「笑う門には福来たる」の残酷性(3)

「いい話」では全く無い 「富者は ますます富む」と同じ:2023/12/13(水) 09:51 ID:CTM

「笑う門には福来たる」の残酷性
https://twitter.com/SAKAI_Tooru/status/1734192745965875558

「笑う門には福 来たる」という言葉には
大いに真実性が有る。
事実としては恐らく正しい。

ただ、
その真実性というか「正しさ」は、
「富者は ますます富む」と同じくらい
「残酷な真実性」、
「残酷な正しさ」なのではないか。

笑っている人のところに福が来るなんて、
正しいけれど「いい話」では全くない。

もしも家庭用のゲーム機が無くなったら?(2)

匿名:2023/12/08(金) 13:54 ID:S4.

テーマ: 「ゲーム機がなくなるってホント?」

終焉の理由
供給側:デジタルダウンロードやクラウドゲームの普及により、物理的なゲーム機が不要になる可能性がある。
消費側:スマートフォンやタブレットがゲームプレイに適しているため、専用のゲーム機が減少するかもしれない。

供給側の影響

ゲーム機メーカー:新しい技術やサービスへの対応が求められ、新たなビジネスモデルを模索する必要がある。
ゲーム開発者:プラットフォームの変化に対応するために、新しいゲームの開発手法やプラットフォームへの適応が必要。

消費側の影響

ゲーマー:新しいプレイスタイルやデバイスに適応する必要があり、ゲームへのアクセス手段が変わる可能性がある。
親や教育者:デジタル技術の進化により、子供たちの娯楽や学びに対するアプローチを見直す必要が生じる。

回避策の提案

供給側:新しい技術の導入や市場動向の予測を行い、柔軟に変化に対応できる組織体制を整える。
消費側:デジタルリテラシーの向上や新しいゲームプラットフォームへの理解を深め、変化に柔軟に対応できるようにする。

小学生への説明

ゲーム機がなくなるかもしれない理由は、新しいデジタル技術やスマートフォンの進化があるからだよ。
ゲーム機メーカーやゲーム作りの人たちは、これにどう対応するか考えているんだよ。
みんなも新しいゲームの楽しみ方やデバイスに興味を持って、未来に向けて準備していこうね。

24時間テレビで横領(1)

発泡酒:2023/12/02(土) 17:31 ID:a6c

ヒロミが走った分の寄付金を横領。寄付の意味が無いならもうやめろと

「内ゲバ」と「内輪もめ」は違う(2)

「内ゲバ=内部ゲバルト(暴力)」 「内輪もめ」との区別を:2023/11/28(火) 14:59 ID:a.2

「内ゲバ」は、
左翼だけでなく右翼や宗教にも適応可能な概念である。
だが、
ただの「内輪もめ」を安易に「内ゲバ」と言うことは
内ゲバの矮小化に綱がる。
少なくとも私は、
ただの「内輪もめ」と「内ゲバ」を区別したい。

「内ゲバ」とは
文字通り「内部ゲバルト(暴力)」の言いなのだ。
https://twitter.com/SAKAI_Tooru/status/1729334178381001130

新興宗教と既成宗教の違い(2)

本気で信じる信者の割合 新宗教が既成宗教になる時:2023/11/27(月) 20:48 ID:HVo

新興宗教と既成宗教の最も大きな違いは
「信者に占める『本気で信じている人の割合』」である。

新興宗教は
信者に占める「本気で信じている人」の割合が高い。
既成宗教に なるというのは、
これが、
付き合いや家系で
行きがかり的に信者に なっているにすぎない人が
多くなることを言う。
https://twitter.com/SAKAI_Tooru/status/1729034420668211699

バックトゥザフューチャーは1作目から世界が壊れてしまっていた(4)

魔物:2023/11/21(火) 13:39 ID:3z2

まじやで

ブラックホールには吸い込まれない理屈(6)

まっぽぅ:2023/11/06(月) 09:02 ID:rTU

https://i.imgur.com/d2oI30z.jpg

イスラエルと過激派組織の戦争について(21)

ひき肉さんたろう:2023/10/10(火) 19:19 ID:X1s

皆さんに今戦争をしている国(ロシアとウクライナ)のことと関係があるから戦争しているのかそれとも関係のないことなのでしょうか。
その他のことも書いてください

「眼光紙背」と「文底読み」(1)

「深意読解」か「けん強付会」か ともすれば恣意的な読み方にも:2023/09/23(土) 19:53 ID:Vgs

「眼光紙背」と「文底読み」
――「深意読解」か「けん強付会」か――
https://imadegawa.exblog.jp/33450206/
 
■ともすれば恣意的な読み方にも
『聖教新聞』の今日の「名字の言」に、
創価学会第2代会長・戸田城聖が
「眼光紙背に徹す……読書を……勧めた」とあった。
 
【名字の言】名字の言 「眼光紙背に徹す」 :聖教電子版
https://www.seikyoonline.com/article/47F48C2E1B10369C9444FA5DA9BE4B4D
 
「その本の成立や歴史的背景、当時の社会の姿、
 本の中の人物や表そうとしている意味を、
 思索しながら……、
 作者の……境涯、人生観、世界観、宇宙観、思想をも
 読み込」めと言う。
 
「眼光紙背に徹す」とは、
「書物の字句の背後にある深意をも読み取ること」だ。
戸田城聖は、
「ここまでしなければ、
 本当の読み方ではないと訴えた」。
ここには、
『妙法蓮華経』寿量品から日蓮が
「文底秘沈の一念三千の法門=南無妙法蓮華経」を
見出したとし、
それを良しとした戸田城聖の思いも見える。
 
戸田城聖も戦中に獄中で、
『仏とは四角くも丸くもなく、
 座っても寝てもなく、
 青くも黄色くも赤くもない……』との謎の経文を
幾度も読みぬき、
そこから
『仏とは生命のことなのだ』との悟りを得たという。
 
「眼光紙背」や「文底読み」には、
ともすれば
「書いていない事を勝手に読み取る」危うさも有る。

ネットの公共性(1)

たてわき:2023/08/08(火) 04:05 ID:dLo

ここの削除人やら管理人って、そんな晋靴下なの??

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