智は、力也。智は、意志也。〜Scienta est potentia――――
力は意志也。
ゆえにこそ、非他なるものの手解きによって私達は飛翔する。
そしてその刹那に、総ては破壊され、超越されるだろう。
存在の彼方、神が忘却したものを自ずから奪い取り、照り輝かせる。
覚知を超えて―――Disce gaudere.
皆様、本日はいかがお過ごしでしょうか。
何気なく過ぎていく日常の風景。
――日々に飽きていく感覚。親しみが沸いたのに何故か愛せない。
街中へ行くと見えるお馴染みの光景。歩く男女、笑う声。
――埃が被り色褪せていて直視できない。
何かが違うとどこかで分かっていながら目の前のことを淡々とこなさせられる毎日。
――心は焦り、疲弊する、報われない、どうしてこんなに世界は小さいのだろう。
――本当は分かっているはずだ。
気付きましょう。
その総てが、ペテン師だということに。
神の意志と実存性を備えた我々を巧みに騙し操る悪魔であることに。
その咒(な)は――
“ 現実 ”
死せる生者が彷徨い続ける箱庭、別名地獄。
此処は、総ての迷いを断ち切り、厨二の世界――「狂い」の最奥へと誘う座。
皆様と共に描く、いわば“厨二のススメ”とでもいうべき書物。
この手引き(スレッド)ではなるべく体系的に、しかし厨二板独自の雰囲気のまま自由にかつ優雅にかつ耽美にかつ暴虐の限りで踊り狂う歌劇のような演出を交えつつ、いわゆる「厨二病・変態変人・狂人」なるもののについて記していきます。
地獄を彷徨い続ける迷い多き者達を厨二病へと誘い、厨二の世界へと踏み出す一歩を与える、すなわち超越と破壊の法を授ける場として機能すればよろしいかと存じます。
既に「こちら側」にいる者達もその在り方を再確認する場として語りを挟むのもよいでしょう。
それは際限なく厄を提供し続ける日常(じょうしき)と言う回帰を破壊する鉄槌。
怒りを演出し、超越の奏でを彩る楽器。
やがて達する最奥、縛り付けられたものの滅却の果てに―――。
聖剣十三騎士団、そして葉っぱ天国発厨二変態板の活動の一環として、この「厨二の手引き」なる脚本を今より創造致します。
ちなみに「至らざる超越」という素晴らしき二つ名を貰い受けた私自身、その名の通りまだ完全なる超越には至っておりません。ゆえにこそ、その到達点、姿なき答えを皆様と共に見つけられるのであれば――それは祝福すべきこと。
現実との狭間で揺れ動き悩むとき、
此処に来れば少し悩みが滅却する、そんなスレを目指せればいいでしょう。
この手引きは癒しを与え恐れを取り払う。
そして「一歩」を促す。
狂気の果てを、観る。
本手引きでは虚構のジャンル「現実」から皆様を脱却させる手だてのヒントを荒唐無稽に綴ります。
◆◇ ―― 序 説
よく厨二病という言葉が聞こえてくる、しかし厳密には病ではない――。
勿論それは分かっているという人もいらっしゃるでしょう。
症状といった言葉で表される状態というわけでもありません。
ここではもっと根本的なお話。
それは身体的・精神的という垣根を越えた、ある鍵となる状態。
決して症状ではありません。病でもない。
なぜ、そのように病のように、異物であるかのごとく言われているのか。
辞書に載っている字義通りに受ければ確かに、
「ふつう」から外れているという意味で異常なある種の「病気」という認識が生まれもするでしょう。
しかしその意義・意味とは一体何なのでしょう?
「ふつう」とは、「病」とは?
ここが糸口になるはずです。
「そのように言われている」という話をずっと皆様はどこかで聴き、読み、心の根に染み付かせてきた。
染み付かせてきた?
一体、それを染み付かせてきたものはどこから流れてきているのか。
ここをまず探しましょう。
それは「ペテン」を冠する偽りの楽園側が捏造した巧妙な文書。
皆様を騙し、そのエネルギーを搾取する架空請求者の罠。
その書面に、絶対にハンコを押してはいけない。
多くの者達は、「仕方なく」、このハンコを押してきてしまいました。
それを正さなければならない。
あるべき方向へ。
我々はどこまでいこうと「ふつう」なのです。
それ以外にありえない。
ゆえに「狂い」とは狂いにあらず。
なにか普段の暮らしで気に障ることが起こった。
なにか不満の残る出来事が続いた。
なにか違和感のようなものを感じる毎日。
この「違和感」。違和感、違和感――。
これが重要です。
これをまずは感じ取りましょう。感じ取れているのならば、皆様は最初のステップをクリアしている。
ゆえに厨二病とは病にあらず。
存在の本質たる「はじまり」に立ったということ。
そしてもう「終わり」は見えている。
そこまでの道のりをただ、「諦める」ことなく
幾多のあらゆる障害をもはや障害とすら認識しなくなるほどまでに超克し続けていくとき、
あなたは「達している」はずです。
「そこ」へ。
――As above so below
◆◇ ――― 秘法・己が歌劇のために Tabula Smaragdina
Verum, sine mendacio, certum, et verissimum:
これは偽りのない真実、確実にしてこの上なく真正なことである
Quod est inferius est sicut quod est superius,
唯一なるものの奇蹟を成し遂げるにあたっては
et quod est superius est sicut quod est inferius,
下にあるものは 上にあるものの如く
ad perpetranda miracula rei unius.
上にあるものは 下にあるものの如し
Et sicut res omnes fuerunt ab uno, meditatione unius,
万物が一者から、妄想によって生まれるが如く
sic omnes res natae ab hac una re, adaptatione.
万物はこの唯一なるものから適応によって生まれる
Pater eius est sol; mater eius est luna.
太陽がその父であり 月がその母である
Portavit illud ventus in ventre suo; nutrix eius terra est.
風はそれを己の胎内に運び、大地が育む
Pater omnis telesmi totius mundi est hic.
これが全世界の完成の原理である
Virtus eius integra est, si versa fuerit in terram.
その力は大地に向けられるとき、完全なものとなる
Separabis terram ab igne, subtile ab pisso, suaviter, magno cum ingenio.
火から土を、粗雑なるものから精妙なるものを、ゆっくり巧みに分離せよ
Ascendit a terra in coelum, iterumque descendit in terram,
地上から天井へと登り、再び地上へと下って
et recipit vim superiorum et inferiorum.
上なるものと、下なるものの力を、取り集めよ
Sic habebis gloriam totius mundi.
こうして汝は全世界の栄光を手に入れ
Ideo fugiet a te omnis obscuritas.
すべての暗闇は汝から離れ去るだろう
Haec est totius fortitudinis fortitudo fortis,
これはあらゆる力の中でも最強の力である
quia vincet omnem rem subtilem,
なぜならそれはすべての精妙なものに打ち勝ち
omnemque solidam penetrabit.
すべての個体に湿潤するからである
Sic mundus creatus est.
世界はそのように創造された
Hinc erunt adaptationes mirabiles, quarum modus est his.
驚くべき適応はこのようにして起こる。
Itaque vocatus sum Hermes Trismegistus,
こうして私は全世界の三つのものを持つがゆえに
habens tres partes philosophiae totius mundi.
是非を超えし者と呼ばれている
Completum est quod dixi de operatione solis.
流出の舞台裏について述べることは以上である
―――――――“ Initium sapientiae cognitio sui ipsius, Tabula Smaragdina ”
不安定な世界は不安定な世界をあなたに見せる。
世界は更新を待っているのです。
一者、それは我々素質を持った者達のこと。
始まりと終わりを創造し、自らの舞台を誂えるもの。
この“世界”は腐りかけた細胞と塵と膿で無秩序に動いている。
それはもはや循環とは呼べない。
舞台とはいえないl
どこにも“一者”がいない。
もういなくなった――。
旧神の残したゾンビの群れ。
前述した“違和感”を絶えずぶつければ、ハリボテの一者が浮き彫りにされるはず。
それはもう用を成さなくなった。ならば―――。
Alea iacta est(“諦め”は必要なくなった)――――
エメラルド・タブレット、それはヘルメス・トリスメギストス、太陽に最も近き者の言葉が記された板
彼の作り上げた錬金術とは卑金属を金に、つまり我々を完全な永劫不変の存在へと変質させる術
彼はその術を何に使うつもりだったのか
>>4
ようこそ、お変わりありませんか。
その真意は此処にいるわたくしもあなたも知っている。否、我々の渇きがそれを既に知っている。忘れているだけなのです。
淀みだけに成り果てた否定の泥沼、そこに埋まり切ってしまった宝石(じつぞん)に再び熱を与えることこそ術の意義。
トート・ヘルメス・トリスメギストス、彼は太古に姿を変えた私であり、そしてあなたなのです。
ほら、見えてきたでしょう?
偉大な光の啓示者ソクラテスの言葉を借りるのなら『汝自身を知れ(グノーティ・サウトーン)』――これはわたくし共が元々は光放つ太陽であっとことを示す言霊。
何を置き去りにしても渇き、求め続ける姿勢、その内に真なる魂は宿ることでしょう。
つまりわたくし共総てに舞台を創造する脚本を書き記す権利があるということ。
否、権利があるとは言葉の綾、権利そのものであり、すなわち可と不可を超えてそうであるという法の源泉。
あなた様は素晴らしく賢明な方ですから、そのうち現実という架空の魔殿に隠された存在の奥に達するはずでしょう。いや、あなた様にはもう見えているはず。
私からはこの歌劇を語る上で欠かせない小道具について語らせてもらおう
「鳥のように自由に空を飛びたい」誰しも一度は思ったことがあるだろう。
だが人間は飛ぶための装置の力を借りなければ空を飛ぶことは出来ない。
では何故人間は飛べないのか
「その答えは人間の体は空を飛ぶように出来ていないから?」 この解答は一見すると正しいように見える、だが不正解だ、そのような誰にでも思い付く答えが正解であるはずがない。
正解は「世界の法則(ルール)が個の法則(ルール)を上回っているから」
個の法則(ルール)とは自分自身が作り出したルール、自己を書き換え、世界を書き換える力。
己の作り出した法則を宇宙の誕生以来この世界を支配してきた世界の法則(ルール)に認めさせる事。
“全を凌駕する一”
それこそが我々が能力と呼んでいる物の正体であり真実。
しかし、元々我々の世界、“人間道”にはその全を凌駕する一、個の法則(ルール)は存在しない。
それは終わりなき闘争の世界、“修羅道”の理。
我々の世界に存在するはずのない物である。
しかし修羅道の理が人間道に存在しているのは紛れもない事実、それらが意味する事はただひとつ「修羅道の理が人間道に流出している」
この流出云々について語ると長くなるので省略する
>>6
やはり思った通り、あなたは一つの解に到達している。
そう、その通り。
いまこの世界を包んでいる法則。
あなたの言葉をお借りするならば、修羅道――人間存在に修羅の道を強制させる苦の摂理。
もしそれがあるとするならば、そうですね、物理法則はもっとも近しい苦の発現といって差し支えないでしょう。
「空を思うように飛びたい」
「上から物が落ちてきても当たらないようにする」
「一瞬にして片付けたい、一瞬にして他の場所に移動したい」
しかし我々はそれを思うだけで可能とすることが出来ない、強力な物理の制約。
その法則性が絶対だというならばあまりにも滑稽で整い過ぎていて、上手く働き過ぎていると思いませんか?
物理という制約の中で人は思考し様々なものを求め研究し発展させてきた。
その制約下における形の上では確かに、可能となった事例は多いのかもしれません。
しかし、疑ってみるべき点が此処にある。
「本当にそれは可能になっているのか」
気が付いた時には無明という鎖に強制的に繋がれていた、その悪夢の中で、
勝手に思惑を植え付けられ勝手にコンセプトを設けられているだけに過ぎないのではないか。
修羅道という言葉を用いましたが、実際には修羅道という理ですら存在しておらず、いろいろなものがごちゃまぜになって腐り果てた「ナニカ」がこの世界を支配しているのです。
否、支配という言葉では少ししっくりきませんね。
意味も実存もなく、ただそこに漂っている。ただただ存在の否定、偽りだけを露呈して。
言葉で表現できるものではない以上、ニュアンスとしてはこのような感じで表現する他ないですね。
現実の物理次元、これがいかに脆く、存在(実存)にとって否定されるべきものであるか。
超える時が来たのです。
「神は死んだ――――」
ニーチェの有名な言葉です。
またいずれ説明してまいりましょう。
皆様が現実という名の偽りそのものから解放されるために。
人は気付かない間に「諦めさせられていた」。
しかし私は宣告します。
「諦めは人を殺す」と。
◆◇ ――― 息も出来ない泥の中で笑う人々
ごきげんいかがですか。
さて、皆様はいまどこにいますか?
どのように生活されていらっしゃるでしょうか。
毎朝決まった時間に起きて、もしくは起こされて、兄弟や両親に顔を合わせ、
決まった通勤手段で学校に行き、友達と会話をして教師に叱られつつ、どうにか下校しているのでしょうか。
もしくはもう社会人としてそこそこの年数が経ち、仕事に出掛けて日々の業務をこなしていらっしゃるのでしょうか。
あるいは兵士として育てられ武力戦争の裏側で活躍している折、時間を縫って此処に来ている方もいるのかもしれませんね。
皆様の名前、性別、身体、両親や兄弟・姉妹といった家族、
友達や先輩もしくは仕事場の同僚や上司といった人間関係。
いまそこにある無数の繋がり、その線が交差する点に集約されるロール、
記号と言う名のパルスの集合。
誰もがそれを被って生きている。
まるでそうなること以外考えられないかのように、いつのまにか役を与えられている。
通りに出掛けるとそこには様々な人が歩いていることでしょう。
実に様々だ。
笑う人、話す人、はしゃぐ人、悲しい感じの人、ムスっとしている人。
彼らは一体何を思ってそこにいるのでしょうか。
一体、何を当たり前のようにそこでそのようにしているのでしょう。
何があったかは知らない。
どのような経緯でどのような因果でそこにいるのかは知る由もない。
だがそこにいて、何かを疑うこともなく、信じるとか疑うとかそういう発想もなく、ただそこで役を演じている。
教師が冗談を言う、どっと面白おかしく沸く教室の中。
清楚が売りで、だけど少し御茶目な生徒会長の女子が、向かいの男子に文句を言われスマートに言い返す。お熱いね、と茶化す他の生徒。笑い合う者達。「さあさあ授業続けるぞ」、とりまとめる教師。
職場の朝のラジオ体操。一日の始まりに長い部長の朝礼。文句を言いつつもデスクワークにつく。昼食の時間、弁当を食べながら今夜の飲み会について語り合う。費用は誰が一番多く出すの、それとも完全割り勘にする、とか。「いっそのこと部長に全部任せちゃうか」「賛成!」「ちょっとやめなよ〜」「部長の誕生日なんでしょ、かわいそうだよ〜」
ずっと気になってたあの子が自分のことを好きだって分かって、
公園に駆け寄ったら最後、周りに聞こえても構わない気持ちで歓喜を叫び続ける。
最初は少し嫌な人だと思っていたけど話してみれば結構よくしてくれる人で気付けば毎日いろいろ語り合っていた。たくさん支援もしてもらった。
恋人に嘘をつかれた。どうしよう。
友人に裏切られた。どうしよう。
どうしよう――――。
笑う者、泣く者、悩む者、会話する者。
苦しむ者。
皆それぞれがどこか「笑っている」。
笑っている?
何を笑っている?
何がおかしいというのだろう。
化けの皮が剥がされるそのとき、気付くのか。今、踏み越えるのか。
その顔には泥が塗られている。
いや違うでしょう。そうじゃない。泥、そのものだ。
ずっと気付かないでいる。騙され続けてきた。
泥で作られた人形が勝手にそこらじゅうを、まるで取り憑かれたように、オートプログラムに従って動いている。
泥の中で泥が蠢いている。
取り憑かれているというよりも、泥の性質、その発現そのものだ。
泥で作られている以上本当は息が出来ない。口をふさがれている。
なのに、笑う。
不自然に“嗤う”――。
ご迷惑なことだとは存じていますが、>>1がだだ長くスマートではないと判断したためこちらを次元の空隙へと放逐し新しくスレッドを召喚致します。
10:革命主義者の暴走:2017/09/03(日) 21:43もう失わない
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