マフィアに殺し屋、スパイまで!?
2組3班は裏社会の住人だらけ!!
《1年2組3班》
【夏城 赤奈(なつじょう せきな)】
高等部1年新聞部の見習い記者。
学園の王子、翔斗の裏を暴こうと尾行していたところ、事件に巻き込まれてしまう。
運動神経と五感は優れているが、成績は中の下。
新聞記者の父が行方不明。
【秋山 翔斗(あきやま しょうと)】
赤奈の隣の席の男子。
成績優秀で運動神経抜群な上に容姿も整っており、人当たりもよく王子のような存在と崇められているが、本性は毒舌吐きの腹黒。
秘密組織のスパイとして活動している。
【春田 月美(はるた つきみ)】
赤奈の親友で後ろの席の少女。
イタリア人とのハーフで、世界的に有名なマフィア[ミトロジーア]のボスの娘。
ハッキングを用いた情報収集が得意で、スパイの翔斗に情報提供することも。
【冬織 鋼(ふゆおり はがね)】
月美の隣の席の男子で、その正体は[ミトロジーア]所属の殺し屋。
運動神経が高く、武器の扱いにも長けている。
【魔法使い盗 ロック(まほうつかいとう ろっく)】
世界中の美術品を壊して回る怪盗。
その正体は謎に包まれている。
「王子の裏……ですか……?」
「そうよ! 学園の王子、秋山翔斗の裏を暴き出すのよ!」
部長が見習いの私に記事を任せる、なんて言うから何事かと思えば、とんでもない案件だった。
「あなた確か席替えで秋山翔斗の隣の席になったんでしょ?」
「ゑぇっ、なんで知ってるんですか!?」
「もう学校中の噂よ? 三年にまで広まっているわ」
席替えで隣の席になっただけで噂になるとは。
さすが、学園の王子──秋山翔斗。
学年首席で、部活には所属していないものの運動神経は抜群、アイドル顔負けの容姿。
そして誰に対しても平等に接し、人当たりもいい。
そんな人物を女子が放っておくはずもなく、ファンクラブやらが作られ、クラブ外でも王子なんて呼び名が浸透している男。
「それで、秋山さんの裏ってなんですか?」
「サッカー部の部長が助っ人を頼んだ時に聞いたっていうのよ、王子の"舌打ち"!」
「舌打ち……ですか?」
「あの仏のような笑顔を振りまく王子が舌打ちなんてスキャンダルじゃない! 本性は絶対腹黒だわ! 裏を暴いて校内新聞にするの!」
「舌打ち一つで校内新聞にされるって、たまったもんじゃないですよぉ〜」
舌打ちなんて誰でもある。
でも秋山翔斗の聖人視は異常で、みんな舌打ちなんてしないと思っているらしい。
人間だしそれくらいあると思うんだけど……。
乗り気でない態度を見せても、部長は気味の悪い薄ら笑いを浮かべて記事のレイアウトを考え始めてしまっている。
「それじゃ、よろしくね!」
初めて任された記事がこんなのって〜!
──翌日。
「裏を暴くって……どうすれば……」
窓側の後ろから2番目、自席に着席しながら頬杖をついていると、ふと良い香りが鼻を掠めた。
これは──お菓子の匂いか……!?
「おはよう、夏城さん」
香りの正体は沢山の焼き菓子を抱えた秋山さんだった。
クッキー、マフィン、カヌレ、マドレーヌetc……。
恐らく女子からのプレゼントだろう。
「お、おはよ〜……今日もすごいね」
「サッカー部のマネージャーさんから、助っ人のお礼にって貰ったんだ。みんなお菓子作りが上手なんだね」
ほわぁ〜。
ほんとに天使みたいな微笑みだ〜!
今にも頭上に輪っかが見えそうなくらい神々しい。
やっぱこんな人に裏があるなんてありえないよ!
「赤奈、おはよ」
「月美ちゃ〜ん!」
春田 月美ちゃん。
私のすぐ後ろの席で、ボブカットが似合う美少女!
ものすごいお嬢様なのか、金銭感覚がちょっと……割と狂ってるとこもある。
ちなみに申し遅れましたが、私は夏城赤奈、16歳!
新聞部の見習い記者として奮闘中!
新聞記者のお父さんの影響でジャーナリストを目指してるんだ。
まぁそのお父さんは1年前から行方不明なんだけど……。
「LINE見たよ〜! 赤奈、大変な話題任されたじゃん」
「そ〜そ〜そ〜なんだよおぉ! あんなの書けるわけないよ!」
月美ちゃんに泣きついて愚痴をこぼす。
ひとしきり吐き終えてがっくりと机に項垂れていると、隣から柔らかい声がした。
「夏城さんって新聞部だったんだね。どんな記事を任されたの?」
「あ、秋山さ……! ゔぇっと……えーっと……」
隣で話を聞いていたであろう秋山さんは、天使の微笑みを崩さぬまま優しく問いかける。
そんな天使に「あなたが腹黒かもしれないので探っているんです!」なんて言えるはずもなく……。
「そ、それは〜公開されてからのお楽しみ!」
「へぇー、すごく楽しみだよ」
秋山さんの柔和な微笑みに癒されていると──。
「翔斗君、数学分からないところがあって……」
「ちょっ、ずる〜い! 私にも教えて秋山く〜ん!」
「僕で良かったら……」
「やったぁぁ〜!」
大勢の女子に勉強を迫られても嫌な顔一つせず神対応……。
ゔぁぁ!
こんないい人、腹黒なわけない!
──と思っていたんだけど……。
昼休み新聞部の部室で次号の記事をワープロに打ち込んでいると、部長に話しかけられた。
「どう? 王子の本性は暴けた?」
「先輩……! やっぱりあんないい人が腹黒なわけないですよぉ〜」
「ばっかねぇ、真に悪いやつほど隠すのが上手い! あんた絶対詐欺とか引っかかるタイプよ」
「そんなことないですよ!」
「どうだか……昼休みもうそろそろ終わるし、帰っていいわよ」
「お疲れ様でした〜」
部長の言葉に甘えて私はキリのいいところで記事の打ち込みを終了させ、パソコンをシャットダウンした。
その帰り道だ。
──チッ。
中庭を早足で通っていると、舌打ちにも似た音が聞こえ……舌打ちだ、絶対舌打ち。
まさかとは思いつつ音のした方……ゴミ捨て場へ向かうと、秋山さんがゴミ箱にクッキーやマフィンを躊躇い無く捨てるところが見えた。
「ったく、よく知らねぇやつが作ったもん食えるわけねぇだろ。気持ちわりぃ」
ゑ……?
ゑ? ゑ?
秋山翔斗さんですよね?
あの天使で神で仏な秋山さんですよね?
私は気が動転しつつもなんとか我に返り、新聞部の必需品、ボイスレコーダーの電源を入れる。
「なにが勉強教えて、だ。教師にでも訊け、ほんとうぜぇしめんどくせぇ……」
秋山さんの声はばっちり私のボイスレコーダーに録音され、重大な証拠となった。
これを部長に提出すれば私は次から色々と記事を任せてもらえるんだろうけど……。
でも秋山さんは学校で過ごしやすくするために頑張って本性隠してたんだよね。
お菓子だって女の子達が傷つかないようこっそり破棄して配慮してる。
それを私達が壊していいはずがない。
部長には、何も手に入れられなかったと言っておこう。
見なかったことにして立ち去ろうとした刹那、なぜか諜報戦隊スパイマンのオープニングテーマが流れた。
日曜午前8時30分から絶賛放送中の特撮番組だ。
私も大ファンだ。
スパイマン♪ スパイマン♪ 悪を暴けスパイマン〜♪
という軽快なメロディが中庭に流れる。
呆気に取られていると、なんと秋山さんがスマホで通話を始めたのだ!
秋山さんが毒舌吐きという事実より着信音をスパイマンにしている方が圧倒的にネタになるのではないだろうか。
「……はい、引き続きミッションを遂行します。現在手に入れたデータは全て転送しました。はい、後は四島物産の極秘情報のみです。本日午後8時より任務を開始します。目処は立っています。恐らく4階の社長室に管理されているかと……」
先程の荒い言葉遣いが嘘のように消え、なにやら神妙な面持ちで話す秋山さん。
ミッション……?
極秘情報?
任務──?
なんかカッコイイな〜と軽い気持ちで聞いていたが、これってもしかして……。
「分かりました。今度こそ必ず"レイド"に関する情報を……」
「……レイド?」
どこかで聞き覚えが見覚えがあるような〜ないような?
聞き覚え、というよりは見覚えというか割と最近なような……。
──カシャン。
レイドという単語に気を取られていると、つい手が緩んで持っていたボイスレコーダーを落としてしまった。
結構な音が辺りに響き、さすがに秋山さんも私の存在に気づいたに違いない。
「夏城……さん……?」
「う、あっあ〜っと〜ゴミを〜捨てようかなぁ〜なぁんて……」
生憎ゴミ袋のひとつも持っていなかったけど、それでも苦し紛れの言い訳を並べる。
秋山さんは地面に落ちたボイスレコーダーと動揺する私を交互に見た。
向こうも少し固まっていたがすぐに落ち着きを取り戻し、睨みを効かせてゆっくり歩み寄る。
「……おい」
「ひゃ、ひゃいっ!?」
普段温厚な人がドスの効いた低い声で近づいてくる時ほど怖いものは無い。
私は脂汗をだらだら流しながら、謝罪やら言い訳やらを頭の中でぐるぐる考える。
「いつから見てた?」
「えーっと〜……お菓子を捨てるところ、から……」
「……絶対誰にも言うなよ」
「本当は女の子のお菓子も捨てちゃうような腹黒男子ってこと? それともス……スパイだってこと……です、か?」
もし見当違いなら恥ずかしすぎるけど、ミッションだとかデータ転送なんてスパイとしか思えないよ!
スパイじゃないとしても、なにか危なそうなことに首を突っ込んでいるのは確実だ。
「その情報が漏れたら、お前の命はねぇからな」
「……はい」
否定しないあたり、本当にスパイなのか!?
高校生でスパイってなれるもんなんだ!?
それとも諜報戦隊スパイマンのスパイレッドに憧れすぎて真似してるただのスパイごっことか!?
「そのボイスレコーダーは? 俺の事を探ろうとしていたのか? どこの組織所属だ!?」
「しっ、新聞部! 新聞部の部長の命令で秋山さんについて裏を暴くことに……」
「なっ……この学校の新聞部は裏社会に精通していたというのか!? じゃあお前は新聞部のスパイだな? 通りで気配を消すのが上手いと思った……」
「いや私は普通の高校生だから! てか遠回しに私の影が薄いって言ってるの!?」
思い込みが激しいので検討外れの憶測を訂正するのに一苦労だ。
「しかも部長は俺の正体に薄々勘づいていて……!?」
「違う違う! 暴きたかったのは秋山さんの本性! 品行方正な秋山さんがサッカー部の助っ人を頼まれた時舌打ちしたってリークがあって、それで秋山さんは腹黒なんじゃないかって部長が……」
私がそう言うと、秋山さんはなにか心当たりがあるのか深くため息を零した。
「サッカー部の部長から三日連続で練習試合に出て欲しいと頼まれた時か……」
連日遅くまでやっているサッカー部の試合を三日連続で助っ人に出て欲しい。
こりゃ仏の仮面も外れるわけだ。
舌打ちの一つや二つもしたくなる。
秋山さんはもう一度ため息をつくと、呆れたように言った。
「知りすぎたお前は本来始末するべき相手」
「ヴェッ!? それってこっこここ殺……!?」
「……だが、俺の警戒が甘かったせいで偶然巻き込まれた身だ。理不尽だから生かしてはおくが、誰かに話せば容赦はしない。いいな?」
「……は、はいっ!」
救いとばかりに予鈴が鳴り、私は逃げるように教室へ走って行った。
その出来事の後から、私の目には秋山さんの微笑みが天使から死神へと移り変わって見えた。
一つ一つの挙動にも恐怖を覚え、なるべく近づかないようビクビクしながら過ごす。
ようやく放課後になり、何事もなく帰路について、盛大に安堵のため息を漏らした。
ブレザーを脱ぎ、リボンを外し、ベットにダイブ。
なんとなく今日録音したボイスレコーダーを再生してみる。
『今度こそ必ず"レイド"に関する情報を……』
「そういえば"レイド"……って単語。な〜んか引っかかるんだよな〜」
どこかでなにか読んだのかな、とぐるぐる思考を巡らせていると、ふと机上の手帳が目に入る。
私が去年父の日にお父さんにあげたものだ。
新聞記者のお父さんに使って欲しくて一生懸命選んだ、黒革の上等な手帳だ。
私がこの手帳をあげた1週間くらい後に、お父さんは行方不明になった。
「お父さん……どこにいるんだろ……」
大事に保管はしていたけど、触れる度にお父さんのことを思い出して悲しくなるからずっと放置していた。
そっと革の感触を噛み締めるように撫でて、手帳をゆっくり開くと──。
「これって……!」
"重大な事実"を目の当たりにしてしまった私はいてもたってもいられなくなり、とうとう四島物産の本社ビルに来てしまっていた。
高層ビル──というわけでもなく、4階建てのこじんまりとしたビルだ。
「来たはいいけど、ほんとに秋山さんここに来るのかな……?」
スパイとしての任務のため、今日の午後8時に四島物産の4階、社長室に入り込むとは聞いていたけど……。
残念ながら四島物産の本社ビルは社員証がないと立ち入れないし、ましてや社長室なんてセキュリティが強くて一般人にはとてもじゃないけど入れない。
それこそスパイでもなきゃ。
「やっぱ帰ろうかな……でも秋山さんにこの情報は伝えかなきゃだし……」
残念ながら私のアドレス帳に王子の名前はない。
電話が使えれば一発解決だけど事はそう甘くなく、直接秋山さんに会う必要があった。
「うーん、4階……4階……」
私はふと、ビルの壁を見てニヤリと笑った。
「ダメ元だけど、やってみますか〜!」
この四島物産への侵入が、後に私の人生を大きく変えるなんて、この時の私は思ってもいなかった。
side秋山翔斗
「……このフォルダも違う……」
四島物産の社長室へ侵入成功したはいいものの、肝心の求めている"レイド"に関するデータの捜索に手こずった。
なんせ社長室のパソコンには無駄なデータが多い。
[重要]と表示されたフォルダを押してみたが、出てくるのはグラビアアイドルの際どい画像。
本当に四島物産の社長がレイドの重要データを持っているのか怪しくなってきた。
あまり長居すると見つかるリスクも上がる。
もう一度情報を洗い直してから出直そう。
そう思ってパソコンの電源を切ろうとした時、デスクの真後ろの窓が開いた。
まさか"レイド"の情報を追って俺以外のスパイも──!?
「あっ、秋山さんいた〜!」
杞憂だった。
「夏城赤奈……なぜここにいる?」
クラスメイトにして隣の席の馬鹿女。
「秋山さんに伝えたいことがあって……!」
「つーかここ4階だろ、どうやって来た!?」
「ビルの壁に雨樋があったからそれを伝って登ってきたの!」
「は? 雨樋?」
窓から見下ろすと、確かに太い雨樋が通っているのが確認できた。
ただ、普通その雨樋を使って4階まで登ろうとするのか?
予測不可能なことばかりする夏城に呆れを通り越して恐怖を抱きそうだ。
「機密事項がある部屋の窓が開いてるとは思ってなかったからダメ元なんだけどね」
「ふん、俺がすぐ逃走できるよう開けておいていたのが幸いしたな」
「ていうか秋山さんスーツ似合ってるね……」
「……うるさい」
四島物産に潜入するにあたって、社員に扮してグレーのスーツを着用していた。
雨樋を伝って侵入してきた馬鹿女とは違い、俺は予め社員証も用意してスマートに潜入したのだ。
「それで、俺に伝えることがあるらしいが」
「あっ、そうそう! 四島物産のデータだけどね、4階の社長室じゃなくて1階の事務室にあるの!」
夏城は制服スカートのポケットから一冊の手帳を広げて俺に見せた。
[四島物産 事務室1F レイドの機密データ]と走り書きで書いてある。
「なんでお前がそんなこと分かるんだよ! つーか何者なわけ?」
「えへへ、実はねぇ……って、誰か来る……!」
「は?」
「見つかっちゃう! どっ、どっか隠れられそうなとこ……!」
夏城は慌ただしく駆けずり回ると、クローゼットを開けて強引に俺を押し込む。
「おい、なにすん……」
「静かに!」
小さめのクローゼットに二人でぎゅうぎゅうになりながら息を潜めていると、数秒後に社長室のドアが開いた。
「社長〜お疲れ様ですぅ」
「ははっ、君もよくやってくれたよ」
社長室に響いた声は、高い女性の声と野太く低い男の声。
本当に人が入ってきたらしい。
俺は真っ暗闇の中、聞こえるか聞こえないかくらいの小声で夏城に囁いた。
「……なんで分かった?」
「あ、足音聞こえたから……」
社長室の壁や扉は厚く、外の音を聞き取るのはかなり難しい。
それを聞き取ることができた夏城の聴覚は鋭い。
馬鹿女に救われたのが気に食わなくなって、無性にイライラした。
しかしイライラを上回るのは緊張だ。
不本意だが狭いクローゼット内では身を縮めるしかなく、俺の胸に夏城の頭が寄りかかり、シャンプーの香りが鼻を掠めた。
狭いクローゼットの中、互いの息遣いが響く。
夏城の細い脚がするりと俺の脚に絡んできて、雁字搦めになる。
本当に、本当に不本意だが、動悸が加速した。
「富子ちゃ〜ん、今日は麻布の寿司屋にでもいかない? 三つ星のさ」
「行きたぁい! でもそこかなり高いですよ?」
「なぁに、金ならいくらでもある。会社の金を少し借りていけば足りるさ」
「あらやだ社長ったらぁ〜」
恐らく社長とその秘書だろう。
ねっとりと甘えるような秘書の声も、デレデレとだらしのない社長の声も、全てが俺をいらつかせる。
「あれって、横領……ですよね?」
「あぁ」
四島物産には"レイド"の件で侵入していたが、思わぬ副産物も得られそうだった。
前々から社長の横領の疑いはあったが、上手く改ざんされて決定的な証拠が出ないままだと聞いたことがある。
「おい、夏城」
「は、はい!」
「ボイスレコーダーで録音しろ」
「わ、分かった!」
夏城がボイスレコーダーの電源を入れると、真っ暗だったクローゼット内がボイスレコーダーの画面で青白く灯される。
「録音……っと」
「会社の金は億単位、数百万抜いても経理の奴らは分からないさ。上手く偽装してるしな」
「さすがです社長〜!」
「録音、ばっちりだよ!」
「後は1階の事務室か……」
正直いきなりしゃしゃり出てきた夏城の話なんて信じたくはないが、現に社長室のパソコンからは"レイド"の情報は何一つ見つからなかった。
ここは一か八か、夏城赤奈の情報に賭けてみるしかない。
……のはいいが。
腹の辺りに妙に柔らかい感触が押し付けられて、落ち着かない。
割と大きいんだな、なんて邪な考えをした自分が憎い。
夏城を押しのける。
「おい、もう少しそっち行け」
「いやいや無理に決まってるでしょっ」
「くっつくな」
「好きでくっついてるわけじゃないし……っ」
無理難題だとは承知していたが、できるだけ距離をおこうともがいている内に──。
「じゃ、社長! 寿司屋行きましょ?」
「そうだな富子ちゃん……」
「ぎゃああああああああぁ!」
クローゼットはバランスを崩して盛大に倒れ、俺達は頭からワイシャツをかぶるという無様な姿を見られることとなった。
「なっ、誰だお前達は!」
「社員と……女子高生……!?」
小太りで中年の男と、20代くらいの若い女性が驚愕しながらこちらを見ている。
私は背中に乗っかっているクローゼットを押しのけ、散乱したワイシャツとハンガーを端の方へ投げた。
「ど、どうしよ秋山さん……」
「馬鹿、手間かけさせやがって」
「なっ、元はと言えば秋山さんが私を押しのけて……っ」
「そもそもお前がここに来てなきゃ……」
「いい加減にしろお前らァ!」
秋山さんとの口論は、荒らいだ男の声によって遮られた。
社長と思わしき男は眉間に皺を寄せ、私達二人に拳銃を突きつけている。
向けられた銃口は予想外すぎて、恐怖のあまり立ちすくんでしまう。
「お前らさては警察の手先だな? 俺好みの女子高生のコスプレまでして対策しやがって……!」
「いやコスプレじゃないです!」
「富子ちゃん!」
「はい社長!」
富子と呼ばれた女性は素早く手錠を二つ取り出し、私と秋山さんの両手を繋いだ。
両腕を後ろに固定され、身動きができない。
「わっ、わ! どうしよこれ取れない!?」
「うるさい喚くな!」
身をよじったり手錠を引きちぎろうと引っ張るも、いたずらに体力を消耗していくだけだった。
>>15から赤奈sideです!
17:特命の匿名:2019/02/22(金) 22:49 「なかなか可愛い女子高生を殺めるのは惜しいが、事実を知られたからには生かしておけない。そこのイケメン君もな」
「ひっ!」
危険を承知で来たのは確かだけど、せいぜい侵入したことを警察き通報されるくらいだと甘く見ていた私は、向けられた拳銃に怯えるしかなかった。
それに比べて秋山さんは、拳銃を向けられてもなお大きく取り乱すことは無く、想定内といった顔で対峙している。
幾多もの修羅場をくぐってきたのかもしれない。
「……あれは……」
ふと秋山さんの拘束された手に視線をやると、細い針金で手錠の鍵穴をこじ開けようとしているようだった。
スパイ映画とかで見たことあるけど、本当にそんなことができちゃうのか!
「それじゃ、死んでもらおうか」
「ちょっ、ちょっと待ってください!」
「なんだ、遺言か?」
針金で手錠を開けるのは予想以上に時間がかかるのかもしれない。
その間少しでも時間稼ぎをしないと!
「私、"レイド"に関する情報結構持ってるんだけど……殺していいのかな〜?」
「レイド……だと!?」
レイドという単語で明らかに目の色を変えた社長。
秋山さんは少し目を見開いて驚いたような顔で私を見る。
私は秋山さんの手錠の方をちらりと見やり、軽く頷いて合図を送る。
私が時間稼ぎしている間に手錠を解いて……って、秋山さんに伝わっているだろうか。
「秘密結社レイド……多くの国家や企業を掌握し、裏から世界を操っている組織……あなたはその秘密結社の情報を集めているんですよね」
「"そっち"の刺客だった、ってわけか」
社長は拳銃を下ろしてゆっくり私の方へ歩み寄ると私の顎をクイッと上に向けた。
人生初の顎クイが小太りの中年じじいって、あんまりなんですけど!?
「レイドについて知っていることを話してくれたら、解放してあげよう」
「しゃ、社員〜! いいんですかぁ〜?」
「貴重な情報だからな」
「ほ、本当ですか!? わ〜い!」
分かってる。
横領の事実を知られた以上私たちを生かしておくはずはない。
どの道2人は私たちを始末する。
「……まず、秘密結社レイドの拠点は6箇所。分かっているのは国名だけだけど、本部はイタリアのどこかにある。そしてドイツ、ロシア、アメリカ、オーストラリア、東京の5箇所に支部を置いている」
「本部はイタリア……だと?」
「多分イタリアはマフィアの拠点もあるから、そこら辺との繋がりも強くしたいんだと思う」
突拍子もない国名を訝しんだ社長だが、私なりの考察を述べると理にかなっていると判断したのかとりあえず納得したようだった。
「他に情報はないのか?」
「ほ、他には……」
正直私はとある事情から秘密結社レイドについての情報を他にも持っていた。
けれど目の前の胡散臭い社長にはこれ以上話したくない。
一番漏洩しても問題なさそうなギリギリの情報を選んで伝えたけど、これ以上は……。
「ないようだなぁ? まぁ拠点のある国が分かっただけでも収穫か……解放してあげたいとこだけど顔を見られたしやっぱり……」
社長は下ろしていた手を再び私に突きつけ──。
「死んでもらおうか」
──パンッ。
鼓膜を劈くような激しい銃声音が響き渡った。
反射的に瞑っていた目をゆっくり開けると──。
「な、なにィ!?」
「しゃっ、社長〜!」
床に転がる拳銃と、手から血を流す社長。
そして青白い煙がのぼる拳銃を手にしている秋山さん。
どうやら手錠を外して社長に反撃してくれたらしい。
「夏城、さっさと逃げろ!」
「ゔぇっ、で、でも……!」
「そんなに逃げる気がないなら……」
秋山さんは拳銃を持っていないもう片方の手でスーツのポケットをまさぐると、私に何かを手渡した。
「これって社員証と……諜報戦隊スパイマンのスパイレッド!?」
「……のUSBメモリだ」
親指くらいの大きさで、スパイレッドの頭を外すとUSB端子が洗われる。
「事務室に行ってレイドに関するデータを集めろ。もう社員はいないはずだ」
「わ、分かった!」
そう言った直後、社長のうめき声が上がる。
「なっ、やたら大人しいと思っていたら貴様……!」
社長は負傷していない方の手で床に転がる拳銃を手に取ろうとするが、それに気づいた秋山さんが拳銃を撃ち壊す。
「あ゛〜! お、俺のトカレフTT-33がぁぁ!」
社長がたじろいでいる隙に私は社長室を飛び出し、思いっきり走り出した。
エレベーターで1階まで降り、事務室を探す。
「事務室事務室……えーっとえーっと……」
ノー残業デーとのことで社長は残っていなかったため、明かりはひとつもついてない。
私はスマホのライト機能を頼りに事務室を探した。
「あ、事務室みっけ!」
2分ほど歩き回っていると、事務室のプレートを見つけた。
秋山さんから貰った偽造社員証をスキャンすると、事務室の扉が簡単に開いた。
事務室にはパソコンが3台置いてあり、私は迷うことなく真ん中のパソコンへ向かう。
「確かこのパソコンの……あった、このフォルダだ! PDFファイルか……」
秋山さんから預かったスパイレッドの頭を外し、USB端子を差し込んでデータをコピーする。
けどデータの容量は結構膨大なようで、コピー中と表示されたままバーがあまり進まない。
「あぁ〜もう! 早くしてよ!」
やきもきしながら待っていると、数分後にようやくコピーが完了した。
「秋山さん大丈夫かな……」
急いで事務室を出ると──。
「よし! 早く秋山さんのところに……」
「俺ならここだ」
秋山さんが腕を組んで壁に寄りかかっていた。
訂正
社長は残ってるいなかったため、ではなく社員は残っていなかった の間違いでした
「あ、秋山さん……! あの人たちは!?」
「丸腰の人間くらい余裕で拘束できる。ロープで手足を縛った上にガムテープで床に貼り付けておいた」
「うわ、えぐい……」
想像しただけで身震いしそうだ……。
「警察に二人の横領について匿名で通報した。証拠として俺のデータを消して指紋を拭き取ったボイスレコーダーを置いてきたから逮捕されるはずだ」
「そっか!」
「通報した警察が来る前に早くここを出るぞ」
「わ、分かった!」
秋山さんは小走りでビルを出ると、駐車場に停めてあった黒いバイクに跨り、手際よくヘルメットを装着した。
秋山さんバイク運転できるんだ、という事実に少しあっけに取られていると
「お前も乗れ!」
「わっ」
予備のヘルメット投げられた。
秋山さんはイグニッションキーを差してエンジンを付ける。
私はおずおずとサドルに跨って、どこに捕まっていようか頭を悩ませた。
ドラマとかでは背中に抱きつく感じで掴まってるけど……そんな感じでいいの!?
「しっかり掴まってろよ」
「う、うん……!」
秋山さんの背中はおっきくて、ちょっと硬くてゴツゴツしてて……。
不思議と感じた心地良さと、動機の激しさがむず痒い。
この心地良さは風のせい?
動悸の激しさはさっきの恐怖心?
それとも──。
「って、秋山さん顔赤っ!」
「……ほっとけ!(胸が当たってるなんて言えない)」
秋山さんは送っていくから家の場所を教えろって言ってくれたけど、入り組んだ住宅地にあるからとりあえず近くのスーパーまで送ってもらうことにした。
そういえばもう22時ををまわっている。
スーパーの駐車場に着いたところで秋山さんはバイクを停めて降りた。
離れる背中が名残惜しいなんて思った自分にびっくりした。
「秋山さん、色々ありがとう! これコピーしたデータ!」
お礼を言ってUSBメモリのスパイレッドを差し出すと、秋山さんはひったくるように受け取ってそっぽを向いてしまった。
でも分かるよ。
街灯で青白く照らされたその耳が、真っ赤なんだもん。
「ねぇ秋山さん」
「……なに」
「私を、スパイにしてくれないかな!?」
「……………………は?」
唐突すぎる発言に、さすがの秋山さんも豆が鳩鉄砲喰らったような顔をしていた。
「私、秘密結社レイドの情報けっこー持ってるんんだよね! 情報は渡すから、私をスパイにして!」
「ふざけんな、遊びじゃねぇんだよ!」
「私だって、遊びじゃない!」
私が声を荒らげて言うと、秋山さんは蔑んだような目付きで睨む。
「どうせカッコイイから、とかそんなくだらねぇ理由だろ」
「違う!……絶対スパイにならなきゃいけない理由ができた」
私はブレザーのポケットからお父さんの使っていた黒革の手帳を取り出し、最初のページをめくった。
「私のお父さん新聞記者なんだけど、1年前行方不明になっちゃってね。いつも散らかってるお父さんの会社のデスクは綺麗に整頓されていて、この手帳だけがデスクに出てたらしいんだ」
私はそう言って手帳を秋山さんの目の前に掲げてみせた。
「秘密結社レイドに関する情報……お父さんはこれを追ってた。うちの書斎にも資料まだあるの。その情報全部あげるから! 私もレイドに近づけば、お父さんに会えるかもしれない! 行方不明の真相が、分かるかもしれないの!」
秋山さんは一つため息をつくと、私から手帳を奪って軽くパラパラっと見た。
「情報の信憑性は?」
「あるよ、あるに決まってるじゃん! お父さんはレイドのまずい情報を手に入れちゃったから行方不明になったんだよ!」
私の懇願に折れたのか情報の信憑性を理解したのか。
秋山さんは
「……本部に申請しとく」
そう小声で言って、バイクで去って行った。
──翌日。
スパイについて、秋山さんについて、お父さんについて、そして秘密結社レイドについて。
色々なことについて考えすぎて眠れなかったせいでやや寝不足気味だ。
「おはよー赤奈……ってうわ、クマすごいじゃん!?」
「あぁ月美ちゃんおはよ……録り溜めてた諜報戦隊スパイマン見てたら夜更かししちゃって」
「やれやれ、赤奈らしい」
そんなことを話していたら、女の子達の大きな「おはよう!」の声があちこちから聞こえてきた。
振り向くと、案の定秋山さんが笑顔を撒き散らして自席へ向かって歩いていた。
「おはよう、夏城さん、春田さん」
「おはよう秋山さん……」
「おはよーございまーす」
黒い秋山さんの方を昨日ずっと見ていたからか、王子秋山に多大な違和感を覚える。
「で? どうなの、秋山さんの本性は」
月美ちゃんはこそっと私に耳打ちした。
「……思い違い、だったみたい。秋山さんは普通に優しい人だよ」
そう、優しい人。
口が悪くても腹黒でも……。
「ふぅーん。じゃあ新聞部も見習いのままってわけかぁ」
「あ、いやそれは大丈夫! 代わりに得ダネゲットしたから!」
「秋山君って諜報戦隊スパイマン好きなんだ!?」
「マジか〜!」
「秋山君のケータイの着信音、諜報戦隊スパイマンの主題歌なんだ〜?」
「なにこれかわい〜い!」
「ちょっと近寄りがたかったけど、秋山スパイマン好きなんだ!? 今度俺も秋山に話しかけてみよっかな」
「スパイマンで誰が好きなんだろ?」
校内新聞が貼られている掲示板には、女子生徒が群がって黄色い声を上げていた。
秋山さんとは関わりがなさそうな特撮ヲタクも秋山さんに親近感を持ち始め、誰も傷つけず特ダネをモノにできたのだ!
「ふふ〜ん! どんなもんよ!」
「くそっ、覚えてろ夏城……!」
特撮好きをバラされた秋山さんの視線は怖かったけど、それ以上に部長に絶賛されて新記事を任されたことで私は舞い上がっていた。
【ミッション01 クリア】
【ミッション 002】翔斗side
大手マスメディア会社、Sジャーナルの地下。
表向きはテレビや新聞、雑誌、オンライン記事といった広い媒体で活動するマスメディアだが、その本部の地下は諜報機関となっている。
極小数で結成された機関だが、その実績は頗る優秀である。
「それで、レイドの情報を持つ少女が我が社のエージェントとして活動したい、と?」
「……はい。まぁ真に受けなくて結構だと思います。訓練も受けていない一般人ですし、適当にあしらって情報だけ回収しましょう」
俺は四島物産で起きたことの顛末とデータを報告書にまとめ、松阪管理官に報告した。
あの女……夏城赤奈についての情報も添えて。
「なぜ一般人である彼女がレイドの情報を?」
「父親が新聞記者で、レイドに関する情報を追っていたと言っております。当の父親は一年ほど前から行方不明になっているらしく……」
夏城の身辺調査の結果を管理官に渡すと、彼女は興味深げに資料をまじまじと見た。
「なるほど、夏城……ねぇ」
「なにか気になる点でも?」
彼女は顎に手を添えて、不敵な笑みを浮かべた。
何かを知っているような含み笑いだ。
「……いいえ。分かりました、レイドの情報と引き換えにエージェント採用試験の資格を夏城赤奈に与えましょう」
「ま、松阪管理官! 彼女はなんの訓練も受けていない一般人、エージェントになんて……!」
「試験を受けさせるだけです。駄目なら落としてしまえばいいのですから」
「しかし……!」
松阪管理官はSジャーナル諜報部の上層部に当たる人物。
一諜報員である俺が強く出ることもできず、しぶしぶ夏城赤奈のエージェント採用試験への参加を認めざるを得なかった。
まぁ訓練も受けていない一般人の女子高生だ。
採用試験なんてどうせ落ちる。
俺はそう思っていた。
赤奈side
「エージェント採用試験?」
放課後、誰もいなくなった2組の教室。
秋山さんに放課後話があるって教室に呼び出されたのだ。
どうやら私がスパイになれるよう進言してくれたらしい。
「組織の諜報員として活動するには採用試験を受ける必要がある」
「な、何教科ですか!? 私、現代社会と政治経済と現文は得意だけど数学とか物理はちょ〜っと苦手で……っ」
「学力試験はない」
「ゑ」
秋山さんは私の机に腰掛けると、すらっと長い脚を組んで気だるげに説明した。
「とりあえずうちでは一般教養があれば問題ない。それに関してはお前の成績表や模試の点数を上層部に渡しておいた。問題はないようだから筆記試験は免除だ」
「ちょっ、何勝手に人の成績バラしてるの!?」
この間の数学なんて平均より20点も下だったし、学年順位は中の下だ。
親にも見せてない成績表だったのに……!
「とにかく、試験内容は実技のみ。拘束された場合の対処法や情報収集技術を見る。詳細は後だ」
「うわぁ、実践かぁ〜。分かってたけど、できる気がしないよ……」
今のうちに秋山さんみたく針金で手錠をこじ開ける訓練でもしておいた方がいいのかな……?
ていうか秋山さんは特殊な訓練とか受けてきたのかな?
一般人の私が試験に合格するのって結構厳しいんじゃ……?
「話はそれだけだ」
秋山さんはスクールバッグを持ってさっさと行ってしまった。
「よし、私も帰って特訓だー!」
──と意気込んで学校を出た帰り道。
月美ちゃんは家の用事を手伝うからと言って先に帰っちゃったしで久々に一人で帰宅だ。
校門から少し歩いたところにある人影疎らな住宅街へと足を踏み入れたのはいいけど……。
「……視線を感じる」
考えすぎであって欲しいけど、背後から視線を強く感じるのだ。
それだけじゃなくて微かに足音も感じる。
その足音は私が立ち止まるとピッタリと止み、まるでカエルの合唱のようについてくる。
もちろん後ろを振り向いても怪しい人影はなく、しん、と静かなまま。
「まさか四島物産の社長が……?」
恐らく恨みを買ってしまったであろう人物を思い出し、身震いした。
刑務所内からあの手この手を使って私を陥れようとしているのかもしれない。
もしくは秘密結社レイドに関する情報を狙う何者か……。
「よーし、とにかくストーカーまかなきゃ……!」
私は住宅街を縦横無尽に走り回り、ストーカーから行方をくらまそうと奮闘した。
「あぁもう、しつこいなぁ」
複雑な裏道や入り組んだ通路を介しても、足音は止まない。
RPGゲームで隊長の後ろをついていく仲間達って感じだ。
「だったら……!」
木を隠すなら森の中、人を隠すなら人混みだ。
人混みに紛れてしまえば追跡は難しくなるし、逃げきれなかったとしても人目があるからこちらに手出しも出来ないはず!
「確かこの先に大通りが……」
そう思って大通りへ続く道へと走ろうとしたその瞬間──。
「ん゛っ!?」
後ろから強く抱きしめられたと思ったら布で口を塞がれ、急激な眠気に襲われる。
目の端に映ったのは、一台の黒塗りの車だ。
そうか、私としたことが。
共犯者も……。
私は薄れゆく意識の中で、秋山さんを思った。
こういう時、秋山さんならどうするんだろう、って。
「ん……っ」
腕が痛い。
重い瞼をこじ開けると、牢獄のような部屋が現れる。
私は手を後ろに回され、ぶっといロープで三重、四重巻きにされて床に座り込んでいる状態だ。
部屋一面コンクリートで、背中と太ももに冷たくて硬い感触を受けた。
「ようやく目覚めたな」
「……誰!?」
よく通る低い大人の女性の声。
フード付きの黒いケープに不気味な白い仮面という死神のような出で立ちは、私に恐怖心を与えるのには十分だった。
「お前……季島学院中等部に通うスパイの存在を知っているだろう?」
季島学院高等部に通うスパイ──なんて、多分恐らく絶対、秋山さんのことだ。
逆に二人、三人もうちの学校にスパイがいたら怖すぎる。
「ししし知らないです! うちの学院にスパイなんているわけないじゃないですか! 高校生ですよ? こーこーせー!」
ここで秋山さんの名前を出すのは危険すぎる。
この死神女、絶対秋山さんになにか危害を加えるつもりだ!
「ふん、あくまでシラを切るつもりか。ならいい、こちらにも考えがある」
死神女はパチンと指を鳴らすと、直後にシューッとなにやら気体の漏れる音がした。
と同時に生臭い臭い……。
「今この部屋に悪臭のする猛毒ガスを流し込んだ。いずれ部屋にガスが充満するだろう。私のようにガスマスクをしていなければ……死ぬ」
「毒ガス!? ゔゑ゛っ、くっっさ!? くっっさ!? ゔお゛ゑゑっ」
あまりの臭さに吐き気が止まらず、ものすごい苦しい。
息をとめたり口を閉じたりするけど、それにも限界がある。
「スパイについての情報を吐けば解放してやるぞ。恐らくあと2分でお前は死ぬ」
「ゔっ……教えたらそ、その人を、どうするつもり? ……ゔぉげゑっ」
「もちろん拷問の後情報を吐かせる。貴様同様にな。情報さえ差し出せば殺しはしない」
正直もう臭すぎて涙も出るし鼻つまみたくても縛られて手は動かせないしで限界だった。
解放して欲しい、外の空気を吸いたい、ロープを解いてくれ。
「情報を吐け!」
死神女は追い討ちをかけるように怒鳴りつける。
こんなとき、秋山さんならどうするんだろう?
なにか道具とか使って上手く抜け出すかな?
情報吐いちゃうかな?
「吐くのか吐かないのか。あと1分で貴様は死ぬぞ」
もう無理、限界、これ以上は耐えきれない。
くっっさ!
生臭い、鼻がひん曲がりそう。
「…………吐く」
「そうか。ならば吐け! 垂れ流せ!」
「じゃあお言葉に甘え、て…………ぅゔおあ゛ぁっげゑ゛ゑっぼげぇっ゛!」
「そっちの吐くかい!貴様ァァァ゛ァ!」
私は結局情報を吐かず、朝ご飯を吐き出した。
秋山さんならきっと、拷問されても情報を吐かない。
私が話せば秋山さんは殺されてしまう。
どんなに苦しくたって辛くたって、この人に情報を流しちゃダメだ!
「げっほっ……言わない! 絶対、言わない……っ! 言うくらいなら、私が死ぬ!」
私は力を振り絞り、死神女に噛み付く程の勢いで吠えた。
「ふん……それがお前の解だな?」
死神女の問いかけに、私はゆっくりと頷いた。
あゝもう、ダメかもしれない……。
私、こんな悪臭にまみれて死ぬのかな?
もう最悪の末路だよこれ……。
「……私、情報守りきった……よ……」
まだ湧き上がる吐き気を押さえつけながら、私は静かに目を閉じた。
「……合格よ、夏城赤奈さん」
「……………………ゑ」
死神女は静かにそう言うと、小窓を開けて悪臭を逃がした。
「え、あの」
「ごめんなさいね、臭かったでしょう?」
「はい……それはもう、すごく……」
先程のドスの効いた声荒い話し方とは打って変わって、上品で穏やかな口調になっていた。
死神女がおもむろに仮面を外すと、凛とした佇まいの女性が現れる。
「実はね、これがエージェントスパイ採用試験なの」
「……へ?」
「私はSジャーナル諜報部の管理官、松阪せつき。秋山翔斗の上司と言えば分かるかしら」
「あ、秋山さんの……?」
その女性は涼しい顔でそう言うと、ゆっくり歩み寄り、私に巻き付けられていた太いロープをほどいていく。
「で、でも私なんも抵抗できなくて、死にかけて、なのに合格って……!」
「拷問された際の対応を見が見たかったの。自身の命を持ってしても仲間を守り、情報を漏らさなかった」
「そ、それだけですか!?」
「それだけ、よ。でも出来ない人が多い。大半の人は組織より自身の安全を優先する。仲間を、情報を売る。間違いではないけど、うちにはいらない」
彼女は解いたロープをぱさりと床に投げ捨てた。
「それに尾行にいち早く気付けた鋭い聴覚と、大通りへ逃げようとした判断も加点対象ね。訓練していないにしては上出来よ。おめでとう、夏城さん」
採用試験? 合格? 拷問?
死神女は演技で、秋山さんに危害が加わることもない……?
「あの、じゃあ、あのくっっさ〜い毒ガスは……?」
「あれは世界一臭い食品、シュールストレミングとドリアン、ソ・マルツゥっていう臭いの強烈なチーズを下水で煮込んだ物よ。さすが生死に関わる拷問はできないもの」
「シュールストレミング……? ドリアン……? チーズ……はっ、ははっ」
私は薄ら笑いを浮かべ、力なく座り込んだ。
足に力が入らず床にへたりこんでいると、ガチャっと鍵の開く音が響いた。
重そうなコンクリートのドアが開く。
そこには、教室とは違う顔つきをした秋山さんがいた。
「まんまと茶番にかかったな。しかもその不様な状態で合格か……」
「あ、秋山さん!」
秋山さんはニヒルな笑みを浮かべ、私を嘲笑う。
それが悔しかったけど、あんな状況の後だ、安堵の方が大きかった。
無事でいてくれてありがとうって。
「あら、夏城さんを運んだ車を真っ青な顔で追跡するくらいには心配していたじゃない?」
「えっ、秋山さん私の事心配してくれたの……!?」
私と松阪さんの視線に耐えきれなくなったのか、ふいっと背を向ける秋山さん。
「しっ、四島物産の社長が向けた刺客ならこっちとしても放っておけないというだけだ。別にお前なんかどうなろうと知ったこっちゃないけどな」
耳たぶまで赤い秋山さんの説得力は皆無に等しい。
教室で爽やかな笑顔を浮かべる天使みたいな秋山さんもいいけれど、口が悪くても根は優しい秋山さんも好きだ。
「……二人の一連の会話を見て決めました」
松阪さんは黒いケープを脱ぎ捨ててグレーのパンツスーツスタイルに変身すると、力強く言った。
「夏城さん、秋山さん。これからスパイ活動を行うにあたって、あなた達二人でコンビを組むことを命じます」
「「…………は?」」
思わず互いに顔を見合わせる私と秋山さん。
そして二人の視線は松阪さんへと向く。
松阪さんは相変わらず涼しい顔をして腕を組んだまま。
「あなた達二人なら、良いコンビになるでしょう」
「なれるわけないだろ!」
「むむむ無理です無理です〜!」
採用試験に無事合格したはいいけど……秋山さんとコンビ〜!?
私、やっていけるのかな……?(泣)
【ミッション002 クリア】
【ミッション03】
「コードネーム……ですか?」
「えぇ。安全面を重視し、任務中は本名ではなくコードネームで呼び合って下さい。コードネームの決定をもって、手続きは全て終了となります」
エージェント採用試験から数日後、夥しい数の書類に目を通して母音を押し、記入漏れを埋めてようやく終わったかに思えたのだけど。
司令室には私と──コンビ(予定)の秋山さん、デスクにふんぞり返って腰掛ける松阪管理官を交えて話し合いをしていた。
「本来は私が命名するのですが……今回は、秋山さん。あなたが夏城さんのコードネームを決めてください」
「俺が?」
「えぇっ〜!? 秋山さんが私のコードネームを、ですか!?」
秋山さんの方を恐る恐るちらっと見ると、案の定怪訝そうな顔でこちらを睨んでいる。
「そもそも俺はこいつと組むなんて認めていない。素人に足を引っ張られるのはごめんだ」
「ゔっ、そんな言い方しなくても……!」
「夏城さんを推薦したのは秋山さんですし、教育係として彼女につくのは当たり前です」
「けど!」
「これは命令です。もし任務に支障をきたすようでしたら、コンビは解散しますから安心してください」
松阪管理官がピシャリと言い放つと、秋山さんは巨大壁を前に来た鼠のように為す術もなく黙り込んでしまった。
秋山さんは悔しそうに唇を結び、表情を歪めた。
松阪管理官、若くて美人なお姉さんだけど逆いがたい威厳がある。
「ちなみに秋山さんのコードネームはなんですか?」
「……シャドーSよ」
「おぉ、なんか厨二病っぽいけどカッコいい……!」
「厨二病言うな!」
「あ、気にしてるんだ、秋山さん」
シャドーS。
闇の使者って感じで、いつも黒いカーディガンに黒いリュック、と持ち物のほとんどが黒い秋山さんにしっくりきてしまう。
松阪さんもなかなか突いたネーミングをしたものだ。
「とにかく。秋山さんは一週間後までに夏城さんのコードネームを考えるように。依頼はは明日からとなります。夏城さんは秋山さんの案内のもとサポート部に寄って道具等の必要な物を受け取るように」
「はい!」
これから私(と秋山さん)のスパイ活動が始まる。
お父さんの行方を掴む為にも、頑張らなきゃ!
Sジャーナル諜報部サポート課。
そこは潜入用の社員証を偽造したりスパイ道具を開発したりと、エージェントの任務遂行を補助するためにできた課らしい。
秋山さんに案内されて連れてこられたのは、もはや大学の研究所みたいな部屋で、壁一面に図やら表が貼られ、何台ものモニターが終始動いている。
10人くらいの人が忙しなくキーボードを打ち込んだり、はんだごてで何かを接合していた。
「あ、あなたが夏城さんですか?」
入口で部屋のスケールに圧倒されていると、一人の男性に声をかけられた。
私より少し年上……大学生くらいだろうか。
ボサついた黒髪に黒縁メガネで、結構童顔な男性だ。
「はい、そうです」
「ちょうど良かった! 僕は雨水守人(うすい もりひと)、サポート課の研究員です。今さっき新道具の実践使用許可がでたんで、実際に任務で使用して貰おうと思ってたんです」
雨水さんはそう言って小躍りしながらデスクからゴーグルを持ってくる。
水泳で使うようなやより一回り大きい、黒いゴーグルだ。
「このスコープは簡単に言えば双眼鏡みたいなもので、最大500m先の人の顔まで拡大できます! それにこのボタンを押せば暗視も出来るので暗闇でも活動できちゃいます!」
「す、すごい……」
「貸せ、お前みたいな素人には宝の持ち腐れだ」
私以上に感心していたのは秋山さんだ。
私からひったくるようにしてゴーグルを奪うと、早速装置して感嘆の声をあげている。
「使って欲しいのは私! 返してよね!」
「あはは……いくつかあるので、よかったら秋山さんも使ってください。他にもいくつか夏城さんに渡すものがあります」
そう言って雨水さんが渡したのは、一台のスマートフォンだ。
「スマホ……?」
「いいえ! 機密保持用特殊通信端末、シークレッター07です! そこら辺のスマホなんかと一緒にしないでください!」
「す、すみません……」
彼なりのこだわりというか対抗心があるのだろう、スマホと呼ばれるのが嫌いなようだ。
雨水さんの勢いに気圧されていると、止める間もなくドッと語り始めた。
「任務に関する連絡は必ずこちらを使用して下さい! "普通の"スマホでは盗聴やハッキング、ウイルス感染の可能性があるので。ウイルス感染した端末に繋げればウイルスを駆除できるという優れモノ! さらにさらに!」
『はじめまして、セキナ!』
「えっ、誰……!?」
どこからか私の名前を呼ぶ女性の声。
ちょっと高くて機械っぽいけど……。
「実はこのシークレッター。喋るんです!」
掲げられた画面を覗き込むと、画面内にクリオネのようなキャラクターが飛び跳ねている。
「えーっと、ePhoneのSariみたいな機能?」
「Sariより遥かに優れた人工知能、ナナですよ! ちゃんと会話出来ますし。ナナ、最近ずっと充電してたからちょっと太った?」
『ひどいよ〜! モリトも飴の食べ過ぎで少し太り気味じゃない?』
すごい……人間味のある会話だ……。
ロボット特有の違和感が全くなく、本当に人間の友人とコミニュケーションをとっている。
「ナナ、これからは夏城さんのサポートをして欲しい。夏城さんも、任務中はGPSの位置情報把握のため肌身離さず持っていてください」
『まかせておいて、モリト!』
「分かりました。よろしく、ナナ」
『よろしくね、セキナ!』
会話ができるスマ……シークレッター。
Sジャーナルのサポート課の技術、すごすぎるよ!
「さっそく秋山さんのロックと連携させようか」
「ロック……?」
「俺のシークレッターだ」
割と空気になっていた秋山さんはスマ……シークレッターを起動させる。
画面上には一匹のクリオネがうねうねと浮遊している。
『よっ、ショート! 今日は起動回数少ねぇな! 待ちくたびれたぜ』
「用がない時はわざわざ起動しない。今からシークレッター07とリンクするから準備しろ」
『つまんねーやつ〜! ま、いいや。久々のリンクだからな!』
私の端末にいた女の子とは違い、秋山さんのシークレッターのクリオネは男の子の声だ。
「連携ってなんですか?」
「シークレッターを連携しておくと相手のシークレッターに情報が自動で送信されるので簡単に共有できます!」
「お〜便利〜!」
私と秋山さんはさっそくシークレッターを連携させた。
更新が厳しいので番外編を挟みます
[機密ファイル01]
【夏城赤奈(なつじょう せきな) 16歳】
父のようなジャーナリストを目指し、新聞部の見習い記者としてする女子高生。
行方不明になった父の真相に近づくため、Sジャーナルでスパイ活動をすることに。
五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)が優れており、視力は3.0。
好きな教科…現代文、政治経済
嫌いな教科…物理、数学
好きな食べ物…アサリの味噌汁
嫌いな食べ物…納豆、ドリアン(臭いがきついもの)
趣味…野球観戦、釣り、特撮
好きなスパイレンジャー…エージェントイエロー
「野球は新聞の記事とか毎日読んでたら自然と興味持った感じかな。釣りはおじいちゃんの影響。あと馬券は買わないけどテレビ中継で競馬観戦とかしてる」