ツイッター弊害論:ツイッターは「反体制」である。

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1:あくろ:2016/06/24(金) 02:32

皆さんはツイッターをやっているだろうか?今やツイッターは世界中に普及したSNSであり、ユーザーの間で巨大なネットワークが築かれている。そんなツイッターが(その本質において)我々にどういう影響をもたらすものなのかということについて、自分なりに考察したことをちょっとだけ書いていきたいと思う。

まず、実際に使用したことのある人間ならわかるはずだろうが、ツイッターをやっていると、つい自分の関心に沿った情報ばかりを評価(ふぁぼ)してしまう。たとえば、料理が好きな人なら料理の豆知識の情報だとか有名な料理研究家の方のツイートだとか。しかしこれは「たまたま」、「偶発的に」、自分の価値観に合ったツイートをふぁぼってしまったではなく、ツイッターというSNSの形式が不可避的にそうさせているのである。というのは、ツイッターの情報は断片的で細切れになって発信されており、その中で自分の価値観・嗜好とかけ離れた内容を理解するにはツイッターの情報は「浅すぎる」ためだ。当然だが、自分の理解できない内容については評価しようがないだろう。

このような理由から、ツイートという文章が短すぎる以上、自分の価値観や態度に合った内容を選びとり評価するしかなくなってしまう。いわば「自分の価値観や態度を括弧に入れて、相手の思考の定位している空間に定位する」ことがなくなるである。それは言い換えれば、「他者」と同期すること、「他者」と仮想的に同一化することだ。いうなればツイッターは、人間の、「他者」に仮想的に同一化する能力を停滞(あるいは退行)させる装置として機能しているのである。

ところで、これまでの日本の体制は「他者に仮想的に同一化させること」をよしとする価値観であった。たとえば、学校の朝礼や軍隊の整列などが、「学校」や「軍隊」といった共同体すなわち「他者」に同期する訓練として機能していることを考えれば分かるだろう。その意味で、ツイッターは「反体制的」なのである。ツイッターは、現行の日本の体制と真逆のポジションにある。

その一方で、本は「体制的」な情報の形式である。本を読むことは(仮定を踏まえて段々と読んでいくという適切な読み方をするならば)他者に仮想的に同一化する訓練として機能するからだ。

まとめよう。「他者」に同期できる人間、「他者」に仮想的に同一化できる人間というのは、つまり「他人の気持ちがわかる」人間、「大人」である。ツイッターというのは、その意味で「子供」、猿からあまり進化していない人間を生み出す「反体制的」で悪しきSNSなのだ。そのようなツイッターが、どのようなおそろしい影響をもたらすかは少し考えてみれば、皆さんならお分かりになろう。


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