いじめについての考えを吐き出して下さい。
暴言、関係ないことは語らないでください。
誰でも乱入オッケーです。
いじめは、やって何が楽しいんだろうと思います
3:ぴよ:2021/08/21(土) 07:36 ID:rxQ いじめは、やって何が楽しいんだろう?
と、思います
する方も、されるほうも、気持ちよくないきが、、、
まあ、いじめの当事者には、田武わかりませんが
ぴよちゃん、だよね。
5:みみ A:2021/08/21(土) 08:45 ID:WjQ私の意見です。犯罪って器物損壊がありますよね。器物損壊とは、物を壊すこと。治るのに時間がかかります。でも、いじめって、いじめられた人の物を壊すことになると思います。私の場合、私のものに触るのが嫌といういじめでしたが、心を壊されました。今精神病んでいます。解決してから2ヶ月経っていますが、まだ治らず、逆に酷くなったんです。下手したら犯罪ですよ。私はこう思います。
6:匿名さん:2021/08/26(木) 04:58 ID:0x.苛め加害者は要らないが、被害者の方も隙があるので注意しろ。苛めの原因を取り去れ。
7:。。。。:2022/01/01(土) 16:26 ID:XvY あのね、そうじゃなくて100%虐め側が悪いよ。
近年わかってきたのは、人格障害者が自信をつけるために、相手をこき下ろしする事が研究でわかってきた。
優しくて反撃しそうもない相手を選んでいて、理由は見方をつける為に、何でもいいから後付けだよ。
虐めてる加害者は、境界性人格障害、自己愛性人格障害、反社会性人格障害だから。
自己愛と反社会は最後まで反省しないし、これらの障害は遺伝する。
加害者にも被害者にもなった事がある私から書かせてもらいます。
そりゃ加害者が100%悪いと思うよ。場合によるけど、被害者に原因があるのは事実。
被害者が悪い事したからっていじめていい訳じゃない。
加害者になったことのある私だけど、こんな事は繰り返さない。忘れないよ。許してもらう気はないけれど。
>>8
いじめられる側に原因がある?ねーよ。いじめる側が100%悪いのに、場合によってはとか、矛盾してないか?
原因についてだが、例えば、性格がクソ悪かったとしよう。空気が読めずに他人の情事に関して、首を突っ込むような性格だったとしよう。
そこで、例えば、あるクラスメイトが、「クソ性格が悪い」のを根拠に、がいじめるとする。
はい、これは、いじめられる原因なのか?と言われれば、答えは否である。いじめられる原因ではない。
なぜなら、いじめられる根拠(原因)というのは、いじ
める側の、脳内だけで捏造されるものであって、何人たりとも、いじめられうる根拠なんて、持ち得ない。
デブだろうが、ブスだろうが、キモかろうが、全くいじめられる根拠にはならない。勝手に、いじめてもよしとする根拠と結びつけてんのは、いじめっ子の脳内での処理だけの話。全く、普遍的でも、一般的でもない。
もしも、それでも、いじめられる原因があるだなんて言うのであれば、画面の前のそこのお前は、ナチスと一緒。
したがって、被害者に原因があるというのは、「事実」ではない。その事実は、事実たり得ず、加害者の脳内の捏造であって、主観であって、恣意的解釈である。
いじめる側が100%悪いけど、自衛するに越したことはない。
犯罪者が悪いけど、犯罪に巻き込まれないように鍵をかけたりSEC〇Mつけたり、できる対策を取るのと同じ。
財布を出しっぱなしにして盗まれたら、盗む方が悪だけど、そのままにしなければ狙われなかったというのも明白。
いじめも犯罪だというのならば、防犯意識がある方が回避しやすいのも間違いではないと思ってる。
いじめや犯罪が絶対的に悪いけれども、議論したところで加害者志向の人がゼロになる訳では無いと思うから、無くならないのであれば対策する、というのも世渡り方法の一つでは無いかと考えてる。
>>10
それは、必要性の観点で言えば、「実用」の分野に限定される。
そして、それを万人に適用させようとするならば、「実用をしていなかった、もしくは少なかった奴にも問題がある」という論理が曲がり通るのと(現に実例がある)、いじめっ子を無くす動きには全く繋がらないので、メタ的な意味で、問題がある。
そもそも、いじめを減らさずに、自衛の必要性を迫られる社会なんてものは、問題がありまくり。
そして、いじめを減らす提案すらせずに、ただ自衛しようというのは、無思考そのものだ。
そもそも、いじめを無くす動きというのも、強めなければ、減らない。なので減らすには、例えば、いじめというのは、格差が大きければ大きいほど、増えるという相関関係が既に統計上出ている。これは、アメリカであろうが、イギリスであろうが世界的に共通している現象。
それから、「議論したところでとか」トンマなこと言ってるけど、議論がなかったら、改善も解決もしないんだが?社会合意や危機感は、国民の間にも(したがって、政府の間にも)、何も形成されなくないかと批判しておく。
教育の社会構成主義の立場からすると、「いじめを無くすことはできない」というのは合意だが、いじめを無くすことはできない、だから自衛しよう、だから議論をやめよう、というクソ論理を否定して、別の解答を出している。
それは、例えばいじめが起こったとしても、そのいじめを止めるような人間に、子供たちを育てるという教育だ。今の日本の、共同体(過程を含む)の崩壊、上から教育、自己責任教育、学校の機能低下(日本型学校主義より)では、個々の原子化、孤立化、傍観主義が進んで、それはほぼ困難だと言われている。
つまり、いじめを減らす方法、あるいは、いじめが起きたとしても、それを自己浄化する作用を持ち得る社会を作る方法は、いくらでもあるのに、現状に対しての処方箋もなしに、世渡り方法を提示するのは、一般論、社会論を扱う議論としては、ズレているような気がする。もちろん、悪いと言っているのではないが、あまりに不十分で問題があるということ。