戦国時代について

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1:匿名希望 jjy日本通信:2017/02/27(月) 00:53 ID:BH6

自分は個人的に戦国時代の話が好きなんですが、
みなさんはどの武将のやり方が良いと思いますか?
(知っている人のみで構いません!)

2:匿名希望 jjy日本通信:2017/02/27(月) 01:01 ID:BH6

自分は石田三成の生き方が素晴らしいと思います。
諸説ありますが、石田は嫌われ者だったそうですが、自分のやり方を通し、秀吉の家臣として、生きていた訳ですがこの人は欲が無かったと思います。
かの有名な戦い、関が原では自らが大将という形でやると、味方が大勢敵に回ってしうので、辞退しています。(あまり知られていませんが)
今の時代には通用しないと思います。
しかし、石田三成の生き方は賢く真っ直ぐだと思います。

3:匿名希望:2017/02/27(月) 03:43 ID:Ij.

武将じゃないけど、ひたすら猿秀吉を避けた、お市にアッパレ差し上げときますw

4:サビぬき。◆Ow:2017/02/27(月) 22:03 ID:QGI

>>2

アナタはずいぶん石田三成が好きなんですね‥(笑)

確かに三成は無欲で真っ直ぐな豊臣の忠臣だったように思いますが
こと戦に関してはド素人だったし、政治家としても不器用極まりない;‥

はっきり言って武将としての総合評価はCランクくらいの凡将だったみたいですよ?

昨年の大河ドラマ「真田丸」では、山本耕史がとても上手に演じていて、
オレ的には好きなキャラなんですけどね?w

5:匿名希望 jjy日本通信:2017/02/28(火) 19:46 ID:BH6

>>4
もともと石田三成は好きだったんですが、真田丸をみて、さらに好きになりました笑
大河ドラマで戦国時代関係の物は絶対見るのですが、真田丸ほどワクワクした物は久しぶりでしたね…
真田丸で一番好きな役者さんは茶ちゃ役の竹内結子さんですが笑

6:匿名希望 jjy日本通信:2017/02/28(火) 19:51 ID:BH6

>>3いえいえ笑
面白い理由ですね…笑
お市と言えば信長の妹として、浅井から柴田へと時代に振り回されてしまった人だと思いますが、秀吉を避け続けたと言うのは浅井を死に追いやったのが秀吉、息子を殺したのも秀吉だからだと思います。秀吉だけには屈しないと言う態度が素敵だと僕も思います!

7:一文◆aI:2017/02/28(火) 21:29 ID:geU

俺は斎藤道三が好きだな
すごく簡単に言うと下克上大名だからなんだけど
自分も今からコツコツ頑張って有名とまでは言わないけどそこそこの良い暮らしが出来たら良いなと思う

8:サビぬき。◆Ow:2017/02/28(火) 23:51 ID:QGI

>>7

>俺は斎藤道三が好きだな

そんじゃ本宮ひろしの『ジパング・猛き黄金の国』がおすすめだな♪

確か5巻までくらい(?)しか出て無かったと思うし、ブック・オフなら1冊100円ポジションだからねw

9:一文◆aI:2017/03/01(水) 05:18 ID:mGc

>>8
読んでみますわ

10:陳平:2017/03/01(水) 18:58 ID:8jc

『ドリフターズ』を読んでから「お豊久」こと島津豊久に興味津々です。
ググったらイケメンだったそうです。
作中では「蛮族」とイジられていましたが。

それにつけて、子犬の腹を開いて米を詰める「えのころ飯」なる犬食文化が薩摩にあったことを知りました。
お豊も食ってたのかなーと思うと複雑です。

また、時代は下り、柔道家木村政彦もまた、よく飼い犬(もしくは野犬?)をひっ捕まえて犬鍋にして食っていたそうです。
評伝に載っていました。

薩摩隼人と肥後もっこすーー。
隔世あれど、九州の地に生きた両戦士は犬を食らっていたんですかね。

11:匿名希望 jjy日本通信:2017/03/02(木) 00:16 ID:HdQ

>>7
斎藤道三の最後はちょっと可哀相ですよね。
息子に裏切られるというのは戦国時代においてもあまり無い事例です

12:匿名希望 jjy日本通信:2017/03/02(木) 00:18 ID:HdQ

>>10犬鍋!?
美味しいのかな……。
昔ならあり得ますね…

13:匿名希望 hoge:2017/04/05(水) 22:47 ID:JKw

小早川秀秋の逸話で

秀秋は遠い筑前に一人養子に出されたことと、秀次事件のこともあり、相当に気落ちしていたらしい。
年若い秀秋(当時13歳)が物憂げな様子で毎日を過ごしていることはすぐに領民に知れ渡った。
案じた博多の町人たちは秀秋の結婚祝いと称し、臨時の松囃子(本来年始に福を祝う芸事)を
仕立て
秀秋の居城である名島城へ入って彼らの結婚を祝った。

なお、この後、博多では松囃子は城内に入ることが許されることとなり、後に領主となった黒田家にもその風習は受け継がれた。
その伝統は明治になっても絶えず、今でも博多どんたくにその姿を残している。

って逸話が好き何だけれど…


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