をする小倉君。
彼は、私の秘密をきっと知らないから、そんなことが言えるのだろう。
沈黙が流れたが、それを破ったのは西尾君だった。
「は?別にいいだろ」
苛ついた様子を隠そうともしない声だった。
「いいわけない。お前と松下ってこの前から、笠原をこき使ってるだろ。友達……ましてや、女子にそんなことするなんて酷くないか?」
名前を呼ばれた里奈が、こちらをちらりと見る。
私は彼女から目を逸らした。
「いいや。俺のお陰で笠原だって、救われてるんだぞ」
今、西尾君が言ったのはきっと、私の秘密のことだ。
確かに、西尾君や里奈が口外しないお陰で、今もこうして教室にいられるのかもしれない。
しかし、当然そのことを知らない小倉君は、納得いかないような顔をした。
「も、もう私のことはいいから」
私は険悪な二人の空気を和らげようと声を出したが、小倉君はそれを無視した。
「だからって、こきを使うのは可笑しいだろ。笠原の気持ちも考えろよ」
「うるせぇな!事情も知らない奴に、偉そうに言われたくねぇよ!」
西尾の怒声と机を叩く音が教室に響く。
さっきまで会話していたクラスメイト達は、一斉に黙り込み、こちらの様子をちらちら見ている。
皆の視線が自分達に注がれてることが恥ずかしくて、気分が悪くて、怖く、私はとうとう教室から勢いよく出て行ってしまった。
どれくらい走っただろう。
息を切らしながら、私は廊下の柱に寄りかかった。
「なんなの……小倉君」
ぽつりと呟いた。
その言葉には、自分を庇ってくれた嬉しさというよりは、呆れが強かった。
いくら事情を知らないとはいえ、西尾君と友達だった彼なら、西尾君の性格は熟知してるはずだ。
なのに、彼にあのような態度や言い方をした小倉君に、呆れてしまった。
「……あれ?」
私の中に、一つの違和感が芽生えた。
昔から西尾君があのような性格なら、今のように仲が悪いはずだ。
しかし、小倉君が転校してきた日は、二人ともとても仲が良さそうだった。
私は目を閉じながら、考えを巡らせる。
そこから、導き出せる答えは___
「笠原!」
「知花!」
声がした方に振り返ると、そこには小倉君と紗代里がいた。
二人とも、呼吸が荒かった。
走ってきたのだろうか。
しかしそれよりも、私は紗代里がいることに驚いた。
最近では紗代里とはほとんど話していない。
私が里奈達のグループに入ってしまったため、向こうも距離を置いていた。
しかし、何故……?
「知花、大丈夫!?」
「あ……」
私の肩を掴みながら、真剣な顔をする紗代里。
そんな彼女の目を、私は逸らした。
「知花。なんか最近、可笑しいよ。里奈や西尾君のグループに入ったり、二人にこき使われてたり……」
「それは……」
話したかったが、私はなかなか口に出せなかった。
口に出してしまえば、自然と私が紗代里の悪口をネットに書き込んでいたことがバレてしまう。
私は俯きながら、力なく答えた。
「……何でもないの。私はただ、本当に里奈達と仲良くなっただけで、こき使われてなんかないの」
苦しすぎる言い訳だった。
当然、二人は「はい、そうですね」と納得しなかった。
すると突然、紗代里が、
「あ!ヤバい!」
と声を荒げた。
「今日塾あるんだった!遅れる!」
そういえば、紗代里は毎週火曜日は塾だったな、と思い返した。
鞄を取りに行くため、紗代里は走って教室へ行こうとした。
しかし、その前に彼女は私の顔を見ながら、
「心配事があったら絶対言ってね。知花を傷付ける奴は、誰だろうとぶん殴るから!」
そう言って、教室へ走って行った。
廊下に残されたのは、私と小倉君だけとなった。
「……本当に、何があったんだ?笠原」
真剣な眼差しで私を見つめる小倉君。
私は唇をぎゅっと噛み締めた。
この1週間で、小倉君がすごく優しくて良い人だということはわかった。
しかし、まだ会って数日しか経ってない人に事情をぺらぺら喋ることに、私は躊躇いを感じた。
彼のことを全く信じていない訳ではないが……。
「本当に何でもないの……そっとさせて」
その言葉を最後に、私は逃げるように走った。
目的地はないが、とにかく一人になれる場所を探し求めた。
この時、彼に正直に話してれば、こんな結末にはならなかったのかもしれない。
いや、もはやこれは逃れられない運命だったかもしれない。
もう、今更後悔したって遅いんだ___
「なあ、最近小倉調子乗ってないか?」
「え?」
あの日から、2週間経ったとある放課後のことだった。
小倉君を除いたいつものメンバーで教室で談笑していたが、その声は西尾君の言葉で、静まり返った。
あの日以来、西尾が小倉君に対してあまり良く思ってないことは明らかだった。
会話どころか、目すら合わせようともしない二人に、私達は見て見ぬふりをしていたが、それも限界だったようだ。
「調子乗ってる、ねぇ……まあ、最近も何も、私はもともと小倉君のこと気に食わなかったけどね」
里奈の言葉に、私は思わず目を見開いた。
里奈と小倉君は二人で話すことは少なかったが、お互いとても楽しそうに話していたのに。
「ちょっと待ってよ!里奈と小倉って仲良さそうだったよね?何で?」
私の考えを代弁してくれたのは、江川さんだった。
彼女の表情は、戸惑いに満ちている。
里奈は彼女をまるで鼻で笑うかのように、答えた。
「はぁ……馬鹿じゃないの?表では楽しそうにしてたけど、裏では小倉君のことを嫌ってたんだからね。そんなことも分からないわけ?」
「うるさいなぁ!馬鹿って言った方が馬鹿なんですけど〜」
「まあまあ、落ち着いて」
里奈と江川さんの間に割って入ったのは、沙也だった。
「大体、西尾と里奈が小倉君のことを気に食わないのは、わかったけど、何がしたいの」
沙也はそう言ったが、なんとなく全員がその答えをわかってるような気がした。
西尾君がゆっくりと口を開いた。
「何って、いじめるに決まってんだろ」
予想通りの答えに、私の額から嫌な汗が流れた。
私達に沈黙が流れたが、数秒後、それを破ったのは江川さんだった。
「……はぁ?」
彼女の表情や口調から、西尾君に対する嫌悪感が感じられた。
「何だよ」
「いくら気に食わないからって、流石にそれは無くない?幼稚かよ」
私は心から、彼女を応援した。
きっと、それは私だけではないはず。
ちらりと、萩野さんと光貴の様子を見る。
二人とも口には出してないが、江川さんに期待を込めたような視線を送っていた。
「……何よ。嫌な奴を排除して、何が悪いわけ?とにかく、私と西尾で決めたの。彼奴を徹底的に痛めつけるってね。文句ないよね?」
里奈の視線は、大槻君と沙也に向けられた。
「……別に」
「……ちょっと待ってよ。いじめなんて……」
沙也が困惑したような表情を浮かべながら、そう言った時、彼女の声は西尾君によってかき消された。
「異議ある奴」
短いが威圧されたその言葉に、声を上げる者などいなかった。
満足そうな顔をする西尾君と里奈。
反対に、暗い表情をする私達。
しかし、江川さんだけはまだ、その瞳に希望を残していたことを、私はまだ知らなかった。
「あとは皆の知ってる通り、小倉君をいじめて、その後誰かに殺された……って感じかな」
この出来事を笠原の視点で、上手く描くことが出来た。
外ではまだ、豪雨と雷が続いている。
しかし、誰もが笠原の話に神経を集中させていたため、雷の轟音で驚く者などいなかった。
全員が彼女の話を頭の中で整理しているのか、沈黙が流れる。
しかし、しばらくすると、誰かが呟くように言った。
「ちょっと待って……」
この声は江川だ。
「何か、可笑しい気がする……」
「どういうこと?」
松下は彼女に訊くと、
「話自体は特に可笑しくないんだけど、なんか……違和感がある。わからない?光貴」
と、俺に話を振った。
「別に、どこも変じゃない気がするけどなぁ」
本当に、違和感は何も感じなかった。
彼女が友村のグループに属していたことも、西尾や松下から嫌なことをされてたことも、真実だ。
笠原が友村達の悪口をネットに書き込んでいたことは、かなり意外だったが。
「でも、わざわざ自分がこのグループに入った経緯まで言う必要はなかったんじゃねぇのか?」
いつもより低い西尾の声。
自分や松下のことを俺達に明かされたのを、良く思っていないのだろう。
「確かに、それは関係ないと思う。だけど、仮に私達の中に犯人がいるとしたら、動機は予測しにくい。だから、小さなことでもいいから、皆に情報を伝えた方が犯人の意図や手掛かりを掴めるかもしれないでしょ?それに……」
「それに?」
松下が復唱する。
「これまでのことを、自分一人で抱え込むのがもう嫌だったの。もうこの機会に、後先考えずにすべてを話してしまおうと思ったの。あの時、小倉君に話した方が一番良かったのかもしれないけど」
笠原は、自嘲するような溜め息をつきながら、そう言った。
「……じゃあ、次は誰が話す?」
タイミングを見計らったのか、大槻がそう言った。
その時だった。
「なんか……息が……苦し……い」
笠原の弱々しい声が聞こえた。
「大丈夫?」
「窓開けようか?」
萩野と江川の声が聞こえる中、苦しそうに咳き込む笠原。
段々、彼女の様子が心配になってきた。
「……息が……でき……な……」
一言一言言うのも一苦労な様子の彼女の声に、俺達の不安はさらに強まった。
「ちょ、何で息が出来ないんだよ?」
「わか……ん……ない」
「もういいよ!無理して喋らなくていいから!」
「一旦、教室の電気付けるよ!」
名取の声とともに、彼女が机から立ち上がる音がした。
しばらくすると、彼女はカチッとスイッチを押したが、電気は付かなく、陰気な雰囲気を纏った教室のままだった。
「何で電気が付かないの!?」
苛々した雰囲気の彼女の声と、やけになって連続でスイッチを入れているのか、カチカチという音が聞こえた。
もしかしたら、雷のせいで停電になったのかもしれない。
すると、俺はさっき大槻が机に懐中電灯を置いていたことを思い出した。
「大丈夫だ!懐中電灯があるぞ」
俺は手探りでそれを探すと、それらしき物に手が触れた。
それを掴みスイッチを押す。
しかし、明かりが付くことはなかった。
「何で付かないんだ!?電池が切れてるのか!?」
「いや、今日替えたばかりのはずなんだけど」
持ち主の大槻が答える。
何でなんだ……。
「ちょっと!知花、大丈夫!?意識ある!?」
松下の声とともに、頬を軽く叩く音が聞こえた。
彼女の声に応じる笠原の声は、一切聞こえない。
意識不明の笠原と、付かない電気。
突然の出来事に、誰もがパニックとなった。
「そうだ。救急車……!」
萩野のその言葉に、ハッとなった。
何で、すぐにそうしようという発想に至らなかったのか、自分達を不思議に思ったが、このような非常事態ならば、仕方ないことなのかもしれない。
萩野がスマホを手にすると、電源を入れようとしたが、一向に付く様子はない。
「何で……」
力ない萩野の声。
スマホで救急車を呼べないのなら……。
「俺、公衆電話探してくる!」
確か、職員室の近くに公衆電話があったはずだ。
それを使えば、救急車を呼ぶことが出来るだろう。
「光貴!?」
江川の驚いたような声を無視して、俺は勢いよく教室の扉を開けた……はずだった。
俺の目が点になった。
目の前の扉は、いくら力を込めても開くことはなかったのだ。
もう一度、力を入れて開けようとしたが、やはりそれはびくともしない。
「どうして……」
この扉は鍵を掛けられないようになっている。
俺は目を軽く閉じた。
笠原が原因不明の呼吸困難。
明かりが付かない電気と懐中電灯。
電源が付かないスマホ。
開かない扉。
まるでこれでは、笠原を助けさせないために、誰かが仕組んだようだ。
いや、笠原をこのような状態にするのは過程の中で、本当は別の目的があるのかもしれない。
どちらにしろ、誰かが意図的に仕組んだことだと考えた方が自然だ。
「私達、閉じ込められたってこと……?」
萩野が不安そうに呟く。
そうだ。
扉が開かないとなると、俺達はここから出られない。
完全に教室に閉じ込められてしまったようだ。
「それよりも、今は知花を助ける方が最優先だよ!」
名取の声が教室に響く。
「里奈、なんとかならない?」
名取は、松下にそう訊ねた。
松下の親は医者で、本人も多少の心得はあるらしい。
こんな状況の時、頼もしい存在だと思ったが、
「……こんな暗いところじゃ、危ないから心臓マッサージも出来ないわ」
彼女は観念したような声で、そう言った。
すると、松下は椅子に座っている笠原の胸に手を当てる。
「う、嘘……」
彼女の驚愕したような声色に、嫌な予感がした。
「どうしたんだ……?」
しばらく黙っていた西尾の声。
「……動いてない」
「え?」
「心臓が動いてない……脈も……」
力ない松下の声に、衝撃が走った。
笠原が……死んだ?
信じたくはなかったが、松下が嘘をついてるようにも感じられない。
「何かが可笑しい」
誰かがそう呟いた。
この声は、大槻だ。
「だよね……さっきまで普通に話してたのに、いきなり呼吸が出来なくなって死ぬなんて……」
「いや、そこじゃない。それに、死に至るのは別として、突然呼吸が苦しくなるのは有り得ないことじゃないしね。俺が言いたいのは、電気とかスマホとか懐中電灯が付かなかったり、扉が開かないことだよ。電気は停電、スマホは充電切れって可能性があるけど、電池を替えたばかりの懐中電灯や扉は絶対に可笑しい。まるで、誰かが笠原を助けさせない……死んでもらうために、仕組んだみたいなんだよ」
やはり俺と同じ考えの人はいたようだ。
「……そんなの、酷すぎるよ。何が目的でこんなこと……」
泣いているのだろうか。
萩野のその声は、涙混じりだった。
再び、大槻が声を上げる。
「そこなんだよ。誰がっていうのも気になるけど、何が目的でこんなことをしたのか、ってのが重要な気がする。ただ……」
「ただ?」
松下の声。
「それだと矛盾してるところがあるんだよ。仮に、これは誰かが意図的に仕組んだことだとする。そいつは笠原を助けさせないために色々仕掛けるとするよ?でも、よく考えてみて。笠原が死ぬことは誰も予測出来なかった。勿論、仕掛けた奴も。だったら、そいつの行動は別のことが目的だったと言った方が正しいんじゃないかな」
彼は一度溜め息をつくと、再び口を開いた。
「でも1つだけ、笠原を殺すために仕組んだって言っても、可笑しくない説もあるよ」
「何なんだよ……」
苛立ちが募ったような西尾の声。
「毒だよ」
「毒?」
俺は訝しげに訊く。
「そう。誰かが笠原に毒を仕込んだ食べ物や飲み物を体内に入れさせて、殺したって可能性がある」
俺は、犯人探しをする前後の彼女の様子を思い出す。
彼女は誰かから、飲み物や食べ物を受け取ったり、持参してるような様子はなかった。
「だとすると、一体いつ毒を摂取したんだ?」
俺は独り言のように呟く。
「わからない。でも、皆でここに集まる前に、誰かが毒を摂取させたと思う。勿論、効くのが遅くなる毒でね。まあ、これはあくまで俺の考えだけど。死因が毒死だとは限らないし、本当に突然呼吸困難になった可能性もある」
彼がそこまで言うと、沈黙が流れた。
大槻の考えを聞く限り、俺は毒殺の説が有力なような気がした。
そもそも、仮に仕組んだ奴が笠原を殺す気は全くなかったとしても、偶然いくつかの仕掛けが原因で笠原を助けることが出来なかったと考えるのは難しい。
それに、笠原を殺す以外に目的が考えられないのだ。
電気、懐中電灯、スマホが使えなく、閉じ込められた環境で一晩過ごしても、翌日になれば先生が来る。
すぐにその環境から解放されてしまうのだ。
それだと、その行動は全く無意味だ。
ならば、人を殺すために、このような状態にさせた方が正しい考えな気がする。
そうなると、誰が何故彼女を殺したのか、ということになるが。
一瞬、彼の顔が脳裏に浮かんだ。
しかし、俺はその考えをかき消すように、首をブンブンと振る。
……彼奴はもう死んだんだ。笠原を殺すなんて、有り得ない。
俺の額から嫌な汗が流れ、それをタオルで拭くと、名取が不安そうな声で言った。
「毒殺とか目的とかもいいけど、これからどうするの?私達、閉じ込められたままなんだけど……」
ひまりの小説面白い。
29:ひまり hoge:2017/07/25(火) 21:28 >>28
ありがとうございます!
彼女の言葉で、一気に今の現状を突きつけられた。
このままだと、朝までこの教室から出られないだろう。
そのこと自体は、別に苦痛ではない。
確かに、笠原の遺体とともに一晩過ごすことは、精神的に辛いかもしれないが、あくま朝までだ。
食事や水やトイレなどは我慢すればいいし、眠くなったら机に突っ伏せば眠れるだろう。
しかし、1つだけ不安がある。
萩野を除いて、俺達は今スマホを持っていないため、この現状を家族に知らせたり、助けを求めることは出来ない。
萩野のスマホも電源が付かない状態だ。
俺達は親に「友達の家に行ってくる」「塾が終わるのが遅くなる」「図書館で勉強してくる」など、何かしら言い訳を用意していたため、学校にいるなんて家族は想定していない。
このままでは、家族に心配され、最悪警察に通報されるだろう。
そうなれば、何故夜の学校にいたのか、何をしていたかのか、訊いてくる。
笠原が死んでしまったため、ただ事ではないと思われるのが当然だ。
下手に嘘をつくことは出来ない。
しかし【犯人探しをしていた】とは、とても言えない。
そうなれば、俺達が彼をいじめていたことが明かされ、この学校にいられなくなってしまうだろう。
それこそ、家族に迷惑がかかる。
俺はしばらく目を閉じながら、考えを巡らせていると、1つの結論にたどり着いた。
「……皆、力づくで扉を開けよう」
「……え?」
「な、何で?もういっそ、朝まで待てばいいじゃん」
俺の言葉に、驚いたような声を上げる萩野と江川。
無理もない。
朝までここで待機してればいいのに、わざわざ扉を開けようなんて言ったのだから。
「でもな、それだと後で大変なことになるかもしれないんだ。このままだと、家族が心配して警察に通報する可能性がある。そうなれば、きっと家族は夜の学校に8人もいた理由を訊いてくるだろうな。そしたら、俺達が……今までやったことがバレて、最悪この学校にいられなくなる。それでもいいのか?」
その言葉に、ハッとしたのか、沈黙が流れた。
すると、それを破ったのは松下だった。
「……もし訊いてきたなら、嘘をつけばいいんじゃないの?【胆試しをしてた】とか」
「いや、それは無理だ。だって、笠原が死んでるんだ。家族からも警察からも、ただ事じゃないと思われると思う。それだと、すぐに嘘を見破られるよ」
「……そうね」
力ない松下の返事。
「とにかく、今はここから出るしかないんだ」
そう言って俺は立ち上がり、手探りで扉を探した。
それらしきものに手が触れると、俺はそれを開けようと、力を込めた。
その瞬間だった。
全身に電流のようなものが走った。
「うわあああぁぁぁ!!」
すぐさま扉から手を離すと、俺はその場に倒れた。
電流のようなものはもう感じなかったが、それでも俺はなかなか立ち上がることが出来なかった。
「光貴!?」
「大丈夫か!?」
席から立ち上がったのか、誰かが俺の身体を起こしてくれた。
それと同時に、身体も段々落ち着いてきた。
「何があったんだ?」
すぐそばで、大槻の声が聞こえてきた。
起こしてくれたのは大槻なのだろうか。
「それが……扉を開けようとしたら、突然身体が感電したみたいにビリビリして……離したら感じなくなったけど」
「……じゃあ、扉を開けようとすることすら出来ないの?」
江川の焦ったような声。
すると、誰かが席から立ち上がった音がした。
「いや、まだチャンスはあるだろ。後ろの方の扉だ」
そう言ったのは、西尾だった。
さっき俺が開こうとしたのは教室の前方の扉で、西尾は後ろの扉を開けるつもりだ。
だけど、嫌な予感しかしなかった。
西尾の足音がどんどん離れていく。
「も、もうやめなよ西尾!絶対これは誰かが仕組んでるよ!扉に触るとビリビリするなんて、可笑しいから!多分、皆をここから出さないようにしてるんだよ!だから、後ろの扉だって……」
江川がそう言いかけたその時だった。
思わず耳を塞ぎたくなるような西尾の悲鳴が、教室に響いた。
「西尾!?」
「だから言ったじゃん!」
驚いたような声を上げる松下と呆れた様子の江川。
やはり西尾も、俺と同じようなことになった。
床に尻餅をついた状態の彼を江川が起こすと、
「何なんだよ……これじゃ、無理矢理扉をこじ開けることすら出来ねぇよ……」
と悔しそうな声で西尾は言った。
これはもう、誰かが仕組んだこととしか言いようがない。
しかし、一体誰が何のために、こんなことをしたのだろうか。
笠原を恨んでいる?
いや、それなら笠原が一人の時に彼女に危害を加えるだろう。
だとすると、俺達8人に恨みを抱いているのだろうか。
頭の中で必死に物事を整理していると、重要なことに気付いた。
俺達は大事なことを忘れていたのだ。
俺は席に着くと、口を開いた。
「皆も思ったかもしれないけど、もうこれは絶対誰かが仕組んでる」
「うん。私もそう思う」
「それ以外考えらんないよ」
俺の言葉に、賛同する萩野と江川。
西尾達は反応を示さないが、否定する様子はない。
「もうここは、仕組んだ奴を見つけるしかないと思うんだ」
「でも、教室には私達以外いないんだよ?仕組んだ人はきっと廊下とか別の教室……それか、もう帰ったかもしれないし。どちらにしろ、見つけるなんて不可能だよ。私達は教室から出られないんだから」
萩野の声に、俺は間を開けて答える。
「……仕組んだ奴なら、ここにいるだろ?」
その言葉に、皆は一瞬唖然としたが、俺が言ったことをすぐに理解出来たようだ。
「ここにいる……ってまさか、俺達に中に?」
驚きを隠せない大槻の声に、俺は頷きながら答えた。
「そうだよ」
「そんなの、有り得ないわよ!何で私達の中に……大体、何でそんなこと思ったのよ」
信じられないという雰囲気の松下。
「俺だって、そんなの思いたくもなかった。だけど、俺達は1つ重要なことを見落としていたんだ」
「重要なこと?」
名取が言う。
「大槻が【犯人探し】を企画した時、教室には俺達しかいなかった。だから、【犯人探し】をすることは俺達しか知らないはずだ」
「でも、誰かがこっそり聞いていた可能性もあるわよ?」
松下の意見に、俺は首を横に振りながら言った。
「でも、日にちや場所は俺達8人のLINEグループで決めたから、グループ以外の奴が、俺達が今日夜の学校にいることを知らないんだ」
そこまで言うと、大槻が口を開いた。
「へぇ……なんか段々複雑になってきたね」
「……他人事みたいに言わないでよ」
苛々した様子を隠そうともしない松下の声。
「ごめんごめん。だけどさ、俺思ったんだ。もしかしたら、小倉を殺した事件と何か関連性はないかな、って。例えば、俺達を教室に閉じ込めた奴が、小倉を殺した犯人と同一人物とか」
「同一人物……?」
真っ先に反応を示したのは、江川だった。
「そう、同一人物。大体、よく考えてみて。小倉は誰かに殺されたんだよ。自ら命を絶ったわけじゃない」
俺は時々、小倉は誰かに殺されたのではなく、自殺したと思い込むことがあった。
勿論、すぐに本当のことを思い出すが。
しかし、小倉が亡くなったことを知った時、俺は最初は自殺だと思ったので、他殺と聞いた時はすごく驚いた。
そう思ったのは、俺だけじゃないはずだ。
「殺された小倉は、もともとこのグループだった。そして、今度は俺達を狙っている。その犯人は俺達の中に……」
俺は独り言のようにぽつりと呟く。
大槻の同一犯説はまさかとは思ったが、段々納得していく自分がいた。
最初に狙われたのが小倉。
そして、その数日後に笠原が突然死し、俺達は教室に閉じ込められるという不可思議な状況に陥る。
彼と俺達の共通点は、このグループの一員であることだ。
小倉の場合は、過去形だが。
もしかしたら、犯人は小倉を含めた俺達のグループ全員を殺すつもりなのだろうか。
となると、俺達は……。
「……殺される」
同じことを考えているのか、萩野がそう呟いた。
「殺される?」
彼女の言葉に、素早く反応したのが名取だった。
「うん。同一犯だとしたら……小倉君に笠原さん、そして今度は私達の中から誰かが……」
「俺も今、同じことを思ったんだ。小倉と俺達の共通点は、このグループのメンバーの一人であること。小倉は【だった】という形になるけどな」
俺がそう言うと、今度は西尾が口を開く。
「だけど、それだと犯人は何を考えてんだよ。いじめていた小倉と同じグループの俺達両方を殺すなんて……」
「狂った人間の考えてることなんてわからないわよ」
松下の呆れたような声。
「ちょっと待ってよ!皆本当に、二人を殺したのがこの中にいると思ってるの!?」
江川は慌てたような声でそう言った。
「だってなぁ……俺達が今ここにいることは、俺達しか知らないんだろ?」
「逆にグループ以外の人間が二人を殺したとも考えにくいしね」
西尾と大槻の言葉に、無言になる江川。
俺は軽く目を閉じながら、皆の意見に耳を澄ませる。
本当に、この中に……?
自分から言い出したことだが、俺は正直この中に犯人がいるなんて考えたくない。
しかし、大槻が言ったように、グループ以外の奴が殺したとも考えにくい。
疑心暗鬼にはなりたくないが、どうしてもこの中に犯人がいるという気持ちが消えない。
「もうさぁ、いっそ話し合い続けない?」
「え?」
突然の大槻の意見に、全員が目を丸くした。
「どうせこの教室から出られないのなら、俺達で探そうよ。狂った殺人犯を」
「探してどうするのよ?」
「それは見つかってからだよ。このままだと、俺達は全員死ぬかもしれない」
「死ぬって……笠原みたいに?」
俺は恐る恐るそう質問した。
もし彼女が毒死だった場合、俺達も同じように気付かないうちに、毒を摂取してる可能性がある。
そしたらもう、手遅れだ。
「わからない。まず、笠原の死因すらハッキリしてないからな」
すると、松下が溜め息混じりの声で言った。
「そうねぇ……この暗闇じゃ、仮に誰かがナイフで襲ってきても、誰だかわからない。誰かさんが言った【暗くした方が良い】ってこういう意味だったのかな」
彼女の言葉には、明らかに棘があった。
その言葉に、
「……まさか、俺を疑ってるつもり?」
と、低い声で返す大槻。
「別に、大槻だけじゃない。犯人が私達の中にいるってわかってから、私はここにいる全員を疑ってる」
松下の言葉に、俺は愕然とした。
疑うのも仕方ないかもしれないが、そんな風にはなって欲しくなかった。
「でも、犯人がこの中にいるって確定したわけじゃないでしょ?」
名取が言う。
「でも、犯人はこの中にいるとしか考えられないのよ」
「だからって疑うのは……」
「うるさいわね、沙也。もしこの中に犯人がして私が殺されたら、どうしてくれるのよ」
苛立った松下の口調に、それ以上は何も言おうとしない名取。
「……私は大槻君の意見に賛成かな」
険悪な空気の中、おずおずとそう言い出した萩野。
「萩野も、この中に犯人がいると思ってるのか?」
そう思うと、なんだか悲しくなった。
しかし、彼女は、
「全く思ってないと言ったら、嘘になるけど、私は皆を疑いたくない。でも、このままじゃ埒が明かないよ。それなら、私はこのまま一人一人が、小倉君に関する話を皆に話した方が良い気がする。どうせ、ここから出られないし」
と言った。
萩野の言葉に、反対する者はいなかった。
一人一人が話すので時間はかかるが、それが一番適切な気がしたからだ。
不謹慎かもしれないが、なんとなく俺は安心してしまった。
「……じゃあ、私から話してもいい?」
遠慮がちにそう言ったのは、意外にも名取だった。
反対する理由もないので、皆が彼女の次の言葉を待つ。
俺は笠原の時のように、目を閉じた。
そして、想像をする。
彼女がこれから話す出来事を___
私は昔からよく、「カッコいいね」とか「イケメン系女子」など、友達から言われていた。
最初はあまりよくわからなかったが、女子なのに173pもある身長や声が低めということで、そう呼ばれていることを理解した。
女子としては、正直複雑な心境だが。
そのせいか、私は高校が決まると同時に短くしていた髪を伸ばすことにした。
入学した時は、まだ肩につくくらいの長さだったが、その髪を褒めてくれたのが里奈だった。
私と里奈はすぐに仲良くなり、彼女の幼馴染みである大槻とも交流を深めることが出来た。
そして、その彼と仲の良い西尾とも。
いつしか、3人と行動することが多くなったが、私はまだこれから起こることなど、全く知らなかった。
「ねえ、沙也。最近、彼奴ウザくない?」
「え?」
里奈がそう言い出したのは、入学式から1ヶ月ほど経ったある日の放課後だった。
教室には私と里奈以外、誰もいないため、私は彼女の言葉について、普段の声で質問する。
「ウザいって……あと、彼奴って誰?」
すると、里奈は、
「江川莉子」
と、溜め息をこぼしながら言った。
江川さんは、少し空気が読めないところがあるが、天真爛漫でとてもパワフルな子だ。
そんな彼女に、一体何の不満があるのだろうか。
「江川さんがどうかしたの?」
「彼奴、調子乗ってない?でしゃばりすぎでしょ」
私はその言葉を聞いて、何故かショックを受けた。
里奈は当初、すごく気が利いて優しい子だった。
しかし、こんな風に誰かの悪口を言ってるところを見て、【そんな子だったんだな】と、呆れと悲しみが混じりあった気持ちになった。
そんな私とは正反対に、悪口を続ける里奈。
「私より成績も外見も劣っているくせに、クラスの人気者なんて、絶対可笑しいわよ。沙也もそう思うよね?」
私に同意を求める彼女の目は、言葉に表せないくらいの迫力がある。
私は思わず、鳥肌が立った。
「ちょっとさぁ……江川、シメちゃう?」
彼女は冗談のつもりで言っているようだが、私にはそう聞こえなかった。
額から嫌な汗が流れる。
「や、やめなよ。里奈……怖いよ。どうしちゃったの」
里奈は気が強いところがあったが、こんな風に誰かを嫌悪するようなところは初めて見た。
里奈はじっと私を、見据えると、
「冗談よ。てか、怖いって言われてもねぇ……これが常識だし」
と、溜め息をつきながら言った。
「常識って……」
「人間として常識よ。誰かが上に立って、その下では誰かが苦しんでいるの。スクールカーストってやつね。そして、私達四人はその上位かな」
微笑みながら話す里奈の目は、笑ってなかった。
スクールカーストというのは、何度か聞いたことがある。
しかし、中学の頃はあからさまに目立った上位や下位というのは、見たことがなかった。
私や里奈達は上位……。
確かに里奈や西尾は発言力は強いし、スペックも高い。
だが、私や大槻を含めたこのグループが、カーストの上位だということを、一度も意識したことがなかった。
そもそも、このクラスにカーストがあること自体、私は知らない。
自分の鈍感さに、呆れてしまった。
「じゃあ、江川さんはどうなの?そのカーストの上位、下位とやらは」
「江川は上位だと思う。グループは定着してないけど、人気はあるし」
自分から言っておいて、悔しそうな顔をする里奈だが、次第にその唇が吊り上がる。
「でも、ちょっとした出来事で下位に落ちることだってある。上位に行くことは難しいけど、下位に落ちるのはすごく簡単なの」
彼女の一言一言が、私に嫌な現実を突きつける。
これが里奈の思い込みであることを願うしかなかった。
そして、それから約1年が経った。
この1年間は、特に目立った問題はなかったが、初めてカーストというものを実感した気がする。
里奈のようなリーダー的な存在の人達と、比較的大人しい人達には、見えない壁がある。
そして、その壁を壊すことは不可能に近い。
壁を壊そうとすれば、皆から異端者と見なされ、蔑まれる。
文字には書かれていないルールが、教室には存在していたのだ。
「あぁ……桜餅食べてぇ」
ぽつりと隣の席から声が聞こえてきた。
そう呟いたのは、江川さんだ。
彼女は、窓の外の綺麗に咲き誇る桜を眺めていた。
彼女の声で、今は授業中だということを思い出す。
私はシャーペンを握り直して、黒板に視線を向けたが集中出来ず、江川さんをちらりと見る。
結局、彼女は里奈から標的にされることはなかった。
そのことでホッとしたのもつかの間、2年に進級しても、私達四人と江川さんは同じクラスだった。
いつ彼女が里奈から反感を買われて、嫌がらせされるかわからないと思うと、ヒヤヒヤした。
ただ、少し去年とは変わったところがある。
私達のグループに、光貴が加わったのだ。
西尾と仲良くなったのがきっかけらしい。
私は基本男子を名字で呼んでいるが、彼からは「名前で呼んで」と言われたので、光貴と呼んでいる。
ただ、江川さんみたいに色んなグループと仲が良いので、確実にこのグループに定着したわけではないが。
そこまでは、良かった。
良かったのに。
あの日……。
知花がこのグループに加わった日から、変化が訪れた。
いたって普通の光景だった。
友達とわいわい談笑しながら、教室でお昼を食べる。
端から見れば、異常ではないだろう。
しかし、今日は少し違っていた。
いつもは友村さん達と一緒にいる笠原知花が、私達のグループに混じり、お昼を食べているのだから。
「私、知花と仲良くなったんだ。グループに入れてもいいよね?」
今朝、突然言われた里奈の言葉を、思い出す。
西尾は知っていたようだが、何も知らない私と大槻は目を丸くした。
笠原さんは比較的大人しく、容姿や成績も良くも悪くもない、地味な子だ。
そんな笠原さんと里奈が仲良くなる接点など、あるのだろうか。
私は不思議で仕方なかったが、詮索はしなかった。
そうすれば、面倒な事態を引き起こすかもしれないからだ。
しかし、笠原さんに対して不思議な気持ちを抱いているのも、最初だけだった。
笠原さんは大人しい性格だが、良い人だということがわかった。
優しくて気配りが出来るし、困ったことがあれば、いつも助けてくれた。
そんな彼女ともっと関わりたいと思い、彼女に「名前で呼んで」と頼んだ。
最初は戸惑いの様子を見せていた彼女は、徐々にこのグループに馴染んでいった。
しかし、里奈と西尾が知花をパシるようになったのだ。
知花は嫌な顔一つせず、彼等の言いなりになっているが、私は彼女を助けたかった。
でも、私はそれが出来なかった。
いくら付き合いが長いとはいえ、知花を庇えば、今度は自分が標的にされかねない。
それが怖かった。
そして、そんな自分が嫌いになった。
そんなある日、二人のクラスメイトがこのグループに入った。
一人目は、萩野真帆。
知花と同じく、大人しくて地味な雰囲気の子だ。
里奈曰く、彼女とも仲良くなったため、このグループに入れたらしい。
しかし、二人目の人物には、流石に驚きを隠せなかった。
何故なら、それは里奈が嫌っていた江川さんだったのだから。
私は里奈に、何故彼女をグループに入れたのか、訊いた。
しかし、返ってきた答えは「気まぐれ」だった。
それで納得するわけがなかった。
私は江川さんにも入った理由を訊いたが、「なんか楽しそうだから」と言われた。
段々、よくわからなくなってきた。
このグループが。
この中に、嘘が混じっていることは、なんとなくわかった。
しかし、どれが嘘でどれが真実か、判別出来ない。
私はグループを抜け出したくなるほど、このグループが嫌になった。
そんなある日、転機は突然訪れた。
小倉君が転校したきたのだ。
西尾と昔友人だった彼は、すぐに私達のグループに馴染んだ。
第一印象は優しそうな人だったが、西尾の友人と聞いて、少し不安になったこともあった。
しかし、穏やかで人を気遣える性格だということが段々わかってきた。
だから、温厚な彼が西尾と対立した時は、驚いた。
でも、それは知花を助けるためだと理解すると同時に、自分が情けなくなった。
知花と彼はあまり接点がなかったが、それでも小倉君は躊躇いなく、西尾に歯向かうような発言をした。
それに比べ、私は自分を守るために、知花を助けなかった。
それがすごく悔しい。
その思いは、小倉君への嫌がらせが始まってから、さらに強くなった。
最終下校時刻間近の教室には、誰もいなかった。
委員会で遅くなった私は、自分の机の方へ行き、帰り支度を始めた。
ちらりと、小倉君の席を見る。
里奈と西尾の彼に対するいじめは、陰湿だった。
証拠が残らないように、物を壊したり暴力は振るわないが、些細なことでからかったり、無視したりなど、精神的に苦痛を与えていた。
私は一度、里奈と西尾を止めようとしたが、手遅れだった。
溜め息をつくと、机に突っ伏す。
「あぁ……もうやだ。悔しい……悔しい!悔しい!!」
次第に大きくなっていく私の声。
「めんどくさい……」
めんどくさいというのは、本心だった。
里奈や西尾みたいな気が強い人よりも、知花や小倉君みたいな人達といた方が楽しいのかもしれない。
その事実からずっと目を背けていたが、もう限界だった。
日に日に、ストレスが溜まっていったのだ。
私も気付かないうちに。
「もう……何もかも壊したい」
そう呟いたその時だった。
後ろから、足音が聞こえたのだ。
「誰!?」
振り返ると、そこには大槻がいた。
私の存在に、驚いた様子はなく、悠然とそこに立っている。
「何でここに?」
「忘れ物」
それだけ言うと、彼は自分の机から雑誌を取り出し、それを持っていた鞄に入れた。
私には一瞥もくれず、教室から出て行こうとする彼を、私は呼び止めた。
「待って」
「ん……?」
気だるそうな返事をする大槻。
その目は【早く帰せ】と示しているように見えたが、構わず私は言った。
「大槻はどう思ってるの……?」
私はずっと疑問に思っていた。
大槻について。
彼はこの件に関しては、あまり興味がない、まるで自分には全く関係ないという様子だった。
何故、そんな態度がとれるのだろうか。
怒りや呆れという感情ではなく、純粋に気になっていた。
「どう思ってるって、何が?」
「とぼけないで」
すると、彼は溜め息をつくと、じっと私を見据えた。
「仕方ないと思ってる」
「え?」
「確かに、気に食わないって理由で嫌がらせをする二人もどうかと思うけど、小倉も小倉だね。彼奴は、純粋すぎたんだよ」
「純粋すぎた?」
「そう。西尾に歯向かえば、自分に牙が向くことを気にせずに、知花達を助けた。それは少し尊敬したけど、呆れたよ。他人のために、そこまでするなんて」
彼の言葉に、私は首を傾げた。
笠原【達】……。
知花が二人から嫌なことをされていたことは知っているが、他にもまだいるのだろうか。
「小倉君って知花以外の人も、助けたの?」
私の言葉に、頷く大槻。
「萩野と江川だよ」
二人の顔が、脳裏に浮かび上がる。
彼女達も、二人から嫌なことをされていた?
何故、3人は里奈と西尾からそんなことを?
新たに生まれてくる疑問が、私の頭の中をぐるぐると回る。
それらを全てかき消したのは、大槻の言葉だった。
「結局、自分が一番なんだよ」
「え……」
「助けたいって気持ちはあるけど、結局は自分を守るために、見て見ぬふりをする。名取はそんな感じだよな」
図星だった。
私は何も言えず俯くと、彼は再び口を開いた。
「俺は助けたいとか、そういう気持ちは薄いけど、松下が正直心配」
「二人は幼馴染みなんだよね」
「……物心ついた時からな。昔はあんな奴じゃなかったけど。多分中学の頃に色々あったんだと思う」
そこまで言うと、彼は口を閉じた。
中学……。
そういえば、里奈から中学時代の出来事は一度も、聞いたことがない。
そして、家庭のことも。
「大槻は何か知ってる?」
「知ってる。でも、知ってどうすんの。もう、松下は性格が変わったんだよ。元に戻したくても、もう出来ないんだよ……」
その言葉には、悔いているような気持ちが含まれているような気がした。
この時、私は直感した。
私から背を向け、教室から出て行こうとする彼に、私は言った。
「大槻は……里奈のことが好きなの?」
私の言葉に、彼は一瞬足をぴたりと止めたが、静かにその場を去った。
「これくらいかな……話すことといえば」
名取はそこまで言うと、俺は彼女の話を頭の中で整理した。
俺は1年の頃は、彼等とは違うクラスだったので、その時の真偽は知らないが、特には違和感は感じない。
ただ、助けたいが結局は自分を守ってしまう、という気持ちに強く共感した。
俺もいじめたくていじめたわけではないが、結局は彼を助けることは出来なかった。
今更、そのことに後悔しても遅いが。
「そっか……」
江川のその声には、どのような感情が含まれているのだろうか。
「私の次は、誰が話す?」
間を開けて名取がそう言った。
その時だった。
ザシュッという奇妙な音が聞こえたのだ。
それと同時に、
「え……?」
と驚いたような声を漏らす名取。
「名取?どうしたんだ?」
隣の席の名取に声をかけるが、返事は返ってこない。
嫌な予感がした。
すると、俺の膝の上に重たい【何か】が落ちてきた。
ごくりと唾を飲み込むと、俺はそれに触れた。
それはサラサラとした髪の毛だった。
さらに別の場所に触れてみると、それは……人間の肌。
声を上げることも出来ずに、さらに触れると、それは服だった。
この上着やシャツ、胸元に付けてあるリボンの触り心地はまさか……うちの学校の制服?
次の瞬間、シャツの辺りから生温い液体に手が触れた。
すると、鉄のような臭いが感じられた。
額から流れる汗と込み上げてくる吐き気とは裏腹に、俺はさらにその辺りに触れる。
すると、【固い何か】に触ると同時に、人差し指と親指にちくりと痛みを感じた。
まるで、それに刺さったかように。
細心の注意を払いながら、それに触れると、それはシャツ……その人間に深々と刺さっていた。
その瞬間、俺は全てを理解すると同時に、悲鳴を上げた。
「うわあああぁぁ!!」
パニックになり、【それ】を膝から払い除けると、俺は席から立ち上がり、見えない教室の壁を目指して走った。
「どうしたんだ!?」
「光貴!?」
彼等の声など聞こえなかった。
赤い液体で濡れた俺の手が、あの生々しい感触を忘れさせない。
堪えていた吐き気が抑えられなくなり、俺はしゃがみながら壁に手を付くと、その場で吐いた。
苦しくて涙が出てくるが、吐き気が止まらない。
吐くものがなくなり、呼吸を整えると、
「名取が死んでた……」
と静かに言った。
「え!?」
驚愕したような声を上げる松下。
「ナイフで刺されてた……」
そう言うと、俺は近くにあった席の椅子に頭を置いた。
あれは彼女の死体だった。
刺さった瞬間、俺の膝の上に倒れてきたのだろう。
しかし、一体何故……。
笠原に続き、今度は名取まで……。
連続して二人が死んだのなら、笠原はきっと犯人に毒などで殺されたのだろう。
名取は毒などではなく、ナイフで刺されていた。
しかし、どうやって?
名取は席についていて、刺されたのは心臓の辺りだ。
刺すには一度立ち上がるため、床から音がするだろう。
しかし、刺される直前に床から音など全くしなかった。
それが不思議だった。
そして、凶器のナイフ。
これがこの中に犯人がいるという徹底的な証拠となった。
「やっぱり……この中に犯人がいる」
俺は独り言のように呟いた。
「何でそう言い切れんの」
苛々したような声でそう訊く江川。
「ナイフだよ。笠原なら、グループ以外の人間が、事前に毒を摂取させて殺したっていう考えも出来るけど、今回はナイフで刺されてたんだ。今、この空間には俺達しかいない。俺達以外に誰が名取を殺したっていうんだ?」
「……マジかよ」
俺の説明に、西尾が驚愕する。
「ていうか、思ったんだけどさ」
大槻が言う。
「何で二人とも、小倉について話した後に死んでるんだろうな」
「あ、それ私も思ったよ」
大槻の疑問に同意する萩野。
確かに、二人とも小倉について話した後、殺されている。
「それは偶然じゃないの?そうなると、ますます犯人の意図がわからなくなるわよ」
そう言ったのは、松下だった。
確かに、そうなると余計に犯人の目的がわからなくなるが、それは本当に偶然なのだろうか。
「でも……」
「流石にないって」
萩野が反論しようとしたが、反対する松下。
「なら、次は松下が話せば?」
そう言ったのは、大槻だった。
「な、何でよ……」
ひきつったような声を出す松下。
「偶然だと思うなら、話してよ。それで死ななかったら、その意見に納得出来るし」
「死ななかったらって……」
松下を追い詰めていく大槻。
その様子を見るに耐えなかったのか、
「もう、やめなよ!大槻!」
江川がそう言った。
しかし、大槻はそれを止めない。
「話して、って言ってるだろ。何のために、今日ここに集まったんだよ」
大槻の声には、僅かな苛立ちが感じられた。
「……嫌よ!もし大槻の予想が当たって死んだら、どうすんのよ!」
松下の叫び声。
「とにかく私は話さない!」
そう松下が言った瞬間だった。
彼女の悲鳴が、教室に響いたのだ。
「い、痛い……」
消え入りそうな声で言う松下。
「何があったの!?」
江川が言う。
「足が……痛い……」
俺は彼女の方へ歩み寄る。
声のする方へ近付くと、彼女は床に座っていることがわかった。
「ちょっとごめんな」
そう言うと、俺は彼女の足に触れた。
ふくらはぎ辺りに触れると、俺の手が止まった。
さっき、名取の時と同じように、固いものに触れていたのだ。
「ナイフが刺さってる……」
「え!?」
刺さった本人よりも、先に反応したのは萩野だった。
「抜いちゃダメだよね?」
「そうよ……浅いから良かったけどね」
松下の言葉に、俺はホッと胸を撫で下ろした。
「……でも、何で今度は怪我なんだろうな」
「もしかして……」
大槻がぽつりと呟く。
「犯人は、小倉について話して欲しいんじゃない?」
「え……?」
彼の言葉に、俺は目を見開いた。
「今、松下が話すことを拒否した瞬間、怪我をした。もしかしたら、犯人はそうさせる……皆から話を聞きたいと望んでいることを俺達に伝えたいのかもしれない。だから、話そうとしない松下を使って、こうしたのかもしれないな。殺したら話せないから、あえて浅い傷で怪我をさせたんじゃない?生かさず殺さずってところかな」
「……でも、話したら話したで、二人は殺されたんだよ?」
萩野の言葉に、
「その理由まではわからない。犯人が俺達を殺す目的がわからない限り、それを知ることは難しいと思う」
と言った。
「じゃあ、私はどのみち殺されるってこと!?」
「……さあね。でも、話した方が身のためだと思うよ」
「身のためって……」
「自分が言っただろ。【偶然】だって。だったら、自分の言ったことを信じなよ」
大槻の発言に、言葉に詰まる松下。
「……わかったわよ。話せばいいんでしょ、話せば」
彼女は、やり投げな様子でそう言う。
雷と雨は、いつの間にか止んでいた。
私には、幼馴染みがいる。
生意気で冷静な性格の彼とは、物心がついた時からの付き合いだ。
親同士も仲が良く、毎日のようにお互いの家に遊びに行った記憶がある。
小学校高学年になると、彼は可愛かった容姿が大人っぽくなり、端正な顔立ちが目立つようになった。
生意気な性格は変わらないが、心根は良い奴だし、付き合っちゃおうかな、と冗談だが思ったこともあった。
そんな彼がすごく憎くなったのは、中学からだ。
もともと私は勉強が得意なため、親は私にテストで学年一位を取れと言っていたが、結果は惜しくも毎回二位だった。
そして、いつも一位を取っていたのは彼だった。
彼は確かに頭が良いことは知っていたが、自分を追い抜すほどの学力の持ち主だということなど、全く知らなかった。
成績にうるさい親は、私に対して失望した。
それが悲しくて悔しくて、もともと負けず嫌いな性格の私は、怒りを彼に向けた。
あの余裕そうな態度が嫌い。
私の方が努力したのに。
口には出さなかったが、私の感情は彼への憎しみでいっぱいだった。
授業中は居眠りし、放課後は友達とどこかへ遊びに行く彼が、どうして私よりも頭が良いのだろうか。
彼は私が自分を敵視してるなんて、思ってもみたいだろうと思うと、悔しくて仕方なかった。
高校は、彼と同じ学校を選んだ。
親からはもう少しハイレベルな学校に行けと言われたが、高校こそ彼に勝つために、と親の反対を押し切り、願書を出した。
無事に私達は合格。
そして、今日は高校の入学式だった。
鏡の前には、新しい制服に身を包み、ナチュラルメイクを施した自分が映っている。
茶色のブレザーに赤いリボンとチェックのスカートが目立つ制服を着ており、腰まで伸ばしていた髪を胸元辺りまで切った自分は、まるで別人だった。
高校での目標は、2つある。
1つ目は、テストで彼に勝つこと。
そしてもう1つは、スクールカーストの上位に位置することだ。
入学式が終わり、教室まで戻る間、私は同じクラスの女子をちらりと見た。
もう既に友達やグループが出来上がっている子もいるが、声をかけようかかけまいか迷っている様子の子も何人かいる。
まずは、友達作りが大事だ。
初対面の場合、その子の性格などはわかりにくいが、そのぶん容姿が優れている方が良い。
渡り廊下にさしかかった時、一人の女子に目が留まった。
肩の辺りまで伸ばした艶のある髪と、切れ長の目、170p以上はありそうな身長が特徴的な子だ。
髪をもう少し短くしてズボンを履けば、男子にも見えそうだ。
彼女もやはり誰かに声をかけようとしているのか、仕草が落ち着かない。
私は彼女の背中を、優しく叩いた。
「ん?」
驚いたような表情をしながら、私の方を見た。
「髪、綺麗ね」
私は、彼女のサラサラな髪を指差した。
すると、彼女は顔を綻ばせながら、
「あ、ありがとう」
と言った。
低めだが色気のあるその声に、こういうのをイケメン系女子と言うのだろうか、と思った。
ほんの少ししか会話をしていないが、見たところ悪い人ではなさそうだ。
「名前、なんて言うの?」
「名取沙也」
名取沙也……か。
私は頭の中で、彼女の名前を復唱しながら覚える。
「私は松下里奈。よろしくね」
そう言うと、彼女は徐にブレザーのポケットから、スマホを取り出した。
「こちらこそよろしくね。松下さんって、LINEやってる?」
最初は少し驚いたような様子の彼女だったが、徐々に自分から話し出した。
「やってるわよ。あと、【松下さん】じゃなくて、【里奈】って呼んでね」
そう言うと、私もポケットからスマホを取り出し、お互い連絡先を交換し合った。
小学生の時は、まだ私は純粋すぎたのかもしれない。
打算的な友達作りなんて、考えてもいなかっただろう。
中1の時、私は初めてスクールカーストというものに直面した。
幸い、私はクラスの中心的なグループに所属していたため、嫌な思いをすることはなかったが、友達作りに失敗していれば、大変だったかもしれない。
中2からは常に相手の容姿やスペックなどを意識して、友達を作るようになった。
そのため、友達に対して不愉快だと思うことが多くなったが、その時はTwitterの裏垢に悪口を書いたりして、なんとか堪えた。
スクールカーストの上位中の上位にいれば、気に食わない人をハブることも可能だが、中学の時は上位の中でも、中位くらいの方に位置していたため、それは出来なかった。
だから、高校ではもっと上に行きたい。
中学では見れなかった景色を見たい。
だから、協力してよね。
___沙也。
入学式から1週間経った。
一応、沙也以外の人とも交流したり、連絡先を交換したりなどしたが、私は沙也といることが多かった。
この日も学校が終わると、二人でファストフード店に行った。
席に着くと、私はアイスコーヒーを持ちながら、口を開いた。
「ねえ、沙也。私、本当に沙也と仲良くなれて良かったよ」
突然の私の言葉に、目を丸くする沙也。
「な、何突然」
驚きながらも満更でもない顔をする彼女に、私はにんまりと微笑んだ。
「別に、深い意味はないよ?ただ単純に、そう思っただけ」
この言葉に、嘘はなかった。
沙也のスペックは予想以上だった。
入学してすぐに実施した学力テストでも上位だったし、運動神経は男子も顔負けレベルだった。
コミュ力も人並みにはあるし、スクールカーストの上位をともに目指す人材には、最適だった。
ただ、彼女には1つだけ欠けてるものがある。
それは、上位に行きたいという欲望だ。
彼女は勿論、私がカーストの上位に行きたいという思いを知らない。
こちらが勝手に、一緒に上位へ行く相手として選んだのだから、仕方ないことかもしれないが。
でも、上位に行ってもデメリットなどないはずだ。
私はもう決めたのだ。
彼女と一緒にカーストの上位を目指すと。
しかし、カーストの上位が二人だけでは寂しい。
ならば、仲間を増やしてみればどうだろうか。
そう思い、この1週間、私はカーストの上位にぴったりな人物を探していた。
そんな中、私が仲間に入れようと思ったのは、西尾君だった。
容姿は良く運動神経抜群で、明るい性格の彼なら、そのうちクラスの中心人物になるだろうと予測したからだ。
しかし、彼をグループに入れるには、1つだけ欠点があった。
「あれ、松下と名取じゃん」
後ろから名前を呼ばれ、びくりと振り返る。
すると、そこには西尾と……大槻がいた。
そう……。
西尾は大槻と仲が良いため、彼をグループに入れる際は、必然的に大槻もグループ入りすることになるのだ。
「隣、良かったのか?」
買ってきたものをテーブルに置きながら、沙也の隣の席に座る西尾。
それと同時に、私の隣の席に着く大槻。
「どうぞどうぞ」
私はそう言うと、大槻をちらりと見た。
クラスは同じになったが、それぞれ新しい友達と一緒にいることが多いため、話すことは少なくなったけど、私はこれくらいの距離に満足している。
中学の時よりも、彼に対する憎しみは薄れているが、それでも彼に対抗している気持ちは変わらない。
大槻はスペックだけなら、完璧だった。
だが、ライバル視している彼をグループに入れることは癪だし、ほどよい距離が再び近くなるだろう。
しばらく葛藤していると、
「松下って大槻と幼馴染みなんだよな」
と、西尾が言った。
「そうだけど」
「お前らって付き合ったりしないのか?」
突然の質問に、私は目を見開いた。
確かに、昔はあくまで冗談だが、付き合ってみようかな、と思ったこともあった。
しかし、今はただの幼馴染みとしか見れなくなっていた。
「この恋愛脳が」
真顔でそう返す大槻。
「失礼だなー。でも、付き合ってることは否定してないし、もしかして……」
「断じて違うわよ」
私は西尾に冷たい視線を送りながら、そう言った。
すると、彼は苦笑しながら、
「なんかお前ら二人って冷めてるよな」
と言った。
「どういうことよ」
「なんとなく」
そう言うと、西尾は鞄からスマホを取り出した。
「松下、名取、連絡先交換しないか?」
「うわ、早速ナンパしやがった」
「違うわ!」
「でも、誤解されても仕方ないかもね。なんか西尾ってチャラそうだし」
「ひでぇよ、名取」
ポテトをつまみながら、3人の会話を聞くと、私の中にある思いが芽生え始めた。
このまま四人グループが成立してもいいかもしれない。
大槻のことはなんだか癪だが、特に問題があるわけではない。
それに、西尾は発言力もありそうなため、こちらが目指さなくても、自然とカーストの上位になれるかもしれない。
彼はかなり頼もしい存在だ。
私はポケットからスマホを取り出すと、
「いいよ。交換しよ」
と言った。
それ以来、私は四人で行動することが多くなった。
そして、私の予想通り、グループが全て出来上がる頃には、私達のグループはカーストの上位中の上位にいた。
しかし、そのことに満足したのも束の間、私に不快感を与える人物が現れた。
それは、江川莉子だ。
くじ引きで決めた5人メンバーで、公民の調べ学習をするということになり、同じ班になったのが彼女だった。
「で、どうすんの?」
同じ班の女子が、苛々したように言う。
テーマが決まれば、図書室に行って調べるという流れになっているが、私達の班はテーマがなかなか決まらず、焦っていた。
私は全員の意見に耳を傾けながらも、教科書や資料集を参考にしながらテーマを考えていく。
すると、私は名案が閃いた。
「日本の観光地や歴史をピックアップするのはどう?皆が知ってる名産品をより深く調べれば、読みやすくなるし」
「いいな!」
「それにしよ!」
私は満足そうに頷いた。
自分の意見に賛成してくれていると思うと、気分が良い。
私は図書室に行こうと、席から立ち上がったその時だった。
「えー、それじゃつまんなくない?私だったら、そんな記事すぐに飽きちゃう」
そう言ったのは、江川だった。
私は彼女の顔を凝視する。
「な、何よ……」
「だから!そんなんじゃ、つまんないって。皆もテーマが決まらないからって、松下の意見に妥協しちゃダメだよ」
妥協……?
私は他の3人を見ると、彼等は気まずそうに視線を落とした。
まさか3人は、仕方なく私の意見に賛成していたのだろうか。
「だったら、あんたは何か良い案があるの?」
「ない」
彼女の返答に、私は思わず目が点になった。
「はぁ!?」
「でも、仕方なく決めるのも嫌なんだよなぁ。ほら、どっかのアイドルさんも言ってたじゃん。妥協したら死んだようなもんだ、って」
「……」
これが、私と彼女の最悪な出会いだった。
彼女は、クラスメイトからの支持が厚かった。
クラスメイトから聞くと、サバサバとした男勝りな性格で、空気が読めないところがあるが、そこが良いらしい。
私には全く理解できなかったが。
沙也に彼女のことを愚痴るようになると、次第に彼女をハブりたいという願望が出てきたが、私はそれを抑えた。
彼女はクラスの人気者であるため、下手に嫌がらせなどをしたら、私の地位も危うくなるからだ。
それでも、上位から見る景色を堪能出来た。
そして、私は2年になっても、必ず上位になることを決意した。
階段を上り、自分の部屋のドアを開ける。
エアコンのスイッチを押し、通学鞄を乱暴に床の上に置くと、私はベッドに飛び込んだ。
目から出る液体が、シーツを濡らす。
「もうやだ……悔しい」
今日、一学期の期末テストが返された。
結果は、惜しくも2位。
またしても、負けたのだ。
大槻に。
高校こそ彼に勝つと決意はしたが、まだ一度も1位は取れていない。
もう高2だ。
卒業まであまり時間はない。
私は床に置いた鞄の中から、スマホを取り出した。
苛立ちと焦りが募るこの気持ちを吐き出さないと、発狂してしまいそうだった。
それをネットでも何でもいいから、ぶつけたい。
惨めだと思われても構わない。
とにかく、ストレスを解消したかった。
私は鼻を啜りながら、画面をスクロールしていく。
ふと、あるサイトに目が留まった。
「愚痴サイト……?」
愚痴を書き込み、それを投稿できるサイトらしい。
他の人の愚痴も閲覧出来るようになっている。
それらを閲覧すると、皆ストレス溜めてるんだな……と、どこか仲間のような感じがした。
しかし、とある人の書き込みを見た瞬間、私は目を見開いた。
【[752]投稿日:2017/7/2(12:54) 投稿者:C.K
本当、友達関係ってめんどくさい。オタクが嫌いってよく言うけど、Sみたいに悪口を教室とかで平気で言う人もどうかと思う。私がアニメが好きだなんて言ったら、どんな顔をするかな。好きなものを好き、って言えない自分も嫌になってきた。】
【C.K】【オタクが嫌い】【S】。
この3つのワードに着目すると、この愚痴を書き込んだ人物が思い浮かんだ。
「笠原知花……」
私はぽつりと、彼女の名前を呟いた。
笠原知花は比較的地味な子だが、何があったのか、クラスの人気者の友村紗代里と仲が良い。
紗代里とは、私とも何度か話したことがある。
そんな彼女は、オタクが大嫌いだ。
オタクに親でも殺されたのか、と思うくらい。
紗代里は、教室でオタクやそれ以外のことの悪口をよく言ってる。
そんな彼女を嫌っていたり、苦手とする人もいた。
笠原がそのうちの一人だとしたら……?
「ふ……ふふっ……」
自分の考えに思わず、笑みがこぼれた。
笠原がオタクかどうかは、この際どうでも良い。
問題は、紗代里のことを嫌っていることだ。
この書き込みを見たら、紗代里はきっと怒って、笠原を仲間外れにするだろう。
しかし、それをすぐに紗代里に言ったら、面白くない。
それに、笠原に対して嫌な気持ちを持っているわけでもないので、仲間外れになったところで、興味もない。
ならば、紗代里にはバラさずに、弱味を握るという形はどうだろうか?
出来れば、弱味を握られた彼女には、側にいて欲しい。
……ならば、グループに入ってもらおう。
そして、私の言う通りに動いてもらう。
少しでも違ったことをしようとすれば、弱味を翳し、再び私に尽くしてもらう。
「……最高じゃない」
自分でもわかるくらい、私の声は興奮していた。
しかし、まだ【C.K】が笠原だと確定したわけじゃない。
ならば、【C.K】という人物に近付いてみよう。
そして、【C.K】の詳しい境遇などを聞き出せば、本人だとわかるかもしれない。
【C.K】については、まだ推測だらけでわからないことがたくさんあるが、1つだけわかったことがある。
私は、遥かに楽しい玩具を手に入れることが出来るかもしれない。
「おはよう」
バレー部の朝練から帰ってきた沙也に、私は挨拶をする。
「おはよ……なんか里奈、すごい楽しそうだけど、何かあったの?」
「別に?」
訝しげに訊いてくる沙也に、私はなんてことないように返事をした。
普段と変わらない朝が、私にとってはとても楽しく感じられた。
視線を教室の前方にあるドアに移す。
すると、いつもの時刻通り、笠原はやって来た。
彼女が自分の席に着くと同時に、私はポケットからスマホを取り出した。
そして、愚痴サイトへと繋げる。
今から、私は【C.K】への返信を送るのだ。
本当は昨日返信しようと思ったが、私はそれをやめた。
笠原の様子を見たいのだ。
今から返信して、その後、笠原がスマホをいじっている途中に、明らかに驚いているような表情をしたら、私の考えは信憑性が高まるのだ。
だから笠原が朝、教室に来てから返信すると決めたのだ。
そのため、怪しまれない程度に、彼女を観察しなければならないのが面倒だが、笠原の弱味を握るためだと思えば、余裕だ。
私は昨日から考えておいた返信用の文章を、書き込んでいく。
打ち終え、読み直すと、【投稿】をタップした。
【[908]投稿日:2017/7/14(8:32) 投稿者:V.P
>>C.K
そんなことがあったんですね……。私も好きなものを友達に好きって言えないから、困ってます。お互い頑張りましょう。】
ハンドルネームは最初は、イニシャルの【R.M】にしようと思ったが、万が一のことを考え、名前の【里】と【松】から【V.P】にした。
一時間目と二時間目が始まる前はスマホをいじる様子はなかったが、三時間目が始まる前のことだった。
彼女がスマホを鞄から取り出したのだ。
私は次の授業の準備をする振りをしながら、彼女の様子をちらちらと見る。
すると、彼女はタップしていた手を止めると、目を見開いた。
その数秒後、彼女は何かを打ち込み始めた。
その指は、何かにとりつかれているんじゃないか、と思うくらい速く動いていた。
私はポケットからスマホを取り出し、愚痴サイトを検索する。
込み上げてくる期待を胸に、私は画面をスクロールする。
すると、予想通りあったのだ。
【C.K】からの返信が。
【[913]投稿日:2017/7/14(10:48) 投稿者:C.K
>>V.P
ありがとうございます。V.Pさんのお陰で、少し心が軽くなりました!】
スマホも教室の時計も、時刻は10時48分を示している。
【C.K】が返信した時間と全く同じ。
【C.K】はたった今、返信したということだ。
ちらりと、笠原の方を見る。
彼女はもう、スマホを手にしていなかった。
私の推測は、確信に変わった。
【C.K】の正体は、笠原だ。
しかし、一応まだ様子を見ることにした。
私は愚痴以外にも、彼女からは色々聞きたいことがあるため、チャットサイトへのURLを貼った。
私は、にやりと微笑んだ。
【ネットは嘘だらけ】という言葉は、本当だと改めて知った。
笠原に希望を与えた【V.P】の正体は、彼女の弱味を握ろうとしている私なのだから。
「スマホ見ながら、にやにやすんなよ。気持ち悪い」
声がした方に振り返ると、そこには西尾がいた。
彼の右手にはコーラが握られており、今は昼休みだということを思い出す。
「気持ち悪い、って失礼ね……」
そう言った時、私はハッとした。
私としては、笠原をグループに入れたい。
ならば、そのことをどうやって、3人に説明するかだ。
優しい性格の沙也には、全てを話したら、反対されそうだ。
大槻は……予測しにくいが、あまり良い顔はされないだろう。
だが、西尾はどうだろうか。
彼は一見、クラスを纏める爽やかな雰囲気の男子……に見えるが、実際はかなり腹黒い。
それは、私の想像以上だった。
自分の意見が通用しなければ脅すし、気に入らない人にはからかったりして、精神的苦痛を与えている。
そんな彼なら、私の計画に賛同してくれるはずだ。
「ねえ、西尾」
私は手招きをし、教室から出るように促した。
「何だ?」
私達は人のいない美術室前の水道場まで来ると、私は徐にポケットからスマホを取り出した。
「西尾……私ね、いいこと思いついたの」
「いいこと?」
私は愚痴サイトに繋げると、これまでの出来事を話した。
最初は戸惑った様子の彼だったが、徐々にその顔は悪意に満ちていく。
「マジかぁ……でも、いいな。面白そう」
「でね、問題は沙也と大槻にはどう説明するか、なの。西尾はどう思う?」
すると、西尾は考え込むように、腕を組んだ。
「そうだな……名取って結構、正義感強いタイプだから、話さない方が良いと思う。大槻も、彼奴は何考えてるかわからなくなる時がたまにあるから、黙っておいた方が良い」
「そうね……それなら、適当に【仲良くなったから、グループに入れることにした】って感じはどう!」
「いいな!なら、いつそれを笠原に言う?」
その質問に、私は数秒間を置くと、再び口を開いた。
「……夏休み明けはどう?どうせ学校もあと数日で終わるし。夏休み中に笠原とチャットするつもりだけど、そしたら、また新しい秘密を知ることが出来るかもしれないからね」
これらは、ただの口実に過ぎなかった。
本当の目的は、彼女を騙しているという快感に浸りたいだけだった。
「わかった。じゃあ、新学期で言おうな」
彼の言葉に、私はこくりと頷いた。
それからは、全て計画通りだった。
チャットでは、新しい秘密を知ることは出来なかったが、彼女はクラスであったことをリアルタイムで書き込んだため、完璧に【C.K】の正体が笠原だという証拠が出来た。
そして、新学期。
私達のグループに入ることを条件に、紗代里には黙っておくと知った時の笠原の表情は、私を興奮させた。
グループに入るだけで、自分の秘密は守られると安堵したのだろう。
それが、どれだけ精神を削られるかも知らずに。
彼女の教室での命は、私が握っていると思うと、気持ちが良かった。
これ以上の快楽など、絶対存在しない。
沙也と大槻にも、嘘の事情を説明すると、初めは戸惑った様子だったが、止める様子もなかった。
私と沙也は笠原のことを、知花と呼ぶようになり、彼女は徐々に私達のグループに馴染んでいった。
そして、私と西尾はタイミングを見計らい、彼女をこき使うようになった。
出来るだけそれは、沙也や大槻のいないところでしていたため、私達を止める者はいなかった。
彼女も、本当は本心では嫌だと思っているが、秘密を守るために必死に私に尽くしていると思うと、心地良かった。
こんなに良い思いをするならば、もう一人グループに誰かを入れたいと思うのが普通だろう。
そこで私が注目したのが、萩野真帆だった。
地味なグループの中でも、かなり大人しいタイプの彼女に何かとっておきの秘密はないだろうか。
相手が大人しいタイプならば、秘密は意外性があるものではないのだろうか、と考えたからだ。
最初は彼女のことを知ろうと、萩野の友人から彼女について聞いたりしたが、あまり成果はなかった。
彼女には秘密などないのだろうか……と、諦めかけていたある日だった。
何気なく、スマホをいじっていたら、とっておきの彼女の秘密を知ってしまったのだ。
すぐに西尾に相談し、私達は萩野に【その秘密】を知ったことを言うと、彼女は半泣き状態で私達に【口外しないで】と懇願してきた。
彼女の表情は、知花の時よりも遥かに私を楽しませた。
その後、萩野はグループ入りし、知花と同様、私と西尾のために尽くしてくれた。
ただ、知花とは少し違い、彼女には勉強関係を任せた。
めんどくさい課題などは全て彼女に押し付け、それを彼女は完璧にこなしてくれた。
そして、私にはさらにもう一人グループに入れたいという欲望が生まれた。
しかし、今回は弱味を【探る】のではなく、【作る】ことにしたのだ。
何故なら、私がグループに入れたいのは、江川だったからだ。
江川は2年生になっても、クラスは変わらず、今まで必死に彼女に対する苛立ちを堪えていたが、そろそろ限界がきたのだ。
ならば、彼女をグループに入れて、知花や萩野のような目に遭わせてみたらどうだろうか。
そう思うと、身体中がぞくぞくした。
今まで溜まっていた鬱憤を晴らせることが出来ると思うと、二人の時以上に気持ちが良くなるのだ。
しかし、数日間彼女について調べたり、後を追ってみたりしたが、彼女に弱味など存在しなかった。
彼女は、自分の弱味を晒け出す性格だったからだ。
点の悪いテストをまるで自慢するかのように友人に見せたり、よく昔の自分の黒歴史を平気で話している彼女に、弱味など存在しないと考えた方が正解だろう。
それなら、私は弱味を作ってみてはどうだろうか?という考えに基づき、西尾と立てた計画を実行した結果、彼女はまんまと罠に嵌まり、グループ入りを果たした。
偽りの秘密を作った私に尽くすことは、彼女にとって屈辱だろう。
しかし、そんな自分を殺してまで、彼女の【大切なもの】を守るその姿勢には、少し感心してしまった。
江川のことで満足し、私はもうグループに誰かを入れるのはやめようと思った。
しかし、私の前に余計な人物が現れたのだ。
「ったく……最近、機嫌悪すぎだろ。松下」
「うるさい、光貴。だったら、あんたが彼奴を止めなさいよ」
「はぁ?止めるも何も、俺は正直彼奴の方が言ってること、正し……何でもないから、そんなに睨まないでくれ」
そう言うと、光貴は自販機に小銭を入れた。
放課後に入り、沙也は部活でいないため、私は飲み物を買ってから帰ろうと思い、鞄を持って一階に降りると、たまたま光貴がいたので、二人で談笑することになったのだ。
光貴とは今年、同じクラスになり西尾と仲良くなったのがきっかけで、私達のグループに混ざるようになった。
ただ、他のグループの人とも仲が良いため、いない時がよくあった。
そのため、こうして二人きりで話すのは、滅多になかった。
「でも、小倉が怒ってるところ初めて見たなぁ」
「確かにね……」
私達が今話していることは、小倉君のことだ。
彼は1週間前、このクラスに転校してきたのだ。
西尾曰く、彼とは昔の友人らしい。
私は初日から、彼の態度が気に入らなかった。
ルックスは完璧だが、あのいかにも良い子ちゃんっぽい性格が
そして、何よりも今日、知花を西尾から庇ったのが一番許せなかった。
事情を知らないから仕方ないかもしれないが、それでも私は小倉君のことが嫌いになった。
私はちらりと、ジュースをあおる光貴を見る。
彼は知花が私達にこき使われていることしか知らない。
もし、自分の恋人である萩野も私達に嫌なことをされていると知ったら、彼はどんな顔をするだろうか。
きっと、私と西尾を責めるに違いない。
もしそうなったら、私は光貴もグループから外すつもりだ。
まあ、彼は交友関係が広いため、グループにはあまり困らなそうだが。
「ねえ、光貴」
「何だ?」
「……やっぱ何でもない」
そう言うと、私はペットボトルのレモンティーを一気に飲む。
ため息を吐くと、
「めんどくさっ……」
と小さな声を漏らした。
「これくらいよ。私が話すことといえば」
松下がそう言うと、辺りに沈黙が流れたが、それを俺は破った。
「……萩野が、松下に弱味を握られていたって本当なのか?」
俺の声には、怒り、戸惑い、悲しみなど、様々な感情が含まれていた。
俺は、全く知らなかった。
萩野が嫌な思いをしていたなんて。
「も、もういいよ。光貴」
困惑したような声を上げる萩野。
しかし、彼女の声など全く俺の耳には、全く届いていなかった。
「答えろよ」
自分でも驚くくらい、その声には怒気が含まれていた。
「答えろよ!」
「ちょっと、落ち着きなよ!」
江川の制止する声。
しかし、俺は手探りで松下の席に歩み寄ると、彼女の胸ぐらを掴んだ。
その時だった。
生暖かい液体に手が触れたのだ。
それは、名取の時と同じだった。
嫌な予感がする。
額から、だらだらと冷や汗が流れた。
生臭い臭いが、気持ち悪くさせる。
俺は全てを察した。
「……どうしたの?」
萩野が言う。
しかし、俺はそれに答えなかった。
いや、正確に言うと、答えられなかった。
俺は彼女の顔らしき部分に触れてみる。
すると、そこは生々しい液体で濡れていた。
手や制服を汚すことも気にせず、俺は彼女の腕に触れる。
そこにはいくつもの傷があった。
暗くて見ることは出来ないが、感触だけでもその痛々しさは想像を絶するものだろう。
一応、彼女の脈を測ってみたが、もう助からないと理解した。
俺は手を、足の方に移動させてみた。
すると、俺は目を見開いた。
さっき刺されたナイフがないのだ。
松下は【抜かないほうが良い】と言って、抜かなかったはずだ。
まさか、あのナイフで誰かが……。
すると、俺の中に1つ疑問が浮かんだ。
ナイフで刺されたのなら、何故彼女は悲鳴を上げなかったのだろうか。
普通、悲鳴じゃなくても何かしら声を出すだろう。
彼女の身体を調べれば調べるほど、俺は冷静になっていく自分に驚いた。
「……ねえ、光貴。どうしたの?」
2回目の萩野の声に、ようやく俺は答えた。
「……松下が死んでる」
「え!?」
素早く反応したのは、江川だった。
「死んでる……か。死因は?」
冷静にそう訊いてくる大槻。
「わからない。でも、さっき松下の足に刺さってたナイフが抜かれてる。もしかしたら、そのナイフで……」
そこまで言うと、俺は黙った。
これ以上言って、名取や松下のことを思い出したら、また吐き気が止まらなくなりそうだったからだ。
「へぇ……やっぱり死んだな」
「そんな言い方なくない!?」
大槻の言葉に対して、怒鳴る江川。
「ごめんごめん……でもさ、これだと完全に小倉のことを話した奴は死ぬって流れになるな」
彼の声から、つまらないというような気持ちが窺える。
大槻は一体、何を考えているのだろうか。
「……ごちゃごちゃうっさいよ、大槻。もういい。次は私が話すから」
「でも、死ぬかもしれないんだよ!?」
萩野の心配したような声。
「いい。それに私が話さなきゃ、他の誰かが話して、死ぬことになるんでしょ?」
その言葉に、全員が黙った。
ごくりと唾を飲み込みながら、彼女の次の言葉を待つ。
すると、彼女は徐に話し出した。
彼女と彼の出来事を___
「莉子、これからカラオケ行かない?」
放課後を知らせるチャイムが鳴った時、友人が私の席に近付きそう言ってきた。
「あー、ごめん。無理」
「莉子、最近付き合い悪いぞー?さては何?彼氏でも出来たか?」
私の髪をわしゃわしゃにしてくる友人。
「違うわ。店の手伝いだよ」
「あー、なるほど。頑張れ」
私は鞄を右手で掴むと、勢いよく教室から出た。
「ただいま!」
店の入り口から入ると、そこにはウェイトレス姿で接客をしている姉さんがいた。
お昼を過ぎたため、お客さんの数はそこそこだった。
私は彼女の方に、歩み寄る。
「ねえねえ、今日新メニューのアイデア思いついたんだけど、聞いてくれない?あと、夏休み補習引っ掛かった」
「いや、何ついでみたいに言ってんだよ!つか、また補習かよ!」
素早くツッコんでくる姉さん。
お前は某銀髪侍アニメの眼鏡くんかよ、と思うくらい姉さんはよくツッコんでくる。
「いやー、現国は出来たんだけど、数学と英語がねぇ……」
私は鞄から、テスト用紙を取り出そうとしたが、それを姉さんは真顔で制止した。
「もういいから、さっさと着替えて手伝って」
「へい」
私はカウンターの近くにある階段を上り、自分の部屋に入ると、靴下を床に投げ捨てた。
私の家は、カフェを自営している。
私が小さい頃は、両親二人で店を営業していたが、お父さんが亡くなったため、お母さんと4歳離れた姉と私で、店をやることになった。
しかし、3年前辺りからお母さんも体調が悪くなり、姉さんや私も学校があるため、店を営業出来ない状況が増えた。
そのため、金銭面でも厳しくなり、私は高校に進学するのを諦め、店の手伝いに専念しようとしたが、お母さんはそうさせなかった。
それは【中卒の子供】という抵抗からではなく、行きたい高校に行って思いきり青春をして欲しい、というお母さんからの願いだった。
お母さんはいつもそうだった。
女手一つで私と姉さんを育てるだけでも大変だったのに、いつも私達のことを第一に考えてくれた。
私は、そんなお母さんが大好きだ。
いつか、恩返しをしたいとも思っている。
それを前にお母さんに言ったら、高校生活を思いきり満喫してくれれば、それで十分だ、と言われたが。
とにかく、お母さんは私の憧れる人だ。
お母さんみたいな人になりたいと、いつも強く願っている。
だが、私には1つだけ理解出来ないことがあった。
私はウェイトレスの制服に着替えると、ぽつりと呟いた。
「……青春とは、なんぞや」
教室の窓から、風が入ってくる。
窓際の席に座る私は、窓を閉めると、外の景色をぼんやりと眺めた。
ここの教室は3階にあるため、周辺の風景がよく見渡せる。
少し前まで生い茂っていた緑は、気付けばすっかり地面に落ちていた。
ブレザーはまだ早いが、長袖やカーディガンを羽織るクラスメイトも増えている。
本格的に、秋がやって来たのだ。
「莉子、次移動だよ。行こう」
「お、おう!」
友人の声で、今が休み時間だということを思い出す。
私は机から教科書を取り出し、次にノートを探すが、見つからなかった。
「私のノートはどこじゃ……」
そう呟くと、授業道具を抱えた友人が歩み寄ってきた。
「早く行こうよ」
「ごめん。ノート探すから、先行ってて」
「わかった。遅れないでよ」
手を振って教室から出て行く友人。
私はもしかしたら、と思い、ロッカーを開けた。
すると、私の予想通り、そこにはノートが入っていた。
私はノートと一緒に、教科書と筆記用具を抱えると、教室から出た。
しかし、階段を上ろうとしたその時だった。
「おい、江川」
後ろから声を掛けられたのだ。
振り返ると、そこには西尾がいた。
「なんすか?西尾」
「先生が教室に来いだってさ」
彼の言葉に、私は口を尖らせた。
「えー、今じゃなきゃダメなの?」
「らしいぜ。話があるんだとか」
「マジか。サンキュー」
私は急いで教室まで戻ると、そこには誰もいなかった。
私物が散らばっている席もあるが、やはり人がいる気配はない。
「なんだよ。呼んだ本人が来ないって。ていうか、話って何だろ……まさか、授業料?いやいや、ちゃんとお母さんが払ってくれてるし。もしかして、私成績悪すぎて留年とか?」
ぶつぶつと独り言を呟いていたその時だった。
教室の後方の床に、茶色い財布が落ちていることに気付いた。
高そうなブランド物のその財布を拾うと、私は名前が書いてないかどうか確認したが、それらしきものは見つからない。
すると、次の授業を知らせるチャイムが鳴った。
「うわ、ヤバい!先生来ないし……」
私は考えた末、一旦財布を机に掛けてある私の鞄の中に入れることにした。
授業が終わって教室に戻った後、持ち主を聞けば良い。
「先生はもう置いてこう!来なかった奴が悪いんだし」
そう言って私は教室から出ると、全力で4階まで走った。
先生に怒られたのは言うまでもない。
授業の終わりを知らせるチャイムが鳴った。
私は早く教室に戻り、財布の持ち主を探そうとしたその時だった。
「江川さん、授業に遅れてきた罰よ」
大量のノートを抱えた先生に、呼び止められたのだ。
授業に遅れてきたため怒られたが、タイミングを逃してしまい、結局先生に呼び出されたからとは言えなかった。
「何ですか」
そう言うと、先生が抱えていたノートを渡された。
腕にずっしりと重みがかかるが、私はなんとかそれを持ちこたえる。
「それを教室まで、持ってってちょうだい」
「ひえぇ……」
私はふらふらの状態で歩いていると、友人が私の授業道具を持ってくれたため楽になったが、教室に着くのが遅れてしまった。
次は昼休みだ。
もし持ち主が売店などに行く場合、財布がないことに気付いてとても困るだろう。
私は一刻も早く教室に着くように、歩くスピードを速め、しばらくするとやっと、教室が見えてきた。
私と友人は教室に入ると、教室内はいつも以上に騒々しかった。
私は教卓にノートを置くと、ふとクラスメイト達の会話が聞こえてきた。
「私の財布がない!」
その言葉に、私は目を見開いた。
声の主は、名取だった。
自分の鞄の中を漁っているが、見つからなくて困っている様子だ。
私は、彼女が財布の持ち主だと確信した。
私はすかさず、名取に声を掛けようとしたが、後ろから肩を叩かれた。
「え?」
振り返ると、そこには松下がいた。
彼女はじっと私を見つめると、
「話があるから、来て」
そう言って、私の腕を掴んだ。
突然のことに、私は目を丸くする。
「今じゃなきゃダメ?」
「ダメよ」
「何だよー。今日は呼び出されることが多いなぁ」
私が連れて来られたのは、隣の空き教室だった。
何故かそこには、西尾もいる。
意味深な笑みを浮かべる彼に、僅かに苛立った。
「で?何なの。用件なら早く言ってよ」
そう言うと、松下はポケットからスマホを取り出した。
彼女の唇が吊り上がる。
「……流石に、これはヤバいんじゃないの?江川」
そう言って、松下は私にスマホの画面を見せつけた。
それを見た瞬間、私は驚きを隠せなかった。
そこに映っていたのは、自分の鞄に名取の財布を入れてる私だった。
「な、何でそれ……」
「まさか、クラスの人気者のあんたが、人の財布を盗むなんてね。意外だわ」
「違う!!私は授業が終わったら、持ち主を探そうと思って、鞄に入れただけ!!」
私が必死に反論すると、今度は西尾が口を開いた。
「わかってるよ。お前は、先生に呼び出されて教室に戻っただけだよな?」
にやにやと笑みを浮かべながら、彼がそう言う。
「西尾の言う通り、私は先生に呼び出されて教室に戻っただけだし。大体、私は財布を盗むなんて酷いことしない」
私は松下を睨み付けながら、はっきりそう言うと、彼女は笑い声を微かに漏らしながら、言った。
「知ってるわよ。だって、それは私と西尾が考えた嘘だもの」
彼女の言葉に、私は全てを察した。
「まさか……全部仕組んでたの!?西尾が私に声を掛けるのも、教室に財布が落ちているのも!?」
「大正解よ」
私は顔をしかめると、思いきり二人を睨んだ。
「私は授業が終わると、私達の教室の隣……つまりここに隠れていた。全員が移動したところで、私は教室に戻り、沙也の鞄から財布を取り出すと、目立つように後方の床に置いたわ。そして、再びここに戻ると、私はあんたが来るのを待ち構えた。その後、あんたは教室に来て、予想通りその財布を手にしてくれた。私はその時の写真を、ここから撮ったの。私はあんたが財布を持ってる写真を撮れればいいと思ってたんだけど、まさか鞄に入れるなんてね。一瞬、本当に盗むのかと思ったわ」
彼女の考えを聞くと、私よりも遅く松下が授業にやって来たことを思い出した。
彼女は先生に、【職員室に行ってた】と言ったが。
松下は、私の前にスマホを翳しながら言った。
「これ、皆にバラしたら、ヤバいわよね?流石に、これを見ちゃったら、誰も信じてくれないと思うわよ」
……こいつ、最低だ。
「大体、あんたら何がしたいんだよ!私を陥れて楽しいか!?ああん?」
私は松下の方に、顔を近付ける。
「私達のグループに入って欲しいからよ」
「……は?」
予想外の返答に、私は口をぽかんと開けてしまった。
「どういうこと?意味わかんないんだけど」
「お前は知らなくていいんだよ」
西尾が言う。
そんな答えに納得出来るはずなく、私は眉間に皺を寄せた。
「教えてよ!」
「嫌よ。大体、理由を知ろうが知らないが、あんたはこのグループに入ることになるんだから、知る必要なんてないしね」
「何で、そう言い切れんの?悪いけど、あんたらみたいな性悪な奴がいるグループには入りたくない」
西尾や松下のグループは、前からあまり好きではなかった。
典型的なお嬢様気質の松下とは、何度か対立したこともある。
二人の他に、財布の持ち主である名取と大槻もいる。
ただ、その二人とも少し話したことがあるが、名取は性格が良いし、大槻は時々何を考えてるかわからなくなることがあるが、根は良い人だった。
そんな二人が何で西尾や松下と仲が良いのか、疑問に思ったことも何度かあった。
しかし、それよりも私は、最近笠原と萩野がこのグループによくいることに注目していた。
あれは、ただ松下達と仲良くなったからいるのだろうか。
それとも、まさかあの二人もこのようなことをされて、グループに入ったのだろうか。
ちらりと西尾を見る。
すると、西尾は意地悪そうな笑みを浮かべながら、言った。
「へぇ……それなら写真、バラされてもいいんだな」
彼の言葉に、私は唇を強く結んだ。
「バレたら、最悪退学かもね」
松下の【退学】という言葉が、重くのしかかる。
「退学は……ダメだ。お母さんは、金銭的に苦しんでいたのに、高校に行かせてくれた。なのに、退学になったら……」
脳裏に、お母さんの顔が思い浮かぶ。
【行きたい高校に行って思いきり青春をして欲しい】というお母さんの願いを叶えるどころか、退学になったら、お母さんは悲しむに違いない。
しかも、退学した理由が盗難だ。
人としても、お母さんは私を軽蔑するかもしれない。
「……で?どうすんだよ」
西尾の声に、私は二人を睨み付けながら答えた。
「入ってやるよ。入れば、いいんだろ。入れば」
私の返答に、松下は満足そうに微笑んだ。
その顔は、私の怒りをさらに増幅させる。
「そのかわり、絶対口外しないって約束してよね」
「ああ……まあ、お前次第だけどな」
最後の言葉が気になったが、私は1秒でも早くこの教室から出たかったため、私は二人に背を向けドアに向かって歩いた。
「あ、そうだ。沙也の財布だけど、私が預かっておくから」
彼女の言葉を無視しながら、私は教室を出た。
一応、私はコミュ力には自信がある。
しかし、人に話しかけるのにこんなにも勇気がいるなんて、何年ぶりだろうか。
誰もいない放課後の教室に、一人でぽつんと席に座り、何かをしてる萩野。
そんな彼女に、いつ声を掛けようか、廊下からちらちらと教室の様子を見る私。
端から見れば、私は不審者みたいなものだろう。
あの日から、私はあのグループと一緒にいることが多くなった。
松下と西尾にはまだ怒っているが、名取や大槻とはすぐに仲良くなれた。
そして、例の二人。
笠原とはそこそこ話す程度の仲だが、特に問題はない。
ただ、残りは萩野だった。
萩野は人見知りなのか、彼女とはなかなか上手くコミュニケーションが取れない。
そんな彼女と仲良くなりたい……本音を言えば、彼女の口から聞きたいのだ。
松下と西尾から弱味を握られてるかどうかを。
笠原とはそこそこの仲だが、話し始めて数日しか経ってないのに、そんな深い話は悪いと思ったし、多分話してくれないと思ったため、二人のことは未だにわからない。
そのため、萩野と普通にコミュニケーションを取るのがダメなら、いきなり深い話をしようという考えに至ったわけだ。
あまりにも、滅茶苦茶な作戦だと思ったが、早く聞きたかったのだ。
彼女の本当の気持ちを。
いつも愛想笑いを浮かべているが、その裏にはきっと何かが隠されている。
根拠はないが、勘ってやつだ。
教室の様子をちらりと覗くと、萩野はまだ自分の席に座って何かをしている。
私は深呼吸を数回し、意を決して教室の中に入った。
「やあやあ、こんにちは!萩野ちゃんよぉ」
驚いたような顔をしながら、私の方に振り向く萩野。
私は彼女の机に歩み寄る。
「あ……江川さん」
「何してんの?」
私は萩野の机に置いてあった数枚のプリントに、目を通す。
それは、今日出た宿題だった。
提出期限は、明日だったはず。
しかし、私は違和感を覚えた。
同じプリントが3枚もあるのだ。
「何で同じ内容のプリントが3枚もあんの?」
すると、彼女は慌てたようにそれらのプリントを、机に隠した。
「な、何でもない…!」
そう言って、彼女は椅子から立ち上がり、教室から出て行こうとした。
「ちょ、待ってよ!」
私は逃げるように走る彼女の腕を、思いきり掴んだ。
「萩野も松下と西尾に、弱味を握られてんじゃないの!?」
無意識に出たその言葉に、私は一瞬やらかしたかも、と思ったが、後悔はしなかった。
「で、どうなの?」
私はもう一度訊くが、彼女は俯くだけ。
しかし、それでも私は萩野の腕を離さなかった。
「答えてくれるまで、離さない!」
私がそう言うと、彼女は諦めたのか、視線を私に向けた。
すると、ゆっくりと口を開いた。
「……江川さんの言う通りだよ」
語尾が震えていたのは、きっと気のせいじゃない。
彼女は勇気を出して、私に打ち明けてくれたと思うと、少し嬉しかった。
「やっぱり……」
「【やっぱり】ってことは、江川さんも?」
「まあね」
私は、少し声を低くして答える。
すると、萩野は何かが吹っ切れたように、話し始めた。
「実は、私ね___」
萩野は話し終えると、今にも涙がこぼれそうな目を擦った。
私は両手を固く握り締めた。
彼女が二人に弱味を握られていることは、なんとなく予想していたので、驚かなかった。
ただ、弱味を握られるまでの経緯が、私と少し違っていたが。
しかし、この話を聞いたせいか、松下と西尾への怒りがさらに増した。
これなら、きっと笠原も萩野や私と同じ目に逢ったのだろう。
彼女の話から、私は二人の目的が少しわかった。
二人は、私達を見下して弄んでいたんだ。
人の弱味を握って、私達をとことん利用するつもりだ。
ただ、私は彼女のように二人からこき使われたことは、まだない。
彼女曰く、グループに入って数日後に、二人が【アクション】を起こしたらしい。
私の予想が正しければ、私は明日辺りに二人から嫌なことをされる可能性が高い。
私はちらりと萩野の顔を見ると、彼女の目は兎のように真っ赤だったことに気付いた。
誰にも話せなかった過去を、一気に話したのだ。
辛い記憶がよみがえって、泣きたくなるのも無理はない。
「お願い。このことを話したことは、他の人には絶対言わないで」
そう言って、頭を下げる萩野。
「言うわけないじゃん。頭上げてよ」
萩野はゆっくりと頭を上げたが、彼女の瞳には不安の色が残っていたことに気付いた。
「……私達は、これからどうすればいいの?これじゃ、反抗することすら出来ないよ」
「だね。私なんて、クラスメイトの財布を盗んだことが知られたら、退学もんだよ」
「……え!?」
「あ、勿論私はやってないよ。松下と西尾がでっち上げただけ。二人が嘘の証拠まで作り上げたから、皆に信じてもらうことは難しいと思う」
私の言葉に、ホッと息を吐く萩野。
確かに、萩野から話を聞けたはいいが、これからどうするべきか。
とりあえず、このまま二人に従ってるだけの日々なんて、絶対に嫌だ。
だが、下手に反撃でもすれば、すぐにあの写真がバラされるだろう。
私は腕を組むと、松下と西尾の席を交互に睨んだ。
「……何で私達がこんな目に逢わなきゃいけないんだよ」
私の予想通り、二人は次の日から私を明らかに利用しているようなところがあった。
荷物持ちをされたり、先生に頼まれたことを私に押し付けたりなど、内容的には大したことはないが、ストレスが溜まる一方だった。
それでも、私は耐えた。
お母さんの顔を思い浮かべれば、なんとかなったのだ。
しかし、それもほんの数日しか効かず、いつ二人に対して激怒するかわからない状態だった。
二人から解放されるための方法も思いつかないまま、私は不安定な気持ちを抱えながら日々を過ごしていた。
そんなある日、転機が訪れた。
小倉が転校してきたのだ。
初めて彼を見た時の第一印象は、優しそうな人だな、という感じだった。
穏やかな雰囲気と端正な顔立ちが特徴の彼は、絶対女子にモテるだろう。
そんな彼とお昼を食べることになった理由は、皮肉だった。
彼は西尾の友人だからだ。
「小倉は、小学校の頃の友達だったんだよ」
そう言って西尾はコーラをあおる。
「おい。【だった】だと、今は友達じゃないみたいだろ」
「悪い悪い」
不機嫌そうな顔をしながら言う小倉と、それを適当に流す西尾。
腹黒い西尾と、優しそうな雰囲気の小倉が仲が良いなんて、正直信じられなかった。
だが、そのことを抜けば、小倉は普通に良い人そうだ。
彼はどんな人なのか、何が好きなのか、苦手なことは何か、もっと知りたい。
そんな好奇心を含めて、私は手を差し出した。
「へぇ……そっかぁ。よろしくね!」
そう言った私に、嬉しそうな笑顔を浮かべながら、応じる小倉。
その表情に、一瞬胸が高鳴ったのは、気のせいだろうか。
小倉はすぐにクラスに馴染んだ。
私達のグループといることがほとんどだが。
私の予想通り女子からモテており、本人も彼女はいないため、彼に声をかける子は多かった。
そのうち誰かと付き合うのだろうか、と思うと、妙な気持ちになるが、あまり気にしないことにした。
私に恋愛は無縁なのだから。
まず、私は恋をしたことがない。
そして、【友達としての好き】と【恋愛としての好き】の違いが、いまいちよくわからないのだ。
そのため、友達や知り合いに彼氏が出来る度に、その謎は深まるばかりだった。
しかし、恋愛なんて私とは無縁のことだと思えば、段々どうでもよくなり、私には関係ないと捉えることにした。
そうすれば、一番楽なのだから。
しかし、あの日から、可笑しくなったのだ。
西尾の一言から、小倉への嫌がらせが始まった。
正直、彼が小倉に牙を向けるとは思っていなかった。
だが、よくよく考えてみれば、それは有り得ないことではない。
先日、西尾と小倉が喧嘩をしたのだ。
遠巻きに見ていたため、何が原因かはわからなかったが、二人が争っていることは確かだった。
腹黒い西尾のことだ。
自分を苛つかせる人を、仲間外れにしようと考えたのだろう。
小倉は、西尾のグループ以外の人とも仲が良かったが、皆自分の保身に走り、彼を助けることはしなかった。
勿論、私が彼を助ければ、私の秘密をバラされるだろう。
ならば、と私は1つの考えが思いついたのだ。
少し危険かもしれないが、もう嫌なのだ。
西尾達の勝手な意見に、振り回されるのが。
このような状態が続くのならば、絶対に変えたい。
多少、危険を冒してでも。
日が暮れる時間が早くなり、学校残っている人は僅かだった。
私は昇降口の扉から吹く冷たい風に耐えながら、下駄箱で彼を待っていた。
私は、私のクラスの下駄箱を見る。
彼の靴箱には、まだ靴が入っていた。
「よし、まだ帰ってない」
もう何度、この確認をしただろうか。
私は、彼にある話をしたくて、こうして待っているのだ。
彼はどんな顔をするだろうか。
きっと、最初は戸惑うかもしれない。
でも、絶対納得してくれると信じている。
そう思うと、顔が少し綻んだ。
その時だった。
後ろから足音が聞こえたのだ。
それは、私のクラスの下駄箱に近付いていく。
もしかしたら彼が来たのかもしれない、と思い振り返ったが、その考えはすぐにかき消された。
「あ、江川さん」
そこには、萩野がいたのだ。
「お、萩野じゃん。何してたの?」
「補習に行ってたの。江川さんは?」
「私は小倉を待ってんの」
私の言葉に、目を丸くする萩野。
「……何かあったの?」
「いや、ちょっとね……」
私は、彼女に私の考えを話そうか迷った。
彼女はどちらかというと、【こっち側】の人間だ。
しかし、下手に話して西尾達にバレたらどうしようという不安もあった。
すると、萩野は心配そうな顔を浮かべながら、
「どうしたの?何かあったなら、言って欲しいな」
と言った。
それがなんだか嬉しかった。
彼女はきっと、純粋に私が困っていると思って、相談に乗ろうとしたのだろう。
萩野なら、信用出来る。
まだ彼女と話してたら少ししか経っていないが、そんな信頼感が芽生えた。
私は思いきって、萩野に例のことを話した。
すると、彼女は少し考え込むような仕草をしながら、口を開いた。
「そっか……でも、もし西尾君や松下さんにバレたら、大変だよ?」
「だけど、このまま誰も行動しなきゃ、二人の思う壺だよ。そんなの私は絶対嫌だ。それに、これは私単独でやるつもりだし、周りに迷惑をかけることもないよ」
私はそう言うと、拳を強く握った。
すると、彼女は真っ直ぐな瞳で私を見つめた。
「私も……江川さんと一緒していいかな?」
予想外の言葉に、私は目を見開いた。
「え!?でも、もしバレたら萩野も……」
「……その時はその時だよ。とにかく、罪悪感に耐えるだけの毎日は嫌なの」
彼女の瞳に、迷いはなかった。
私は少々、戸惑ったが、彼女と一緒に実行することを決めた。
一人より二人の方が、心強い。
それに、私の意見に賛同してくれたのが嬉しかった。
この時、私達は気付いていなかったんだ。
自分達の覚悟が足りてなかったことに___
後ろから、足音が聞こえてきた。
それは徐々に、私達の方に近付いていく。
私は振り返ると、そこには小倉がいた。
私は目を輝かせる。
「小倉!」
私は彼の名前を呼ぶと、彼は驚きを隠しきれない様子だった。
「え、江川と萩野!?」
「私、小倉のことずっと待ってたの!」
私の言葉に、さらに混乱したような表情をする小倉。
すかさず、萩野が付け加える。
「私達、小倉君に話があるの」
「話?」
小倉の瞳に、一瞬不安の色が映った。
彼は私達が、彼の味方だということを知らない。
それなら、警戒されても仕方ないだろう。
私は周囲をちらりと見るが、人がいる様子はない。
私は拳を強く握り締めながら、口を開いた。
「私、小倉の味方だから」
すると、萩野も、
「私もだよ」
と言った。
私達の言葉に、唖然とした小倉だが、しばらくすると、顔を少しだけ綻ばせた。
「……ありがとう。でも、絶対他の奴……特に西尾や松下には知られないようにしてくれ。もし知られたら、今度は……」
徐々に曇っていく小倉の表情。
私は首を横に振った。
「大丈夫、バラすつもりはない。ただね、私達は小倉の力になりたいの」
「俺の力に?」
不思議そうに訊いてくる小倉。
すると、今度は萩野が話し出した。
「うん。私達は、西尾君側にいるふりをする。そして、小倉君にこれからどんな嫌がらせをするか聞いて、私達はそれを小倉君に伝える。前もって知っておけば、大体は回避出来るでしょ?」
萩野の言葉を聞くと、小倉は複雑な表情を浮かべた。
「ありがたいけど……俺は気持ちだけで十分だ。女子に世話になるって、なんかカッコ悪いし……」
「カッコいいもカッコ悪いもあるかよ」
私はそう言うと、唇を結んだ。
「私達は、西尾君や松下さんの都合に振り回されて、クラスメイトが傷つく姿は、もう見たくないの。小倉君だけじゃない。二人……特に、西尾君のせいで、何人ものクラスメイトが嫌な思いをしたの」
萩野の発言に、小倉は眉をひそめた。
「え?待って……西尾、そんなことしてたのか?」
彼の言葉に、私達はこくりと頷く。
すると、彼は信じられないという表情を浮かべた。
「嘘だろ……確かに、性格は変わったとは思ったけど……」
「……どういうこと?」
私は彼を見つめながら、訊く。
「昔はそんな奴じゃなかった。自分より他人を優先する良い奴だったし、どちらかというと、大人しい性格だった」
その言葉に、私は驚愕した。
西尾が良い奴?
しかも、大人しい性格?
想像も出来ない西尾の姿に、私は困惑した。
「じゃあ、何で……今みたいな感じになったの?」
「それはこっちが聞きたいよ」
萩野の質問に、首を横に振りながら答える小倉。
小倉の言った限りだと、昔二人の間に何かがあって、西尾の性格が変わった可能性は低い。
なら、二人が離ればなれになった後、西尾の周りで何かがあったのだろうか。
「ていうか、江川と萩野は西尾のことが好きじゃないのに、何で彼奴のグループにいるんだ?」
その質問に、私達の肩がびくりと動いた。
私は萩野の顔をちらりと見る。
彼女も、動揺しているのが明らかだった。
私は出会って少ししか経っていない人間に、自分の弱味を言うことを躊躇った。
確かに、小倉は良い奴だ。
ただ、どこか【バラされるんじゃないか】という不信感が、私の中にあった。
しかし、よく考えてみれば、彼が私達を裏切る可能性は低い。
小倉がバラしても、彼自身にメリット自体はない。
それに……。
「……わかった。話すよ」
私の心を覗いたように、萩野がそう切り出した。
萩野は私の顔をちらりと見る。
私はこくりと頷いた。
私達は、正直に話した。
弱味も、経緯も包み隠さず全て。
小倉は顔をしかめた。
彼の心の中は、ごちゃごちゃになっているだろう。
驚愕、悲しみ、怒り、同情、不安……。
私が彼の立場だったら、それらの感情が湧き上がると思う。
「……なら、笠原もそういうことだったのかも」
ぽつりとこぼしたその言葉を、私は聞き逃さなかった。
勿論、萩野も。
「どういうこと?」
真っ先に萩野が問う。
しかし、なんとなく答えはわかっていた。
小倉は真剣な顔をしながら、切り出した。
「この前、西尾と喧嘩しただろ?その原因は、西尾が笠原をこき使っていたからだよ。笠原はあの後、教室から出て行って、俺はその後を追ったんだ。俺は笠原が西尾から嫌なことをされてるんじゃないかって思って、話を聞き出そうとした。だけど、笠原は何も話してくれなかったんだ」
ここでやっと、彼女がグループに入った理由がわかった。
笠原も、私達と同じ境遇に逢っていたのだ。
何が原因で弱味を握られたかは知らないが、そんなことはどうでも良かった。
「……小倉君の話を聞く限り、笠原さんも西尾君達に弱味を握られてる可能性が高いよ」
「うん。絶対そうだと思う」
萩野の言葉に、頷きながら相槌を打った。
「……西尾達は一体、何を考えてんだよ」
「多分、私達を利用して楽しんでるんだよ。人の弱味を握って、自分の思うままに動かす……これじゃ私達、まるで二人の操り人形みたいだよ」
「ま、操り人形だって時には、意思を貫きますけどね」
私は、不敵に微笑んだ。
私達の弱味を周囲にバラされたら、たまったもんじゃない。
しかし、それでも私達にはやれることがある。
そう思うと、前向きな気持ちになれた。
「とりあえず、私は小倉を助けたい。一人より三人の方が心強いでしょ?」
私の言葉に、彼は私から目を逸らしながら、しばらく考え込むような仕草をするが、やがて口を開いた。
「……わかった」
その瞬間、私は心の中でガッツポーズをした。
「おはよー」
「おはよう」
私は教室に着くと、近くの席の萩野に挨拶をした。
私は周囲をちらちらと見るが、特に変わった様子はない。
昨日のことは、バレてないようだ。
「江川さん」
席に着き、鞄を机の横にかけると、萩野が私の方に歩み寄ってきた。
「ん?どうしたの?」
「昨日のこと、周りにバレてる様子はないよ」
小声で、彼女が言う。
「そうだね。まあ、油断は出来ないけど」
「だね」
「あ、そうだ。またなんか、二人に課題とか押し付けられた?」
すると、彼女は私から視線を逸らしながら沈黙したが、しばらくすると小さな声で言った。
「……うん」
「じゃあ、今日の放課後手伝うよ!小倉も誘ってさ」
最後の方は小声だったが、彼女にはきちんと伝わったようだ。
しかし、彼女は首を横に振りながら答えた。
「え……でも、悪いよ」
「いいの!暇だし。それに……」
「それに?」
「……やっぱなんでもない。後で、彼奴に放課後空いてるかどうか聞いてみるわ」
そう言うと、HRを知らせるチャイムが鳴った。
全員が席に着く中、私は机に顔を伏せた。
ごめんね、萩野。
私は1つ、言ってないことがあるの。
彼女の手伝いをしたいというのは、本心だった。
ただ、もう1つ理由があった。
小倉ともっと話をしたいのだ。
それは単に私が物好きな性格だからということもある。
しかし、彼ともっと一緒にいたい、仲良くなりたいという思いもあった。
だけど、何故私はそのことを萩野に言わなかったんだろう。
「……わかんねぇ」
私は自分でも聞こえるかどうかわからないくらいの声で、そう呟いた。
「わかんねぇ!!なんだこりゃ!!」
私は、シャーペンを小さな白い丸テーブルに放り投げる。
そこには、二人に押し付けられた分の課題と、自分達の宿題が散らばっていた。
改めて見ると、酷い有り様だ。
参考書、課題のプリント、教科書やノートの数々に、紙屑や消ゴムのカス……。
それに以前に、散らかった私の部屋に二人を呼んだのが間違いだったかもしれない。
私の心を覗いたかのように、小倉が呆れたような表情を浮かべながら言った。
「お邪魔させてもらってる身で失礼かもしれないけど、この部屋酷くないか?」
「うるさいなぁ!わかってるよ」
「小倉君、いくらこの部屋が汚いからって、本当のこと言ったら失礼だよ」
「……そういう萩野が一番失礼だと思う」
私は辺りを見回す。
クレーンゲームで取ったたくさんのぬいぐるみが置いてあるベッド、本棚に入りきらなかった漫画が散乱している床、学校の教材や雑誌、CD、小物などで溢れた勉強机。
今にも、ゴキブリが出そうな部屋だ。
「やっぱり、私の家が良かったかな」
「いいよ。萩野ん家、受験生のお姉さんがいるんでしょ?邪魔しちゃ悪いからね」
私は小倉を誘って、3人で課題を片付けるついでに、勉強会をすることにした。
最初は学校の近くにあるカフェなどでやろうと思ったが、そこだと同級生に見つかる可能性がある。
それだけは避けたかった。
私達は3人のうち誰かの家でやることにしたが、萩野の家には受験生のお姉さんがいるし、小倉のところには今、親戚が訪れているため、仕方なく私の家にした。
店の方で勉強は出来るが、今日は生憎定休日だ。
散らかった部屋を同級生……ましてや男子に見られることに抵抗はあったが、私が今回のことを企画したので、我慢することにした。
だが、実際に見られると、流石の私にも恥ずかしさというものが込み上げてきた。
すると、突然小倉が立ち上がったと思ったら、彼は大きなあくびをすると、ベッドの上にある数々のぬいぐるみに注目した。
「このぬいぐるみ触ってもいいか?」
「いいよ」
私と萩野もベッドに近寄ると、私は兎のぬいぐるみを抱き締めた。
「ぬいぐるみ可愛いよね。サンドバッグにもなるし」
「え!?ぬいぐるみ可哀想だろ!」
「冗談だよ。でも、ストレスが溜まった時、何本もの鉛筆達が犠牲になったことやら……」
私の言葉に、苦笑する二人。
私は羊のぬいぐるみを、彼の腹部に押し付けた。
「な、何だよ!」
「私の部屋を酷いって言った罰じゃ」
「それは部屋を汚くしたお前が悪いんだろ!」
正論を返され、私は何も言えなくなった。
私は唇を尖らせると、彼を睨み付ける。
「拗ねるなよ……」
「うっさーい」
私は彼から目を逸らすと、再び丸テーブルがある床に、二人に背を向けながら座った。
彼からすれば、私は拗ねてるように見えてるのかもしれない。
しかし、私の本心は違った。
楽しいのだ。
彼と話すのが。
勿論、萩野とも一緒にいるのは楽しい。
しかし、彼は彼女とどこか違ったのだ。
友人といる時とは違った楽しさ。
それは何でかはわからないが、彼をこの部屋から帰したくない。
ずっとお喋りして、遊んで、勉強したい。
そんな願望が、私の中に生まれた。
勿論、不可能な願いだが。
「おーい。江川ー?」
後ろから、彼が私を呼び掛ける声がする。
私は、振り返えることはしなかった。
多分、私は意地になってるのかもしれない。
それか、私が拗ねたと思って、少し戸惑った様子の彼をからかうのが楽しかったからかもしれない。
どちらにしろ、こんな気持ちは初めてだ。
「江川、なんか反応しろよー」
そう言って、彼は私の肩を叩いた。
反射的に、私は彼の方に振り返る。
彼はしゃがんだ状態で、羊のぬいぐるみを私に渡しながら、優しい笑みを浮かべた。
「やっと反応した」
彼からぬいぐるみを受け取ると、次第に私の心臓の鼓動が速くなった。
それと同時に、熱を帯びる私の頬。
それは、彼の顔を見れば見るほど熱くなった。
まるで、自分が自分じゃなくなるみたいで、戸惑う。
私はどうすることも出来ず、再び彼に背を向けた。
「え、ちょっと江川!?」
私の様子に困ったような声を上げる小倉。
私は口パクで、こう呟いた。
『ばか野郎』
「お手洗い借りていいかな?」
「どうぞどうぞ」
壁にかけた時計が18時を示した頃、萩野は床から立ち上がると、部屋から出て行った。
二人の課題は終わり、今度は自分達の宿題を始めたが、萩野も小倉も疲れている様子だった。
勿論、私もだが。
小倉はあくびすると、私の顔をちらりと見た。
「もう暗いし、そろそろ帰った方がいいな」
「そうだね。親が心配するかもしれないし」
私は伸びをすると、床に寝転んだ。
このまま眠りについてしまいそうだ。
私はそれを堪えながら、片付けをする彼に視線を向ける。
私は、小倉に対してどういう気持ちを抱いているのだろうか。
勿論、嫌いというわけではないが、萩野や他の友人に対する【好き】とは何かが徹底的に違うのだ。
「江川も、片付け手伝えよ」
呆れた顔をしながら、私を見る小倉。
その表情ですら、私の心臓の鼓動を速めるのには十分だった。
……なんか私、変だ。
「お邪魔しましたー」
「またいつでも来てね」
「その時は、少しは部屋綺麗にしておけよ」
「うるさーい」
私は店の玄関から、二人の姿が見えなくなるまで、彼等を見送った。
もうすぐ冬だ。
空は真っ暗だし、寒さもどんどん増してきている。
萩野は小倉が家まで送ってくれるから、心配ないだろう。
私は白い息を吐きながら、店の中に戻ると、厨房には姉さんがいることに気付いた。
私はカウンター席から、彼女に声をかける。
「おかえり。今日遅かったじゃん」
「大学の帰りに、彼氏の家に寄ったの」
そう答えると、機嫌が良いのか、鼻歌を歌いながら明日の店の準備をし始めた。
「それにしてもさぁ……莉子、あの二人誰?もしかして、男子の方は彼氏?」
「違う。友達だよ、友達」
私はカウンター席に座ると、ため息をつきながら答えた。
「なんだ。私、てっきり彼氏かと思って、裏口から入っちゃったじゃん」
「彼氏ねぇ……」
私は、ぽつりと呟くと、ある考えが浮かんだ。
もしかして、こういうのが恋なのではないか、と。
しかし、私はそれをかき消すように、首をぶんぶんと横に振った。
その様子を見た姉さんが、首を傾げる。
「何やってんの」
「別に……」
確かに、彼に対する感情は何かはわからない。
だが、それを恋と決めつけるには躊躇いがあった。
何故だかはわからないが、本能的に認めたくなかった。
すると、私の中に1つの考えが思いついた。
姉さんに恋というものは何か、聞いてみよう。
姉さんは、恋愛経験は豊富な方だ。
友人に恋愛相談をされてるところを、何度か見かけたこともある。
「……ねえ」
「ん?何?」
私は、迷いなく言った。
「恋って何?」
「は?恋?」
突然の私の質問に、目を丸くする姉さん。
私は構わず続ける。
「そう、恋。友達とは違う好きって……どういう感じ?」
最初は戸惑った様子の姉さんだったが、次第に彼女は目を輝かせた。
「はーん。さては、莉子も恋を……」
「違うわ。はよ教えろ」
私は彼女を急かすと、姉さんはにやにやと気持ち悪い笑みを浮かべながら、口を開いた。
「説明するのは難しいけど……簡単に言うと、相手に対して赤面したり、心臓がバクバクするとかだと、私は思う。とりあえず、嫌いじゃないのに、友達とは違う感情を抱いていた場合、大体は恋なんじゃないの?」
彼女の言葉に、私は何も言えなかった。
赤面、心臓がバクバクする、友達とは違う感情……。
全て当てはまっていた。
私は椅子から立ち上がると、階段を駆け上がった。
途中、姉さんの声が下から聞こえた。
「夕飯何がいい?」
「いらないっ!」
私は自分の部屋に戻ると、ベッドに倒れ込んだ。
羊のぬいぐるみが視界に入ると、顔が赤くなるのがわかる。
「意味わかんない……」
私はそう呟くと同時に、羊のぬいぐるみを抱き締めた。
私が小倉のことが好き?
でも、彼とはまだ会って少ししか経ってない。
いや、恋に時間など関係あるのだろうか。
「………やっぱり、そうなのかな」
もう、認めた方が良いのかもしれない。
ドキドキしたり、顔が赤くなったり、友達とは違う感情を抱くのは、全部……。
「私、小倉のことが好きなんだ……」
「……ん。江川さん!」
「え!?」
私はびくりと肩を動かす。
目の前には、心配そうな表情を浮かべる萩野。
周囲を見渡すと、いつの間にか放課後に入ったのか、クラスメイトはあまりいない。
「大丈夫?HRが終わってから、ずっと何もしないで席に座ってたから……」
「ごめん、ぼーっとしてただけ」
小倉のことが好きだと自覚した次の日、私は一日中上の空状態だった。
時々、小倉の方をちらりと見るが、すぐに目を逸らしてしまう。
まるで自分が自分じゃなくなるような感覚に囚われながら、一日を過ごした。
私は席から立ち上がると、鞄から財布を取り出した。
「飲み物買いに行こうと思うんだけど、萩野も行かない?」
「う、うん!」
はにかみながら頷く萩野。
なんだか彼女といると安心する。
西尾達のグループに入った時は、【最悪だ】と思っていたが、その代わり萩野と仲良くなることができた。
そのことに関しては、ラッキーだと思っている。
自販機で飲み物を買うと、近くのベンチに座った。
アイスココアを一気にあおると、私は萩野の顔をじっと見つめた。
「どうしたの?」
首を傾げる萩野。
「いや……萩野と仲良くなれて良かったなぁ、って思っただけ」
「え?」
彼女は、最初は目を丸くしたが、次第に照れたような表情を見せた。
「なんか、萩野といると心が安らぐんだよね。やっぱ、西尾や松下みたいな気の強い奴より、萩野や小倉の方が良いわ」
小倉は別の意味で……だが。
「そう?でも、私も江川さんと仲良くなれて嬉しかったよ」
ふわりと柔らかい笑みを浮かべる萩野。
思えばそうだった。
私は確かに、昔から友達は多かった。
しかし、それは広く浅くと言った方が正しかった。
とても仲の良い友達というと、思い当たる人物が思いつかず、ましてや親友なんていなかった。
こんな心から信頼できそうな人は、彼女が初めてかもしれない。
「なんか本当、西尾達のグループに入ってからは、初めてがいっぱいだなぁ……」
初めての本当の友達に、初めての恋。
理由はどうあれ、このような感情を体験出来たのは、素直に嬉しい。
「どういうこと?」
「なんでもない」
私は微笑みながら、そう答えた。
「萩野はさ……恋したことある?」
無意識に、そんな質問が口から出た。
その瞬間、彼女は顔を真っ赤に染めた。
その表情は紛れもなく、恋をしている証拠だろう。
「へえ、してるんだ。青春だなぁ」
私はからかうように、にやにやと笑みを浮かべた。
すると、彼女は首を横に振る。
「し、してないよ!」
「でも、顔が赤いよ?」
「暑いだけ!」
苦しい言い訳をする萩野に、思わず笑みがこぼれた。
同じく恋をしている子を見て、恋に対する戸惑いが少し消えた気がする。
彼女にこれ以上は詮索しないが、いつかそれが実って欲しい限りだ。
「そういう江川さんは?」
「うん、いるよ」
私は包み隠さず、そう言った。
彼女は驚いたような表情を浮かべると、
「そうなの!?告白はしないの?」
と、興味津々そうに訊いてきた。
「告白ねぇ……」
告白に関しては、あまり考えてなかった。
何しろ、恋をしたという衝撃が大きかった分、その先のことは頭になかったのだ。
「そういうのって、いつ言えばいいのかな……」
真っ先に出た言葉は、それだった。
よく漫画やドラマなどで告白というものを見るが、そういうのは恋をしてからどれくらい経ったら、するものなのだろう。
「それは江川さん次第だよ」
「私次第?」
こくりと頷く萩野。
「本人に【好きだよ】ってアピールしてから告白するのも、好きになってすぐに告白するのも、本人次第だよ……なんか、偉そうでごめんね」
申し訳なさそうな表情をする萩野に、私は首をぶんぶんと横に振った。
「ううん!そんなことないよ。アドバイス、ありがとね」
私は彼女の両手を握りながら、笑みを浮かべた。
すると、萩野は何かを思い出したのか、突然ベンチから立ち上がった。
「ごめん!もうすぐ部活の集まりが始まるから、行くね!」
「そっか。また明日ねー」
「うん。バイバイ!」
私は萩野に手を振ると、彼女は振り返しながら、階段を駆け上がっていった。
彼女の姿が見えなくなると、私はため息をつきながら、机に顔を伏せた。
「……私次第か」
アピールしてから告白……。
そんなに私は待てないし、アピールする気もない。
ならば、すぐに告白?
勿論少し躊躇ったが、そうしたいという自分がいた。
このまま想いを抱くのではなく、正面突破したい。
しかし、一発で付き合えるとは思ってない。
彼が私を好きになっているとは考えられないからだ。
だから、返事は後日に返してもらいたい。
もしそれでもダメだったら……と考えると不安になるが、私は自分の考えを止めることが出来なかった。
私はベンチから立ち上がると、真っ先に下駄箱に向かって走った。
やがて視界に下駄箱が入ると、私は自分のクラスから彼の靴箱を探す。
彼の靴箱には、まだ靴が置いてあった。
「まだいる……!!」
私は再び走った。
目的地は、教室だ。
そこに彼がいるかもしれない。
その一心で、私は息が切れそうなのも気にせず、階段を駆け上がる。
まるで何かにとりつかれてるのではないか、と疑いたくなるほど、そのスピードは速かった。
体力が限界に近づいた時、ようやく教室の扉の前にたどり着いた。
乱れた呼吸を整え、私はそれを開けると、予想通り、彼はいた。
彼以外、誰もここにはいないため、告白にはちょうど良い場所だ。
「小倉!」
「江川?どうしたんだ?」
私は彼のところに駆け寄った。
小倉はこれから帰るつもりだったのか、鞄に教科書などを詰めているところだった。
いよいよだ、と思うと、急に不安が訪れた。
手が震える。
心臓が今にも、はち切れそうだ。
そんな私とは反対に、微笑みながら私の言葉を待ち構える小倉。
そんな彼の表情を見ていると、少しだけ落ち着いた。
「あのさ……」
「何だ?」
私は拳をぎゅっと握り締めながら、言った。
「私、小倉のことが好きなの!!」
「……え」
彼は目を丸くしながら、私を見つめる。
私は固唾を呑みながら、彼の答えを待った。
告白する前より、心臓がドキドキしているのは確かだった。
やがて、彼は口を開いた。
しかし、その答えは予想外のものだった。
「ごめん……俺、他に好きな子がいるから」
その瞬間、私の中の時間が止まったような気がした。
彼は気まずそうに視線を逸らしながらも、再び呟くように言う。
「だから……江川の気持ちには応えられない」
そこまで言うと、彼は頭を下げた。
もう、私はそれを見ることすら出来ず、視線を逸らした。
心は白紙のキャンパスのような状態なのに、身体は抑えられなかったようだ。
「そっか……」
消え入りそうな声でそう言うと、私は自分の席に向かって走った。
「江川!」
彼の声を無視して、私は鞄を肩にかけると、駆け足で教室から出て行った。
途中、後ろから彼の声がしたが、振り返ることはなかった。
自分の部屋に戻ると、鞄を乱暴に床に置いた。
制服がシワになることも気にせず、ベッドに飛び込んだ。
さきほどの出来事が、脳裏に何度も流れる。
それも、鮮明に。
「好きな子がいるとか……もう無理じゃん……」
自分のとは思えないほど、その声は弱々しかった。
すると、それが引き金になったのか、目から涙が溢れ出した。
一度溢れたものは、止まらない。
好きな子がいるとは、思ってもみなかった。
単に自分のことを異性として意識してくれなかったくらいなら、そこまでは傷つかないし、これから彼が自分を好きになってくれる可能性もあるから、まだ良かった。
しかし、他に好きな子がいるとなれば、その可能性は0に等しい。
しかも、彼がもしその好きな人と付き合うことが出来たら、今以上に辛くなるかもしれない。
「なんか……バカみたい」
恋なんかするんじゃなかった。
少女漫画やドラマみたいに、上手くなんかいかない。
それらは全て、幻想だ。
これから、小倉にどうやって接していけばいい?
もしその子と付き合えたら、祝福出来る?
そもそも、彼の恋自体、応援出来るだろうか?
様々な不安が押し寄せると同時に、眠気が襲ってきた。
……眠って、全てを忘れてしまいたい。
そんな願望が生まれた瞬間、私の視界は真っ黒に染まった。
「げっ……目腫れてる」
腹が立つくらい清々しい天気の翌日。
私は洗面所で顔を洗うと、鏡に映る自分をまじまじと見ながら、そう呟いた。
結局、あの後起きたら朝になっていた。
しかし、私の願いも虚しく、昨日の出来事は鮮明に残っている。
昨日みたいに涙が出ることはなかったが、傷は当然癒えていなかった。
ため息をつくと、キッチンからお母さんの声が聞こえてきた。
「昨日、部屋から出て来なかったけど、大丈夫?朝食は食べる?」
私はお母さんの声に、首を振った。
「いらない」
「大丈夫?体調悪いの?」
「少し食欲がないだけ。普通に元気だし」
「そう……何かあったら、すぐに言ってね」
食欲がないというのは、半分本当で半分嘘だった。
確かに食欲はないが、食卓に着けば、腫れてる目を見られてしまう可能性がある。
そうなれば、お母さんや姉さんに心配されるだろう。
それだけは絶対嫌だった。
私は制服に着替え、鞄に荷物を入れると、私は目を合わせずに、挨拶だけして家を出た。
校門を通り、ふと腕時計を見ると、朝食を取らなかったせいか、いつもより早く学校に着いたことがわかった。
この時刻には、誰がいるのだろうか。
もしかしたら、いつも私より早く来てる萩野がいるかもしれない。
私は彼女に会いたかった。
失恋したことを話すつもりはないが、彼女と一緒にいたい。
安らぎたい。
そんな願いが届いたのか、昇降口に入った時、私の瞳に萩野らしき後ろ姿が映った。
私は真っ先に、彼女の名前を呼ぶ。
「萩野!」
「あ、江川さん!おはよう」
驚きながらも、振り返って挨拶をする萩野。
私は靴を下駄箱に入れると、彼女は徐に口を開いた。
「江川さん……あの、今日放課後空いてる?」
「うん。空いてるけど?」
私は首を傾げながら、訊き返す。
すると、萩野は少し照れたような顔をしながら言った。
「良かった……昨日、新しくケーキ屋さんがオープンしたんだけど、一緒に行かない?」
「行く!」
即答する私に、彼女はくすりと笑った。
「江川さんって面白いね」
「いやー、照れますなぁ」
気付けば、私は笑っていた。
作り笑いなんかじゃなくて、心からの笑顔。
さっきまでの憂鬱な気分が嘘のようだった。
萩野は本当に良い人だ。
大人しいけど、私に安心感を与えて、笑顔にしてくれる存在。
失恋した分、彼女との交流を楽しむのも悪くない。
彼女ともっともっと仲良くなりたい。
私は彼女の手を握ると、笑みを浮かべながら、
「ねえ、私のこと、莉子って呼ん……」
そう言いかけた時だった。
私の大嫌いな人物が現れたのだ。
「なあ、二人とも。話があるんだけど」
西尾は、廊下の壁に寄り掛かりながら、そう言った。
「何なの。話って」
私は眉間に皺を寄せながら訊く。
「まあ、ここじゃあれだから……」
西尾は辺りをきょろきょろと見回しながら、手招きをする。
ついて来いってこと?
私達は彼の後ろをついて行くと、萩野が小さい声で言った。
「何の用だろうね……」
彼女の瞳には、不安の色が映っていた。
誰でも、不安にもなるだろう。
自分を陥れた人物に呼び出されたのだから。
「わかんない……」
そう答えたが、私は薄々気付いていた。
いや、それは萩野もかもしれない。
ただ、口には出したくなかった。
額から嫌な汗が流れる。
やがて、誰もいない音楽室にたどり着いた。
彼に促され、中に入る。
暖房がついていないため、全身が寒さで震えるが、それをなんとか耐えた。
西尾は扉を閉めると、不敵に微笑んだ。
「お前ら、最近仲良いよな」
「そうだけど、それが何か?私、寒いから早く教室行きたいんだけど」
私は彼を睨み付ける。
すると、西尾は唇の端を吊り上げた。
「じゃあ、単刀直入に言うわ。江川と萩野って、小倉と仲良くしてるだろ」
顔は笑っているけど、目は完全に笑ってなかった。
私は拳を握り締める。
「やっぱり、私の予感は的中してたってわけか……」
そう言うと、私は唇を噛んだ。
人の目は気にしていたが、やはりバレてしまったようだ。
私は何も言えずにいると、さっきまで黙っていた萩野がぽつりと言った。
「だ、だったら何?別に私達が小倉君と仲良くしようが、私達の勝手でしょ?」
相当勇気を振り絞ったのか、最後の方は声が震えていたが、私は彼女の言葉に賛同する。
「そうだよ。それが悪いことだとでも言いたいわけ?」
「うるさいんだよ!!」
西尾の怒号が音楽室に響き渡る。
萩野の肩がびくりと震えたのがわかった。
彼は落ち着きを取り戻したいのか、間を置いて話し出した。
「……お前らの弱味は、バラさないでやるよ」
その言い方に腹が立つが、なんとかそれを堪える。
「その代わり、小倉とはもう二度と関わるな」
なんとなく予感はしていたが、私は込み上がる怒りを抑えられなかった。
私は彼との距離を縮めながら、怒鳴る。
「なんなんだよ、お前!!人の弱味握って、こき使って……挙げ句の果てには、小倉と関わるな!?いい加減にしろよ!!」
次の瞬間、私の頬に激しい痛みがした。
音楽室に乾いた音が響く。
私は呆然としながら彼の顔を見ると、西尾は私を冷たい目で睨んでいた。
「は……?」
痛みがする左頬を触る。
そこで、やっと私は実感した。
西尾に殴られたのだと。
「……西尾。暴力なんか振って、罪悪感とかないの?心が痛まないの?」
「全くねぇよ」
「とにかく、小倉とは関わるな。もし破ったら、クラスLINEに証拠を載せる」
その言葉に、私は全身が震え上がった。
クラスLINEに……。
クラスメイトからの信用は勿論、私はいくつもの大切なものを失うことになるだろう。
私の秘密は、それくらい大きい。
一人じゃ抱えきれないくらい。
「卑怯だよ……」
悔しそうな顔をする萩野。
そんな彼女とは反対に、にんまりと笑う西尾。
私は覚悟が足りなかった。
自分を犠牲にしてでも、小倉と一緒にいるという決意は、決して固くなかった。
私はどちらを取るべきか、苦悩する。
自分を犠牲にして好きな人と一緒にいるか、彼を見捨てて大切なものを守るか。
すると、彼女は右手で目を擦りながら、ぽつりと言った。
「ごめん……」
そう言った時の萩野の顔は、泣いていた。
何が【ごめん】なのか、私は瞬時に理解した。
彼女は、彼を見捨てることを選んだのだ。
それにつられるように、私の中にも、1つの決断が生まれた。
「やっぱり、結局は自分が一番なんだよね……」
そう言った時、私は半泣き状態だった。
西尾の前では涙を見せたくなかったが、感情はそう簡単に抑えられない。
「ごめん……小倉……」
私は小さな声で、そう言った。
結局、自分が一番可愛いのだ。
最後まで、他人のために身を犠牲にすることなんて、出来やしない。
「決まりだな」
罪悪感で押し潰されそうな私達とは、全く正反対の西尾。
そんな彼に対して、真っ黒な感情が湧いてきた。
それはもう、殺意に近いレベルだった。
今、もしここにナイフなどがあったら、怒りに任せて殺してもおかしくないかもしれない。
それくらい、小倉を裏切ることは辛かった。
自分から味方だとか言っておいて、後に裏切るのは最低最悪のパターンだ。
私が彼の立場だったら、死ぬより苦しい思いを味わうだろう。
それでも、私は彼より、お母さんとの約束を選んだ。
その理由は、あまりよくわからない。
それよりも、今はただ、この罪悪感から逃れたくて堪らなかった。
口の中が血の味がする。
それは、彼奴に殴られたからだと理解するのに、何分かかっただろう。
ここ……体育館の裏にいるのは、放課後彼奴に呼び出されたから。
その後は……ああ、散々殴られたり蹴られたりしたんだっけ。
それで、財布の中身まで取られたような……。
腕時計を見ると、時刻は18時30分。
冬のため、既に空は真っ暗だ。
西尾が去った後、ずっと地面に座っていたんだっけ。
俺は膝に顔を埋めると、今までの出来事が脳裏に流れた。
結局、江川と萩野は俺を裏切った。
連絡を取っても、無視された。
誰もいないところで、萩野に話しかけたが、何も答えてくれなかった。
「何なんだよ……」
江川の告白を断ったのがいけなかったのだろうか?
いや、それが原因なら、萩野まで俺を裏切ることはしないはずだ。
もしかしたら、最初から俺を裏切るつもりだったかもしれない。
何にしろ、もう俺には味方はいないのだ。
転校してきて、たくさんのクラスメイトと仲良くなれたが、全員が西尾を恐れて、見て見ぬふり。
最初は精神的に俺をいじめていたが、最近では暴力まで振られていた。
相手が昔の友人だったせいか、何度も抵抗したが、その気力はもうない。
西尾は変わってしまったのだ。
もう、昔の面影はないに等しい。
「……死にたい」
これは、本心だった。
この先、きっと夢も希望もない。
でも、それは各駅停車のように、ゆっくりと時が進んでいく。
それなら、自ら時を止めてしまった方が楽なのかもしれない。
ただ、まだ死ぬにはもったいない気がした。
俺にはまだ、やるべきことがある___
俺は江川が言っていたことを萩野に伝えると、萩野は悲しそうな顔をした。
「そうなんだ……」
「ああ……」
すると彼女は、
「少し休まない?疲れちゃったでしょ?」
と、言った。
気付けば、俺は汗びっしょりだった。
壁にかかった時計を見ると、一時間が経過していることがわかった。
もう五時間くらい経ったような気がした。
だが、あの長い一夜の話は、まだ半分しか話していない。
そう思うと、一気に疲労感が襲ってきた。
もう何10時間も寝てない。
萩野に全てを話したら、少し仮眠を取りたい。
「そうだな……」
萩野は頷くと、俺をじっと見つめながら言った。
「いつになったら、ここから出られるのかな」
「さあな。警察署の外は、マスコミで溢れてるらしいしな」
「ここから出たら、どうする?」
「そうだな……とりあえず、皆の葬式に参加しようかな」
「しばらくしたら、お墓参りにも行こうね」
「ああ」
彼女の顔が暗くなっていくことがわかった。
皆のことを話題に出したのがいけなかったのかもしれない。
「また、二人でどこかに出掛けたいな……」
俺はあえて関係ない話題を出した。
すると、彼女は目を見開いたと思ったら、こくりと頷いた。
しかし、浮かない顔は変わらなかった。
「そうだね。どこに行きたい?」
「前は水族館だったし、今度は遊園地なんかはどうだ?」
「……いいね。面白そう」
言葉とは裏腹に、表情や声色は楽しそうではなかった。
やはり、あの夜の話をしたから、深く悲しんだのだろう。
今の萩野に、どんなに楽しい話をしても、彼女が笑うことはないかもしれない。
俺はため息をつくと、話を切り替えた。
「続き、話していいか?」
彼女は真剣な顔をしながら、こくりと頷いた。
「うん。その後、江川さんも死んじゃったんでしょ?」
萩野の質問に、俺は首を横に振った。
「いや、それが……」
江川はそこまで話すと、大槻は興味深そうに言った。
「へえ、江川って小倉のこと好きだったんだ……」
「振られたけどね」
自嘲するような彼女の声。
「でも、江川の話で結構色んなことがわかったな」
大槻のその言葉に、こくりと頷いた。
江川と萩野が小倉と一緒にいたのは、初耳だった。
二人の性格上、大体想像は出来るが。
そして、それ以外にも新たにわかったことがあった。
「さっきからずっと黙ってるけど、何か疚しいことでもあんの?西尾」
大槻に名前を呼ばれた西尾は、
「……は?」
と、不機嫌そうに返す。
その声から、彼が焦っているのは明らかだった。
「何が言いたいんだよ、大槻」
「別に?ただ、いつもは自分中心じゃないと嫌なお前が、黙ってばかりなんて、珍しいなぁって思って」
確かに、今日の西尾は口数が少なかった気がする。
いつも自分がたくさん喋らないと気が済まない西尾が口数が少ないなんて、何か疚しいことがあってもおかしくないだろう。
「そんなの、俺の勝手だろ」
「ふーん……本当は何かあるくせに」
その言葉に、西尾は弾かれたように立ち上がった。
「うるせぇよ!さっきから何なんだよ!!」
「本当のこと言っただけだし」
悪びれもせず、大槻は続ける。
「そういえば、江川はどう?まだ生きてる?」
彼の発言に、俺はハッとなった。
二人の会話を聞いていたせいで、忘れていたのだ。
江川が死ぬかもしれないことを。
しかし、予想に反し、
「生きてるけど?つか、言い方酷くない?」
と、いつもの調子で彼女は言葉を返した。
予想外のことに、俺は目を見開いた。
「大丈夫なの!?痛いところとかない?」
心配そうに訊く萩野。
「ううん……全然平気」
自分の身体に、多少驚いたような声を上げる江川。
いや、まだ油断は出来ない。
もう少ししたら、彼女に異変が訪れるかもしれない。
しかし、5分くらい待っても、彼女に異変などは何もなかった。
もしかしたら、彼女は死なずに、助かったのかもしれない。
だが、それなら一体何故?
「私、死なないの……?」
江川の声から、嬉しさより、複雑な気持ちが大きい感じがした。
「なんか、変なの。死にたくはないけど、3人に悪いような……」
3人に対する罪悪感から、申し訳なさそうな声を上げる彼女。
「犯人は一体、何考えてるんだよ」
俺はぽつりと、そう呟いた。
「江川さんが無事で良かったけど、確かに何でだろうね」
萩野が言う。
「とりあえず、次話す人決めようよ」
江川が話を切り替えた。
すると、大槻があくびをしながら言った。
「そうだな……西尾、話せば?」
「……は?」
「何で俺が……」
「逆に、何でそんなこと訊くの?いずれは話すんだから、別にいいだろ」
その声は、どこか楽しそうだった。
そんな彼に反論する西尾は、いつもと雰囲気が少し違っているような気がした。
声だけでわかってしまうくらい。
「二人とも、なんか変だよ。どうしたの?」
二人の間に割るように、萩野が言う。
「後で、それは話すよ」
大槻の言葉に、西尾は、
「ど、どういうことだよ!!約束と違うだろ!!」
と、声を荒げる。
約束……?
二人は、萩野や江川の時のように、秘密でも共有しているのだろうか。
何にしろ、二人の間に何かがあるのは間違いない。
「はぁ?約束なんかしてないし。勝手にお前がそう思い込んでただけじゃん」
その口調から、西尾への軽蔑や嫌悪が感じられた。
どんどん険悪な雰囲気になっていくこの空気に、萩野と江川は戸惑っているようだったが、俺は違った。
言葉には表せないくらいの高揚感が、俺を包んでいたのだ。
それはまるで、泥沼のドラマや演劇を見ているような気分だった。
もっともっと、激しく言い争って欲しい。
もっともっと、醜い展開に導いて欲しい。
何故そんな欲望が生まれたかはわからない。
だが、二人の争いは俺の中に、心地よい風を吹かせてくれることは確実にわかった。
「もう、さっきから何なの!?【約束】とか、意味わかんないし……」
苛立った雰囲気の江川。
しかし、そんな彼女に、
「うるせぇ!!お前には関係ねぇよ!!」
と、西尾は怒鳴る。
「自分が【約束】とか口に出したんだから、説明しなよ」
その大槻の声は、さっきと同じように上ずっているが、僅かな苛立ちも感じられた。
「それとこれとは、小倉には関係ないだろ!!」
「いや、関係あるね。ていうか、ちゃんと説明した方が良いと思うよ?そうしないと、西尾が犯人だって疑われるかもしれないじゃん」
大槻が言ったことは、最もだった。
たとえそれが小さなことでも、話すのを拒否されたら、その人を犯人だと思っても仕方ないかもしれない。
現に、ここには5人しかいないのだ。
正直疑いたくはないが、この中に犯人はいるだろう。
犯人に当てはまりそうな人物について、そろそろ考えた方が良いのかもしれない。
一刻も早く犯人を見つけなければ、また犠牲者が出る可能性がある。
それが、自分だということも有り得るのだ。
「嘘だろ……」
絶望したような西尾の声。
そんな彼を煽るように、大槻が言う。
「まあ、自分から墓穴を掘ったんだから、仕方ないか。西尾、早く話さないと、松下の時みたいに怪我するかもしれないよ」
大槻の言葉で、俺は足にナイフが刺さっていた彼女のことを思い出した。
話さなければ、犯人に怪我をさせられ、俺達から犯人だと疑われる。
しかし、話したら、彼にとっては何かしら都合が良くないのだろう。
西尾からすれば、これは究極の選択だった。
「大槻……もし、俺が江川みたいに生きてたら、死ぬほど怖い目に遭わせてやる」
低い声を出す西尾から、僅かな狂気を感じた。
その言葉は、決して嘘ではないだろう。
「まあ、生きてたらの話だけどね」
余裕そうに返す大槻。
これからきっと、二人の間にあったことがわかるはずだ。
いや、それ以外にも何かわかるかもしれない。
それは犯人の正体に近付けるものかと期待しながら、俺は西尾の話に耳を研ぎ澄ました。
学校は、弱肉強食の世界だ。
そこには【食う側】と【食われる側】が必ず存在する。
少しでも隙をつけば狙われ、自分の居場所は奪われてしまうだろう。
だが、そんな世界でも、カーストの頂点に位置すれば、楽しい学校生活を送ることが可能だ。
何者にも怯えることはなく、周りを自分の手で動かすことが出来る。
それなら俺は、何がなんでも【食う側】になりたい。
たとえ、どんな手を使ってでも___
クラス分けの張り紙を、食い入るように見る。
自分のクラスや番号はとっくに見つかっていたが、俺はこの学年全員の名前を目で追っていた。
全員の名前を見ると、俺は安堵のため息をつく。
中学時代の同じ学年だった奴がいないことに、安心したのだ。
今日から、俺は高校生になった。
それは、俺が生まれ変わるスタート地点だ。
そう思うと、大きな期待と僅かな不安が生まれた。
「よし、行くか」
自分でも聞こえてるかどうかわからないくらいの声で、俺はそう呟いた。
昇降口に向かって足を進めていると、後ろから騒がしい声が聞こえてきた。
振り返ると、そこには数人の男子生徒が楽しそうに騒いでいた。
全員容姿もよく、性格も明るそうだ。
制服をそこそこ着崩しているので、多分先輩だろう。
彼等に罪はないが、あの先輩達を見ると、俺の大嫌いな奴等が頭に浮かんだ。
中学時代、俺を徹底的にいじめた奴等の顔は、一生忘れないだろう。
全ては、いじめられていた女子を助けたことが始まりだった。
中1の頃、グループから仲間外れにされたことがきっかけで、クラス全員からいじめの標的とされた女子がいた。
その女子と話すことはなかったが、いじめを見るに耐えなかった俺は、彼女を庇った。
それは、当時大人しい性格だった俺なりの勇気を出した行動だった。
彼女に理由があったとしても、それをいじめで解決しようとする皆のやり方が、どうしても許せなかったのだ。
しかし、今度は俺がいじめの標的になった。
その女子は仲の良かった奴等の方に寝返り、俺を庇うことは一切しなかった。
当然、俺に味方する奴はいなく、全員がいじめのリーダーに加勢していた。
しかし、それは自分の意思からではなく、リーダーを恐れていたからやったことだと思っている。
他人に同調しなければ、異端者と見なされ、仲間外れにされる。
それは、目には見えない掟だ。
そして、その掟を壊すことは不可能に近い。
その掟を俺は破ってしまった。
物を壊されたり隠されたり、聞こえるように悪口を言ってきたり、さらには根も葉もない噂まで流された俺に、中学時代で良い思い出なんて、1つもなかった。
だから俺は高校受験を機に、生まれ変わることを決意した。
クラスメイトが受けない地元から離れた高校に見事合格した俺は、高校生活に期待した。
高校生になったら、友達をたくさん作って、楽しい毎日を送りたい。
それは、自分次第で変えられるのだ。
いじめられてから、目立たないようにと伸ばしていた前髪を切り、眼鏡からコンタクトに変えた。
自分で言うのも何だが、見た目を変えると、自分の容姿がそこそこ良いことにも気付けた。
人は見た目で判断する。
これなら、友達はきっと出来るだろう。
そんな自信に溢れた俺は、今日を迎えた。
目の前に、教室の扉はある。
俺は入る前に、数回深呼吸をした。
自信や期待に満ちてはいたが、やはり不安もあった。
だが、その不安も楽しさに変えてやる。
そんな信念が、俺を突き動かしていた。
俺は扉に手をかけると、ゆっくりと開けた。
俺は黒板に張り出された席順の紙から、自分の席の場所を見つけると、そこに移動した。
教室をぐるりと見渡す。
もうグループが出来上がっているところもあったが、誰かに話しかけようかと、迷っているような様子の奴も、何人かいる。
容姿が良く、性格もそこそこ明るそうなタイプが理想だ。
そうすれば、カーストの上位に位置することが可能かもしれない。
中学時代、俺は散々な目に遭った代わりに、たくさんのことを学べた。
教室には、スクールカーストというものが存在する。
それは、学校内での身分制度だ。
【容姿端麗】【運動神経抜群】【勉強が得意】【運動部に所属】【空気が読める】【異性関係が充実している】など、何かしら他人より優れたものを持っている。
そして、それらの要素よりも最も重要なのは、【コミュ力】だ。
どんなにスペックが高くても、コミュ力が低ければ意味がない。
逆に、【オタク】【大人しい】【運動が出来ない】【マイナーな部活に所属している】などの要素を持っている人は、カーストの下に位置する。
そういう人ほど、いじめの標的にされやすい。
中学時代の俺のコミュ力は、正直低い方だったが、今日から変えると決めたのだ。
絶対あの屈辱的な日々を繰り返さない。
そう心の中で誓った時、ふいに一人の男子生徒が目に留まった。
俺より後に教室に来たのか、彼は黒板の張り紙を見ると、俺より1つ前の席に移動し、そこに座った。
その瞬間、俺は決めた。
彼と友達になろうと。
性格はどうかはわからないが、見た目は良い方だ。
スクールカーストは、友人のスペックにも影響する。
ならば、少しでもスペックの高そうな人を友達にしたいと思うのは当然だ。
俺は、思いきって彼に声をかけてみる。
「なあ」
後ろから声をかけると、彼はくるりと振り返った。
「何?」
「後ろ、よろしくな」
俺は笑みを浮かべながら、無難な挨拶をする。
すると彼は、
「よろしく」
と、挨拶すると、あくびをした。
「名前、何て言うんだ?」
「そういうもんは、自分から名乗るんじゃないの?」
俺は一瞬しまった、と思ったが、彼はふざけて言ったつもりなのか、特には気にしてなさそうだ。
「俺は西尾。お前は?」
「大槻。てか、連絡先交換しない?」
その言葉に、俺の気分は一気に高まった。
連絡先はいずれ交換したいとは思っていたが、まさか相手の方から言ってくれるとは思ってもみなかった。
俺はポケットからスマホを取り出すと、彼に1つ質問した。
「なあ……大槻って、このクラスに友達とか知り合いっているか?」
これは、重要なことだった。
どんなにスペックが高くても、他の人数が多いグループがクラスを仕切ってしまったら、意味がない。
もしそうなれば、自分の地位を守るために、そいつらに従わなければならない。
それだけは、絶対嫌だ。
なんとかそれを防ぐには、人数を増やすしかない。
大槻は、教室中をぐるりと見渡すと、
「一応いるよ。女子だけど」
と、ぽつりと言った。
「誰だ?」
俺は興味津々だった。
その女子のスペックや性格によっては、是非仲良くしておきたい。
大槻は「あいつ」と言いながら、一人の女子を指差した。
すると、俺は目を見開いた。
胸元辺りまで伸ばしたサラサラの髪、ぱっちり二重の目、スタイルの良い彼女の見た目は、仲良くなるには、申し分ないレベルだった。
ふと、1つの疑問が浮かんだ。
「大槻って、あの子とどういう関係なんだ?まさか、彼女とか?」
「ただの幼馴染み」
呆れたように返す大槻。
その回答は、予想外だった。
大槻と幼馴染みなら、なおさら近付きやすいだろう。
「そうか……名前は?」
「松下里奈。まさか惚れた?」
そう聞き返す大槻に、僅かな焦りが見えた。
その理由は、すぐにわかった。
俺はにやにやと笑みを浮かべながら、彼の肩をポンポンと叩く。
「応援するよ」
そうからかう俺を、大槻は思いきり睨んだ。
気だるそうな雰囲気の彼だが、ノリは悪くないし、美人な幼馴染みまでいる。
俺は彼と一緒にいると、心の中で決めた。
「……で?何で俺らが、ストーカーみたいなことしなきゃいけないんだよ」
路地裏の壁にもたれ掛かりながら、呆れたような声を出す大槻。
俺は口元に人差し指を立てた。
「静かにしてくれよ。もしバレたら、俺ストーカーだって勘違いされるだろ」
「いや、もう既に立派なストーカーになってるから」
大槻のツッコミを無視し、俺は商店街を歩く松下と名取に視線を向ける。
入学式の日から、俺は松下についての情報を集めた。
ほとんどの情報が、付き合いの一番長い大槻からもらったものだが。
大槻曰く、彼女は気が強く、プライドが高い性格らしい。
そして、これは俺が彼女の様子を見ていたことからわかったことだが、松下はクラスメイトの名取とよく一緒にいた。
それなら、彼女とも仲を深めた方が良いだろう。
名取も容姿は良いし、男子顔負けの運動神経の持ち主だ。
名取はわからないが、松下は一緒にカーストの上位を目指すには、十分すぎる性格だった。
【一緒に】と意識はしたが、勿論それを口には出さない。
そうなるための雰囲気を作るのだ。
そのため、まずはあの二人と仲良くなる必要がある。
だから、俺と大槻は放課後、あの二人を尾行し、タイミングを見計らって声をかけることにした。
勿論、偶然を装って。
「本当、マジで何なの?何で尾行なんかしなきゃいけないの?」
当然だが、大槻は俺の目的を知らない。
無理矢理連れてきただけだ。
俺は眉を八の字にしながら、大槻にぽつりと呟く。
「大丈夫だ。お前のだーい好きな松下を取ったりなんかしないから」
「うぜぇ……」
俺はさらに尾行を続けると、二人はファストフード店に入って行った。
しばらくは、そこにいるのかもしれない。
今ならいける。
根拠もないそんな自信が、俺を突き動かしていた。
俺は暇そうにスマホをいじる大槻の肩を叩く。
「今だ。行くぞ」
「あれ、松下と名取じゃん」
わざとらしく、俺は偶然を装って、席に座っている二人に声をかけた。
俺達に背を向けて座っていた松下は、驚いたような表情をする。
しかし、やがて彼女は、
「偶然ね。隣、座る?」
と、自分達が座っている四人がけの椅子を指差した。
これは、絶好のチャンスだ。
俺は拳を握り締めながら、そう確信した。
「隣、良かったのか?」
俺は、買ってきたものをテーブルに置きながら、名取が座っているソファ席に座る。
それと同時に、松下の隣の席に着く大槻。
俺は彼に笑顔を送るが、予想通り睨み顔しか返ってこなかった。
「どうぞどうぞ」
松下が言う。
俺はコーラにストローを挿すと、彼女達と仲良くなるための方法を考える。
話題は身近なものが良いだろう。
俺は向かいに座っている大槻に視線を向けると、俺は口を開いた。
「松下って大槻と幼馴染みなんだよな」
「そうだけど」
意外にも、冷めたように答える松下。
俺はからかうように言った。
「お前らって付き合ったりしないのか?」
俺の質問に、松下は僅かな動揺を見せたが、すぐにすました顔に戻る。
「この恋愛脳が」
大槻に真顔で返された俺は、
「失礼だなー。でも、付き合ってることは否定してないし、もしかして……」
と、懲りずに続ける。
「断じて違うわよ」
しかし、松下に冷たい視線を向けられてしまい、この話題はやめることにした。
俺は苦笑しながら、
「なんかお前ら二人って冷めてるよな」
と、素直な感想を述べた。
「どういうことよ」
「なんとなく」
そう言うと、俺はコーラを口に含んだ。
大槻と松下は、どことなく似ている気がした。
マイペースでゆるゆるとした雰囲気の大槻と、勝ち気でプライドが高い性格の松下。
一見性格が正反対な二人だと思うが、少し似ているのだ。
俺は徐に鞄からスマホを取り出すと、松下と名取に向かって言った。
「松下、名取、連絡先交換しないか?」
「うわ、早速ナンパしやがった」
「違うわ!」
「でも、誤解されても仕方ないかもね。なんか西尾ってチャラそうだし」
「ひでぇよ、名取」
大槻と名取から散々言われたが、松下はしばらく黙り込むと、
「いいよ。交換しよ」
と言いながらスマホを出した。
連絡さえ交換すれば仲良くなれるというわけではないが、それでも大分二人に近付けた。
そう思うと、一気に口元が緩んだ。
必死に歯を食い縛り、我慢する。
「これからよろしくな」
二人に向かって言った言葉は、期待感で溢れていた。
それからは、あっという間だった。
このクラスには、【この人は絶対一軍になりそう】という人物は松下以外ほぼいなかった。
運動が出来たりコミュ力が高い奴もいるが、俺から見れば、そいつらはせいぜい二軍。
ならば、あとは自分次第だ。
俺や松下達がクラスを制するという雰囲気さえ作れば、一軍という憧れの地位に定着する。
授業では積極的に発言し、クラスメイトの笑いがとれるようにコミュ力も磨き上げた。
それが功を奏し、俺はクラスのリーダー的存在になれたのだ。
大槻や名取はそのことを気にしないどころか、気付いてすらいない様子だ。
しかし、松下は違った。
前よりも態度がでかくなったのだ。
やはり、俺の予想は正しかった。
彼女は決して、純粋な友情など求めていない。
俺と同じく、自分の地位が一番大事な人間の一人だ。
都合が悪くなれば、どんなに良い奴でも、真っ先に切り捨てるだろう。
そんな彼女に対する嫌悪感など、全くなかった。
むしろ親近感すら湧いた。
それは、俺がいじめをしてきた彼奴等にどんどん似てきたからかもしれない。
しかし、それは仕方ないことだ。
悪意のない教室なんて存在しない。
誰だって、悪意を持っているのだ。
どうせ俺がこんなことをしなくたって、誰かしらが一軍という地位に着き、クラスを動かしていく。
ならば、自分がその地位に着きたいと思うのが妥当な考えだろう。
俺の唇の端が、微かに吊り上がった。
この先が楽しみで仕方ない。
卒業まで、絶対俺はこの地位にいられる。
そう確信していた。
これは偶然だろうか。
いや、必然的な運命だったのかもしれない。
教卓の側には、制服を適度に着崩し、緊張した面持ちの男子がいる。
皆は好奇心を含んだ眼差しで彼を見ているが、俺は違った。
彼の顔に見覚えがあったのだ。
いやいやまさか、と心の中で首を振るが、それはどうやら当たりだったようだ。
転校生の彼が名前を名乗った瞬間、俺の中に電流が走ったような衝撃がした。
小倉……。
彼奴は小学校の頃の同級生で、とても仲が良かった。
中学に上がると同時に、彼が隣の県に引っ越してしまい、それ以来小倉の姿は見てないが、それでも一瞬にしてわかった。
普通だったら、感動の再会で喜ばしいことかもしれないが、俺にそんな感情など、微塵にもなかった。
小倉は俺がいじめられていたことこそ知らないが、昔の自分の性格は熟知しているはずだ。
もしも彼が自分が昔大人しい性格だったということをクラスメイトに話したら、俺の地位は揺らぎかねない。
だからといって、小倉に口止めを要求するのも、彼からすれば不自然だし、そんなことは俺のプライドが許さなかった。
ならば、小倉が俺のことを忘れていることを願うしかない。
俺の名前を見ても、何も思い出さないくらい、俺に関する全ての記憶がなくなってればいい。
先生に促され、自分の席に着こうとする小倉を見ながら、俺は必死に祈った。
しかし、それは彼の一言で脆くも儚く砕け散った。
「もしかして、お前……西尾か?」
小倉が発した言葉により、俺の全身が固まった。
額から冷や汗が流れる。
気付けば俺は、クラスメイトから物凄く注目を浴びていた。
その視線は決して冷ややかなものではなかったが、膝の震えが止まらなかった。
……とりあえず、固まっていたらダメだ。
俺は必死に声を絞り出した。
「え……?ていうことは、やっぱりお前……」
その声はどこか震えていたが、そんなことは気にも留めずに、小倉は笑顔を浮かべた。
嬉しそうな彼の表情が、俺を苛立たせる。
「え!?本当か!?久しぶりだな!!」
どうしてお前がここにいるんだよ。
怒気を放ちながら、そう言いたかった。
だが、そんなことは自殺行為同然だ。
俺は彼と同様、笑顔を作った。
今にも雑談を始めそうな俺達の空気を察したのか、名取が、
「はいはい。感動の再会もいいけど、これからHR始まるから後にしてね」
と、苦笑しながら言った。
感動の再会なんかじゃねえし。
そう言いたいのを必死に堪える。
小倉が席に着くと、俺はハンカチで額から流れる汗を拭いた。
なんとか今は上手く対応出来たが、今後どうなるかわからない。
場合によっては、自分の立場が悪くなるかもしれない。
そう思うと、小倉の存在が憎くなった。
どうしてよりによって、この学校に転校したんだ。
お前さえいなければ、今後も安泰だったのに。
真っ黒い感情が俺の中を支配すると同時に、俺は拳を握り締めた。
HRが終わり、俺は逃げるようにトイレに向かうと、後ろから声をかけられた。
すぐに正体はわかった。
「小倉……」
俺は呟くように言う。
すると、小倉はにこりと笑みを浮かべた。
「西尾、なんか変わったよな」
その言葉に、一気に焦りが募る。
幸いここは俺達以外誰もいない廊下だったため、誰かに聞かれることはなかった。
しかし、俺は平静を保つことは出来なかった。
「ど、どこが……?」
その声は、やや裏返っていた。
「見た目。前は眼鏡かけてたからかな。髪型も少し変わったし、凄くカッコいいと思う」
「そうか……?」
「ああ!」
外見を褒められても、あまり嬉しくなかった。
それだけ過去の自分が地味だったということを、突きつけられたからだ。
「西尾の友達ってどんな感じか?仲良くなりたいな、と思って」
その言葉に、今まで張りつけていたぎこちない笑顔が崩れた。
小倉をグループに入れる気なんて、さらさらなかった。
別のグループの奴と仲良くなると思っていたからだ。
俺にとっての危険人物との距離をこれ以上近付けさせるのだけは、勘弁したい。
「……小倉とはあまり気が合わないと思うけど」
「そんなの話してみなきゃわかんないだろ!」
引き下がろうとする気は全くならそうな小倉。
これ以上言っても無駄かもしれない。
それに、他のグループに入ったところでバレる可能性はあまり変わらないだろう。
俺は再びわざとらしい笑顔を作りながら、口を開いた。
「じゃあ、今日の昼、俺達と一緒に食べような」
小倉はこくりと頷く。
俺は彼に背を向けると、目的もなく走った。
少しでもいいから、彼から離れたかったのだ。
職員室前まで来ると、荒い呼吸を整える。
俺は唇を噛み締めると、低い声でぽつりと呟いた。
「彼奴さえいなければいいのに……」
小倉がこのクラスに来てから1週間が経った。
彼はすぐにクラスに馴染んだ。
孤立とまではいかなくても、せめて俺らのグループに定着するのだけは勘弁して欲しかったが、俺の願いは叶わなかった。
今のところ彼はクラスメイトに過去のことを話してはないが、まだ油断は出来ない。
神経をすり減らす日々にいい加減うんざりしていたが、仕方がないことだ。
放課後になり、俺は帰り支度をする小倉をちらりと見ると、過去の出来事がふと浮かんだ。
小倉は昔から、正義感の強い性格だった。
大人しい性格だった俺を時々からかってくるクラスメイトから、いつも庇ってくれた。
それは決して偽善的な考えからの行動ではなかった。
どうして気弱な自分と一緒にいてくれるのか訊いたこともある。
すると、小倉は【気が合うし、優しいところが好きだから】と言われた。
あの時は【優しいのはどっちだよ】と思った。
今はそんな尊敬的な気持ちは、どこにもないが。
記憶を少し最近にしてみる。
卒業式の日、小倉は泣いていた。
春休み中に彼は、引っ越すからだ。
意外にも俺は涙を流すことはなかったが、それでも別れることに対する寂しさは大きかった。
【絶対また会おうな!】
兎のように目を真っ赤にしながら、小倉はそう言った。
まさかこんな形で再会するとは、彼も思ってもみなかっただろう。
ふと視界に、3枚の数学のプリントが入った。
確か、これは今日中に教科担当に出さないといけないはず。
しかし、職員室までの道のりは長い。
俺はめんどくさそうにため息をついた。
すると、ある考えが浮かんだ。
視線を一人のクラスメイトに向ける。
「笠原。これ先生に渡しといてくれ」
名前を呼ばれた彼女は、俺の方に近付き、プリントを受け取る。
少し前、俺と松下は笠原、萩野、江川をグループに入れた。
本人達は嫌がった様子だが、そうせざる得なかった。
彼女達は俺達に弱味を握られているのだから。
弱味につけこみ、彼女達をパシりにすることは、実に愉快だった。
ふいに、一人の男子生徒が目に留まる。
他のグループの奴等と楽しそうに話している彼……光貴は、萩野の彼氏だ。
俺達のグループに時々加わることもある。
彼は、萩野が俺達に嫌がらせをされてることを知らない。
もし、光貴にそのことがバレれば、俺と松下は彼を敵に回すことになるだろう。
だが、そうなってもデメリットなどは特にない。
そのため、そのことに関して危機感など全く持っていなかった。
視線を再び笠原に向けると、彼女は無表情のまま口を開いた。
「え?何か用事あるの?」
その言葉に、俺は眉間に皺を寄せた。
いつもなら、笠原はこんなこと言わないのに、何故そう返したのだろう。
「特にねぇけど」
あからさまに不機嫌そうに答える俺。
そんな俺を黙り込みながら見つめる笠原。
反抗的な彼女の様子に、俺の苛立ちが増した。
「何だよ、その態度」
「別に」
素っ気なくそう言うと、彼女は俺に背を向けて教室から出て行こうとした。
それでも、俺の中に溢れる彼女への猜疑心は止まらない。
笠原は何故、あんなことを言った?
逆らえば、社会的に殺されてしまうのに。
笠原の後ろ姿を見ながら、唇をきつく噛み締めたその時だった。
「プリントくらい自分で出せに行けよ」
背後から聞こえた声の方を向くと、そこには小倉がいた。
今にも俺を睨んできそうな彼の顔。
突然のことに、俺の声はやや裏返っていた。
「は?別にいいだろ」
「いいわけない。お前と松下ってこの前から、笠原をこき使ってるだろ。友達……ましてや、女子にそんなことするなんて酷くないか?」
名前を呼ばれた松下が、こちらをちらりと見る。
俺が笠原や小倉の立場だったら、間違いなくその視線を逸らしていただろう。
「いいや。俺のお陰で笠原だって、救われてるんだぞ」
小倉は笠原達の件について何も知らない。
だから、こんなことを言っても意味はないかもしれないが、言わずにはいられなかった。
「も、もう私のことはいいから」
彼女がおずおずとそう言うが、
「だからって、こきを使うのは可笑しいだろ。笠原の気持ちも考えろよ」
と、納得出来ないという表情をする。
いつまで経っても反論する小倉の性格を、俺は昔から知っているが、それでも怒らずにはいられなかった。
「うるせぇな!事情も知らない奴に、偉そうに言われたくねぇよ!」
彼に対する怒りを、ここまで吐き出したのは、初めてかもしれない。
俺の怒声と机を叩く音に、クラスメイトがこちらを一斉に見るが、そんなことは気にしなかった。
しかし、笠原はそれに耐えきれなかったのか、勢いよく教室から出て行った。
「笠原!」
そんな彼女の後を追う小倉。
俺は彼の後ろ姿を、思いきり睨んだ。
昔は頼もしかった正義感が、今では鬱陶しくて仕方ない。
もういっそ、彼を仲間外れにした方が楽なのかもしれない。
「……いいかも」
冗談半分の考えだったが、それが一番良い気がした。
小倉をハブれば、俺達と関わることはなくなる。
それに、クラスメイトも空気を察して、彼を無視するだろう。
改めて、この地位に感謝した。
もし一軍に着くことが出来なかったら、こんな考えは夢のまた夢だったかもしれない。
今はまだ早いが、数週間後には実行したい。
俺は友人と何かを話してる松下に、視線を移す。
笠原の味方をした小倉に対して、彼女も彼のことをよく思ってないだろう。
そうなれば、完璧だ。
俺の口元が綻ぶ。
しかしこの時、俺は気付いてなかった。
背後から俺を睨んでる人物にも、隙があったことにも、カーストが崩れることにも___
それは、小倉への嫌がらせが始まってから、数週間後の出来事だった。
放課後になり、俺は下駄箱で自分の靴を取ろうとしたその時、靴の中にあるものが入っていたことに気付いた。
それは、四つ折りにされたルーズリーフだった。
「何だこれ……」
そう呟きながら、紙を広げる。
そこには、黒いボールペンで【放課後、体育館裏に来て】としか書いてなかった。
書いた人物がわからない手紙に、俺は困惑した。
告白ならもっと可愛いレターセットやペンを使うだろうし、内容が簡潔すぎる。
ならば、何か大事な話があるのだろうか。
普段、誰も来ない体育館裏に呼び出すほど、それは内密な内容なのだろうか。
次々に浮かんでくる疑問を抱きつつ、俺は体育館裏へ足を進めた。
途中、くしゃみを数回すると、身震いがした。
季節はすっかり冬となっていた。
少し前までグラウンドには紅葉が咲いていたが、今はその面影はない。
今年は本当に早かった気がする。
光貴をグループに入れて、笠原達の弱味を握って、小倉と再会して……。
今年のことだけでなく、去年のことまでが、まるで走馬灯のように脳裏に流れる。
改めていじめられていた中学時代とは、全然違うと思った。
友達だっているし、クラスの中心になれたし、何かに怯えることもない。
それは、本当に楽しいことだった。
しかし俺はどこか、学校生活に物足りなさを感じていた。
不満はないが、満足はしていない。
そんな気持ちが、俺の中にあった。
それが何なのかはわからない。
ただ、最近やけに中学時代の思い出が脳内で、フラッシュバックしていることは確かだった。
やがて、体育館裏に着くと、1つの人影が見えた。
さらに歩くと、俺の足がぴたりと止まった。
予想外の人物に、顔をしかめる。
すると、俺が来たことに気付いたのか、そいつは俺の顔を見ると、口角を上げた。
しかし、その視線は凍りつくように冷たかった。
「何で、呼び出したんだよ……大槻」
「何でだと思う?」
冷たい風に紛れて、彼の声が聞こえてきた。
「知るかよ、そんなこと」
吐き捨てるように、俺はそう言った。
早く本題が知りたいのに、それを焦らす大槻に、苛立ちが募る。
やがて、彼は白い息を吐くと、ポケットから1枚の紙を取り出した。
そして、それを俺の目の前に翳す。
すると、俺の中に電流が走ったような衝撃がした。
それは、小倉と再会した時と同じ感じだった。
何か言いたくても、誰かにとりつかれてるんじゃないかと思うくらい、言葉が出てこない。
今は目の前の現実……中学時代のいじめられている俺の写真を、何故か大槻が持っているということを、しっかり受け入れるのに精一杯だった。
その写真の様子を、俺はよく覚えている。
数人の男子が校舎裏で俺に暴力を振った後、財布の中身を全部取っていった時だ。
そこには顔が痣だらけの俺と、胸ぐらを掴んでいるリーダーが、ばっちり写っていた。
その脇には、にやにやと不快な笑みを浮かべている取りまきも数人いる。
きっと、取りまきの誰かがふざけて、この写真を撮ったのだろう。
しかし、何故この写真が大槻のもとにあるのだろうか。
彼とは、中学が違うはずだ。
「何で、俺がこの写真を持っているのか、って思ったでしょ?」
まるで俺の心を覗いたかのように、大槻はそう言った。
俺は舌打ちをしながら、
「当たり前だろ!この写真、どうしたんだよ!」
と、怒鳴った。
言い訳はしなかった。
この写真を見た時点で【ふざけていただけ】など返しても、到底信じてくれないだろうから。
大槻は顔から笑みを消すと、
「それは言えない」
と言って、彼は悴んだ両手に息を吹きかけた。
その言葉に、俺は何とも言えない恐怖にかけられた。
得体の知れないものが、俺を支配している。
それは、とても久しぶりな感覚だった。
「てかお前、中学時代いじめられてたんだ」
さらに追い討ちをかけるように、彼が呟く。
いつの間にか、大槻の表情には笑みが戻っていた。
相変わらず、目は笑っていないが。
「そうだけど、それが何か?」
俺はあえて、開き直った。
「……それについてどうこう言うつもりはないけど、これ以上お前の好きなようにはさせない」
「はぁ!?」
俺は目を見開いた。
これ以上、好きなようにはさせない?
何を言ってるんだ、こいつは。
「笠原や萩野、江川の弱味を握って、小倉をいじめて……心底見損なった」
その言葉に、俺は眉間に皺を寄せた。
「何で、お前が笠原達のこと……」
「知らないとでも思った?全部教えてもらったんだよ。この写真をくれた奴に」
一気に体の力が抜けていく気がしたが、なんとかそれを堪える。
「大体何で……そいつの正体を教えてくれないんだよ」
「笠原達に関する情報や西尾の秘密について教える代わりに、正体をバラさないって条件だったから。一応、そこは守るからね」
俺はただただ、唇を噛み締めることしか出来なかった。
「詰めが甘すぎるんだよ。西尾は」
彼の言葉に、俺は何も言い返せなかった。
この学校に中学にいた奴等がいないからと思って、俺は完全に安心していた。
外部から情報が漏れるなんて、少しも思ってなかった。
「でも、いいか……そのお陰で、こうしてとっておきの情報を手に入れることが出来たんだし」
「……お前は、俺をどうしたいんだよ」
ぽつりと俺は声を漏らした。
「そんなの決まってる。もう、お前にクラスは任せられない。2度と自分勝手な理由で、誰かを苦しめるな」
最後の方には、僅かな彼の怒りが感じられた。
やっぱり、大槻は【あっち側】の人間だったんだ。
何とも言えない感情が湧いてくる。
「うるせぇな……てか、そんなこと言っといて、何が出来るんだよ」
すると、彼は少し間を開けて、
「笠原達みたいに、弱味を握るんだよ」
と答えた。
俺は目を大きく見開く。
「んな……」
「これを機会に、味わってみたら?笠原達の気持ちを。小倉はもっと苦痛だったかもね」
彼の言葉は、俺の中に絶望感と怒りを生み出すのに、十分だった。
俺はすかさず言い返す。
「そんなこと言ったら、お前だって小倉のこと見て見ぬふりしてただろ!!」
「……あの時は、諦めてたんだよ。これが現実なんだ、って。でも、この写真をくれた奴に頼まれたんだ。【西尾をカーストから下ろして欲しい】って。それを機会に小倉を助けようと思ったんだよ。確かに俺も悪かったけど、西尾はもっと悪い。お前なんかと友達になるんじゃなかった」
【お前なんかと友達になるんじゃなかった】
その言葉が、何度も頭の中で繰り返される。
考えてみれば、俺は彼を友達として見ていなかった。
カーストの上位に上がるための材料としか、考えていなかった。
それは大槻に限らず、松下も名取も……。
すると、俺の中に衝撃的な事実が浮かんだ。
……俺には、友達と呼べるような人はいない?
その考えを必死に否定したかったが、心のどこかでは肯定している自分がいた。
「話はこれだけ。寒いから、俺もう行くわ」
そう言って、その場を離れようとする大槻の両肩を掴んだ。
「……頼むから、写真だけは誰にも見せないでくれ」
これは、俺のプライドを押し殺した、精一杯の言葉だった。
大槻はしばらくの間黙り込むと、やがて口を開いた。
「小倉へのいじめと笠原達をパシりにするのをやめたら、いいかな……ま、俺の気分次第だけど」
最後の方が少し気になったが、俺はこくりと頷いた。
やがて、大槻はその場を離れ、姿が見えなくなると、俺は赤い空を見上げた。
今まで持っていたものを、全て失ったような感覚になっていた。
いや、実際そうだ。
大槻は【これ以上お前の好きなようにはさせない】と言っていた。
つまり、カーストの頂点に俺を立たせない気だろう。
俺をグループから外すことはないかもしれないが、言動には気を付けなければいけない……つまり、笠原達と同じことをされるということになる。
そう思うと、絶望感しかなかった。
それと同時に【因果応報】という言葉が浮かんだ。
笠原達にやってきたことが、自分に返ってくる……。
「何で……」
そもそも、いつからこんなことに発展してしまったのだろう。
小倉をいじめた時から?
笠原達の弱味を握った時から?
大槻と出会った時から?
いや、もっと前からかもしれない。
「こんなはずじゃなかった……」
俺の呟きは、強い風によってかき消される。
その日の夜、小倉は亡くなった。
「このくらいだよ……俺が話すことは」
その声はとても低く、悔しそうな顔をする彼の顔が思い浮かんだ。
これで、二人の間にあった出来事がようやくわかった。
考えてみれば、犯人探しを大槻が企画した時もそうだった。
本来ならば、西尾はもっと反論するだろうが、あの時彼は多少反対しただけで、結局大槻の意見に賛成していた。
それは、自分の意見を主張し過ぎて、写真のことがバレてしまうのを恐れていたからだろう。
今日だって、必要以上に話して、彼の機嫌を損ねてしまうことを考えて、口数を少なくしたのかもしれない。
そう考えると、西尾と大槻の立場は明らかに逆転していた。
「……因果応報、か」
江川がぽつりと呟く。
「西尾はいじめられていたんでしょ?それなら、いじめられる気持ちがどんなものかわかってるはず。なのに、何で小倉を苦しめたの」
「それは……自分の地位を守りたかったから」
「それは何で?」
「そうすれば、いじめられないと思ったからだよ……」
まるで二人は、説教をする先生とその生徒のようだった。
「カーストばかり気にしてたら、自分を見失うだけ」
誰かが小さい声で、そう言った。
「萩野……」
声の主を、西尾が呟く。
「私は前までは結構地味なグループにいたけど、そのグループ内には上下関係がなくて、楽しかったよ。少ないけど、ありのままの自分を受け入れてくれる友達もいた」
「でも、クラスの地位は低いだろ……」
「地位なんか関係ない。確かに、私は意見をしづらい立場だったけど、それでも心から満足していた」
萩野の言葉に、黙り込む西尾。
すると、
「それが、あんたに足りてなかったんだよ。西尾には本当の友達がいなかった」
と、江川が再び言う。
「大体そんなもんだろ、人間って……自分の利益を考えて、友達を作るんだろ」
「違う。皆がそうだなんて限らない。純粋に友達になりたくてなった人だっている。私が萩野と友達になりたい、って思った時みたいに」
すると、江川は席から立ち上がった。
床の音がする方向から、西尾の席に向かったことがわかった。
「正直、今のあんたは嫌い。カーストのことばかり考えて、利益次第で人を傷付けて、弄んで……だけど、考え直してくれるなら、友達になりたい。カーストの頂点としてじゃなくて、一人のクラスメイトとして、仲良くなりたい」
「……そんなに簡単に許しちゃうんだ?」
大槻が言う。
「確かに、私は酷いことをされていた。だけど、憎しみからは何も生まれない。強いていえば、悲しみだけだよ」
「ふーん……」
つまらなそうに返す大槻。
すると、
「本当……江川と萩野の言う通りだな」
と、西尾が言う。
その声は、どこか明るくなっていた。
「俺がやってきたことは許されることじゃない。たくさんの奴等を傷付けてきた……だけど、やり直せるなら……」
西尾がそう言いかけたその時だった。
真っ暗な教室に、小さな灯りがついた。
徐々にそれは大きくなっていく。
それは、人間と同じくらいの大きさに変化していった。
そう、人間と同じくらい……。
「うわあああぁぁ!!熱い!!熱い!!」
灯りの正体が、西尾の体に燃え盛る炎だということに気付いたのは、すぐだった。
「ちょ、西尾!?」
床に倒れ、悶える西尾から離れる江川。
俺達は忘れていたのだ。
彼が死んでしまうかもしれないということに。
だが、体が突然燃えることは初めてだったので、予想外の自体に頭がついていけない。
「消火器はないのか!?」
俺は彼の炎の灯りを便りに、それらしきものを探すが、一向に見つかる気配はない。
「あちぃよ!!誰か助けてくれ!!」
悲痛な西尾の叫び声と同時に、肉が焼けるような臭いがした。
その生々しい臭いに、再び吐き気が込み上げてくる。
手足をバタバタと動かしていた西尾の動きが、徐々に弱くなってきた。
それは、彼の死が近付いていることを意味していた。
「せめて水とかないの!?」
大声で江川が叫ぶが、そのようなものは見当たらない。
ブレザーを使って上手く火を消すことも出来るが、ここまで炎が大きくなれば、ブレザーにも燃え移ってしまうだろう。
だが不思議と、教室に燃え移ることはなかった。
「熱い……熱い……助けて……」
どんどん弱くなってくる西尾の声に、俺は彼を助けることを半分諦めていた。
なんとか消火したところで、すぐに病院に運ばなければ命はないだろう。
だが、俺達は教室から出れないのだ。
朝が来るまで彼が生きているとは、とても思えない。
しかし、それでも俺は消火できるものを探すのをやめなかった。
「諦めんな、西尾!絶対助けるから!」
教室の棚からそれらしきものを探そうとする江川。
その隣には、ロッカーの中身を探る萩野。
「もう、無理なのにな」
背後から、そんな声がした。
振り返ると、そこにはもうほとんど動かない西尾を、無表情で見つめる大槻がいた。
「お前……」
その冷静すぎる……悪くいえば、冷たすぎる態度に、驚きと恐怖を感じる。
やがて、西尾は動かなくなった。
声を上げることもなかった。
ただただ、うつ伏せのまま炎が燃え盛るだけ。
その姿が無惨すぎて、俺は彼から目を逸らすと、大槻がバケツにあるものを入れていることに気付いた。
それは、二リットルの水だった。
「え!?大槻、それ……!!」
「え?ああ、これは非常用の水。あんまり知られてないけど、使われてないロッカーの中に10本入ってるんだよ」
「そういうことじゃなくて、何で早くかけなかったんだよ!!」
俺の怒鳴り声に、江川と萩野が反応する。
すると、二人もバケツと二リットルのペットボトルに気付いたのか、
「それ……!!」
と声を上げ、目を見開いた。
「どうせ死ぬんだから、別にいいだろ」
悪びれた様子は全くない大槻。
すると、彼は満タンになったバケツを西尾にぶっかけた。
炎が少し弱まる。
「何で、それがあるって教えてくれなかったの!?」
大槻との距離を縮める江川。
そんな彼女には一瞥もくれず、今度はペットボトルのまま彼の体に水をかけた。
8本のペットボトルを使いきると、ようやく火が消えた。
再び、暗闇が訪れる。
「ねぇ……何で……西尾を助けなかったの。ねぇ、何で!?」
怒りに満ちた声が、教室に響き渡る。
「何でって……殺したかったからに、決まってんじゃん」
「は……?」
彼の答えに、俺は呆気にとられた。
「……じゃあ、皆を殺したのも、あんたなの?」
「それは違う。大体、西尾に火をつけたのは俺じゃないし」
平然とそう答える大槻。
正直、今の状況での彼の答えは信じられなかった。
「じゃあ、他に誰がいるの!」
「知るかよ」
今にも冷戦が始まりそうな次の瞬間、カチッという音がした。
同時に、1つの小さな明かりがつく。
それは西尾の命を奪った炎ではなく、紛れもない懐中電灯の明かりだった。
そして、それをつけた人物は大槻だった。
「お前……それ……」
「騙しててごめん。本当は懐中電灯、つくんだ。さっきは電池を抜いてただけ」
その言葉と行動に、俺は驚愕した。
俺達を騙していた……?
一体、何故……。
「何で騙してたの!?懐中電灯さえあれば、笠原さん達だって助かったかもしれないのに……」
萩野の悲しそうな声。
思えばそうだ。
笠原は明かりがなかったせいで、心臓マッサージが出来ずに、そのまま死んでいった。
他にも、明かりがあれば名取も松下も、ナイフで刺されることもなかっただろう。
もしかしたら、西尾だって……。
「正直、皆が死ぬのは予想外だった。最初、何かトラブルがあったら面白いな、って思ってた程度だった。だけど、笠原が息苦しいって訴えてから、無意識に電池を抜いたんだよ。こうなることを予想……いや、望んでいたからの行動だったかもしれないなぁ」
「お前、それ本気で言ってんのかよ!!」
俺の怒鳴り声が響く。
「そうだけど?」
そう言って大槻は懐中電灯を机の上に置き、天井に照明を照らした。
すると、彼は床に落ちている血のついたナイフを拾うと、西尾の方へ一歩一歩近付く。
大槻がこれから、何をしようとしてるかを想像すると、全身に鳥肌が立った。
「あーあ……西尾、すっかり皮膚爛れちゃったな」
大槻は西尾の亡骸の前にしゃがむと、ぽつりとそう呟いた。
そんな彼を、俺達は遠巻きに見ることしか出来なかった。
萩野はもはや半泣き状態だ。
本当は今すぐにでも、大槻を止めたいが、体が動かない。
大槻が立ち上がると、西尾の顔らしきものが見えた。
皮膚はドロドロに溶けており、髪の毛はほとんどなくなっていた。
見るに堪えない姿に、思わず視線を逸らす。
すると、大槻は西尾に向けてナイフを構えた。
その意味はすぐにわかった。
「やめて!!」
江川の声も虚しく、ナイフは西尾の胴体にめがけて思いきり刺さった。
勿論、その一回だけではない。
何度も何度も、ナイフで刺し、時々中身をかき回しているのか、グチャグチャと気持ち悪い音を奏でる。
「もう……やめろ。そんなことして、何の意味があるんだよ」
「恨みを晴らしたいからだよ。焼死だけじゃ物足りない。死んでも、もっと残酷な姿になるまで、俺の手で変えてやらなきゃダメなんだよ」
「……狂ってる」
ぽつりと、江川が言った。
その言葉には気にも留めずに、大槻は死体をナイフで切り続ける。
やがて、大槻はくるりと俺達の方に振り返ると、ナイフを机の上に置いた。
大槻のブレザーやシャツは赤く染まっていた。
頬にも、僅かな血がついている。
俺はあえて、変わり果てた西尾の死体を見なかった。
「大槻……お前、本当に何考えてるんだよ。懐中電灯の電池抜いたり、西尾を助けなかったり、死体をグチャグチャにしたり……」
俺の質問に、彼は無表情のまま答えた。
「何って……現実にうんざりしてたんだよ」
それは、何てことのない夏の日だった。
「何やってんの、松下」
教室に入った俺は、窓の外を眺めている彼女の名前を呼んだ。
プレートに【6年2組】と書かれたこの教室には、俺と彼女以外誰もいない。
今は休み時間のため、他のクラスメイトは校庭や図書室などに行ったのだろう。
すると、松下は長いツインテールの髪を爽やかな風で揺らしながら、こちらに振り向いた。
「校庭を眺めてただけ」
「へー……」
自分でもわかるくらい無愛想に返す。
俺は彼女の横に並ぶと、窓の外の景色を見た。
そこには、ボールや遊具で遊ぶ下級生がたくさんいる。
ふいに、蜘蛛の子を散らすように逃げる人達を視界に捉えた。
それは、鬼ごっこをしているクラスメイト達だった。
無邪気な彼等の姿に、僅かな笑みがこぼれる。
「大槻は行かないの?」
「誘われたけど、断った。暑いし、めんどい」
「インドア派もほどほどにしといたら?」
「そういうお前が行けばいいじゃん」
「嫌だよ。日焼けするし、汗かくからね」
「何それずるい」
他愛もない会話がぷつりと途切れた。
そんな沈黙を、俺は全く気にしなかった。
それよりも、雲一つない青空が目の前に広がっていることに、今更圧倒されていた。
どこからか、蝉の合唱が聞こえる。
窓から入り込んでくる柔らかい風で、カーテンがふわりと揺れた。
「……私達、1年後の夏には、中学生になってるんだね」
隣から、ぽつりと彼女の声が聞こえてくる。
無表情の松下の目は、どこか遠くを見ているような気がした。
「そうだな」
「……中学受験とか、しないの?」
彼女の声に、俺は首を横に振った。
すると、松下は軽くため息をついた。
そのため息の意味は何だかわからなかったが、
「……よかった。中学も一緒ね」
と、優しい笑みを浮かべた。
今思えば、この笑顔に俺は惹かれていたのかもしれない。
「そうだね」
そっぽを向きながら、答える。
「なんか反応薄くない?もっと喜びなさいよ」
「そういうお前はどうなの?」
無意識に口からこぼれたその言葉に、特に意味はない。
だが、彼女は尖らせていた唇を綻ばせると、
「……嬉しいよ」
と、ぼそりと言った。
彼女の顔が赤く染まっているのは、暑さのせいだろうか。
「家族と同じくらい長い時間を一緒に過ごしてきた人と、中学も一緒になれて喜んで……何か悪い?」
さらに顔を紅潮させながら話す松下は、最後の方は困ったような表情をした。
予想外の彼女の答えに、戸惑う。
それを表情には出さなかったが、心臓の鼓動が速まったのは確かだった。
「それって……」
俺がそう言いかけると、
「用事思い出したから行く!」
と、松下は表情を一切見せずに、勢いよく教室を出た。
一人取り残された俺は、しばらく茫然としたが、再び校庭の様子を見る。
澄みきった青い空。
グラウンドを駆け回る生徒達。
蝉の声。
それらは決して、いつもの夏とは変わらない。
だが、俺の中には経験したことのない感情が湧いていた。
「……マジかよ」
自分の頬に手を当てると、それはとても熱かった。
5年前の出来事から抜け出すと、昇降口の扉から冷たい風が吹いた。
カーディガンからブレザーに変えたが、やはりマフラーも必要だったかもしれない。
下駄箱から靴を取り出し、ふと壁に掛けてある時計を見ると、17時になったことに気付いた。
ここからでも、夕焼けが十分に見える。
紅葉はもう僅かしかなく、冬に移り変わる時期となっていた。
その早さに驚きを実感すると、後ろから足音がした。
ゆっくりと振り返ると、そこには松下がいた。
鞄を持っているため、今から帰るのだろう。
彼女は特に、驚いたような顔はしなかった。
「今から帰んの?」
「うん」
俺の質問にそう答えると、松下は靴を履き、そそくさとその場を去ろうとした。
しかし、俺の声により、彼女の動きが止まった。
「待って。どういうつもり何だよ」
「……はぁ?」
露骨に嫌そうな表情をしながら、振り返る松下。
そんなことは全く気には留めず、俺は続ける。
「小倉のことだよ。何で彼奴をハブることにしたの」
「そんなの、私や西尾の勝手でしょ?大体、あんたも反対しなかったじゃん」
「違う。俺は怒ってるんじゃなくて、普通に気になっただけ」
少し前に転校してきた小倉を理不尽な理由で、仲間外れにすることが、1時間前くらいに決まった。
俺はそれを決して、良いこととは受け取っていない。
しかし、それに対して憤慨するような感情は、ほとんどなかった。
ただただ、現実や彼女に対する残念な気持ちが増していくだけだった。
相変わらず松下は苛立ちを隠そうともしない表情で、口を開いた。
「」
「私の邪魔をする奴は、容赦なく陥れるって決めたんだから。確かに悪いことだけど、そうしないと死ぬわよ」
彼女の言う【死】は、教室内での命のことだろう。
「そんなに大事なもんなの?カーストって」
「大事じゃないなら、誰もこんなに苦労しない。人間として当然の考えじゃないの?」
そう言うと、松下は逃げるようにその場を後にした。
残された俺は白い息を吐き、昔の彼女の姿を脳裏に浮かべた。
純粋な瞳、風によってなびく髪、柔らかい笑顔。
今更過去の彼女の幻影を追い求めてもどうにもならないが、そうせざる得なかった。
今の松下は打算的で冷たくて、非情な性格だ。
それは、彼女を取り巻く環境がそうさせたのかもしれない。
俺に対する態度が冷たくなったのも、自分に原因がある可能性だってある。
いつから彼女がそんな風になったのかは、もう覚えていないが、何かに裏切られたような感情はきちんと残っていた。
その正体は、あまりよくわからない。
甘い理想かもしれない。
または、彼女自身にかもしれない。
どちらにしろ、あの純粋な性格の松下は、もう戻って来ないのだ。
そんな事実が、逆に俺の心を落ち着かせる。
【現実なんてそんなものだ】と受け取ってしまった方が楽だ。
俺一人の人間が必死に現実に逆らおうとしても、無駄になるだけ。
だから、小倉のいじめに反対はしなかった。
大声で【No】と叫んだところで、意味なんかない。
それなら、適当に同調した方が良いと思ったのだ。
この先……社会に出ても、きっと同じだ。
自分の地位を守るために、平気で人を傷付ける奴等がたくさんいるだろう。
どんどん拡散されていく根も葉もない噂話。
止めたくても止められない悪口。
綺麗に飾られた口先だけの言葉。
それらから逃れることは、死ぬまできっと出来ない。
本当の愛など存在するものか、とすら思ってしまうくらい、世の中に対する俺の不信感は大きかった。
松下とは受け取り方が違うが、俺も周りの環境によって、そのような感情があるのかもしれない。
そして、その結果生まれたものは、妥協だった。
俺は校門を出ると、ぽつりと声を漏らした。
「……くっだらな」
それから数日後のことだった。
いつもと変わらない朝のはずが、下駄箱に入っている1枚の紙で、眠気が一気に覚めた。
そこには【今すぐ体育館裏に来て下さい】としか書いてない。
訝しげにそれを見つつ、俺は教室に行くはずだった足を、体育館裏に向けて歩き出した。
俺の頭の中は、疑問でいっぱいだった。
まずは、手紙の差出人の正体。
そして、呼び出した目的だ。
わざわざ朝から体育館裏に呼び出すほどの目的とは、一体何だろう。
そのことばかり考えていると、あっという間に着いてしまった。
きょろきょろと辺りを見回すと、それらしき人物の後ろ姿が見えた。
俺の足音に気付いたのか、そいつは振り返る。
「え……」
その人物が意外で、思わず間抜けな声が漏れる。
そいつは俺の顔をじっと見据えると、真剣な表情をした。
そして、ブレザーのポケットから1枚の写真を取り出すと、それを俺の目の前に翳した。
それは、中学生くらいの男子が数名写っているものだった。
だが、決してその様子は楽しそうではない。
前髪の長い地味な男子が、同級生に胸ぐらを掴まれているのだ。
そして、その脇にはそれを止めるどころか、笑いながら彼に乱暴をしている人達。
これは、どう考えてもいじめだ。
だが、こいつは一体何故、いきなり不愉快な写真を俺に見せたのだろう。
「この写真がどうかしたの?」
「……これ、誰だかわかる?」
そう言って、そいつはいじめられてる男子を指で指した。
そいつの意図がますますわからなくなりながらも、その男子の顔をまじまじと見る。
すると、髪や顔のパーツから、衝撃的な答えが浮かんだ。
俺は徐に口を開いた。
「……もしかして、これ西尾?」
俺の言葉に、そいつはこくりと頷く。
それと同時に、俺の中に強い電流が流れたような気分になった。
この男子と西尾は、別人としか思えない。
実際、俺も最初は誰だかわからなかった。
「どういうこと?彼奴はいじめられていたの?」
再び、そいつは首を縦に振る。
そいつの話によると、塾の友達が西尾の元同級生であり、その人に頼み込んで、この写真をもらったらしい。
「で、何でお前が写真を頼んだの?」
「……カーストから引きずり下ろすためだよ」
「西尾を?」
俺の質問に、そいつは何度も頷いた。
「このままじゃ、クラスは崩壊する。だから、この写真を使って落ち着かせるんだよ」
「……西尾の弱味を握って大人しくさせるってこと?」
「そう」
そう言うと、そいつは徐々に俯く。
その顔は、憂いを帯びていた。
学校が終わり、自宅に帰ると一気に階段を駆け上がる。
そして制服も脱がずに、鞄から例の写真を取り出した。
狂ったように、俺はただただそれを見つめる。
今日の朝、あいつからこの写真を受け取った。
そして、あいつの名前を他言しない代わりに、少し前にグループに入ってきた笠原達の情報をもらった。
その情報自体はあまり役には立たなそうだが、写真はかなり有効活用が出来そうだ。
クラスメイトから恐れられている西尾を、大人しくさせる方法として。
ただ、未だにそうしようという気力がいまいち湧かなかった。
西尾の弱味を握ったところで、状況が良くなるかはわからない。
小倉のいじめはなくなると思うが、新たなトラブルが発生したっておかしくないだろう。
いつだってそうだ。
いじめやトラブルが解決されても、それは一時的であり、また同じようなことが繰り返される。
それは学習能力云々の問題ではなく、人間としての必然的な行動なのかもしれない。
だから、西尾がいじめをしなくなっても、平和が訪れるとは限らないのだ。
俺が西尾に写真のことを言って、状況がさらに悪くなってしまう可能性だって否めない。
ふと、松下の顔が脳裏に浮かんだ。
そうだ。
まだ、トラブルのもとはいる。
仮に西尾が大人しくなっても、松下がいる限り、いじめはなくならないかもしれない。
いや、その可能性は高いだろう。
だが、彼女に弱味などないし、それ以前に松下にはそんなことをしたくなかった。
……彼女を変えることは出来ないのだろうか。
突然、そんな考えが浮かんだ。
確かに、松下に対する好意は今でもあるが、それは昔の彼女に対するものだった。
過去に浸るよりも、今の彼女を変えるべきなのかもしれない。
そう思うと、徐々にやる気が湧いてきた。
それは、得体の知れないものが、俺を突き動かしているような感覚だった。
そういえば、あいつも言っていた。
【誰かが行動しなきゃ何も変わらない】と。
その行動が吉と出るか、凶と出るかは、その人の行動と運次第。
それを恐れずにやるか、じっと今を耐えるか。
あいつは、その2つの選択肢を俺に与えた。
俺は最初、お前がやればいいのに何で俺に任せるのか、疑問に思った。
しかし、その理由がわかった。
あいつは自分の状況を考えて、西尾と仲の良い俺に代役を頼んだのだろう。
写真や情報を俺に与えつつ【やりたくなくなったら、やめても構わない】と言っていた。
そのため、少し前までは、やはり断って写真を返そうかと思っていたが、そんな考えは今の俺には全くない。
2つの選択肢から、俺は【行動】を選んだ。
前の俺なら、絶対そんなことはしない。
現実を言い訳に、環境を変えることを恐れていただろう。
しかし、それではダメな気がした。
アクションを起こさずに、ただただ毎日を怠惰に過ごすのは、もったいない。
周りに流されず、【No】と叫ばなければ、【自分】がどんどん殺されてしまうのだ。
俺は【自分】を生かしたい。
すると、俺の中に2つの目標が出来た。
1つ目は、西尾の弱味を握り、小倉を助けること。
2つ目は、松下を元に戻すことだ。
俺は写真をポケットに入れると、天井を仰いだ。
その視線は、別人なくらいやる気で溢れていた。
赤くなりつつある夕日。
凍りつくような風。
17時を知らせるチャイムが、学校の敷地内に鳴った。
時は来た。
あとは、彼が来るのを待つだけだ。
不思議と緊張感のようなものはない。
まるで、休日に友達と待ち合わせをしているような気分だった。
やがて、地面を踏みしめる音が聞こえてきた。
その方を向くと、予想通り彼がそこにいた。
その顔は、驚きに満ちていた。
無理もない。
友人だと思っている人物に呼び出されたのだから。
「何で、呼び出したんだよ……大槻」
「何でだと思う?」
「知るかよ、そんなこと」
吐き捨てるように、西尾はそう言った。
焦らしたのは、彼の感情を掻き立てるためだ。
西尾が写真を見せられて、一発で認めるとは考えにくい。
ならば、わざと感情を激しくするように、こっちが誘導すれば、墓穴を掘って真実を明らかにするかもしれない。
俺は白い息を吐くと、ポケットから1枚の紙を取り出した。
そして、それを西尾の目の前に翳す。
すると、不審そうな表情が、一気に狼狽するようなものに変わった。
気が動転している彼に、俺はさらにスパイスを加える。
「何で、俺がこの写真を持っているのか、って思ったでしょ?」
俺の言葉に、西尾は舌打ちをしながら、
「当たり前だろ!この写真、どうしたんだよ!」
と、怒鳴った。
それな意外だった。
本当はじわじわと追い詰めて、真実を吐かせるつもりであった。
しかし、彼の今の発言から、それは自分でありいじめられていた、という事実を認めたようなものだった。
「それは言えない」
俺は西尾の質問に答えると、悴んだ両手に息を吹きかけた。
「てかお前、中学時代いじめられてたんだ」
一応、もう一度彼に刺激を与えてみる。
しかし、彼は平然とした顔をしながら、
「そうだけど、それが何か?」
と、開き直るように言った。
これで、西尾は写真について完全に認めたことになる。
ならば、これ以上焦らしたり、刺激を与えるような言葉を言う必要はないだろう。
本題はこれからだ。
俺は真剣な目付きをしながら、口を開く。
「……それについてどうこう言うつもりはないけど、これ以上お前の好きなようにはさせない」
「はぁ!?」
西尾は目を見開く。
「笠原や萩野、江川の弱味を握って、小倉をいじめて……心底見損なった」
その言葉は、本心だった。
正直、自分でも驚いていた。
心のどころかで、今までずっと思っていたかもしれない。
西尾が嫌いだと。
出会って間もない頃は、普通に面白い奴としか見ていなかった。
だが、カーストの頂点という立場に着いた彼が、クラスメイトを見下すようになってから、俺が西尾のことをよく思っていないことは確かだった。
「何で、お前が笠原達のこと……」
「知らないとでも思った?全部教えてもらったんだよ。この写真をくれた奴に」
「大体何で……そいつの正体を教えてくれないんだよ」
「笠原達に関する情報や西尾の秘密について教える代わりに、正体をバラさないって条件だったから。一応、そこは守るからね」
俺がそう言うと、彼は悔しそうな顔をしながら、唇を噛んだ。
「詰めが甘すぎるんだよ。西尾は」
俺の言葉に、彼は何も言い返さなかった。
西尾からすれば、外部から情報が漏れるなんて、少しも思ってなかっただろう。
俺の中に、小さな黒いシミができたような気がした。
「でも、いいか……そのお陰で、こうしてとっておきの情報を手に入れることが出来たんだし」
「……お前は、俺をどうしたいんだよ」
ぽつりと西尾は声を漏らす。
「そんなの決まってる。もう、お前にクラスは任せられない。2度と自分勝手な理由で、誰かを苦しめるな」
今までの彼の行いが脳裏に浮かんだせいか、ふつふつと怒りが湧いてきた。
それを抑えたいが、やはり言葉に感情がこもってしまう。
「うるせぇな……てか、そんなこと言っといて、何が出来るんだよ」
そんなの、決まってる。
「笠原達みたいに、弱味を握るんだよ」
俺は、当然のように答えた。
「んな……」
「これを機会に、味わってみたら?笠原達の気持ちを。小倉はもっと苦痛だったかもね」
たっぷりと嫌味を込めた言葉を、彼に投げかける。
しかし、それでも西尾は怯まずに、言い返した。
「そんなこと言ったら、お前だって小倉のこと見て見ぬふりしてただろ!!」
その言葉に、一瞬固まった。
確かに、俺は西尾と松下の行動に、反対をしようとしなかった。
少しだけ、反省の気持ちが生まれる。
「……あの時は、諦めてたんだよ。これが現実なんだ、って。でも、この写真をくれた奴に頼まれたんだ。【西尾をカーストから下ろして欲しい】って。それを機会に小倉を助けようと思ったんだよ。確かに俺も悪かったけど、西尾はもっと悪い。お前なんかと友達になるんじゃなかった」
本当に、西尾と友達にならなければよかった。
光貴や小倉みたいに、比較的性格の良い奴等と友達になっていれば、こんな怒りを覚えることもなかったに違いない。
もはや西尾と友達になった自分に、失望してしまう。
正直、もう彼とはばっさりと縁を切りたいが、まだそうするわけにはいかない。
俺は西尾に背を向け、
「話はこれだけ。寒いから、俺もう行くわ」
そう言って、ここから離れようとした。
しかし、背後から西尾に肩を掴まれた。
めんどくさそうに、俺は振り返る。
「……頼むから、写真だけは誰にも見せないでくれ」
それは、彼なりのプライドを押し殺した、精一杯の言葉だったのだろう。
俺はしばらくの間黙り込むと、口を開いた。
「小倉へのいじめと笠原達をパシりにするのをやめたら、いいかな……ま、俺の気分次第だけど」
俺の要件をのむだけじゃ、彼には足りない。
俺の気分次第という不安定な要素を付け加えることで、西尾はさらに怯えるだろう。
複雑な表情をしながらも、西尾はこくりと頷いた。
それをじっと見ると、俺はゆっくりと歩きながら、その場を立ち去った。
今、西尾はどんな顔をしているのだろう。
悔しそうな顔だろうか。
それとも、怒りに満ちたものなのだろうか。
何にしろ、俺と彼の関係は変わったのだ。
友達と呼べる関係では決してない。
だが、そんな事実とは裏腹に、俺の中には清々しい風が吹いていた。
それは、彼の弱味を握ることに成功したからではない。
自分の今まで溜まっていた思いを、思いきりぶつけることが出来たからだ。
そして、自分の行動によって、本当に状況が変わったことに対する嬉しさもあった。
世の中への不信感が完全に消えたわけではないが、前よりも視界がクリアになった気がする。
冷たい風が吹いているグラウンドを通り過ぎると、校門に差し掛かった。
そのまま曲がっていつもの方向に帰ろうとしたその時、俺の瞳に一人の女子生徒が映った。
俺に背を向ける状態で歩いている彼女の名前を、俺は背後から呼んだ。
「松下」
「……何」
あからさまにうっとおしそうに、振り返る松下。
「小倉と西尾のことなんだけどさ」
俺の切り出しに、松下は眉をひそめた。
「二人がどうかしたの?」
強気にそう言う松下。
だが、語尾は僅かに震えていた。
嫌な予感でもしたのだろうか。
俺はそんな彼女を見つめながら、口を開いた。
「もう、小倉をいじめさせない。西尾もそうしてくれると思うから」
俺の言葉に、彼女は目を大きく見開いた。
彼の弱味を握ったことは、勿論言わなかった。
松下に言ってしまえば、それは確実に拡散されてしまうだろう。
確かにそうなれば、西尾はカーストの下の方に落ちてしまうが、それは俺が嫌だった。
弱味を握られる側の気持ちを、実感して欲しいのだ。
そうなれば、笠原達の立場を理解し、今後彼もこんなことはしないだろう。
俺は密かに、彼に更生のチャンスを与えたかったのかもしれない。
「いじめさせないって……どういう意味よ?そもそも西尾が、そう簡単に納得するわけ……」
怒りや呆れをあらわにする彼女の身体を、俺はそっと抱き締めた。
松下の表情はわからないが、呆然としているのか、何も言ってこない。
「俺がお前を変えさせるよ」
そう言って、抱き締める力を強くした。
「……離して!」
「嫌」
俺の背中や腕を叩きながら、松下は抵抗する。
それでも、俺は抱き締めるのをやめなかった。
「今のお前は嫌い。自分のために、平気で人を傷付けるところが無理。だけど、昔みたいに純粋に友達と楽しんでいるお前に戻ってくれるなら……」
俺がそう言いかけた瞬間、松下は無理矢理身体を俺から引き剥がした。
その表情は、これまでにないくらい怒りに満ちていた。
「うっさい!!私が今までどんな思いでいたか知らないくせに、無責任な正義振りかざさないでくれる!?私は変わったの。自分が有利な立場に着くためなら、何だってする。何でそれをわかってくれないの!過去ばかり見てないで、現実を見なさいよ!!」
狂ったように、俺を思いきり睨む松下。
すかさず、俺は言い返す。
「そんなの、俺だってわかってる。善意を捨てて、他人を欺けば、カーストの上位になれることくらい。でも、俺はお前にそうなって欲しくない」
「はぁ!?私がどうなろうと、私の勝手じゃない!あんたなんかにどうこう言われたくない!!」
「でも、後悔するのは自分だよ」
「後悔なんかしない!」
そう言うと、彼女はゼエゼエと呼吸を繰り返した。
「……この先、私は自分を変えようだなんて、絶対思わない。あんたや小倉みたいに、正義感を持った奴は徹底的に潰していく」
松下は、俺に笑みを向けた。
その表情は、酷く醜かった。
「あんたなんか、大嫌い」
そう言い残して、彼女は俺に背を向けて、立ち去った。
残ったのは、俺と俺の中に生まれた【無力感】だけだった。
「松下の言葉で、一気に目が覚めたんだよ。無駄に正義感を持っても、自分が傷付くだけなんだ、って。だから、小倉だって西尾からいじめられた」
懐中電灯が灯った薄暗い教室の中で、大槻はそう言った。
彼の顔には、不気味な笑顔が浮かんでいる。
「だからって、何で西尾を殺したんだよ!」
俺はもう、【助けなかった】ではなく【殺した】と言いきった。
西尾に火をつけたのが大槻ではなくても、間接的には立派な殺人犯だ。
「全ての元凶を恨んだからだよ。西尾さえいなければ、あんな正義感なんて湧かなかったし、松下に対する諦めの気持ちも、ここまでじゃなかった」
すると、大槻は俺達の顔を見渡しながら、続けた。
「それに、皆だって死ななかった。西尾が小倉をいじめなければ、俺は犯人探しをしようなんて企画しない」
「でも、殺さなくたっていいでしょ!」
こめかみに青筋を立てながら、怒鳴る江川。
「でも、被害者側の笠原だって、死んだんだから、元凶が死なないのは不公平じゃん」
そう言うと、彼はくすりと笑った。
「まあ、俺はこの状況が好きだけど。こればかりは、西尾に感謝してる」
彼のこの発言に、俺は何も言えなかった。
死体が4つも置かれているこの教室で、にやにやと笑っている大槻が不気味で仕方なかったのだ。
「好きって……」
萩野が青ざめながら呟く。
「さっきも言っただろ。【現実にうんざりしてた】って。そんな現実を、犯人は壊してくれた。クラスメイトが殺される非現実的な世界を作ってくれた。初めは驚いたけど、今ではこんな状況が、ずっと続いて欲しいって思ってるよ」
「あんた、頭おかしいんじゃないの!?松下……好きな人が殺されて、悲しいって思わないの!?」
「全然思わないね。むしろ、快感しかなかった。好きな奴が殺されるなんてこと、滅多にないじゃん」
俺は大槻と江川の会話を、ただただ黙って聞いていた。
彼はもしかしたら、刺激を求めていたのかもしれない。
普通だったら有り得ない出来事を、今か今かと心待ちにしていたのだろう。
「ていうか、俺のことより、犯人のことを考えた方が良いんじゃない?」
大槻が話題を変える。
「確かに……もう、四人しかいないもんな」
俺、萩野、江川、大槻の中に犯人はいるはずだ。
今のところ、大槻が怪しい気がするが、まだ彼を犯人と決めつけるには不十分すぎる。
徹底的な証拠がないのだ。
「だよね、江川」
突然、江川に話を振る大槻。
「そうだね。てか、何で私に振ったの」
不思議そうな顔をする江川。
「別に。でもさ、江川って何で死ななかったんだろうね」
その言葉には、明らかに嫌味が含まれていた。
鈍感な彼女でも気付いたのか、江川は眉をひそめる。
「知らない。もしかして、私を疑ってんの?」
「大正解」
大槻の回答に、何も言い返さない江川。
確かに、小倉の話をしても、皆のように死ぬことはなかった彼女が疑われるのも、仕方がない気がした。
しかし次の瞬間、大槻は予想外な言葉を言い放った。
「でも、それだけが理由じゃない。西尾に火がついた時、彼奴の一番近くにいたのは江川だったから」
「わ、私……?」
驚きと焦りが混ざったような表情をする江川。
確かに大槻の言う通り、江川は西尾に火がつく直前、席を離れて彼に近付いていた。
「それに、話の内容。江川は小倉が好きだったけど、結局彼奴を無視せざる得なかった。そんな悲しみや怒りを、俺達や小倉にぶつけた可能性だって有り得る」
「違う!江川さんはそんなことしない」
大槻の言葉を否定したのは、江川ではなく萩野だった。
江川の話通り、二人の仲が良いことは間違いないだろう。
「じゃあ、何で萩野は江川が死ななかったと思う?」
「それは……」
言葉を詰まらせる萩野。
「そもそも、江川は色々おかしかった。あんなに西尾に嫌がらせをされても、簡単に許すし、俺が犯人探しを企画した時も、一番最初に賛成していた」
「それとこれとは関係ないでしょ!」
江川が言い返したその時だった。
懐中電灯を大槻が消したのだ。
教室に突然暗闇が訪れたことにより、萩野が小さな悲鳴を上げる。
「何で消したの!」
江川が怒鳴る。
「何でって……もう1回話してよ。本当のこと」
「本当のこと?」
「何か嘘ついてるんじゃないの?」
徐々に江川を追い詰めていく大槻。
「嘘なんかついてない!私を信じてよ!」
しかし、それでも負けじと、彼に抵抗する江川。
正直、江川が犯人ではないとは言いきれない。
彼女の正義感の裏にはどす黒い殺意が隠されてるとも、僅かに思えてしまうのだ。
「信じろ、って言われてすぐに信じる馬鹿がどこにいるんだよ。いい加減に……」
彼の言葉が、そこで止まった。
代わりに聞こえてきたのは、ごとりと床に何かが落ちた音だった。
その数秒後には、ばたりという大きな音もした。
嫌な予感が、身体中を駆け巡る。
「大槻……?」
彼の名前を呼ぶが、その返事は聞こえてこない。
「まさか……」
状況を察した萩野の声。
次の瞬間、再び教室内に小さな明かりがついた。
江川が懐中電灯をつけたからだ。
薄暗い教室をぐるりと一周見渡すが、彼の姿はない。
額に汗が滲む。
江川は懐中電灯の光を床に向けた瞬間、俺は驚愕した。
萩野の悲鳴が、教室内に響き渡る。
江川は驚きのあまり、後ずさった。
「大槻……」
そこには、胴体から首を切り離された状態の彼の死体があった。
目は見開いているが、瞳には完全に輝きが失われている。
一度だけ、切断された人間の頭部には、意識が数秒間あるというのを聞いたことがある。
しかし、今の大槻に意識など全くないことは、明らかだった。
さっきの音は、切断された頭部が床に落ちたものだろう。
その後のばたりという音は、頭部を失った身体が床に倒れたものに違いない。
「もう……嫌だよ……」
萩野の悲痛な声が、俺の耳に届いた。
「もう、3人しかいないな……」
俺はぽつりと呟いた。
少し前までは俺達を含めて8人もいたのに、半分以下になってしまった。
家族もそろそろ不審に思って、警察に連絡でもしているのだろうか。
そもそも、今が何時か全くわからない。
以前、教室には時計があったが、現在は修理に出しているのだ。
もう、何時間も経ったのかもしれない。
それとも、まだ一時間くらいしか経ってないのかもしれない。
完全に、時間の感覚が麻痺していた。
「どうする?これから……」
萩野が俯きながら言う。
すると、江川はベランダに移動した。
気分転換に外の空気を吸いにでも行ったのか、と思ったが、彼女の言葉は俺の予想に反していた。
「ここから出よう」
ベランダから出た彼女は、そう言った。
あまりにも唐突すぎるその発言に、俺と萩野は目を丸くする。
「でも、どうやって……」
「ベランダから降りるんだよ」
平然と言う江川。
すかさず、俺は反対する。
「無理だろ!出来るわけないって!」
「じゃあ、このまま犯人探しを続けるつもりなの?死ぬかもしれないのに!?」
死ぬかもしれない、という言葉に、俺は詰まる。
「犯人探しの企画者だって死んだ。それならもう、これ以上やっても無駄な気がする。今はここから脱出して、安全なところに逃げるのが先だよ」
確かに、江川の意見にも頷ける。
犯人探しを続けても、俺や萩野が死ぬ結末しか予想出来なかった。
「……だけど、どうやって降りるの?ここは3階だから、危険すぎるよ」
「それなら、大丈夫」
そう言って、江川は教室の隅に置いてある段ボールから、あるものを取り出した。
それは、大縄跳びに使う長い縄だった。
「高さ的にギリギリかもしれないけど、これをベランダの柵からしっかり吊るして降りれば、なんとかなると思う。何でかわかんないけど、体育祭で使ったやつがあってよかった」
「命綱はないけど、確かにそれならまだ安心だな」
俺は、ほっと息を吐いた。
ちらりと萩野の様子を見ると、彼女の顔は青ざめていた。
「大丈夫か?萩野」
「……もし、縄から手を離して落ちたら、どうしようって思って……」
この3人の中で、身体能力が一番低いのは萩野だ。
不安しかないのも、無理はない。
「じゃあ、私が最初に降りるから、その後すぐに萩野が降りて。私と最後に降りる光貴でフォローすれば、大丈夫だよ」
江川の言葉に、俺は頷く。
萩野も、僅かに落ち着いてきた様子だ。
江川が縄を持つと、俺達はベランダに移動した。
冷たい風が、俺の頬を撫でる。
街や家の灯りがちらほらと見えた。
ここから降りることに成功すれば、俺達は解放される。
そんな希望が俺達を突き動かしていたが、1つだけ俺には不安があった。
結局、犯人は誰なのだろう。
残りは、俺と萩野と江川しかいない。
少しだけ疑っている江川も、やっぱり正義感の強い彼女がこんなことをするなんて、考えられない。
恋人である萩野なんて、もっと信じられない。
だが、確実に二人のどちらかなのだ。
犯人は。
俺の考えをよそに、準備は着々と進んでいった。
江川は縄を柵に巻きつけ終わると、残りの部分を外に吊るした。
吊るした縄の先端が暗くて見えないのが、とても不気味だ。
「あ、そうだ。危ないから懐中電灯持ってかないと」
そう言って、教室に戻る江川。
「降りながら持ってて、大丈夫なのか?」
「全然平気。明かりがないほうが、もっと危ないじゃん」
彼女は、再びベランダに足を踏み込む。
すると、柵を乗り越えようと、片足を上げた。
やがて、江川は完全にベランダから飛び出す状態になると、懐中電灯を片手に、縄をしっかりと持った。
「気を付けろよ」
「うん。すぐに萩野も降りてきてね」
こくりと頷く萩野。
彼女は、酷く緊張した面持ちだった。
自分の生死に関わるのだ。
そうなるのも仕方ない。
じゃあ、と江川が降りようとしたその瞬間だった。
悲劇が起きたのは。
「えっ……」
江川の驚いたような声が、風によって消えていく。
彼女の胸には、カッターナイフが突き刺さっていた。
じわじわと、血で滲んでいく制服。
「ばいばい」
そう言って、萩野は江川をベランダから突き落とした。
何mも下にある地面から、どすんという音が聞こえてきたのは、すぐだった。
彼女が落ちた真下の地面を見ると、そこには無惨な光景が広がっていた。
地面に仰向けに倒れた状態の彼女の手足は、変な方向に曲がっている。
おびただしい量の血が、地面を濡らしていた。
偶然、落下した懐中電灯が彼女の様子を照らしてるせいで、その様子は鮮明にわかる。
俺は江川の死体から目を逸らすと、くすくすと笑い声を漏らす彼女に視線を移した。
「萩野……お前……」
「死んだね、江川さん」
さらりと、萩野はそう言った。
恐怖のあまり、鳥肌が立つ。
「お前が皆を殺したのか……?」
俺の質問に、彼女は首を横に振った。
その反応に、一気に疲労感が俺を襲う。
「嘘つくな!!お前が殺したんだろ!!」
「だから違うって。しつこい」
眉間に皺を寄せると、萩野は教室に戻った。
懐中電灯はないため、暗闇しかない。
俺は言い表せないくさいの恐怖を、彼女から感じ取った。
「私が殺したのは、江川さんだけ。他は知らない」
「どういうことだよ……」
萩野が嘘をついているようにも、見えなかった。
犯人は俺達の中にはいない?
外部の人間が犯人なのか?
次々と浮かぶ疑問をよそに、萩野は口を開いた。
「私が江川さんを殺したのはね、犯人の候補を減らすためだよ」
「……は?」
予想外の言葉に、口がぽかんと開いた。
「だって、そうでしょ?もう、生き残りは3人しかいない。しかも、犯人は私以外の人間の二人のうちどちらか。それなら、殺した方が楽かなって思ったの」
「でも、教室からは出れるかもしれなかったんだから、そんなことする必要はなかっただろ!」
「わからないよ。もし、私達が無事に着地しても、安心したところで、江川さんか光貴が私を殺していたかもしれない。だから、殺したの」
俺は彼女がそんなことを考えていたということよりも、自分が疑われているというショックの方が大きかった。
彼女は教卓の中身を漁る。
すると、月明かりによって、狂気を含んだ彼女の笑顔が見えた。
教室の後方にいた俺は、思わず後ずさる。
「次は光貴の番だよ」
そう言って、萩野は教卓から取ってきたカッターナイフの刃を出す。
カチカチと音を鳴らすそれは、俺をパニックにさせるのに十分だった。
「や……やめろ……」
情けないくらい震えている俺の声。
徐々に俺との距離を詰めていく萩野と、壁に追い詰められる俺。
どちらが殺されるか、一目瞭然だった。
俺は教室の隅に逃げるが、彼女との距離はもう3mくらいしかなかった。
あまりの震えに、俺は立っていられなくなり、思わず床にしゃがみこむ。
「やめろ!考え直してくれ!俺は犯人じゃないんだ!」
「口だけなら、そんなこといくらでも言えるよ。あ、でももし江川さんが犯人だったら、ごめんね」
穏やかな彼女の口調が、俺の恐怖心を煽る。
彼女との距離は、1mもなかった。
萩野は、ゆっくりとカッターナイフを構えた。
「光貴を殺せば、私は無事に帰れる」
独り言のように、萩野は言う。
その顔は、まるで悪魔のようだった。
「じゃあね」
カッターナイフは、俺の心臓にめがけて振り下ろされた。
記憶から抜け出すと、俺は大量の冷や汗をかいていることに気付いた。
手でそれを拭う。
「私が……殺した……?」
目の前には、驚きを隠せない様子の萩野。
彼女の存在と無機質な部屋により、俺は警察署にいることを思い出した。
彼女に話をしている時、周りの環境に現実味がないような気がしていた。
もしかしたら、昨日の不可解な事件と記憶が混合しているのかもしれない。
「ああ……」
「そう……なんだ……」
信じられないという表情をする彼女。
記憶にない現実を受け入れることは難しいが、ゆっくりでいいから受け止めて欲しい。
しかし、意外にも萩野はすぐに次の話題を出した。
「……じゃあ、何で光貴は生きているの?」
「……え?」
突然の質問に、目を見開く。
「だって、私は光貴をカッターナイフで殺しているはず。でも、今私の目の前にいる光貴は、幽霊でもなんでもない、ただの人間。それはどうして?」
それは……。
「俺が殺される直前、警察が教室に入ってきたんだよ。夜の学校から悲鳴が聞こえてきて、誰かが通報したらしいんだ」
「じゃあ、光貴は奇跡的に助かったってこと?」
彼女の言葉に、俺は頷く。
すると、萩野は俺の顔をじっと見つめながら、口を開いた。
「じゃあ、結局誰が犯人だったの?小倉君や皆を殺したのは」
「それは……未だに、わからないんだ」
「そっか。でも、なんかおかしいと思わない?小倉君は【背中にナイフが刺された状態】で夜道にて発見されたんでしょ?なら、ナイフについている指紋で犯人はすぐにわかるはず。なのに、1週間経っても小倉君を殺した犯人がわからないのは変だよ」
言われてみれば、そうだ。
何故、今までそのことに気付かなかったのだろう。
「そこまでは、俺にはわからない……」
「まあ、そりゃそうだよね。でも、私1つ思ったんだ」
「何だ?」
俺は固唾を呑んで、彼女の次の言葉を待ち構えた。
「これは、小倉君の復讐なんじゃないかな」
「……え?」
予想外の萩野の考えに、頭がついていけない。
そんな俺に反し、彼女は続けた。
「何者かに殺された小倉君は恨んだ。いじめをしたり、裏切ったり、見て見ぬふりをしてきた私達を。そして、犯人探しのために夜の学校に集まった私達を、彼は一人ずつ殺していった。こんな感じだと、私は思う」
萩野の意見に、俺は呆れを含んだため息をついた。
「映画や小説の世界じゃないんだから、そんなこと有り得ないだろ。もっと現実的に考えろよ」
「でも、一人くらいこう考えても、おかしくなかったと思うんだけどなぁ。特に江川さんとか。皆、現実主義すぎでしょ」
その言葉には、確実に棘があった。
萩野の豹変ぶりに、驚きと僅かな苛立ちが湧いた。
そんな俺に、彼女は申し訳なさそうな顔をした。
謝るのか?という俺の予想は外れ、代わりに衝撃的な一言を言い放った。
「ごめんね。昨日の記憶がないなんて嘘。本当は、ちゃんと覚えてるよ」
「え……」
俺は、口をぽかんと開けながら、茫然としていた。
何故、彼女は俺を騙していたのだろう。
その疑問しか、俺の頭にはない。
「驚いた?」
「……あ、当たり前だろ。そんな嘘をつく必要なんて……」
「あるの」
彼女の声のトーンが、少しだけ低くなる。
俺は彼女の話が段々、理解できなくなってきた。
それでも、彼女は話すのをやめない。
「だって昨日の夜、私達は犯人探しなんてやってないんだから」
口調が再び穏やかになった。
しかし俺の頭の中は、既に混乱していた。
「は……?そんなわけないだろ!」
苛立ちのあまり、言い方が強くなってしまう。
「本当だよ。それに、小倉君は死んでない。生きているの」
「どういうことだよ!?小倉は死んだんだろ!」
「ううん、ちゃんと彼は生きている。でも、光貴が言う【犯人探し】の時、笠原さんとかが言っていた【高校2年生になってから、西尾君達のグループに時々混ざっていた光貴】という人は、存在しない」
次々と並べられる真実に、頭がおかしくなりそうだった。
「でも、俺はここにいるだろ!存在しないわけがない!」
「へぇ……その根拠は?」
含み笑いをしながら言う萩野。
そんな彼女に、とうとう苛立ちが抑えられなくなった。
「何が言いたいんだよ、お前!!言いたいことがあるなら、はっきり言えよ!!」
机を叩きながら、俺は怒りをあらわにした。
思えば、彼女に対してこんなことをするのは、初めてかもしれない。
「じゃあ、お言葉に甘えてはっきり言うね。昨日の夜、皆を殺したのは光貴だよ」
萩野は俺の顔を人差し指で指しながら、そう告げた。
あまりにも理解しがたい発言に、俺は顔をしかめる。
「意味わかんねぇんだけど!!俺が犯人なわけないだろ!!大体さっきお前、小倉の復讐だとか言ってただろ!」
「うん。その通りだよ」
「はぁ……?」
「さっき、言ったよね?小倉君は生きてるって。でも、皆が言っていた【光貴】という人物は存在しない。言ってる意味、わかる?」
俺は無我夢中で、首を横に振った。
「お前は、俺が小倉だとでも言いたいのか!?」
「正解」
萩野の返答が、頭の中で響いた。
「……意味が」
「意味がわからない?じゃあ、あなたの苗字は?」
その質問に、頭が真っ白になった。
俺の……。
俺の苗字は?
何故、思い出せないのだろう。
「あなたの名前は、小倉光貴。【犯人探し】での皆の証言通り、あなたは高2の秋からこの学校に転校してきた」
言われてみれば、そうだった。
1年の時に、萩野達と同じ学校にいた記憶は全くない。
「……でも、お前言ったよな?犯人探しはしてないって。なら、何で俺が犯人扱いされるんだよ」
ていうことは、皆が死んだのは夢?
途端に、脱力感に襲われた。
……せっかく死んだのに。
「ううん。皆は昨日の夜、小倉君に一人ずつ呼び出されて殺されたの」
「してねぇよ!!」
再び机を叩きながら、俺は怒鳴った。
それでも、彼女は怯まない。
「最初に殺されたのは、笠原さん。縄で首を絞められ、窒息死」
「……違う」
「次は名取さん。ナイフで心臓を刺されて、死亡」
「……違う」
「その次は、松下さん。ナイフで身体中を刺され、失血死」
ふと、あの生臭い液体を触った時の感触を思い出した。
あの時はただただ気持ち悪かったが、今ではくすりと笑いが込み上げてきた。
そんな俺に、哀れんだような目をする萩野。
再び、ふつふつと怒りが湧いてくる。
「次は、西尾君。彼の身体にガソリンをかけ、ライターで火をつけて焼死。その後、あなたは彼の死体をナイフで、こま切れにした」
「違う。あれは大槻がやった」
俺は首を何度も、横に振る。
「そして、大槻君。彼は電動ノコギリで首を切られ、死亡」
それも、俺がやったんじゃない。
「最後に、江川さん。カッターナイフで心臓を刺された後、3階からグラウンドに転落して、死亡」
「それはお前がやったんだろ!!」
俺の言葉に、萩野はゆっくりと首を横に振る。
「今まで、あなたが話してきたことは、ただの妄想。それに、私とあなたは付き合ってない。ただ、【光貴】という存在以外、皆が話したことは本当だと思う。実際、私は西尾君に弱味を握られていたし、江川さんと仲良くなったし、彼女と一緒に小倉君の味方もした。結局は裏切ったけど」
もう、彼女の発言に驚くことはなかった。
代わりに、萩野に対するどす黒い気持ちが生まれる。
「私達を酷く憎んだあなたは、自分は彼等のグループの一人であり、いじめられている小倉君が殺されたと、思い込ませた。そして、大槻君の提案で犯人探しをするけど、皆が誰かに殺されていく……自分が彼等にいじめられ、殺したことにしないように、架空の物語を作って、我が身を守った。そうだよね?小倉君」
同意を求める彼女に、俺は何も反応しなかった。
萩野は軽くため息をつく。
「小倉君は今、逮捕されてここにいるの。覚えてないかもしれないけど、あなたは警察に精神病にかかっていると思われて、精神科に診てもらった。その結果、離人症を患っていることが判明した」
「は?意味わかんねぇよ」
「離人症は、自分自身への実感が薄くなる……つまり、自分は西尾君と仲が良く、いじめられているのは他人だ、と思い込むように、自分が別の人間であると感じる症状が出るの」
そんなの、どうでもいい。
俺は彼女を、キッと思いきり睨み付けた。
「江川さんが殺された後、私も小倉君に呼び出された。そして、いきなりカッターナイフを突きつけられて殺されかけたところを、教室に駆けつけてきた警察によって助けられたの」
彼女の声など、俺には届いていない。
ただただ、萩野に対する憎しみが募っていくだけだった。
「警察署に行って、取り調べを受けた後、小倉君が離人症になっていることを知らされたんだ。私が警察に話したことと話が食い違っていることも。だから、私はあえて記憶をなくした振りをして、小倉君から話を聞くことにしたの」
「……殺せばよかった」
ぽつりと、俺は呟く。
その一言を引き金に、俺は萩野に飛びかかり、彼女の首を絞めた。
苦しそうに顔を歪める彼女の顔が、俺の憎しみを浄化していく。
「やめなさい!」
だが、そばにいた警察官よって、俺の身体は取り押さえられてしまった。
俺は、唇を強く噛み締める。
「お前は、俺がどんだけ苦しんだかわかってんのかよ!!多分、一生わからないだろうな!!いじめられて、裏切られて、見て見ぬふりをされた俺の気持ちなんか……!!」
咳をしながら、俺に視線を向ける彼女。
その目は、僅かに赤くなっていた。
俺に同情してるつもり?
「俺は一生お前らを……いや、俺以外の人間全員を恨んでやる!!皆死んでしまえ!!」
これまでにないくらい、俺は怒りを爆発させた。
同時に、どうしようもない悲しみも込み上げてくる。
すると、萩野は椅子から立ち上がり、扉に向かって歩いて行った。
俺に背を向けているが、その肩は微かに震えている。
同情なんかするな。
そんなことするなら、俺のために死んで。
「ごめんね……小倉君」
やがて扉は閉まり、彼女の姿は見えなくなった。
バケツをひっくり返したような激しい雨が降る、とある休日だった。
私、萩野真帆は右手に青い傘、左手に花束を持ち、大きな水溜まりも気にせず、ただただ山道を歩いている。
足元が崩れやすいため、何度も転びそうになるが、それでも休むことはしなかった。
やがて山道を抜けると、広大な墓地が目の前に広がった。
天候のせいか、そこには誰もいない。
こんなどしゃ降りの日にお墓参りに来るなんて、私くらいだろうか。
彼女の姉からもらったメモを便りに、私は目的の墓を探すと、すぐに見つかった。
「江川さん……」
それは、江川さんのお墓だ。
私は花束の花を添え、線香を焚くと、合掌をする。
その間も、私の耳には雨がザアザアと降る音しか聞こえなかった。
まるで、私だけ別世界にいるようだ。
目をゆっくりと開け、ライターをポケットにしまうと、私は彼女のお墓をじっと眺める。
あの事件から、約2ヶ月が経ったことを、私はまだ実感出来なかった。
彼が起こした殺人事件は、ニュースや新聞で大きく取り上げられ、世間を戦慄させた。
それもそのはず。
まだ17の少年が、同級生を6人も殺したのだから。
しかも、その殺害方法は残忍極まりない。
遺族は極刑を望んでいるとも聞いたが、年齢や犯行に至った動機、そして精神病を患っていることから、それはないと私は思っている。
どちらにしろ、私はもう彼に会うつもりはない。
彼の罪が少しでも軽くなることを、ただ願うだけだった。
取り調べを受けた後、彼から聞いた【犯人探し】という空想の出来事に、私は驚くしかなかった。
何故なら、【光貴】という存在以外、皆の話が全て一致していたからだ。
その理由は、未だにわからない。
また、彼が作った物語ではまだ解明されていない部分がいくつかあった。
まず、大槻君に西尾君の情報を与えた人物の正体。
それは、私だ。
塾の友人が西尾君の元同級生であったことを知った私は、その人に中学時代の彼のことを訊いた。
すると、予想外の答えが返ってきた。
西尾君はクラスメイトから、いじめられていたのだ。
良くないと思いつつ、私はその人から彼のいじめられている写真をもらい、大槻君にそのことを話した。
西尾君と一番仲の良い大槻君なら、カーストの頂点から落としやすいと思ったから、私は彼に頼んだのだ。
笠原さんが弱味を握られているのを知ったのは、西尾君と松下さんが話しているところを聞いてしまったからだ。
笠原さんには悪いと思って、江川さんにはそのことを言わなかった。
それが、西尾君の弱味を握ることの成功率を上げたのかもしれない。
そして、もう1つ明かされていないことがあった。
それは、犯人探しで江川さんが死ななかった理由だ。
あれだけはなかなかわからず、ただの彼の妄想に過ぎないと思ったが、きちんと理由があった。
江川さんの話には、【光貴】が登場していないのだ。
そのことから導き出せるのは、ただ1つ。
あくまで私の想像だが、もしかしたら彼は真実を知って欲しかったのかもしれない。
自分は殺された設定の【小倉】であり、【光貴】は存在しないと、訴えていたのかもしれない。
離人症は、辛くて悲しい出来事から逃避するために、自分を他人に置き換え、我が身を守る病気だ。
だが、彼は心の片隅で、本当の自分を見つけて欲しいと、強く願っていても、おかしくない。
今では確かめる術はないため、これ以上考えても無駄になるだけかもしれないが。
「小倉君……」
私は彼の名前を、ぽつりと呟いた。
彼は、私を自分の恋人だと思い込んでいた。
それは、自分が西尾君のグループの一人であるという妄想を、より信憑性を高めるために作った嘘だと、私は思っている。
だが、そう考えると、やはり虚しくなった。
彼からすれば、私は嘘を本物に変えるための【道具】だったかもしれない。
でも、私は彼のことが好きだった。
犯人探しで、江川さんが話していた私の好きな人は、彼のことだ。
「ごめん……」
小さな寝息くらいのその声は、震えていた。
さっきまで無表情だった私の頬に、一筋の涙が伝う。
もし、少しでも私が勇気を出していれば、彼はあんな風にならなかったのかもしれない。
大槻君に西尾君の情報を与えて、彼をカーストから引きずり下ろすのではなく、正面突破するべきだったのかもしれない。
今思えば、私の高校生活は後悔ばかりだった。
私は、歌を歌うことが好きだった。
中学では合唱部に入り、友人には内緒で、動画サイトにJ-POPなどを歌った動画を投稿し、確実に実力を伸ばしていった。
だが、動画サイトに投稿したことが、松下さんにバレてしまったのだ。
動画の背景に映っていた学校鞄とキーホルダー、そして地声から特定したと、彼女は言っていた。
クラスメイトにバレるのが嫌で、松下さん達のグループに入るけど、そこから私は道を踏み外していた。
そのことに、今更気付いてしまった。
「なんか、もう……バカみたい」
自嘲するような私の声は、風と激しい雨の音により、かき消される。
彼は今、何を思っているのだろう。
もしかしたら、私を憎んでいるのかもしれない。
だが、それは当然だ。
彼から全て話を聞いた後、事件の真実を彼に告げた。
それも、嫌味や皮肉を加えながら。
それらは、全て私の演技だ。
本当なら、素直に謝りたかった。
許してもらえないのはわかっているが、それでも正面から頭を下げて、謝罪したかった。
だが、そんなことをしてしまえば、私は彼から離れたくなくなる。
それに、殺された彼等の気持ちを考えると、どうしても謝罪が出来なかった。
その結果、私は彼に感情移流しないことにした。
冷たく、人の気持ちを考えない、無慈悲な人物になりきった。
しかし、最後の方ではあまりにも彼が可哀想になり、演技が出来なくなってしまった。
結局、私は情に流されてしまったのだ。
そして、今の私に残ったのは、中途半端な同情と大きな罪悪感だけだった。
「ごめん……ごめんね……」
力のない私の声。
目から溢れる涙を、私は左手で拭った。
私には、彼と再会する資格などない。
だから、今はただ彼に謝罪をし、2度と周りに流されて後悔しないことを誓うしかなかった。
それが、今の私の唯一の贖罪な気がしたから。
私は墓地を出ると、山道の入り口に向かう。
相変わらず、どしゃ降りの雨だ。
凍える両手に、私は息を吹きかけた。
その時だった。
私の周囲に、石がボロボロと落ちてきたのだ。
不思議に思い、どこから落ちてきたのか、上を見上げる。
すると、私は絶句した。
石が降ってきた方向の崖から、いくつもの木々や大量の土が降ってきたのだ。
あまりの衝撃に、私は傘を地面に落とした瞬間、私の視界は真っ暗になった。
土に埋もれた私の体は、徐々に私から生命力を奪っていく。
勿論、呼吸など出来るわけがない。
土の中から這い上がりたくても、既に私の上には何mもの土が覆い被さっているのか、それは出来なかった。
ああ……私、死ぬんだ。
自分の死というものは、こんなにも落ち着いて実感出来るものなのだろうか。
いや、もしかしたらこれは、彼を裏切った罰であり、それを私は冷静に受け止めているだけなのかもしれない。
薄れていく意識の中、最後に彼の声が聞こえてきたような気がした。
「ざまあみろ」
[END]
【お知らせ】
番外編書きます。
[The past calls the death]
その少年は、いつも通り家に帰った。
変わったことと言えば、テスト期間のため、いつもより帰る時間が早くなったことくらいだ。
玄関で靴を脱ぎ、広いリビングに行くが、そこには誰もいない。
ただ、白いソファやテーブル、テレビなどが置いてあるだけだった。
だが、少年にとっては、いつもの光景である。
彼の両親は、共働きだからだ。
少年は2階の自室に入る。
そこは至ったって、普通の部屋だ。
広くも狭くもなく、小さな本棚とシングルベッド、大きめの丸テーブルに、隅には勉強机も置かれている。
少年はベッドの上に制服を脱ぎ捨て、私服の白いセーターと黒のジーンズに着替えた。
本格的な冬になり、その服装は比較的厚手である。
そして、本棚からいくつか参考書を取り出し、それらを丸テーブルに置いた。
少年は床に座り込むと、ちらりとベッドの下の隙間を見る。
すると、少年はそこに右手を突っ込んだ。
そこから出てきたのは、2冊のアルバムだった。
1つは家庭で撮ったもの、もう1つは中学の卒業アルバムである。
しかし、少年はまだ中3であり、中学を卒業していない。
何故なら、これらは別の人物のアルバムだからだ。
実際、この持ち主以外の人物の顔は、全くわからない。
アルバムをパラパラとめくり、時々写真をじっと見つめる少年の顔は、どこか悲しそうだった。
やがて、少年はアルバムをぱたりと閉じると、それらをベッドの下に戻す。
このように、あの2冊のアルバムを見る行為は、少年にとって癖になりつつあった。
その時、インターホンが鳴った。
「お、来たか」
少年はそう呟くと、さっきまで憂いを帯びていた顔が、徐々に綻んでいく。
階段を降りる足取りも軽く、彼がこれから来る人物を待ちわびていたことは確かだった。
その日の夜は、猛烈な雨が降り注いでいた。
風も強く、その寒さは尋常ではない。
そんな天候の中、彼等はある場所に向かっていた。
レインコートを身に纏っている彼等……6人の足取りは、おぼつかない。
それは、全員がブルーシートに包まれた縦長の大きな【あるもの】を運んでいたからだ。
その重さは、60kg近くある。
6人で運んでも、それは決して楽な作業ではなかった。
やがて、彼等の視界に、1つの建物が入った。
それは、学校だった。
背後には山がそびえ立ち、天候と時刻のせいで、不気味に見える。
しかし、それだけが理由ではなかった。
この学校は、数年前に廃校になったからだ。
老朽化や幾度の台風のせいで、校門やグラウンドを囲む柵は、破損している。
「よし……行くか」
森永昴はごくりと唾を飲み込むと、そう言った。
「おい!足踏むんじゃねぇよ!」
「ご、ごめん!」
「マジで寒いんだけど」
「温かいココアでも飲みたいね」
「何で今日に限って、こんな大荒れなんだよ」
彼等は校舎に入ると、ブルーシートに包まれたものを運びながら、好き勝手に会話を始める。
階段の付近まで来ると、胸元まで伸ばしたやや癖っ毛の黒髪と、比較的地味な容姿が特徴の羽柴唯奈が、おずおずと口を開いた。
「ね、ねぇ……上の階に上がる必要あるの?」
「万が一のためだよ。一番上……3階の方がバレにくいかもしれないだろ」
彼女の質問に答えたのは、顔立ちが良く背も高い香川蓮。
彼の答えに、唯奈は涙を浮かべる。
泣き虫で怖がりな性格の彼女のその表情には、全員が慣れていた。
「じゃあ、3階まで行かなきゃいけないの!?やだよ!こんなとこ、早く出たいよ!」
「じゃあ、【あれ】が見つかってもいいのかよ!」
彼の言葉に、唯奈は何も言い返さなかった。
それは蓮が怖いから、というのもあるが、彼の言う通り、【あれ】が見つかってしまえば、終わりなのだ。
彼等の人生は。
校舎の中は、机や椅子、ガラスの破片などが散乱している。
スプレーで書かれた落書きなどもあるため、以前に誰かがここに侵入したのは確かだった。
やがて3階にたどり着くと、彼等は一番近くにあった【2年A組】の教室に入る。
彼等は、散乱していた机を縦に3つ並べ、その上にブルーシートを置いた。
すると、背中まで伸ばした艶のある黒髪とぱっちり二重の目が特徴の鈴村樹里が、無表情のままブルーシートの一部をめくった。
「死体だね。美子」
そう呟きながら、彼女は幼馴染みの名前を呼ぶ。
樹里がめくった部分からは、人間の顔が見えていた。
「それ以外に何があるのよ」
美子は眉間に皺を寄せながら、レインコートのフードをとった。
それと同時に、柊悠也は持っていた懐中電灯の明かりを、美子の顔に向ける。
すると、彼女の肩にかかる程度の髪と綺麗な顔が、はっきりと見えた。
「で、どうするのよ。この死体」
彼女は腕を組みながら、蓮に問う。
「そうだな……大ロッカーか掃除用具入れにでも入れるか」
「でも、バレないかな」
不安そうに、ブルーシートを見つめる昴。
「大丈夫だろ。わざわざこんな廃校の3階に来てまで、バレたくねぇよ」
ぎこちない笑みを浮かべる蓮だが、その表情にはやはり不安が混じっている。
すると突然、悠也が何かを突然思い出したような顔をした。
「そういや、皆知ってるか?ここの学校の話」
「話?」
不思議そうな顔をしながら、首を傾げる樹里。
その瞳には、好奇心が宿っていた。
「10年前、ここの学校で殺人事件があったんだよ。夜中に男子生徒が同級生6人を一人ずつ呼び出して、殺したんだ」
彼等……樹里を除いた全員の顔が強張る。
嫌な想像でもしたのだろう。
「だけど、男子生徒とともに警察に発見されて、奇跡的に助かった女子が、事件から2か月後に行方不明になったんだってさ。10年経った今でも、未だに発見されてないらしいな。ちなみに、これはマジで実話な。ネットで検索すれば、すぐに出てくる。あと、あくまで噂だけど、この学校に侵入した奴は死ぬらしいぜ」
「やめてよ、そういうの!!」
青ざめながら、彼に怒鳴る唯奈。
微妙な空気の中、樹里が無表情のまま、ぽつりと呟いた。
「殺人事件が起こった廃校に、死体を隠す……か」
その言葉は、彼等に重くのしかかった。
彼の中には、罪悪感、不安、焦りなど、様々な感情が湧いている。
だが、それよりも大きな負の感情が、彼等を支配していた。
「犯人は誰なんだろうね」
「おい。その話はやめろよ」
少しだけ口角を上げる樹里と、そんな彼女を睨む蓮。
昴はもう一度、ブルーシートに包まれた死体の顔を、じっと見る。
その目には、どんな感情が含まれているのかは定かではない。
「それよりも、まずは死体の隠し場所を決めるのが先よ」
美子がため息混じりにそう言ったその時だった。
「あれ、誰かいるの?」
廊下から聞こえてきたそんな声とともに、教室の扉ががちゃりと開いた。
教室に入ってきたのは、20代くらいの女性だった。
胸元まで伸ばしてある緩く巻いた髪に、長い睫毛が特徴の彼女は、茶色いコートを身に纏っており、右手にはビニール傘を持っている。
彼女は傘を机の上に置くと、彼等の顔を見渡した。
突然の謎の女性の登場に、誰もが困惑する。
「こんな時間に、ここで何やってるの?」
彼女は腕を組みながら、そう質問した。
別段、怒ってるわけでもなさそうだ。
だが、女性の言葉に、昴、蓮、悠也、美子は反射的に、彼女からブルーシートが見えないように、立ちはだかった。
しかし、そんな行動も虚しく、
「……何か隠してる?」
と、怪訝な顔をしながら、どんどんブルーシートの方へ近付く。
女性の動きを止めようと、蓮は彼女の腕を掴んだ。
「な、何にも隠してねぇよ!!つか、誰だよお前!!」
「ふーん……初対面、しかも年上の私に、そういう言い方はないんじゃないの?」
眉を吊り上げながらそう言う女性に、蓮は言葉を詰まらせる。
すかさず、昴が声を上げた。
「どうしてここに来たんですか?」
「その言葉、あなた達にまんまと返すよ。まさか、こんなどしゃ降りの日に肝試し?」
そう言って、女性は再び彼等の顔を見渡した。
昴は額から汗を流しながら、視線を落とす。
すると、女性はブルーシートに目を向けた。
彼等の顔が一気に強張る。
「これは何?……まさか死体?」
その一言で、教室が水を打ったように静まり返った。
ある者は絶望し、ある者は返答に悩み、ある者は頭の中が真っ白になっている。
そんな状況の中、樹里はふわりと笑みを浮かべながら、口を開いた。
「そうですよ、死体です」
その返答に、女性は僅かな驚きを見せながらも、黙って彼女の言葉を受け止めた。
だが、彼等のうち一人は顔を歪ませながら怒鳴った。
それは、蓮だ。
「お前……何やってんだよ!!何がなんでも、バレないようにしろ、って言っただろ!!」
「でも、このまま嘘をついても得策じゃないって思ったの」
無表情で答える樹里。
すると女性は、
「このままじゃ、あんた達は死体遺棄で捕まる」
と、呟くように言った。
【死体遺棄】という言葉に、彼等は自分のしていることの重大さを、改めて実感した。
それは、背中に重くのしかかってくる。
そんな彼等に、女性は優しい笑みを浮かべた。
「でも、事情を説明してくれたら、見逃してあげる。もし、警察に怪しまれても、私がアリバイを作るから」
それは、彼等にとって救いの言葉だった。
重かった気持ちが、一気に軽くなる。
悠也はちらりと蓮を見た。
彼等のグループのリーダーである彼に、事情を話しても良いか、様子を伺っているのだ。
こんな時まで、蓮の機嫌を取ろうとする悠也に、昴は呆れる。
「仕方ねぇな……教えてやるよ」
女性の条件を呑んだ蓮は、頭をポリポリと掻きながら、ため息をついた。
すると、美子が眉間に皺を寄せた。
「いいの!?私達を騙してる可能性だってあるかもしれないのに!?」
「その可能性は否定出来ないけど、状況が状況だ。信じた方がまだマシじゃねぇのか?」
確かに、初対面で何も知らない相手を罪から逃すなんて、普通なら有り得ないだろう。
だが、蓮は僅かな可能性に賭けていたのだ。
それが吉と出るか、凶と出るかはわからない。
すると、昴は女性に向き直り、口を開いた。
その表情は、真剣そのものだ。
「俺達の誰かが、彼奴……海斗を殺したんです」
それは、とてもシュールな光景だった。
広くも狭くもなく、ベッドや本棚、勉強机などが置かれたこの部屋。
円になった状態の俺達。
そして、俺達の中心にいるのは……。
「死体」
樹里が独り言のように言う。
俺達が取り囲んでいるのは、1つの死体だった。
そして、死体の正体は、俺達のグループに属する海斗だ。
彼は背中に血がついた状態で、うつ伏せのままフローリングに倒れている。
白いセーターを着ているため、その血はとても目立つ。
その目は見開いているが、瞳には輝きが失せていた。
死んでいることは、明らだった。
「何で……海斗……」
涙混じりに、彼の名前を呟く唯奈。
他の皆も、驚きを隠せないという表情で、彼を見下ろしていた。
その一人である悠也に、俺は視線を向けた。
「第一発見者は……悠也だよな?」
「ああ、そうだよ昴。てか、第一発見者って、海斗は誰かに殺されたって言いたいのかよ」
困惑した表情を浮かべる悠也。
俺は彼の言葉に、こくりと頷いた。
今日、俺達は海斗の家で勉強会をすることになっていた。
テスト期間のため、下校時刻も早く、勉強会をするにはちょうどいいと思ったからだ。
だが、俺が家に入った時には、生きた彼はいなかった。
彼の両親は共働きのため、家にはいない。
自分の息子が死んだなんて、思ってもみないだろう。
「私も昴と同じ意見ね」
美子が腕を組みながら、そう言った。
すると蓮はしゃがんで、まるで刑事のように死体をじろじろと見た。
「自殺とかじゃないのか?」
「でも、明らかに凶器で背中を刺されてるわよ。自殺なら普通、心臓とかに刺さない?それに、わざわざ私達が来る前に自殺もおかしいし、海斗が自ら死ぬなんて……」
美子の言葉が、そこで途切れた。
全員の目の色が暗くなる。
俺、蓮、悠也、美子、樹里、唯奈のグループに、海斗は入っていた。
成績はあまり芳しくないらしいが、運動神経は抜群で、中でもサッカーが得意だった。
受験生のため、大好きなサッカー部を引退した彼は、高校でもサッカーを続けたいと言っていた。
何事にも真剣に取り組んで、いつも仲間を励ましたり、時には厳しく叱っていた海斗。
そんな彼の瞳には情熱が宿っていたが、今の海斗にはそのようなものは、微塵にもない。
俺はゆっくりと俯いた。
「とりあえず、警察に通報しないと!」
ポケットからスマホを取り出す唯奈。
だが彼女の行動を、誰かが制した。
「待ってよ」
声のした方に全員が向く。
俺達の視線を浴びたのは、樹里だった。
彼女の右手には、乱暴に引きちぎられたルーズリーフがある。
「どうかしたのか?」
苛立った声で、蓮が問う。
樹里は少しだけ間を開けると、やがてピンクの唇を開いた。
「犯人はこの中にいる」
そう言って、彼女はルーズリーフに書かれている文字を見せた。
そこには雑な字で【海斗を殺した犯人は蓮、悠也、昴、美子、樹里、唯奈の中にいる】と書かれていた。
樹里のぷるぷるした唇が一瞬だけ、吊り上がったのは気のせいだろうか。
「何だその紙!」
「枕の下にあったの。少しだけ見えるようになってたから、これを書いた人は私達にこれを見せたかったことは確実……」
眉をひそめる蓮と、冷静に分析する樹里。
正直、この中に犯人がいるとは考えられなかった。
海斗を殺した理由もわからないし、そもそもそんなこと思いたくなかった。
すると、唯奈がおずおずと口を開いた。
「【海斗を殺した犯人】っていうことは、海斗は自殺じゃないんだよね。あと、これを書いたのって犯人なの?」
それは、俺も思っていたことだった。
俺は樹里が持っている紙を、じっと見つめる。
「普通、犯人はバレたくないから、自殺とかにカモフラージュしようとするよな。でも、背中に傷を負っているし、何よりこの紙だ。これだと、俺達に犯人探しをさせようと誘導してるみたいだな」
「そんなことして、何のメリットがあるんだよ」
俺の考えに、冷たく返す蓮。
「そうだよ。てか、字体とかで書いた奴がわかるんじゃないのか?」
蓮に同調しながら、悠也はさらに付け加える。
だが、彼の言葉に首を横に振ったのは、美子だった。
「でも、明らかにこれって雑な字で書いてあるわよね。書いたのが自分とわからないように」
美子の指摘に、二人は言葉を詰まらせる。
そんな中、まだスマホを握り締めていた唯奈が声を上げた。
「とりあえず、警察に通報しようよ!犯人のことはそっちに任せれば……」
「いや、ダメだ」
彼女の発言を、蓮が制した。
その瞳は、焦りの色が映っている。
「昴や美子の考えを完全に信じたわけじゃねぇけど、もし俺達の中に犯人がいると周りに知られたら、どうなる?」
「でも、それはこの紙を警察に見せなければいいだけの話じゃないの?」
反論する美子に、蓮は首をゆっくりと横に振る。
「そんなことしても無駄だ。俺達が今日の放課後、海斗の家で勉強会をすることは、一部のクラスメイトが知ってる。紙のことを隠しても、俺達の中に犯人がいるって噂が流れる可能性は十分有り得る」
「クラス中からハブられるかもね」
「ネットに写真貼られたりして」
「受験にも影響するな」
蓮の言葉を筆頭に、ネガティブな言葉が次々と並べられる。
俺達は今、受験生だ。
どんなに学力が高くても、この事件のせいで、高校に合格出来ない可能性がないとは言い切れない。
もし、警察がすぐに犯人を捕まえたとしても、俺達に僅かな影響が残ってしまうかもしれない。
ましてや、犯人がずっとわからないままだったら、それこそネガティブな言葉通りになってしまうだろう。
「じゃあ、どうするの?警察に通報する以外、出来ることなんて……」
唯奈が視線を落とす。
すると、それを再び上げたのは、樹里だった。
「死体を隠せばいい」
その案に唯奈だけでなく、俺達も目を大きく見開いた。
とんでもないことを口にした彼女だが、目は真剣そのものだった。
「このまま警察に相談したって、犯人が必ず捕まるとは限らない。それで受験に不利になったら、どうするの?困るのは私達だよね」
樹里はレベルの高い女子校を目指していると言っていた。
今までの努力を水の泡にしたくないのだろうか。
「でも、どこに隠すんだよ」
怪訝な顔をする悠也の質問に、彼女は腕を組みながら、考え込む仕草をする。
すると、何か閃いたように瞳を輝かせた。
「廃校。ここの近くの高校が数年前に廃校になったの。そこなら、バレないと思う」
「は、廃校……!?」
【廃校】という単語に、唯奈の表情が青に変化した。
「うん。山とかもいいけど、そういうところって、警察がより慎重に探すでしょ?だから、そういうのはやめた方が良いと思う」
「確かにな……」
樹里の説明に、蓮は首を縦に振った。
彼女の言うことも、一理ある。
ふと、死体が山で発見されたニュースを思い出した。
山に隠しても見つかる、という不安要素もあったが、逆にそれを逆手にとった賭けを、樹里は思いついたのだろう。
ドラマや小説だってそうだ。
隠された死体は【山】で発見されることが多い。
ならば、廃校という意外な場所に隠せば、見つからない可能性が高い。
リスクは大きいが、海斗が行方不明になったと聞けば、警察は山や河川などは必ず探すだろう。
そのまま見つからずに、捜査が打ち切りになるのを待てばいい。
俺の心を覗いたかのように、樹里の口角が僅かに吊り上がった。
だが、反対に美子は目を大きく見開きながら、口を開いた。
「廃校の高校ねぇ……ちなみに、学校の名前は?」
「確か……【笹山高校】だった気がする。廃校になった理由は知らないけど、なんか色々事情があったとか聞いたことがある」
「何だよ、美子。お前廃校が怖いのか?」
からかうように、にんまりと笑みを浮かべる悠也を、美子は静かに睨んだ。
図星なのだろうか。
「……本当に、死体を隠すの?」
俯きがちに、ぽつりと呟く唯奈。
それはとても小さい声だったが、俺達を黙らせるには十分だった。
「これって犯罪だよね?もし、死体が見つかったら、受験が不利になるどころの話じゃないよ。それに、友達の死体を廃校に隠すなんて、酷すぎると思わない?」
唯奈が言ってることは、最もだった。
完全に死体を隠す流れになっていたが、今振り返ってみれば、俺達の考えは人として最低だ。
殺された海斗の気持ちも考えずに、自分達の保身を第一に守ろうとしたのだ。
これ以上醜いことなど、あるわけないだろう。
俺は視線を床に向けると、蓮は声のトーンを低くしながら言った。
「仕方ないだろ」
全身を凍りつかせてしまうくらい、冷酷なその言葉に、俺は視線を蓮に移した。
彼は迷惑そうに、眉間に皺を寄せながら、海斗の死体を見つめている。
その表情は、気持ちが良いくらい醜くかった。
「いい迷惑だな。海斗が殺されたせいで、俺達はこんな目に遭ってるんだ。全部海斗が悪いんだろ」
「だよな。犯人に殺されないように、なんとかしてくれればよかったのにな」
「そういう言い方なくない!?」
蓮と彼の言葉に同調する悠也に、美子は拳を握り締めながら怒鳴った。
すると、俺は彼女の横に立ち、二人に言葉を投げかけた。
「お前達は、海斗……友達の死体を遺棄することに、抵抗はないのか?大事な友達だろ?」
冷静ながらも、感情を込めたつもりだったが、蓮は相変わらずの態度だった。
「大事な友達?笑わせんなよ。自分の保身よりも優先するほど、俺は海斗のことは好きじゃねぇよ。むしろ嫌いだ」
【嫌い】という言葉に、部屋全体が凍りついた。
蓮は確かに気が強くて、少し自己中なところがあった。
だが、そんな彼は正義感の強い海斗と仲が良かった。
海斗だけでなく、悠也や俺達ともだ。
些細なことで喧嘩はあったものの、このグループが嫌になったことは一度もない。
ふいに、雑談を交えながら下校する俺達の姿が思い浮かんだ。
だが次の瞬間、それはガラスのように、一瞬で儚く砕け散った。
友情は作るのは大変だが、壊れるのはあっという間だ。
改めてそれが実感できた気がする。
「何で……蓮は海斗と仲が良かったよね?」
毒を吐く蓮に怯えながらも、唯奈は遠慮がちに質問した。
「そんなの上辺だけの付き合いに決まってるだろ。俺、ああいう熱血タイプ苦手なんだよ。てか、他にもいるんじゃないのか?上辺だけ仲良くしようとしてる奴」
そう言って、蓮は目を細めると、俺達を見渡した。
俺達の本心を探るように、じっくりと。
すると、彼は無表情のままの樹里に目を留めた。
「樹里って、美子と幼馴染みなんだよな。そのわりには関わりは薄くないか?それってもしかして、美子のことをよく思ってないからだったりして」
にやりと微笑む蓮に、樹里は何も答えなかった。
ただ、蓮に冷たい視線を送るだけだった。
「それよりも、今は死体をどうするか決めるのが先でしょ」
話題をずらした美子。
それは、単に話を円滑に進めたかったのか、それとも自分と樹里のことを話題に出して欲しくなかったからの発言だったかは、定かではない。
「俺は絶対隠したい。グループの人間が誰かに殺されただけで、俺の人生に支障が出るなんてごめんだ」
腕を組みながらそう言う蓮に、何度も頷く悠也。
「私も二人に賛成」
続いて、樹里が声を上げる。
俺は美子に視線を向けた。
表情から、彼女は葛藤しているような気がした。
自分の人生を取るか、友達を取るか。
それは、自分の人間性を問う重要な選択なのかもしれない。
やがて、彼女は徐に口を開いた。
「隠すしかないわね……」
美子は自分の人生を取った。
蓮達にとっては、直感で決めた答えだと思うが、彼女は違った。
きっとたくさん迷って、やっと決めた結論なのだろう。
だが、彼女の心が完全に晴れたわけではない。
その証拠に、美子は今にも泣き出しそうな様子だ。
溢れ出しそうな涙を必死に堪え、肩や拳を震わせている。
意地っ張りな性格の美子が泣いている場面など、俺は一度も見たことがなかった。
罪悪感が彼女を支配しているのだろうか。
見るに耐えない彼女の姿から目を離すと、俺は蓮の視線を浴びていることに気づいた。
それは、決して温かい眼差しではなかった。
蓮は俺から目を逸らすと、唯奈に視線を移す。
彼の視線の意味が、すぐに理解出来た。
結論を出さない俺と唯奈に対して、自分達の意見に賛成しろと、目で主張しているのだろう。
俺は正直、海斗の死体を隠したくない。
それは自分の立場として当然だし、そこまでするほど、俺は保身に走ろうとは思えなかった。
だが、ここで彼等に反対したところで、どうなるのだろう。
少数派が多数派に勝てるわけがない。
ちらりと、唯奈に視線を送る。
俯いている彼女は、美子と同様に悩んでいる様子だ。
これ以上考えても、無駄だ。
そう唯奈に言いたくなったが、それを我慢した。
「俺も、蓮達に賛成だ」
力なく言うと、蓮は満足そうに微笑んだ。
彼の顔に一瞬だけカチンときたが、それを抑える。
蓮は再び唯奈を見た瞬間、彼の目つきが変わった。
目だけで脅迫していると言っても、過言ではない。
「」
「唯奈は?」
「わ……私は……」
唯奈は顔を青白くさせ、視線を床に落としている。
すぐに決められないのは、彼女の中に強い正義感があるからなのだろう。
唯奈はそういう人間だ。
気弱で口数は少ないが、その分正義感は人一倍に強い。
一見周りに流されやすそうな性格だが、正しいと思った方に進むことが多い。
それは長所でもあるが、時には自分を苦しめるのだ。
そんな唯奈に、少し同情してしまう。
やがて、彼女は視線を上げると、震えがちの声で話した。
「私も……賛成」
唯奈の答えに、蓮は安堵のため息を吐く。
俺は彼女を軽蔑する気は一切なかった。
自分も賛成したし、なにより状況が状況だ。
ここで同調しなければ、全員から責め立てられていただろう。
気弱な性格なら、それは仕方ないことなのかもしれない。
浮かない顔の唯奈や美子はそっちのけで、蓮達は死体を隠すことについて話し合い始めた。
「決行は、今日の夜にしような」
「でも、死体はどうやって持っていくんだ?」
「それなら大丈夫。私の家にブルーシートがあるから、それで死体を包んで、全員で運ぼう。死体を運んでいるところを他の人に見られないように、人通りの少ないルートも調べておくね」
台本でもあるのだろうか、と思うくらい、蓮と悠也と樹里は着々と話を進めていく。
俺は3人から目を離すと、ため息をついた。
「どうしてこの中に犯人がいるかもしれないのに、こんなこと出来るんだろう……」
俺の小さな呟きは、3人の声によりかき消された。
「へぇ、そんなことがあったんだ」
女性は壁に寄りかかりながら、口元に笑みを浮かべた。
まるで、今まで求めていたものを見つけたかのような表情だった。
「つまり、この中に殺人犯がいるわけね」
女性の言葉に、彼等の眉毛がぴくりと動いた。
触れてはいけなかったものだと彼女は察したが、躊躇わずに続ける。
「よくそんな状況で、全員で協力して海斗君の死体を運べたねぇ……」
「で、でも、俺達がやったっていう徹底的な証拠はないだろ!!」
「……確かにね。あの紙を書いたのは本当は第三者で、私達の中に犯人がいると思い込ませたかったのかもしれない」
蓮の言葉に、美子は冷静に推測を立てる。
誰かがほっと安堵のため息をついた。
だが、少しだけ和らいだ空気を再び凍りつかせたのは、唯奈だった。
「……徹底的な証拠ならあるよ」
唯奈は怯えた顔をすると、彼女はスカートのポケットから、1つのキーホルダーを取り出した。
それは、クマのマスコットだった。
全員の顔が真っ青になる。
「それ……私達が付けてたやつ……」
美子が拳を震わせながら、呟く。
そのマスコットは、海斗を含めた彼等がおそろいで付けていたものだった。
唯奈は徐に唇を開く。
「これが海斗の部屋に落ちていたの。でも、海斗の鞄にこのマスコットがついてた。だから、これは私達の中の誰かが落としたもののはず。海斗が殺されて、悠也が死体を見つけた後に、犯人じゃない誰かが落としたっていうことは考えられない。だって、私達は手ぶらで家に行ったんだから」
海斗は勉強道具を全て貸すと言っていた。
そのため、彼の死後に彼等のうちの誰かが、偶然マスコットを落とすのは有り得ないだろう。
すると、蓮が眉をひそめながら、口を開いた。
「じゃあ何でそのことを、今俺達に言うんだ?見つけた時に言えばよかっただろ」
この言葉を、彼女は予想していたのだろう。
だが、唯奈の表情はひきつっていた。
言わなかったことを、彼に責められると思っているのかもしれない。
「ごめん……見つけた時、言わなきゃいけないと思ったけど、疑心暗鬼な雰囲気を作りたくなかったの。だけど、いずれは伝えなくちゃいけないから……」
「この女が犯人について話してたから、言うことにしたってことか」
そう言った蓮は、別段怒っているわけではなさそうだが、冷たい口調は変わらない。
唯奈は再び出てきた涙を、必死で抑えた。
昴はそんな彼女に、哀れみの視線を向ける。
「なら、海斗を殺したのは、やっぱりこの中に……」
やっと夢から覚めたように、美子が言葉を漏らす。
それは、彼等にとって、衝撃的な一言だった。
今更すぎるかもしれないが。
彼等は自分達の中に犯人はいないと、心のどこかで思っていた。
メッセージは第三者が書いたものだと勝手に思い込んだり、身近に殺人犯がいるという現実を受け入れたくなかったからでもある。
だが、状況は変わった。
唯奈から告げられた証拠により、その考えは一瞬で遮られてしまったのだ。
疑心暗鬼になる者、犯人に怯える者、冷静に事件について考える者など、そこからの行動は様々だが、全員は確信した。
この中に犯人は確実にいる、と。
すると、突然女性は椅子に座り、鞄から取り出したメモ帳を机の上に置いた。
女性は彼等から視線を浴びていることにも気にせず、激しい雨が降っている外を見つめながら、唇を開いた。
「犯人は私が見つける」
女性の突然の宣言に、誰もが言葉を失った。
無理もない。
無関係の人間が、事件の犯人を見つけてくれると言ったのだから。
「私一応、探偵事務所で働いているの。本業は浮気調査や身辺調査で、殺人事件とかは警察の仕事だけど、力にはなれると思う」
確かにただの一般人よりは良いだろう、と昴は女性の顔をじっと見つめる。
「なら、俺達はどうすればいいんだ?聞き取り調査でもすんのか?」
ため息混じりに、蓮が言う。
「それはするけど、まずはここから出よう。そうしなきゃ、何も始まらない」
「じゃあ、海斗の死体はどうするんですか?」
ブルーシートを突っつきながら、昴が訊いた。
「とりあえず、私の家に置こう。この学校から近いし、人通りも少ないから、誰にも見つからないと思うね」
彼等は僅かに考え込むが、彼女に頼った方が良いと思ったのか、反対する者は誰もいなかった。
だが、一人だけ女性に言葉を投げかけた。
「あなたは……何故ここに来たんですか?何故私達に協力してくれるんですか?あと、あなたの名前は何て言うんですか?」
質問したのは唯奈だった。
その顔は、大人しい彼女には珍しいくらい、鬼気迫っていた。
昴は眉をひそめながら、唯奈の顔をじっと見る。
「いずれはわかるんじゃない?全ては、皆の行動次第」
女性の意味深な発言に、彼等の背中に鳥肌が立つ。
彼等が、女性の【異様な雰囲気】を感じ取った瞬間なのかもしれない。
女性は教室の前方のドアまで移動すると、
「とりあえず、ドア開けとくから死体を廊下に運んで」
と、彼等に指示を出した。
その瞬間だった。
「……あれ?開かないんだけど」
女性はドアを何度も開けようとするが、一向にそれは開かない。
ただ、ガチャガチャとドアノブを回す音が聞こえるだけだった。
流石の女性も、この事態に顔をしかめる。
「……まさか、閉じ込められた?」
樹里がぽつりと呟く。
だが、その表情からは感情が感じ取れなかった。
「ちょ、冗談はよせよ」
笑いながらそう言う蓮も、目は笑ってない。
「後ろのドアなら、開くんじゃね?」
と、悠也が後方のドアに駆け寄る。
だが、そこでもただただドアノブの音が無情に響くだけだった。
最初は軽く見ていた者達も、困惑の表情を浮かべる。
「嘘でしょ……」
昴の隣にいる唯奈が、顔面蒼白で声を漏らす。
怖がりな彼女にとって、夜の廃校の教室に閉じ込められるというシチュエーションは死ぬより恐ろしいものだろう。
彼女はドアの前に立つ悠也の横に並ぶと、全力でドアを叩き始めた。
「ねぇ、出してよ!ねぇ!ねぇ!!出してよ!!」
狂ったように何度も叩き続ける唯奈の顔は、涙を流しながら笑っていた。
側にいた悠也も、狂気を感じる唯奈から目を離す。
すると、視線を【あるもの】に移した彼は、目を輝かせた。
「椅子でガラスを割ったらどうだ!?」
廊下の様子が見えるガラスに指を差す悠也。
「少し手荒だけど、いいんじゃない?」
美子が髪をかき上げながら、賛成する。
「怪我するなよ」
心配そうに悠也を見つめる昴。
ガラスの破片が飛び散ることを考慮し、悠也はレインコートのフードを被ると、1つの椅子を持ち上げた。
割りやすいように、美子はガラスを懐中電灯で照らす。
「じゃ、いくぞ!!」
気合いを入れるために大声を出すと、彼は持ち上げた椅子をガラスに叩こうとした瞬間だった。
異変が2つ起こったのだ。
1つ目は、美子が照らしていた懐中電灯が突然消えてしまったこと。
もう1つが、真っ暗な闇が訪れた数秒後に、何か大きなものが床に倒れる音がしたことだった。
「何で消えたの!?まさか電池切れ!?」
「待って。私の懐中電灯もあるから、今からつける」
半ばパニックになりつつある美子に、女性が冷静にそう言った。
だが、女性が懐中電灯のスイッチを押しても、カチカチと音がするだけだった。
どんどん増してくる不安に、彼等の中に【恐怖】の2文字が現れる。
そして、それがいつしか【絶望】に変わることを、まだ彼等は知らない。
「ちょ、ヤバい。つかないんだけど!」
「もうやだ!!帰りたいよ!!」
「どういうことだよ、これ!!」
女性の嘆き声から始まり、彼等は口から次々と不安をこぼしていく。
しかし、この状況の中で、一人だけ静かにある疑問を口にした。
「悠也は?」
声の主は樹里だった。
彼女の言葉に、一瞬だけ彼等は冷静になるが、すぐに強い不安にかけられる。
何故なら、樹里に名前を呼ばれた彼からの返事がなかったからだった。
「おい、悠也?」
僅かに震えた声を漏らす蓮。
しかし、彼の呼び掛けにも、悠也は返さなかった。
ただただ暗闇が目の前に広がるだけである。
「そうだ。スマホの明かりがあるよ」
携帯のことを思い出した昴の声は、少しだけ明るかった。
ズボンのポケットからスマホを出すと、ホーム画面の状態で床に照らした。
自分の位置を確認しながら、慎重にガラスの方へ彼は近付く。
全員が固唾を呑んで、スマホの明かりを見つめていた。
悠也がどうなっているのか、彼等は不安で堪らないのだ。
返事をしない限り、彼が普通でいることはまず有り得ない。
だが、嫌な想像もしたくなかった。
もしかしたら、彼は自分達を驚かすために、懐中電灯が突然消えたこの状態を上手く利用して、わざと返事をしなかっただけではないのか、などと都合の良い想像をしている者もいるくらいだ。
しかし次の瞬間、スマホの明かりによって、その期待はまんまと裏切られた。
「な、なんだよ、これ!!」
「ひっ!」
「嫌だ!!誰かここから出してよ!!」
照らされた床には、水溜まりを作っている赤い液体と、首をナイフで刺された悠也がいた。
残虐な姿の彼は、これ以上にないくらい目を見開いている。
だが、その瞳には輝きはない。
死んでいることは明らかだった。
「どういうこと……!?」
叫び散らすような美子の声。
「……殺された?」
茫然としながら昴が言う。
その顔は、まるで幽霊のように青白い。
「でも、悠也まで……!?」
「大体、この状況で悠也が殺されたなら、殺ったのは……」
蓮の言葉に、全員が黙り込んだ。
その先は、誰もがわかっていた。
悠也は、自分達の中の誰かに殺されたのだと。
すると、重い空気の中、手をパンパンと叩く乾いた音が聞こえてきた。
その正体は、女性だった。
「あんた達の誰かが悠也君を殺した、か……」
「それって、海斗を殺した犯人と同一人物だったりします?」
樹里が女性に訊く。
すると、彼女は徐に答えた。
「わからないけど、その可能性は高い。暗闇になった状態を利用して、犯人は悠也君を殺したのかぁ……」
「……美子が殺したんじゃないのか?懐中電灯を持っていたのは美子だろ。わざと電池を抜いてつかないことにして、その隙に悠也を殺したんじゃ……」
声を低くしながら、蓮が言った。
彼の推測に、弾かれたように美子が言い返す。
「そんなことしてない!大体、私が懐中電灯がつかないように仕掛けても、女の人が代わりに自分のをつけてくれるはずでしょ。でも、女の人の方もつかなかったんだから、その理由で私が犯人扱いされることはない」
彼女の反論に、押し黙る蓮。
すると、昴がぽつりと呟いた。
「でも、2つともつかないって有り得るか?しかも同じタイミングで。まるで、犯人が2つともつかないようにしたみたいじゃ……」
「だけど、私はあんた達に自分の懐中電灯を渡した覚えはない。それに、私もあんた達から懐中電灯を受け取ったこともない。だから、犯人が両方つかないように仕組んだことは有り得ないはず。つまり、懐中電灯の件は偶然なんじゃない?」
「【私も】って……あなたも犯人の候補に入るんですか?」
震えがちの声で、唯奈が訊いた。
「仕方ないよ。現場に私も立ち会わせたんだから、あんた達だけが犯人候補なのは不公平でしょ?それに、口には出してないけど、思ってたんじゃないの?私が犯人かもしれないって」
女性の言葉に、数人の身体がびくりと震えた。
暗闇のため、彼女にそれがバレないので、すぐに安堵のため息を漏らしたが。
「まあ、こんな嵐の日に一人でこんなところにいたら、悠也君を殺したのは私だって思われても仕方ないかもね。犯人は私じゃないけど。あ、口ではいくらでもそんなこと言えるか」
自虐的な割には、やや明るいその声に、彼等は困惑するしかなかった。
そんな空気をどうにかしたかったのか、美子が口を開いた。
「何で悠也は殺されたの……?しかも今。普通だったら、悠也が一人でいる時に殺害するわよね?」
「それは私も思った。悠也君を殺したかったのなら、海斗君の時みたいに、一人でいる時に殺してるはず。なのに、わざわざ暗闇になったところを利用して殺害するなんてめんどくさいこと、普通する?」
説得力のある彼女の説明に、誰もが頷く。
だが、しばらくすると異議を唱える者がいた。
それは、樹里だ。
「だけど、偶然暗闇になって悠也を殺害するなんて、不自然すぎじゃない?」
「どうして?」
昴が訊く。
「悠也はナイフを首に刺されて死んでいた。なら、犯人は最初からナイフを所持していたはず。でも、懐中電灯が両方つかなかったことが偶然だとしたら、犯人は暗闇になることは予測していなかったことになるよね。それだと、わざわざ何で暗闇が訪れてから少しの間で殺害することにしたのか……可笑しいと思わない?」
「確かにね。最初からナイフを所持していたなら、きちんと殺害するタイミングを考えていたと思う。例えば、帰り際に皆が目を離した隙を狙って、とか。なのに、暗闇とはいえ、皆がいるところで殺したなんて、不自然だね。もしかしてドアが開かないし、懐中電灯もつかない状況に混乱して、予定外だけど、タイミングを早めて殺した、とかなんじゃないかな」
次々と並べられる女性の推測に、彼等は事件の内容を整理する。
だが、そうする度に、彼等の友人に対する猜疑心は増していくばかりだった。
嵐が止み、月が姿を現した頃だった。
樹里は椅子に座り両腕を机に乗せた状態で、夜空を眺めていた。
塗り込められたように真っ黒な空に浮かんでいる満月は、腹が立つくらい美しい。
こんな夜は何かが出そうだな、と彼女は穏やかに微笑んだ。
結局、何度も悠也や海斗について情報を並べても、犯人は分からずじまいだった。
だが、全員が1つだけ確信したことがあった。
それは、同一犯説だ。
徹底的な証拠があるわけではないが、逆に二人を殺したのが別々の人間だとは、考えられないのだ。
でも、それだけでは犯人がわかるはずもなく、彼等は夜が明けるのを待つことにした。
このまま話し合っても、埒が明かないからだ。
しかも、海斗をここまで運んだり、友人の残酷な死体を見たことにより、肉体的にも精神的にもかなり疲れていた。
とりあえず、夜が明けるまで睡眠をとり、朝になったらなんとかここから脱出出来るように行動をする。
それが、今の自分達にとってするべきことだった。
携帯が圏外で連絡は取れないが、もともと今夜は今後のことについて話し合うため、この廃校から一番近い樹里の家に泊まることになっていた。
家族には既にそのことを伝えてあるため、帰って来ない自分を心配することはない。
樹里の両親が今、旅行で家にいないのも、明日が休日なのも、奇跡的としか言いようがなかった。
全員が席に座っているが、寝ている者は一人もいなかった。
ある者は携帯をいじり、ある者は涙を流し、ある者は頬杖をついて考え事をしている。
会話は一切なかった。
静寂した教室の中には、様々な彼等の感情が渦巻いている。
疑心、恐怖、不安、怒り……。
どす黒いオーラが教室を包み込んで見えても、おかしくないだろう。
だが、それらとはどれも当てはまらない感情を、樹里は抱いていた。
彼女は斜め後ろの席をちらりと見た。
そこには、視線を携帯の画面に注いでいる美子がいた。
「私もいつか恋とかするのかな」
軽いため息を吐きながら、美子はそう言う。
彼女が背負っているランドセルのキーホルダーが、柔らかな春風によって揺れた。
「するんじゃない?」
微笑みながら、私は答えた。
私達が座っている河川敷の向かい側では、野球部らしき中学生達がランニングをしている。
来年から彼等と同じ中学生になるのか、と思うと、それは遥か遠くの未来のことのように感じてしまった。
やがて、彼等の元気に満ちた掛け声が遠ざかった。
川のせせらぎしか聞こえなくなった河川敷を眺めていると、再び美子が口を開いた。
「樹里は?好きな人とかいないの?」
「私?」
自分の顔を指で差しながら、私は首を傾げた。
美子の瞳は、好奇心で満ち溢れている。
正直恋愛はあまり好きではないが、この空気では答えざるを得ないだろう。
私は顔から表情を消すと、彼女の質問に答えた。
「好きな人はいないけど……この前、三角関係だっけ?まあとりあえず、めんどくさいことがあったなぁ。しかも隣のクラスの人と」
「何それ!初耳なんだけど」
私の言葉に、彼女は瞠目した。
ここまで来たら、私は美子にあったことを全て話さなくてはならないだろう。
昔から、美子は知りたいものは知り尽くさないと、気が済まない性格なのだから。
「確か……」
「確か?」
「隣のクラスの男子が私に告白してきて……」
「してきて?」
「そしたら、そこにその男子のことが好きらしい女子が出てきて……」
「出てきて?」
「そしたら、その男子が女子に『お前のことは嫌いだ』って言って……」
「言って!?」
美子の瞳の輝きが最高潮に達した時だった。
突如嵐のような強い風が吹いた。
それにより、河川敷の向かい側にあるグラウンドでは砂埃が舞い、綺麗に整えられた美子の前髪は乱れた。
今日は比較的風が強いと言われていたが、ここまでになるとは思ってなかったため、少しだけ驚く。
「そろそろ帰ろ?風も強くなってきたし」
「そうだね。お腹空いたなぁ!ホットケーキ食べたい」
そう言って、彼女は甘いメープルシロップがかかったホットケーキを想像したのか、口元を緩めた。
そんな美子に、自然と自分も笑みがこぼれる。
「じゃあ、今からどっちが先にあそこの橋に着くか、競争しようよ。負けた方がホットケーキを奢る、ってことで」
河川敷のすぐ側にある橋を指で差しながら、私は言った。
すると、美子は合図もなしに、橋の方へ走って行った。
そんな彼女に私は文句を漏らしながら、美子の後を追いかけていく。
「それはずるいよ!待って!」
「やだね!ホットケーキは私のもんよ!」
私達の声は、強い風によってかき消されていく。
どんなに文句を言っても、どんなに息を切らしても、いつの間にか私達は笑っていた。
何かがおかしかったわけではないが、それでも意味のない笑いが私達を包み込んでいた。
その時だったかもしれない。
人生が一番楽しかった瞬間は。
笑いすぎてお腹が苦しくなったが、それすらも幸せに感じてしまう。
笑いが収まると、私は彼女の手を握りながら言った。
「別に彼氏出来なくてもいいや。私には美子がいるから」
私の言葉に、美子は顔を赤く染めた。
まるで、恋人同士のやりとりにすら思えてくる。
すると、彼女は白い歯を見せながらにっこりと笑うと、
「私も樹里がいるなら、それでいい」
と言って、私の手を引いた。
くしゃくしゃの笑顔を浮かべながら、手を繋いで走る私達を、何も知らない通行人が見たらどう思うだろう。
仲が良さそう?
それとも……。
この時、私達はまだ幼すぎたと、今になってやっと実感した。
こんにちは。割り込み失礼します。
ここまで読ませていただきましたが、
これは……かなりハイセンスッ!
文章構成もそうですが、
シナリオも素晴らしい。
スクールカーストを取り巻く、
未熟ながらに残酷な人間模様が描写されており、
真に迫ったメッセージ性を感じました。
そんな中、発生する密室の惨劇。
正直……オカルト方面にしか思考が向かなかったので、
【信頼できない語り手】の真相まで推理できませんでした。
番外編は本編とどのような繋がりを見せてくれるのでしょうか?
続き、楽しみに待ってます。
それでは。
>>129
ありがとうございます。
文章構成の方はかなり頑張っていたので、嬉しいです!
今後も精進して参りますので、よろしくお願いしますm(_ _)m
けたたましい蝉の鳴き声が響く、ある夏の日だった。
「ねぇ、樹里。今日の放課後、書店行かない?」
移動教室の途中、教科書を抱えた友人がそう言った。
「いいね。行こっか」
私は微笑みながら答える。
それからは、最新の小説についての話に花を咲かせた。
中学に入ってから、私は美子とクラスが離れた。
それは非常に残念だったが、落ち込んでいる場合ではなかった。
私は、新しい友達を作らなくてはならなかったのだ。
同じ小学校の子はわりといるが、当時は美子とばかりいたため、彼女以外にこれといって親しい友人など私にはいなかった。
別にたくさん友達が欲しいわけじゃない。
信頼出来て、趣味の合う子が数人いれば十分だ。
そして、近くの席の子などに積極的に声を掛けた結果、それなりに友達と呼べる人は出来た。
お昼を一緒に食べたり、帰りに寄り道をしたり、休み時間に談笑したりして、孤独を感じることは一切なかった。
それは、中2になった今でもだ。
ただ、どこか変わったことがあった。
その正体は、とっくにわかっていた。
渡り廊下に差し掛かると、派手な女の子と話ながら、こちら側に向かって歩いている【彼女】が視界に入った。
美子だ。
以前は興味もなかったメイクを施しているせいか、唇はツヤツヤで、眉毛も綺麗に整えられている。
制服は適度に着崩しており、手首には水色のシュシュをつけていた。
彼女は私に手を振ることも、視線を向けることもなく、私と友人の横を通り過ぎて行った。
「美子ちゃんって変わったよね」
もう美子の姿は見えない廊下を振り返りながら、友人は言った。
彼女は私と美子が幼馴染みであることを知らない。
「……だよね」
「入学したての頃は結構やんちゃな方だったし、オシャレにも興味なさそうだったのに、いつの間にか凄い綺麗っていうか……垢抜けたよね」
彼女のその言葉に、私は肯定も否定もしなかった。
最もそれは事実であるが。
美子は、小学校の頃は外遊びが好きで、男子とも仲が良かった。
逆にオシャレには興味がなく、よく私服がダサいといじられていた記憶もある。
しかし、中1の夏辺りから彼女に変化が訪れた。
短かった髪を伸ばしたり、校則違反とされるリップなどを持ってきたり、休日は有名なブランド服の店に行くようになったのだ。
それは彼女の友人の影響だと、私は思っている。
美子の友人達は、世で言うギャルだ。
彼女らの言動などから、美子は外見に気を使い始めたのだろう。
それは悪いことではなく、むしろ幼馴染みが綺麗になっていくことに感心を抱いた。
しかし、それに比例して、美子との距離が遠ざかってしまったのだ。
一緒に学校に行くことも、一緒に出掛けることも、一緒にお喋りをすることもなくなった。
それどころか、今のようにお互いの姿を見ても、声を掛けることすらない。
別に、喧嘩をしたわけじゃない。
接点がなくなったのだ。
部活に励み、それぞれ別の友人と時間を過ごすことで、自然と距離が出来てしまったのである。
それがなんだか、とても気まずかった。
原因が喧嘩の方が、まだマシだ。
喧嘩なら、自分の過ちを認めて、謝罪が出来るのだから。
しかしこの場合、どうしろというのだ。
謝罪をしようにも、謝罪することがない。
このままお互い関わらずに、私達は大人になっていくのだろうか。
渡り廊下を過ぎると、私は壁に掛けられた縦長の鏡に視線を向けた。
そこには、自慢の黒髪を風でなびかせながら、白い半袖シャツの上に茶色のベストを着用した自分が映っている。
その顔は、自分でも鳥肌が立つくらい怖かった。
どうしてこうなったのだろう。
スマホをズボンのポケットにしまいながら、蓮は心の中で呟いた。
月明かりによって照らされている薄暗い教室にいながらも、彼は眩しい情景を思い浮かべる。
最初に脳裏によぎったのは、生前の彼の笑顔だった。
「テニス部って、朝練ないのか?」
ソファにもたれかかりながらジュースを口にすると、海斗はそう訊いてきた。
ここ、ファストフード店で流れるBGMに耳を傾けながらも、俺は答えた。
「ねぇよ。あったら入ってなかったな」
「何でだよ。俺んとこのサッカー部も、確かに練習大変だったけど、やりがいがあって良かったぞ」
彼は口を尖らせると、テーブルの上に置いてあるハンバーガーに手を伸ばした。
海斗が殺される2週間前、俺と彼は学校帰りにファストフード店に寄った。
部活はとっくに引退しており、受験勉強の息抜きと称した寄り道である。
と言っても、半ば強引に彼に誘われただけであったが。
「にしても、他に来てくれる奴いなかったんだよな。悠也は塾だし、無理矢理美子を誘おうとしたら、逃げられた」
「受験近いのに寄り道しようとするお前が、馬鹿すぎるんだよ。そりゃ誰も来ねぇわ」
「と言いつつ来てくれるお前優しいな。ツンデレかよ」
「お前がしつこすぎるからだろ」
彼からのしつこい誘いを何度も断ると、最終手段と言わんばかりに俺に抱きついてきたことを思い出すと、軽く身震いがした。
しかもそれをクラスの女子に、変な目で見られていたと思うと、地獄でしかない。
もともと、海斗のことはあまり好きではなかった。
中3になって初めて彼と同じクラスになり、話が合うことから、一緒に行動することが多くなった。
しかし、いつしか熱血的な性格や時折出てくる構って欲しいという態度から、俺は彼を鬱陶しく思い始めた。
だが、俺は海斗と縁を切ることはしなかった。
俺には悠也、昴、美子、樹里、唯奈がいる。
彼と絶交しても友達には困らないが、それを拒否してる自分がいたのだ。
鬱陶しい性格の海斗でも、一緒にいると、どこか居心地の良さを感じているのかもしれない。
口が裂けても、こんなこと言えないが。
「受験終わったら、まずどうする?」
ポテトをつまみながら、海斗が質問してきた。
「とりあえず、家でゴロゴロする。で、もし合格したら、卒業後に家族旅行に行こうって話になってる」
「家族旅行か……いいなぁ。俺の家、親なかなかいないから旅行行けないんだよな。合格祝いくらいはしてくれると思うけど」
すると、彼は顔を曇らせた。
「お前って何人家族?」
「母さんと父さんと姉二人の5人家族だけど……何か?」
突然の質問に、俺は眉をひそめながらも答えた。
「……羨ましいな」
海斗の表情がさらに暗くなる。
俺は激しい違和感を覚えた。
それはきっと、ただ俺に対して羨望を抱いているわけではない。
【何か】があると、海斗の表情が物語っていたのだ。
しかし、俺はその領域に敢えて踏み込まなかった。
訊いてはいけないような気がしたからだ。
それに、それを素直に打ち明けてくれない可能性だってある。
すると、海斗は淀んだ空気を取り繕おうと、
「そういや、この間の小テストどうだった?」
と、新たな話題を出した。
この時はあまり気にせずに、俺もその話題に乗ったが、今思えば訊けば良かったのかもしれない。
海斗が死んでしまった今、彼の口から真実が語られることはないのだから。
悠也が死んでから、何時間経ったのだろう。
美子は、斜め前の席に座っている樹里を見つめていた。
樹里はスマホをいじっているため、彼女の視線には気付いていない。
いつの間にか、美子と樹里以外は眠りについていた。
勿論、あの女性も含めて。
呑気なものだな、と呆れると同時に、美子は窓の外に目を向けた。
さっきの嵐が嘘のように、夜空には煌々と星が輝いている。
そして、そこにぽっかりと浮かんでいる満月が、幻想的な雰囲気を醸し出していた。
だが、幻想的なのはそれだけではない。
この廃校もだ。
廃墟に行くのが初めてだから、という理由もあったが、何よりこの学校での事件について、美子は考えていた。
今いる校舎のどこかで、例の殺人事件があったと思うと、ここは異世界なのではないか、という気持ちに襲われるのである。
美子は視線を夜空から再び樹里に移すと、脳内に幼い頃の思い出が徐々に浮かんできた。
美子はゆっくりと、目を閉じる。
すると、窓の外を横切っていくカラスが不気味な鳴き声を上げた。
幼い頃、樹里は身体が弱かった。
激しい運動が出来なかったり、そのせいで男子にからかわれたりして、よく泣いていた記憶がある。
そんな彼女を、いつも私が守っていた。
懐かしすぎて、思わず口から笑みがこぼれそうになる。
気付けば、私達はいつも一緒にいた。
運動が大好きで活発な私と、読書家で物静かな性格の樹里。
誰がどう見ても、私達は正反対の人間だったが、彼女を嫌いだと思ったことは一度もない。
喧嘩も時々するが、信頼出来て本音を言い合える仲だと思っていた。
小学生の時までは。
中学に入って、樹里とクラスが分かれた私は、クラスの中でも派手目なグループに入った。
最初は外見を重点に置いている彼女達に着いていけなかったが、徐々に私はオシャレに気を使うようになった。
それは彼女達に合わせているわけではなく、自らオシャレに興味を持ち始めたのだ。
自分でも変わったと思う。
だが、変化をしていくにつれて、どんどん樹里と距離が出来てしまったのだ。
樹里も新しく出来た友達と楽しく学校生活を送っているため、邪魔をしては悪いという遠慮が原因だと、私は思っている。
中1の5月辺りなら、お互いの姿を見ると会釈程度はしていたが、夏になるとそれすらもなくなった。
樹里はもう私には興味がなくなったというネガティブな考えを、私は何度かき消しただろうか。
微妙な気持ちを抱いたまま、時は過ぎていき、そしてついに中学三年生の春がやってきた。
その日は、清々しいくらいの晴天だった。
私は、桜が舞うグラウンドに足を踏み込む。
強い風が吹くと、髪やスカートが揺らめいた。
膝上のスカートを押さえながらも、昇降口にたどり着くと、私は真っ先にクラス分けの紙に視線を向けた。
紙の前にはかなり人がいるため、私は目を凝らしながらそれを見つめる。
やがて、自分の名前が見つかり、ついでに新しいクラスメイトの名前も確認した瞬間、私は強い衝撃を感じた。
無理もない。
そこには、樹里の名前もあったのだから。
私は、困惑するしかなかった。
違うクラスならば、今までと同じように距離を置くことが出来るだろう。
しかし、毎日のように顔を合わせるとなると、かなり気まずい。
空白の2年間を、何もなかったかのように埋めることが出来るのだろうか。
だが、心のどこかで喜んでいる自分もいた。
もしかしたら関係を元に戻すことが出来るかもしれない、というポジティブな考えも持っているからである。
私はとりあえず教室に向かいたかったので、下駄箱に足を進めたその時だった。
後ろから、優しく肩を叩かれたのだ。
驚いて目を見開きながら、私は振り返る。
「同じクラスになったね。美子」
そこには、柔らかい笑みを浮かべている樹里がいた。
樹里が身に纏っている薄いピンクのカーディガンが、おっとりとした彼女の雰囲気をさらに強めている。
「そ……そうね」
私の声は、やや裏返っていた。
この時、私は驚きと嬉しさが入り混じった気持ちになっていた。
まさか、樹里の方から自分に声を掛けてくれるとは思ってもみなかったのだから。
「早く教室に行こうよ。新学期から遅れたら嫌じゃん」
そう言って、樹里は私の手を引っ張った。
その手はとても冷たく、思わず鳥肌が立ちそうになる。
しかし、私の心はじんわりと温かくなった。
何事もなかったかのように、私と樹里は再び行動を共にするようになった。
だが、樹里以外にも友達を作ろうと思い、席が近いのがきっかけで、蓮達と仲良くなった。
若葉が萌える頃には、すっかり樹里も含めてグループの状態になっていた気がする。
容姿端麗でグループのリーダーである蓮。
噂話が好きで活発なタイプの悠也。
温厚で冷静に物事を考える性格の昴。
怖がりで泣き虫な唯奈。
そして、サッカー部の部長で正義感の強い性格の海斗。
皆それぞれ個性が違うが、私はこのグループが居心地良くて好きだった。
来年は学校が違うと思うと、惜しくなるくらいだ。
このままずっと中学校生活が続けばいいな、と何度思ったことだろう。
しかし、そんな私の心に暗雲が漂い始めたのは、あの夏の日だった。
夏休みが始まってから3日が経ったある日だった。
私は忘れ物を取りに行くために、学校へ向かった。
もしかしたら校門が開いてないかもしれない、と危惧していたが、そんな心配は無用だった。
よく考えてみれば、部活や補習の人がいるし、学校閉鎖期間はお盆からだったはずだ。
ちょうど時刻はお昼時で、私のお腹は空腹を知らせる音が鳴った。
さらに、頭上にあるギラギラと照りつけいる太陽が、私から体力を奪っていく。
私は逃げるように、駆け足で昇降口に向かった。
3階の廊下には誰もいなく、ただただ私の床を歩く音しかしない。
時折、開いてある窓から涼しい風が吹くが、私の額から流れる汗は止まらなかった。
だが、生憎タオルやハンカチは持っておらず、仕方なく腕で拭うしかなかった。
ようやく自分の教室の前に着くと、私はゆっくりと扉を開けた。
その瞬間、私は目を大きく見開いた。
私の視線は、窓から外の様子を眺めている彼女に集中する。
「どうしてここにいるのよ?樹里」
彼女の方に近付くと、徐に樹里は振り返った。
樹里の顔には、表情がない。
「それはこっちのセリフだよ」
「私はロッカーにレポート用紙を忘れて、取りに来ただけ。樹里は?」
もう一度私は質問すると、樹里はポケットから一冊の小説を
出した。
「受験勉強の息抜きに、小説を読んでたの」
彼女の返答に、私は眉間に皺を寄せる。
「何でわざわざ学校で読むの?家で読めばいいでしょ」
「別にいいじゃん」
すると、樹里はフッと微笑んだ。
彼女の視線は私に向けられていたが、どこか遠くを見ているような気がした。
「私ね、晴れた夏の学校の教室が好きなの。わからない?蝉の声、爽やかな風、輝く太陽……そして、青春の舞台となる教室。この空間が前から好きだったの」
「はぁ……?」
意味の分からないことを言う樹里に、僅かながら苛立ちを感じる。
「中1や中2の頃、学校閉鎖期間以外の昼間は毎日のように教室に来た。読書をしたり、窓の外を眺めたり、黒板に絵を描いたりして、楽しく過ごした。今年は受験生だから、週一程度しか行けないけど」
そう言うと、彼女は目を軽く閉じた。
「学校がある日と違って、教室には私一人しかいないから、自由に過ごせるの。何者にも縛られないんだよ。いいでしょ?」
樹里は口元に笑みを浮かべながら、目を開けた。
すると、彼女は私との距離を詰めてきた。
思わず後退りそうになるが、それを堪える。
「それよりさ……美子は、真の人間に興味ない?」
「……真の人間?」
また意味不明なことを言う樹里に、私は困惑した。
すると、彼女は持っていた小説を私の前に翳した。
「そう。この小説は、密室に閉じ込められた人々をテーマにした物語なの。そして、その中に黒幕がいる。その黒幕を殺したり、見つければ人々は助かる。最初は皆冷静に話し合って推理をしていたけど、ある日一人の男性が殺されてしまった。勿論、それは黒幕の仕業。次の日も、その次の日も、一人ずつ無惨に死んでいった。次に殺されるのは自分かもしれない、と怯える人々がとった行動は何だと思う?」
「……わかんないわよ」
「正解は殺し合い。自分達の中に黒幕がいるなら、やみくもに全員殺して自分だけ生きて帰るという気持ちが芽生えたの。それは罪のない人間をたくさん殺害することになるけど、自分が助かるなら、と人々は殺し合いを実行した。中には恋人や親友同士で殺し合いをする人もいた」
私は絶句した。
その残酷な話に対してではない。
このような話をしながら、樹里は微笑んでいるのだから。
「何が言いたいわけ?」
私は冷たく言い放った。
「皆はどんな本性をしているのか気になったの。例えばさ、蓮って普段はわりと自己中な性格だけど、根は本当は良い人とか……逆に大人しい性格の唯奈が、私や美子の悪口を誰かに言っていたりとか、そういう意外性を求めているの」
「意外性?」
私の言葉に、彼女はこくりと頷いた。
「うん。じゃあ例えば、私達のグループが小説みたいに密室に閉じ込められて、その中に黒幕がいるとしたら、皆どうすると思う?」
「知らないわよ!!」
思わず怒鳴ると、私はハッと手で口を覆った。
だが樹里は怯まずに、悠然と私の前に立っている。
「……樹里って変わったよね」
それは、無意識に口から出た言葉だった。
樹里は幼い頃から読書が好きだったけど、こんな風に残虐なことを誰かに言ったり、ましてや自分達と重ね合わせることなど、一度もなかった。
今、私の目の前にいる人物は、私が知っている樹里ではない。
いつから、こんな風になったのだろう。
もしかしたら、あの2年間で?
すると、樹里も呟くようにぽつりと言った。
「変わったのは、美子の方だよ」
その瞬間、窓から爽やかな風が吹いた。
白いカーテンと樹里の艶のある黒髪が、ふわりと揺れる。
それはまるで、スローモーションの映像のようだった。
樹里は笑っていた。
だが、目は完全に笑っていない。
「私、家に帰るね」
そう言って、樹里は私の横を通りすぎると、教室から出て行った。
跡を追うことはしなかった。
初めてだったのだ。
樹里のことを【怖い】と思うようになったのは。
私の気も知らずに、無神経に光輝く太陽なんて消えてしまえ、と私は窓の外を見た。
彼等が美子の悲鳴で起きたのは、日付が変わった頃だった。
一番最初に体を起こした昴が、悲鳴が聞こえてきたベランダの方を向く。
すると、そこには先端が赤く染まったカッターナイフを持っている樹里と、左手を押さえている美子がいた。
何事だ、と昴は目を見開く。
「助けて、昴!樹里が……!」
恐怖に顔を歪めている美子。
そして、そんな彼女を樹里は無表情で見つめていた。
「樹里!!お前何やってんだよ!!」
先にベランダに足を踏み込んだのは、蓮だった。
次第に唯奈も女性も、何があったのか理解した。
蓮は樹里からカッターナイフを取り上げると、彼女を思いきり睨んだ。
「お前、美子に何しようとしたんだよ」
怒気を含んだその声に、樹里は怖じけ付くどころか、不敵な笑みを浮かべた。
「何って……殺そうとしたんだよ」
彼女の言葉に、誰もが言葉を失った。
いや、予想はしていたが、聞きたくなかったのだ。
そして、その肝心な樹里である。
不気味、もっと言えば狂気すら滲み出ている彼女の表情に、彼等は恐怖心を抱いた。
「じゃあ、悠也と海斗を殺したのも……」
恐る恐る蓮は訊いた。
「半分正解で半分不正解。確かに海斗を殺したのは私だけど、悠也は違う。私じゃない」
彼等は2つの意味で驚愕した。
海斗を殺したのは樹里であること。
そして、悠也を殺したのは別にいるということだ。
だが、その考えを振り払うように、蓮は首を左右に振った。
「嘘つくなよ!悠也もお前が殺したんだろ!」
「だから違うって言ってるでしょ」
「……証拠はあるの?」
俯きながら、唯奈が言う。
「ない。でも、本当に違う」
彼女が顔から笑みを消したと同時に、さっきまで黙っていた美子が口を開いた。
「嘘つかないでよ!どうせ樹里が殺したんでしょ!!」
樹里は、明らかに敵意を向けている美子の瞳を一瞥する。
すると、突然樹里は笑いだした。
最初は小さかった笑い声も、徐々に大きくなっていく。
おかしくて仕方がないように、腹を抱えながら。
誰も止めなかった。
それこそ、止めようとすれば、殺されてしまいそうなのだから。
やがて彼女は笑いが収まると、ゼエゼエと息を切らしながら、口を開いた。
「これかぁ……人間の本性って。全部真っ黒。全部全部全部真っ黒!!」
樹里は一人一人の顔を見渡すと、再び話し始めた。
「自分達にとっての危険人物だとわかった途端に、手のひらを返して何も信じようとしない。面白いね。人間の醜態を見るのって」
一瞬だけ、樹里の視線は美子に向けられた。
「最高に最低なプレゼントをどうもありがとう」
そう言って、彼女は蓮が持っているカッターナイフを見つめた。
その瞳には、狂気が宿っている。
次の瞬間、女性は手を2回叩くと、重い空気が少しだけ軽くなった。
「そろそろ本当のことを言ったらどう?樹里ちゃん」
「何のことですか」
嘲笑するように、樹里が言う。
だが、誰もが女性の言葉を聞き捨てならないと、口を挟まなかった。
「私は悠也君を殺したのは、樹里ちゃんじゃないと思う。だって、樹里ちゃんは海斗君を殺したことを認めてるんだから、嘘をつく必要はないはず。そうだよね、樹里ちゃん」
同意を求めるように樹里を見る女性に、彼女は首を縦に振った。
「でも、何かおかしいと思わない?普通、本当に美子ちゃんを殺したかったとしたら、一発で心臓とかを刺すでしょ?確かに、じわじわと痛めつけた後、殺害するっていうこともあるけど、この場合さっきのように美子ちゃんが悲鳴を上げて、すぐに助けが来ちゃうから、それは出来ない」
「……何が言いたいんですか」
女性をじっと見据える美子。
彼女は、ゆっくりと答えた。
「つまり、樹里ちゃんは無実ってこと」
女性の言葉に、彼等は呆気にとられるが、すぐに美子が反論した。
その顔は、とても険しかった。
「違います!!私は本当に樹里にやられたんです!!大体そんなの推測だけで、証拠もないじゃないですか!!」
「証拠ならあるよ」
そう言って、女性はポケットからスマホを取り出した。
それを彼等に見せつける。
画面に映っていたのは、1つの動画の静止画だった。
そこには、ベランダで何かを話している美子と樹里がいる。
美子の顔が醜く歪んだのを、女性は見逃さなかった。
「私の寝た振り、上手いでしょ?実は、ずっと撮ってたんだ。美子ちゃんが樹里ちゃんをベランダに連れてきた時から」
「何で撮ったんですか?」
樹里が訊く。
「言ったでしょ?【犯人は私が見つける】って。なら、どんなに小さなことでも、記録したり疑った方がいいの。最初は気分転換に二人で外の空気を吸いに行ったのかな、って思ったけど、探偵の勘ってやつ?まあ、なんか怪しいなって思ったから撮ってたの」
すると、女性は不敵に微笑んだ。
「さてと、美子ちゃん。自分の口から真実を全て語るか、私によって醜態を晒されるか、どっちが良い?」
美子にとって、これは屈辱的な質問だった。
だが、黙っているわけにはいかない。
「わかったわよ!!全部言えばいいんでしょ!!その代わり、一生あんたのこと、呪ってやる!!」
美子は敬語も忘れて、女性を睨んだ。
その目には、激しい憎悪が含まれている。
だが、女性は怯む様子もなく、美子を見つめた。
「最初に言うわ!海斗を殺したのは樹里じゃない。私よ!!」
衝撃的な言葉を言い放つと、美子は語り出した。
10年前の事件と繋がる真実を___
もし、誰かに【兄弟はいるか】と訊かれたら、私は【いない】と答えるだろう。
実際、【今】はいないのだから___
私には、10歳年が離れた兄が一人いる。
いや、【いた】の方が正しいだろう。
何故なら、彼は私が5才の時に死んだのだから。
私は両親から、事故死だと教えられた。
彼が亡くなった当時は、死というものを理解しておらず、喪服を着た両親が何故泣いているのかわからなかったが、今思うと胸が痛くなった。
宿題をしている兄に遊んで欲しいとせがむと、最初は鬱陶しそうに突き放すが、最終的には付き合ってくれた記憶がある。
何だかんで私を可愛がってくれていたと思うと、痛みは尚更強くなった。
小学生になり、私が人の死を理解出来た頃から、兄の話はタブーとなった。
と言っても、リビングの横にある仏壇に彼の写真が飾られているが、日常会話などで兄の名前を出すと、両親の顔が曇るのだ。
それからは彼のことは胸の内に留めようと、それなりに楽しい学校生活を送ってきたが、小学6年生になったある日のことだった。
その日はパソコンの授業があり、コンピューター室に向かうと、私達はそれぞれパソコンが設置されているデスクに座った。
先生の指示で、Googleを利用して自由に何かを調べても良い、ということになり、クラスメイト達は楽しそうに調べものをしている中、私はパソコン画面を見つめたまま、何もしなかった。
「どうしたの?」
隣の席に座っている樹里が、私のパソコン画面を覗きながら言う。
「特に調べたいものがないんだよね。樹里は何調べてんの?」
私も樹里のパソコン画面を覗き込むと、そこにはオススメの小説が紹介されているサイトが映っていた。
樹里らしいな、と私は微笑する。
「あと、これって画像も出るらしいよ」
「画像ねぇ……」
私は机に肘をつくと、再び自分のパソコン画面を見つめた。
画像なら、生前の兄の写真が見てみたい。
兄の話がタブーとなった今、私は仏壇にある写真しか見れないのだ。
友達とはしゃいでいる姿や幼い頃の写真なども、見てみたかったのである。
私は冗談のつもりで、検索欄に兄の名前を打ち込んだ。
すると、また樹里が私の画面を覗いてきた。
彼女は私が打ち込んだ文字を、ゆっくり読み上げる。
「何これ……?【西尾皐月】?」
「ちょ、勝手に見ないでよ!」
「ごめんごめん。で、誰?芸能人にこんな名前の人いたっけ」
私は返答に困った。
樹里は私が一人っ子だと思っているため、兄のことを言うと、色々ややこしくなるだろう。
咄嗟に私は誤魔化した。
「親戚の人の名前を入れてみただけ。出てこないかなーって」
「いや、一般人の名前入れても普通出てこないから」
冷静なツッコミを入れると、樹里は再び自分のパソコンに目を向けた。
彼女の言葉通り、きっと彼の画像など出てこないだろう。
しかし、特に調べるものがない私は興味本意で、【検索】をクリックした。
その瞬間、私は驚愕した。
きちんとあったのだ。
兄の画像が。
しかも、画像だけではなく、様々なサイトの記事にまで彼の名前が載っていた。
しかもその記事のタイトルに、私は目を見開いた。
【いじめが原因か?高校2年生の男子生徒が同級生6人を殺害】
私は即その記事をクリックした。
やがて映し出された文章を、私は黙々と読んでいく。
【2017年当時、高校2年生の男子生徒(17)が、同級生6人を失血死、斬死、焼死、窒息死させた。猟奇殺害現場は、学校の教室。また、奇跡的に警察によって助けられた女子生徒(17)が事件から2か月後、失踪する。】
事件の概要がまとめられた文章の下には、被害者の写真が貼り付けられてあった。
その中に、兄の写真もある。
彼は同級生にガソリンをかけられ、ライターの火によって焼死したらしい。
さらにその後、その同級生は兄の死体をこま切れにした、とまで書かれていた。
胃から込み上げてくる吐き気と戦いながら、私はさらに記事を読み進めていく。
加害者の写真は載っていなかったが、名前だけは書かれていた。
「……小倉光貴」
私は自分でも聞こえるかどうかわからないくらいの声で、呟いた。
小倉光貴という人物が、私の兄を殺した。
そう思うと、どうしようもない感情が湧いてきた。
もし今彼に会えるのなら、真っ先に殺したい。
そして、それだけではなかった。
両親は私に、事故死と嘘をついていた。
身内が死んでしまったことに変わりはないが、悲しみを少しでも軽くしようとついた、優しい嘘なのだろう。
しかし、同時に悲しくもなった。
血の繋がった兄の死のことを、ずっと私だけ知らなかったのだから。
「……許せない」
ここにはいない小倉光貴に、私は言葉を投げ掛けた。
事件の内容から、兄は小倉光貴をいじめていた。
そして、この事件は小倉光貴による彼等への復讐らしい。
確かに原因は兄にもあるが、それでも私は身内を殺した彼が許せなかった。
彼が今どうしているか、私にはわからない。
事件後、精神病にかかってしまったらしいが、現在ではそれ
が完治して、どこかで普通に暮らしているのかもしれない。
それか、まだ普通の生活が出来る状態、または釈放することが出来ないのかもしれない。
もし前者であることを考えると、私は彼に対する憎しみが更に増した。
とりあえず、今の私に出来ることは、そっとサイトを閉じることしかなかった。
>>139
訂正
×私には、10歳年が離れた兄が一人いる。
○私には、12歳年が離れた兄が一人いる。
きっと対面することはないであろう人物に、憎しみを密かに抱いていたら、気付けば中学三年生になっていた。
樹里のこともあって、頭の中が小倉光貴への憎しみで埋まることはなくなったが、それでも私はその存在を忘れてはいない。
でも、恨みを晴らすチャンスも無いのだから、いい加減に忘れたかった。
一応兄も事件の原因を作ったのだから、悪いのは小倉光貴だけとは言えない。
しかし、毎日視界に入る仏壇の兄の写真が、私を苦しめていたのだ。
「なあ、もしかして髪染めてる?」
新学期に、席に座ろうとした私に話しかけてきたのが、海斗だった。
席が近い彼は、顔立ちはそれなりに良い方で、おちゃらけた笑みが印象的だった。
「染めてないけど」
胸元まである自分の髪をいじりながら、私は答えた。
「去年日焼けして髪が少し茶色くなったから、そう見えるんじゃない?」
「なるほど。たまに廊下とかで見かけたけど、お前って派手なイメージあったから、染めてんのかと思った」
初対面でお前呼ばわりされたことにカチンときたが、派手なのは否めない。
今年から受験生ということもあり、メイクは薬用リップのみにしたし、手首にアクセサリーをつけるのもやめたのだが。
「ていうか、あんた名前何?」
お前呼ばわりに対抗してあんたと呼んだが、彼は気に触った様子を見せることもなく、口を開いた。
「小倉海斗」
途端に、私は激しい動悸がした。
私の視線は、彼にしか注ぐことが出来なくなる。
「どうかしたか?」
氷のように冷たい私の視線に気付いたのだろうか。
彼は心配そうに、私の顔を覗き込んだ。
慌てて私は、首を左右に振った。
「な、何でもない」
兄を殺した人と名字が同じだけで、取り乱しそうになった自分を、私は諫めた。
小倉なんて名字の人は、全国にたくさんいる。
このくらいで、勝手に彼の印象を悪くしてはいけない。
私は逃げるように、彼から目を逸らした。
「お前は?」
「……西尾樹里」
「へー、よろしくな」
当初、私は彼に対して実に理不尽な不信感を持っていたが、それは最初だけだった。
清廉潔白とまではいかないが、努力家で人柄の良い性格や後輩に慕われている姿は、私のもやもやとした感情を全て取り払った。
気付けばお互い仲良くなっていて、昴達とも喋るようになった。
だけど、そんな平和な日々は長くは続かなかった。
出会いから半年以上経った昨日、私達は海斗の家で勉強会をすることになっていた。
試験間近、受験勉強も本格的なこの時期、お互い教え合って学力を高め合うことが目的である。
海斗から必要なものは全て貸してくれると聞いたため、あの日は皆手ぶらで行くと言っていたが、私は海斗と家が近いため家には帰らず、そのまま彼の家にお邪魔した。
既に私服に着替えていた彼は、制服姿の私に少し驚きながらも、快く私を迎え入れてくれた。
両親が共働きの彼の家には私と海斗しかいなく、誰もいない無駄に広いリビングには違和感を覚えた気がする。
すぐに私は海斗の部屋に案内され、彼は皆の分のお菓子とジュースを取ってくるために、いったん下に降りて行った。
暇になった私は、何気なく彼のシングルベッドに手を突っ込んで、男子中学生がこっそり持ってそうな本を探していた。
その行動が歪みを生じさせた。
「何これ……」
私は手に取った赤い本のようなものを開いた。
それは卒業アルバムだった。
しかし、これは中学のである。
しかも、私達の学校ではない。
彼の両親のどちらかのだろうかと、思ったが画質からそれほど昔ではない可能性が高い。
では、これは誰のアルバムだろう。
そして、何故彼は自分のではないアルバムを持っているのだろうか。
海斗が戻ってきたら、早速聞いてみよう。
そう思って、アルバムを閉じようとした時だった。
私の視線は運悪く、ある人物を捕らえてしまった。
それは、生徒一人一人の写真だった。
端にクラスと組、生徒の写真の下にはその生徒の名前が記載されている。
そこには、間違いなく『小倉光貴』と記されていた。
その上には、穏やかそうな男子が映っている。
いじめられていたとネットの記事に書かれていたせいか、勝手に陰気な容姿を想像していたが、その考えは180度変わった。
まだあどけなさを残しつつ、着実に大人らしくなっている顔立ちは、そこらの芸能人よりは上だろう。
他のページを捲ってみるが、そこには友人らしき人物達と楽しそうな笑顔で映っていた。
集合写真でもクラスメイト達と肩を組んだり、流行りのポーズをしたりしている。
彼が友達と上手くいっていたことは、明白だった。
ということは、彼が兄にいじめられていた原因は、彼の人格的な問題である可能性は低い。
あくまで偏見だが、人懐っこくて優しくて誰とでもすぐに仲良くなれそうな雰囲気だ。
「……ってそんなことどうでもいいじゃん!」
小倉光貴がどんな人物であったか、大体掴むことが出来た今、最大の疑問が降り注いだ。
海斗と小倉光貴は、何か関係性があるのではないか。
もしかしたら、知り合いからアルバムを貰って、その知り合いのクラスメイト、または同じ学年にたまたま同じ名字の小倉光貴がいたという可能性だってある。
だけど、見過ごすことが出来なかった。
私は他にも卒業アルバムはないかと、ベッドの下に再び手を伸ばすと、それに似た感触があった。
引きずり出したそれは、卒業アルバムではなく、よく見る家庭用のアルバムだった。
なんの躊躇いもなくそれを開く。
そこには、小倉光貴しか映っていなかった。
突然の目眩で倒れそうになったが、それを堪えるしかなかった。
最初のページは、小学校低学年くらいだった。
卒業アルバムに比べたらとても幼く感じるが、それでも彼の面影はある。
間違いなく本人だ。
ぱらぱらとページを捲ったその時、今にも叫ばずにはいられなくなった。
「何でここにいるの……!!」
高学年くらいのページだろうか。
そこに、確かに兄と小倉光貴が映っていた。
仏壇の写真とは比較的に地味な外見だけれど、やはり顔立ちから兄であることは間違いない。
次の瞬間、部屋のドアが開いた。
「何してんだ……?」
海斗は勝手にアルバムを広げている私を見て、お菓子やジュースを載せたお盆を持ったまま、唖然としていた。
「……どういうこと?このアルバムは何?」
「それは……」
海斗は言葉に詰まる。
お盆をミニテーブルの上に置くと、彼は卒業アルバムの方を手に取った。
その表情は、悩んでいるようにも見えるし、悲しそうにも見える。
いつもポジティブな海斗とは思えないほど、憂いを帯びていた。
「小倉光貴って誰?海斗と名字同じだよね?何か関係あるんでしょ!」
少し興奮を抑えていたが、語尾にそれが現れてしまう。
海斗は躊躇するように何も言わなかったけど、やがてか細い声を出した。
「多分、俺の兄弟にあたる人」
「【多分】ってことは、確定じゃないの?」
「知らない。俺が小さい時、この人によく遊んでもらったんだよ。だけど、年長くらいになった時、そいつは俺の前に現れることはなくなった。記憶が曖昧だから、それが自分とどのような関係だったのか、確かな証拠は掴めていない」
「じゃあ、このアルバムは?」
「小五くらいの時だな。自宅で友達とかくれんぼしてて押し入れに隠れたんだけど、たまたまこの二つのアルバムを見つけたんだ。で、興味本位でまず家庭用のアルバムを覗いたら、そいつがいたってわけだ。不思議と顔を覚えていたんだよ。衝動的にそれを自分の部屋にこっそり持ち込んで、それから毎日のように眺めていたよ。卒業アルバムに記載された名前から、そいつは自分の兄弟かいとこ辺りに該当する人物だってことは理解した。だけど、そのアルバムが俺の自宅にあるってことは、兄弟である可能性が高い」
思えば、海斗は小倉光貴と顔が少し似ている気がした。
たれ目がちな愛嬌のある目、筋の通った鼻、小さめな口。
徐々に目の前にいるのが海斗ではなく、小倉光貴である気がして堪らなかった。
少しずつ、私の理性という盾が破壊されていくのを肌で感じた。
「……その人の居場所、知ってる?」
「知ってるわけないだろ。親はずっと、俺を一人っ子として扱っていたんだ。そいつが親と正常な関係ではないことくらいわかっていたよ。だから、親にも話さなかった。今そいつが生きているか死んでいるかすらわからない」
自分から質問にしたにも関わらず、回答する彼の口を今にも塞ぎたかった。
話している内容が気に触ったのではない。
まるで、海斗が海斗ではないような錯覚に陥りそうだから。
「大体、何でそこまでこのことにこだわるんだ?」
別にいいでしょ、あんたなんかに言われたくない。
「ベッドの下に手を突っ込んだだろ?残念ながら、アルバム以外何も入ってねーよ」
うるさい、うるさい、黙れ。
「もうこの話はいいだろ、そろそろ皆来るだろうし」
勝手に終わらせないでよ!私の話はまだ終わってない。
「あ、もしかしたらさっき玄関の鍵を閉めるの忘れたかもしれない。ちょっと玄関行ってくるわ」
ちょっと待って!行かないで!人を殺しておいて、勝手にどこかに行かないで!!死んで、死んで、死んでよ!!
一瞬の催眠状態だったのかもしれない。
気付けば、私は海斗を殺していた。
近くにカッターで、海斗の背中を刺して。
途端に後悔の念が私を襲った。
なんてことをしてしまったのだろう。
バレたら、絶対受験受からないよね。
入るのは高校じゃなくて、少年院かな。
私の乾いた笑いが消え去った瞬間、部屋のドアが再び開いた。
「美子!」
そこにいたのは、私服に着替えた樹里だった。
ああ、そういえば皆来るんだったっけ。
自首しようと思ったけど、樹里に警察のところに連れていかれるのも悪くないかもしれない。
この時、私は完全に正常ではなかった。
樹里はこの惨状を認めると、私の両肩を掴んだ。
八の字の眉は、私を心配しているように見える。
「……美子が殺したの?」
「……うん」
「そっか……」
私から手を離すと、樹里は海斗の死体をじっと見つめた。
最初に死体を見た時、普通だったら叫び散らすくらいパニックになってもおかしくないのに、静かに私の方に駆け寄ってきたのを見ると、樹里らしいなと思う。
大人しそうな見た目に反して、怖いくらい物怖じしないその性格は本当に変わらない。
あの夏の日もそうだった。
大事な何かを食い殺されそうな幻覚は、今でも覚えている。
しかし、今はそんな彼女の不気味さが頼もしかった。
この時から、私は次の瞬間樹里が言うことを予測していたのかもしれない。
「誰が殺したか、バレないようにしよう」
そう言って、樹里は平然と背中からカッターを抜き取った。
手に赤い液体が付着するが、彼女は顔を少しも歪めることはなかった。
「でも、自首した方が……」
私が言い掛けると、樹里はゆっくりと私の身体を抱き締めた。
そして、耳元で囁く。
「私は美子のために言ってるんだよ?このままじゃ、美子は警察行きだよ。そんなの嫌だよね?受験勉強だって頑張ってきたのに、大事な時期に今までの苦労が水の泡。それに社会に戻ることが出来ても、皆からは偏見の目で見られたり、嘲られるかもしれないよ。ろくな人生歩めないよ。美子はそうなりたいの?」
私は真っ先に首を振った。
洗脳のような樹里の言葉には、決して逆らうことが出来なかったし、実際そうなりたくない。
「……わかった。そうしよう」
私が返事をすると、樹里は私の背中から手を離した。
そして、右手の小指を突き出す。
「これは、私と美子だけの秘密」
なるほど、指切りか。
私も小指を出してそれを絡めると、幼い頃もこんなことをしたことを思い出した。
あの頃は、もっと小さな秘密だった気がする。
親に黙って公園の犬にパンをあげたり、樹里と一緒にタイムカプセルを埋めたり、点の悪いテストを隠したり。
きっと初めて持った秘密は小さくて、最近持った秘密は大きい。
というか、今では秘密が多すぎて最初の秘密など忘れてしまっていた。
大人になるって、こういうことかもしれない。
昔は本音で話していた樹里にも、いつの間にか言いたいことが言えなくなっていた。
それによって、どんどん秘密は増していくんだ。
指切りげんまん
嘘ついたら針千本飲ます
指切った!
「つまり、殺したのは私。樹里は私を庇っていただけ」
真実を全て吐き出した美子の表情には、疲労が表れている。
残ったのは、重いこの空気だけだった。
そんな中、唯奈がおずおずと口を開いた。
「……何で樹里はそんなに美子のことを庇っていたの?そこは正直に警察のところに行くべきだったんじゃ……」
「友達なら正しき道に導かなきゃいけないだろうけど、私は嫌だった。私は、美子を守りたかった」
「樹里……」
樹里も美子も、先程よりは表情が和らいでいた。
いや、美子の場合は何もかも放棄したような無表情と化しているが。
だが、美子の心情が変化しているのは、手に取るようにわかる。
「美子は確かに、人を殺してしまった。だけど、私はそれを一切咎めない。それに、一人だけ取り残された犯罪者の美子が見てられなくて、私も共犯者になることにした」
その瞬間、樹里は口の端を吊り上げた。
彼女の目は、彼等を捉えていないようにも見える。
「それに、人が疑心暗鬼になる瞬間が見たかったから。さっきみたいに極限状態に陥った時、人はどうなるか肉眼で確かめたかった」
樹里の唇は、再び真一文字に戻った。
しかし、彼等は彼女への恐怖を拭うことが出来なかった。
1cmでも樹里に近付こうとすれば、今すぐ殺されそうだったからだ。
だが、それを僅かに忘れさせてくれたのは、女性の一言だった。
「……運命過ぎて笑えないわ」
途端に女性は蓮からカッターナイフを奪い、それは美子の首に狙いを定めた。
一瞬の出来事である。
何が起こったかわからなかった彼等は、ようやく事の重大さを理解した。
だが、時は既に遅し。
「な、何してんだよ!!」
「やめて下さい!」
女性は強く美子を抱き締めた状態のまま、彼女の首にカッターナイフを押し当てていた。
まるで人質のようである。
いつ自分が殺されるかわからない美子は、暗くてもわかるくらい顔を真っ青にし、口をぱくぱくさせている。
女性は美子を睨むように見つめた。
「ここだけの話。私ね、美子ちゃんや海斗君のお兄さん達と元同級生なんだ」
「え!?」
先に反応したのは、美子だった。
自分の危機よりも彼女の衝撃的な発言の方が、彼女としてはショッキングなものだったのかもしれない。
「最初は全然そんなこと知らなかった。だけど、美子ちゃんの話を聞いて全部わかったんだよ」
「だからって、何で美子にそんなこと……」
珍しく動揺を見せながら、樹里が言う。
「あのさ、美子ちゃん。美子ちゃんはお兄さんを美化し過ぎなの。正直言って、彼奴は悪魔だった。元同級生の私からすれば、あんな奴殺されて当然よ」
「何であんたなんかにそんなことわかるの!」
美子がキッと睨み返す。
「海斗君のお兄さんが美子ちゃんのお兄さんにいじめられていたのは知ってるでしょ?だけど、彼奴は他のクラスメイトにも色々迷惑をかけていた。他の殺されたうち二人の女子と二ヶ月後に行方不明になった子は、彼奴に弱味を握られていたの。事件が起きた年の年度初め、私は殺されたうちの一人の女子と仲が良かった。だけど、彼奴や彼奴とつるんでいた奴等のせいで、その子は弱味を彼奴に握られた。それを全く知らなかった私は、彼女を助けることが出来なかった」
「じゃあ、何で今そのことをあなたが知ってるんですか?」
「事件から一週間後、現在行方不明になった女子から全て聞いたの。その子も殺されかけたけどなんとか助かって、事件の真相を聞き出したんだ。結局、その子も消息不明になっちゃったけど」
「……つまり、あんたは大嫌いな奴の身内である私が憎くなったってわけ?」
挑発するように、美子がにやりと笑った。
それにつられるように、女性もまた口角を上げる。
「あんたも同じでしょ。同じ理由で海斗君を殺したんでしょ」
「……だったら何よ」
「兄妹揃ってろくでもないね。小倉兄弟もとんだ災難だわ」
美子は神妙な顔つきになると、小さくため息を吐いた。
「はぁ……そう。で、あんたは私を殺るつもり?」
「そうだよ」
「馬鹿みたい。私を警察に突き出す方がよっぽど賢明じゃないの?受験生だし、私の人生台無しに出来るよ。親を泣かせて学校の皆からも嫌われて世間からも白い目で見られる。それでも良いの?ここであんたが私と同じことをすれば、あんたが地獄行きになるけど本当に良いんだ?」
「……うるさい!!邪魔すんな!!」
美子を憎悪のこもった瞳で睨みつけると、カッターナイフを彼女の首に刺そうとした時だった。
女性のカッターナイフを持っていた手が止まった。
そして、女性の目はある場所に釘付けになった。
彼等の視線も同様に。
「……ドアが開いた?」
震える唯奈の声。
ギギギ、という耳障りな音とともに、風に吹かれたようにドアがゆっくりと開いたのだった。
「どういうことだよ……」
昴が頭を掻いた。
すると、昴の横を誰かが一瞬で通り過ぎていった。
女性だ。
カッターナイフを持ったまま、彼女は何も言わずに全力疾走で教室を出て行ったのだ。
「何なんだよ、あの女……」
蓮が呆れを含んだため息をつく。
「大丈夫?美子」
「大丈夫だよ、樹里。怪我はないけど……なんか色々衝撃だった」
「私もまさか海斗のお兄さんの元同級生が目の前にいたんだからね」
「おいお前ら。呑気に話してないで、俺らも逃げるぞ!」
蓮がドアの前に立った。
少し困ったように彼等は黙るが、やがて意を決したように頷いた。
https://ha10.net/novel/1531730581.html
新作です。是非読んで下さい。
運命過ぎて笑えないわ。
私の首にカッターナイフを押し当てる直前に女が発した言葉を思い出した。
それはこっちの台詞よ。
事件について熟知している人物に出会うなんて、想像もしたことなかったのだから。
月光を頼りに校舎を歩きながら、つくづく自分の運命を呪った。
人を殺した感覚。
殺される側の感覚。
そして、知りたくなかった兄の本性。
優しい過去の兄に執着し過ぎたのかもしれない。
記憶の断片で本当の兄を補正して美化していただけなのかな。
……結局、誰が一番悪いんだろう。
その疑問に辿り着いた瞬間、先頭にいた蓮が音を立てて床に倒れ込んだ。
「蓮!?」
「おい、大丈夫か!?」
蓮の後ろにいた昴が蓮の身体を抱き起こした。
が、もうダメだと瞬時に悟った。
蓮の口から出された真っ赤な血と輝きを失った瞳は、私達を混乱させるのに充分すぎる材料だった。
私は汗でべっとりとした拳を握りしめて口を開いた。
「ヤバいよ、私達このままじゃ殺されるかもしれない!早く逃げよう!!」
「殺される……?」
「だって、今の蓮の死に方見た!?悠也だって!!この校舎は呪われるんだよ!!悠也が言ってた都市伝説はきっと本当なの!!」
「この校舎に足を踏み込んだ奴は死ぬってやつ?」
「そうなんだよ!だから早く逃げよう!」
「だけど……」と蓮の死体に目をやる昴。
悠也の死体だって教室に置いてきたのに、そこまで構ってられない。
「今はそこに置くしかないでしょ!後で警察に言って運んでもらおう!」
「でも」
「昴は死にたいわけ!?私だって死体を放置して出たいわけじゃないけど、自分の命を守るためなんだから仕方ないでしょ!」
「……わかった」
そう言って、私達は急いで走り出した。
ゴミや枯葉、散乱した椅子や机のせいで足場は悪いけど、歩いてる暇はない。
得体の知れないものが私達に襲いかかろうとしている。
そんな予感が鳥肌を立たせた。
とにかく今は先頭にいる昴の姿をただ追いかけるしかなかった。
「着いたぞ」
昴の声とともに、私の頬を冷たい風が撫でた。
視界に入ったのは、満点の星空。
どうやらたった今、昇降口を抜けて外に出たらしい。
ああ……出れたんだ。
急激に込み上げてくる七分の安心感と三分の不安が入り混じって、涙が出そうになる。
「とりあえず、これからどうする?」
そう言って振り返ったが、見覚えのある姿が見当たらなかった。
……樹里がいない。
「樹里は!?ねえ、唯奈、樹里は!?」
声を荒らげて問う私に、唯奈は慌てて答えた。
「私の後ろをついてきたはずだったけど……」
唯奈が言い終える前に、私の足は自然と昇降口に向かっていた。
「おい!」
「美子!?」
驚く二人の声を無視して、陰気な校舎に戻った。
乱れた呼吸を整えず、一階の事務室辺りを探し回る。
「樹里!?樹里!!」
私の声が廊下に響き渡った。
だけど、私の声に答える者は誰もいない。
「ねえ、樹里……樹里!!」
一階の階段のそばに寄ると、ふと違和感を覚えた。
階段で丸くなった一つシルエット。
角度を変えて見ると、シルエットは窓からの月光を浴びて、姿を映し出した。
「樹里!!」
そこにいたのは、階段で倒れている樹里だった。
寄って抱き起こすが、蓮と同じくとても生きているとは思えない状態だった。
「樹里……」
彼女の服にこびりついた赤い液体を気にせず、彼女の身体を抱き締めた。
どうしてこうなったんだろう。
私はいつどこで間違えを犯したんだろう。
こんなはずじゃなかった。
海斗を殺さなきゃ良かった。
海斗は何も悪くなんかなかったのに、一時的な幻覚と怒りに任せたばかりに。
「ごめんなさい……」
この謝罪は海斗へなのか、死んだ皆へなのかわからない。
だけど、私の中に後悔という言葉が渦巻いているのは確かだ。
嗚咽混じりの声で、抱き締める力を強くした。
その時、雷が落ちるように激しい頭痛が一瞬だけ私を襲った。
「いった……」
その瞬間、ある違和感が湧いてきた。
それが何なのか、わからない。
だけど、誰かが私に【思い出して】と警告しているような気がした。
「あ、美子!」
校舎から出ると、唯奈が私に駆け寄った。
項垂れる私に、唯奈は察したように俯いた。
「昴は?」
「……それが気付いたら、どこにもいなくて」
まさか昴まで……。
「どんどん皆いなくなってる……」
自分で呟いた言葉は、よりこの場を冷感させた。
「唯奈は……いなくならないよね?」
「うん、絶対生きて帰って」
彼女の言葉に、私は苦笑した。
「それを言うなら、生きて帰ろうでしょ。その言い方だと、私一人生き残るみたいじゃない」
「あ、そうだね……」
その瞬間、私はある違和感を覚えた。
あれ……?
当たり前だったのに、当たり前じゃなくなった感じだった。
まるで魔法が解けたよう。
それは徐々に私を不安にさせていく。
認めたくはないけど、自分が異常でない限り、この感覚は間違いじゃないだろう。
私は人差し指で目の前にいる【少女】を指差した。
「あんた……誰?」
指を差された【羽柴唯奈という友達だと思い込んでいた】その少女は、目を見開いた。
「私?……唯奈だけど」
「……違う!私のクラスに【羽柴唯奈】なんて子はいない!!ましてや友達でも知り合いでもない!!」
唯奈は口を真一文字に結んだと思ったら、穏やかに笑った。
その笑みは、私を戦慄させた。
彼女の黒髪が風でふわりと舞う。
「……バレちゃったか」
「あんた、何者なの!?」
気付けば、私達の中に唯奈がいた。
彼女は自ら名前を名乗ることもなく、私達は紛れ込んだ彼女を普通に【友達の羽柴唯奈】として扱っていた。
違和感なんて何もなかった。
だからこそ、この少女の存在の可笑しさに気付いた今、彼女が恐ろしくなった。
「もしかして……皆を殺したのもあんたなの!?」
「違う!それは違うから!!」
「じゃあ誰なの!?」
「それは……」
「ほら言えないじゃない!!人の記憶を操作出来るんだから、人を殺害するのも簡単なんでしょ!!」
「確かに私が皆の記憶を操作して、【羽柴唯奈】として皆の中に紛れ込んだのは事実だけど……」
「【唯奈】としてなら私は信じていたけど、今のあんたは何も信じられないから!!どうせ私のことも殺しちゃうんでしょ!!返してよ!!返せ!!皆を返せ!!」
「殺さないから!!私を信じてよ!!」
必死に説得する彼女から、私は全力疾走で逃げた。
彼女は私のことを殺しに来るはずだ。
彼女は私が街の方に逃げると推測するかもしれない。
だから、私は迷わず校舎の背後に聳え立つ山を目指して、草木が生い茂る道に足を踏み入れた。
本当は今すぐにでも家に帰りたいけど、そうもいかない。
雨上がりのせいで足場が悪く、白いスニーカーが茶色く汚れ、靴下にも染みていきそうだ。
冬なのに冷や汗が収まらない。
だけど、後ろから少女が迫ってきていると思うと、足を止めることが出来なかった。
夜はまだまだ明ける気配がない。
今は一体何時なんだろう。
すると、視界に一人のシルエットが入った。
木に寄りかかっているその人物は、私の姿を認めると、手を振ってきた。
昴だ。
「昴!」
「大丈夫か、美子!!」
「私は平気。昴はどうしてここに?」
「いや、その……お前も気付いたか?唯奈が本当は俺達の全く知らない奴だったってこと」
「私も気付いたよ」
「で、ここに逃げてきたってわけか。俺も怖くなって、もしかして殺されるんじゃないかって思ったから、見つかりにくいこの山道まで逃げたんだよ」
「……ねえ、あの子が皆を殺したんだよね?」
「わかんないけど、その可能性は高いと思う」
そう、と答えると、私は星空を見上げた。
今夜は今まで生きてきた中で一番長い夜だろう。
今までは学校に行くのが面倒くさくて、夜が長くなればいいのに、なんて願ったこともあったけど、今は早く夜なんて明けてしまえばいいのに、と調子のいい願望を夜空に込めてしまう。
さて、これからどうすればいいか。
しばらくはここで待機していた方が良いけど、空が白み始めたら家に帰った方が良いかもしれない。
いや、警察に行く方が先かな。
海斗のことはきちんと説明するべきだろうか。
親には泣かれるくらい怒られるだろう。
受験には響かなきゃいいな。
クラスの皆からはハブられるかもしれないけど、あと数ヶ月で卒業だし、まあいいか。
昴もいるし。
昴は普段はあまり目立たないけど、凄く頼りになる。
自己中心的な蓮の考え方を、さりげなく私達のためになるように誘導したりしたことだってあった。
温厚で優しくて、見た目だって悪くない。
そう思うと、危険な状況にも関わらず、真夜中に男子と二人きりでいるのが急に恥ずかしくなった。
寒いのに頬が熱くなる。
その時、私は微かな温もりを感じた。
開いた口が塞がらない。
昴に抱き締められたのだから。
「昴……?」
「……ごめん、しばらくこうさせて」
全身が熱くなった。
別の意味で汗が額から落ちてくる。
「う、うん……」
さっきから、感情が次々と入れ替わっている。
怒って、悲しんで、怖がって、ドキドキして……。
まるで、四季を巡ってるみたいだ。
期待しちゃっていいのかな、これは。
だけど、再び大きな頭痛が私を襲った。
その瞬間、例えるならピンク色だった私の心は真っ白に変わった。
突如、腹部にちくりと痛みを感じた。
それは、頭痛よりも何倍に刺激を受けるものだった。
昴が私の身体から腕を離すと、私は土がぐちゃぐちゃに濡れた地面に仰向けに倒れた。
視界がぐるりと変わる。
十秒足らずの出来事に頭がついていけない。
「兄妹揃って、本当に最低だな」
歪んだ笑みを向ける昴の手には、ナイフが握られていた。
ナイフの先端は月の明かりで、鈍く光っている。
そして、彼は静かに私の前から去っていった。
……どうして。
「だから言ったのに」
どこからか、あの少女の声が聞こえてきた。
「私は皆を殺してない。むしろ、助けたかった」
ああ、やっぱりそうなんだ。
ごめんね、犯人扱いして。
でも、結局あんたは何者なの?
聞きたいことは山ほどある。
だけど、声を出す体力なんてなかった。
「皆の中に紛れ込んでいたのは私だけじゃない。昴もだから」
やっぱり。
刺される直前、私は私を抱き締めている男に少女と同様の強烈な違和感を覚えたけど、あれは正解だったんだ。
「校舎に入ったのは美子、樹里、蓮、悠也だけ。羽柴唯奈と森永昴なんて人はいないよ」
意識が少しずつ遠のいていく。
お願い、早く私が知らないこと全部話して。
「皆を殺したのは昴。そして、その昴の正体はあなたが憎んでいた小倉君」
小倉光貴が?
何であそこに……。
「小倉君は例の事件で私達人間を恨んだの。その激しい憎悪によって、彼の生霊があの校舎に潜むようになったんだよ」
生霊?
いきなりオカルト系の話なのね。
「彼自身はまだ生きてるけど、どうだろう。生霊がいるってことは、とても正常な状態じゃないはず。あなたのお兄さんに相当精神的にやられたから、社会復帰は難しいかもしれない」
十年経った今でも、か……。
彼奴、本当に何を思ってそこまで小倉光貴を追い詰めたんだろう。
「生霊とはいえ、実の弟の死体を目の当たりにしてショックだったんじゃないかな。私もびっくりしたよ。死体が小倉君の弟だったんだから」
……だろうね。
…………ていうか妙に小倉光貴のことをよく知ってるけど、何なの?
……もう、無理かも、意識が……。
「あ、そうそう。私の正体気になるよね」
……ごめんなさい、海斗。
……ごめんなさい、皆。
…………樹里のこと、いっぱい利用して裏切ったのに、私のことを守ってくれたのに、私は樹里のことを守れなかった。
……挙句の果てには、この子の言葉も信じないでいたら、このザマだ。
……ごめんなさい……そして、ありがとう……。
「私の名前は___」
視界に眼鏡をかけた二つ結びの少女が入った瞬間、私の意識はなくなった。
「またダメだった……」
2年A組のベランダから、私は街の景色を眺めていた。
群青色の空に浮かぶ星々の横では、東から明るいグラデーションが帯びている。
空が白み始める頃の夜空は、写真に収めたいくらい美しい。
向かいから寒々しい風が吹くけれど、私は何も感じなかった。
もう、私は死んでいるのだから。
「まさか、友村さんがここに来るなんてびっくりしたな」
事件の後、彼女は真っ先に生き残りの私に問いただしてきた。
私が知ってることを全て話すと、彼女は西尾君を激しく憎んだことは確かに覚えている。
だけどまさか、西尾君の妹を殺そうとしてしまうくらいだとは思ってもいなかった。
彼女もきっと、小倉君に殺されてしまっただろう。
何せ、この校舎に入ってきた人物で無事に生還した者はいないのだから。
勿論、小倉君の仕業だ。
小倉君本人は無意識だろうが、彼の生霊は何人もの命を奪った。
姿を変えて訪れた人物の記憶を操作して、彼等の中に紛れ込み、やがて殺していく。
そして、それを阻止するのが死んだ私の役目だ。
私が死んでから約一年後にこの学校は廃校となり、その数年後には肝試しでここに訪れる者がいた。
私も小倉君同様に訪れた者の年齢に応じて姿を変えて、彼等の中に紛れ込みつつ、これ以上校舎にいるのはやめよう、と止めていた。
だけど、誰も私の言うことなんて聞かなかった。
止める役になりやすいように、敢えて弱虫な性格を演じていたけど、効果なんてなかった。
皆死んでいった。
その上、姿を変えても魔法が解けてしまうように、いつか紛れ込んだことがバレてしまうのだ。
七年前くらいだっけ。
確か、バレた時に『この中には生霊が紛れてて、そいつがあなた達を殺そうとしている』って忠告した瞬間、彼がその場にいた全員を殺してしまったこともあった。
つまり、私の正体がバレても小倉君が殺そうとしていることを私が口外してしまえば、その時点で生きている人が全員死んでしまう。
だから、美子にも誰が皆を殺したか言うことが出来なかった。
しかも、私が紛れた中に毎回姿を変えた小倉君がいることにも、強烈な違和感を覚えた。
彼はほぼ毎回、温厚で優しい性格を設定している。
……いや、おかしくなる前の性格に戻ったと言った方が正しいだろう。
それにしても、今夜訪れてきた中学生集団は異例中の異例だった。
たいていやって来るのは肝試し目的だが、彼等は死体を隠すためにやってきたのだ。
しかも、死体は小倉君の弟、殺した犯人も分からないまま。
美子という女の子が西尾君の妹だと判明した時、開いた口が塞がらなくなってしまった。
「そういえば、もう十年か……」
昨日、あの事件から十年経った。
多分、友村さんが悪天候にも関わらずわざわざここに立ち寄ったのも、十年前の出来事を回顧するためなのかもしれない。
そんなことしなければ、生きていただろうに。
まあ、私が言えた口じゃないが。
私だって十年前、小倉君を裏切らなければ、今生きているはずだ。
私は世間では行方不明とされているらしいけど、実際にはとっくに死んでいる。
江川さんのお墓参りに行った日、崖崩れに巻き込まれて。
家族や友人にそう伝えたくても、幽霊という存在になった今、伝えられるわけない。
小倉君から守るために姿を変えて、人々に接する時以外、私には誰も話し相手がいない。
だけど不思議と、孤独は感じなかった。
寂しさや虚しさにいつか精神を崩壊されてしまうのではないかと懸念していたが、どうやらそれは杞憂だったようだ。
生前からこうなることを教えられていたみたい。
「あ……」
空に現れた美しい朝焼けに、思わず感嘆の声が漏れた。
もうすぐ夜が明ける。
今夜はまた誰かやって来るだろうか。
今度こそ、何かが変わるだろうか。
まあいい。
今度こそ、私が彼から守るから___
[End]