まだある。

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1:匿名さん:2013/09/17(火) 10:40 ID:ez-CA2

…「昭和が懐かしい」という方はドウゾ!!(^_^)v↓

http://www.showanavi.jp/

http://www.ozorabunko.jp/arunavi/

2:虎夫:2018/01/25(木) 21:19 ID:wRE

《三色ふりかけ》
小型の円筒形の容器に、のりたま、タラコ、ゴマ塩がそれぞれ分けられて入っており、口を回して好みのふりかけを掛ける仕様になっていた。最後は必ずゴマ塩が残り、結局使われないまま始末されていた。
もう絶滅したと思っていたが、数年前に隣街の焼肉屋に置いてあるのを発見し、いたく感激した。

3:虎夫:2018/01/25(木) 21:28 ID:wRE

《ぷくぷく》
大型化したバブの様な固形の粉末ジュースの元で、中に星等を形取った小さいキャンディーが埋め込まれていて、回りが水に溶けると浮き上がって来た。
毎回何が出てくるのか楽しみで、友達の一人はそれを食べずにコレクションしていた。
ジュースの味はオレンジとレモンの二種類だったと思う。

4:虎夫:2018/01/29(月) 00:37 ID:wRE

《怪獣の世界》
ウルトラ怪獣(Q〜レオまで)のカードがアトランダムに5枚一組で売られていて、本体のアルバム(別売り)に貼っていき自分で怪獣図鑑を完成させるというもの。ダブったカードは友達とバクったりして、どうしても入手困難なカードは出版社から買い取り出来る様になっていた。
日本のオリジナルかと思いきや、何とあのヒトラーが同じ形で自分のアルバムを国民に作らせていたらしい。やはり色んな意味であの人は怪獣みたいな存在だったんだな…とつくづく思った。

5:虎夫:2018/02/02(金) 23:01 ID:eKA

《超合金シリーズ》
シリーズは今もまだ続いているが、初期のロボットアニメやロボコンものにはやはり強いインパクトを当時は感じたし、懐かしさも多々ある。
マジンガーZに限らず、どのロボットも両手がロケットパンチ仕様になっており、遊んでいる内に大抵は紛失してしまい、ほとんどのロボットが死ぬ直前のアミバ様状態でオモチャ箱に片付けられていた。

6:虎夫:2018/02/05(月) 22:01 ID:eKA

《ジャンボマシンダー》
ぶっちゃけ言ってしまえば、大型ソフビ人形。当時人気のアニメロボット(グレートマジンガーやライディーン等)が直径約70〜90pくらいの大きさで結構クオリティ高く作られていた。
子供心を大いに刺激したが、余りの大きさ故に他の怪獣人形と釣り合いが取れず、遊ぶ時にかなり持て余していた記憶がある。
小型化、軽量化が進む現代では、まず実現不可能なオモチャ。
それっ、大きい〜事はい〜ことだっ🎵(by山本直純)

7:虎夫:2018/02/08(木) 01:09 ID:eKA

《牛乳瓶のフタ》
記憶が正しければ、小学生高学年までは給食の牛乳は瓶で出されていた。そのフタでメンコ遊びをクラスメイトとするのが流行っており、当然男子はフタを捨てる事無く、毎日コツコツとコレクションしていた。
凝った者は裏面を器用にイラストや細工したシールでデコレーションし、そうすると丸い厚紙を重ね貼りしただけのフタが随分と価値あるモノに見えたりした。ルールはひっくり返す他に相手のフタの下に滑り込ませてもOKで、こちらは「くぐらせ」と呼ばれ、もっぱらプロ野球ガード争奪戦の方で多用された。

8:虎夫:2018/02/08(木) 01:40 ID:eKA

《ジーパン刑事》
伝説の俳優松田優作演じる「太陽に吠えろ」の2代目若手刑事柴田純(ジーパン)を、当時小学生だった自分(と友達)は完全に特撮ヒーローと同じ感覚で見ていた。襲い来るならず者達をキックやパンチで打ち倒していく姿は、ショッカー怪人を蹴散らすヒーローと完全にダブって見えたものだった。だから最後に腹を撃たれて「なんじゃこりゃぁ」で殉職した時は、あの強いジーパンが一発撃たれただけで死んじゃうのか、と意外に思ってしまった(そりゃあ死ぬさ、人間だもの。みつお)。
刑事ドラマにもヒーローがいた時代。そんなドラマを見れない今の子供達は…、ま、今はゲームソフトの中にヒーローは腐る程居るし、自分自身がヒーローになれたりも出来るしね。逆に今の子は、こんな面白いゲームで遊べなかった昔の子供達は可哀想って思ってるだろうね、多分。

9:畑作:2018/02/09(金) 20:47 ID:BhE

>>7 自分が通ってた小学校も瓶だったんですがこっちでは蓋をベイブレードのようにどちらが長く回るかってやってましたね。

10:虎夫:2018/02/10(土) 17:24 ID:kSU

>>9
そういう遊び方もあったんですね!
コマの様にするという事は、真ん中に楊枝かマッチ棒でも刺して作ったのかな…?

11:虎夫:2018/02/11(日) 23:53 ID:eKA

《ロケットペンシル》
今時の文房具事情にはかなり疎いので、果たして現存するかどうかは定かではないが、小学生の頃シャープペンシルに取って代わられるまでは、筆記用具の花形的存在だった。
先が丸くなった代え芯のパーツを引っこ抜き、それを座薬をさす様に本体のケツに差し込むと、中に連なって入っているパーツが押し出されて新たな先の尖った芯がペンの先端に顔を出す、というシステムになっていた。
小学2〜3年の頃に全盛を極めたと記憶しているが、前記した様にシャープペンシルの登場と共に急激に衰退し、卒業する頃には所有者は一人もいなくなっていた。

12:虎夫:2018/02/13(火) 23:31 ID:eKA

《バンバンボール》
小学生の頃に出回ったコカ・コーラの懸賞品。
団扇の様な形をした厚さ5o程のプラスチック板にスーパーボウルみたいな球が細いゴム紐で繋がれていて、その球を板で連打して遊ぶというモノ。
大した思い出は無いが、当時の
"バンバンボールでババババーン🎵"
というCMだけは妙に心に残っている。

13:サビぬき。◆Ow:2018/02/13(火) 23:52 ID:QGI


玩具と云うよりもほとんど兇器に近かったアメリカン・クラッカー

14:虎夫:2018/02/14(水) 23:31 ID:eKA

少しは危険を感じられる方が買って面白い事もあると思うんですよ。
最近の日本の小売り業、サービス業、その他接客業諸々、消費者に対して過保護(サービス過剰)過ぎると時々思ったりもするんですよ。
ドンパッチなんて、最近売られてるんですかね…?

15:虎夫:2018/02/14(水) 23:45 ID:eKA

《レッツゴーヤング》
35年程前のNHKで、日曜夕方にオンエアされていた、今で言う所のJpopの番組。
ブレイク直前のALFEEが二度ほど出演していたのを覚えている。確か「別れの律動」と「ジェネレーションダイナマイト」を歌っていたと思う。
この番組のユニット"サンデーズ"のメンバーで出ていた頃の日高のり子女史を知っておられる御仁はこの板には…
いないだろうなぁ〜( ´_ゝ`)

16:虎夫:2018/02/26(月) 23:18 ID:eKA

《ゴダイゴ》
小学生高学年の時初めて買って貰ったレコードが「モンキーマジック」と「ガンダーラ」だった。英文の歌詞というのが当時はとても斬新、新鮮で、歌詞カードを見たって分かる訳もないが、それっぽくマネしてよく歌っていた(ボーンホマーエーンガージョマーンテーントップ……みたいな感じで)。
このゴダイゴの登場と、ほぼ同時期のジュディオングの「魅せられて」のヒット以降、歌謡曲界に「サビに英語の歌詞を入れる」という手法が広がって行った様な気がする。

17:虎夫:2018/02/27(火) 23:05 ID:eKA

《サスぺリア》
子供の頃に公開されたイタリアのホラームービー。
自分が臆病だった事もありほとんど興味もなかったが
「決して一人で観ないで下さい」
というキャッチコピーが、今で言うなら流行語大賞を受賞してもおかしくないくらい、巷で大ヒット(?)した。

18:TWICE大好き♪ TWICE:2018/02/28(水) 16:48 ID:Yag

ふーん…。昭和時代ってサー。そういう時代だったのか( ゚д゚ )彡(平成でごめんなさい🙇)

19:虎夫:2018/02/28(水) 18:00 ID:z.U

>>18
平成は平成でまたいいもんだよ!
Youtubeとかのおかげで昭和の映像を見る事が出来るから(^_^)v
その平成も後もう少しか。
それ以降はどうなってしまうのか…?

20:虎夫:2018/02/28(水) 23:22 ID:eKA

《回るグラス》
確かリボンシトロンを買った時に付いてきたと記憶している。
丈の低い太目のグラスの底が緩やかに膨らんでいて、コマの様に回す事が出来た。
そんな不安定なグラス使えないやん、とつっこまれそうだが上手く出来ていたもので、中身をこぼしてヒドイ目に会ったという記憶はほとんどない。
続編として異様に細長いグラスというモノも出たが、オフクロが洗いずらいとこぼしていて、あまり評判は良くなかった。

21:虎夫:2018/03/01(木) 20:56 ID:42.

《1年B組 新八先生》
あの「金八先生」の姉妹作品として放送されたTVドラマ。
主役(新八先生)役に岸田智史。主題歌は主役自らが歌う(シンガーソングライターだからね)、「重いつばさ」
と、記憶にあるのはここまでで、当時は裏番組の新日本プロレスに夢中だったせいもあり、内容やその他のキャストに関しては一切知らない。大した話題にもならなかったから、金八人気に便乗した二番煎じというイメージは拭えなかった。
ここから更に派生して「2年B組 仙八先生」というドラマまで作られたが、これに至っては主役すら曖昧である(確か川谷拓三さん…?)。もう各々ググってちょうだい💦
こうして見ると何となくラブライブにだぶって見えるな。PDPなんてこの先どうなるんだろうね?正直、もうどーでもいいけど。

22:虎夫:2018/03/07(水) 00:11 ID:42.

《東映マンガ祭り》
映画を観たけりゃ映画館に行くしかない、まだDVDもBSもない頃ならではのチビッ子(死語)の夏休みの娯楽。
構成は、大体オリジナルの長編に当時人気のアニメや特撮番組が4、5本付く形で作られ上映されていた。こうして見るとかなりの長時間だが、そこは巧みに編集していたのだろう。
その中で異色というか、時代を表していたのが「巨人軍の野球教室」で当時(第一次長嶋監督初期)の巨人の主力選手(柴田、高田、堀内etc.)が少年野球チームの特別コーチをするという内容の短編モノ。V9終了後の低迷期とは言え、巨人の人気はまだトップクラスだった。今なら別のチームの方が…というか、他のスポーツに取って代わられるんじゃないだろうか?「浦和レッズのサッカー教室」とかww

後、タイトルを見て分かる通り"アニメ"ではなく"マンガ"なんですよね。当時は"テレビまんが"とか言われてましたから。その"テレビまんが"が後に日本を代表するカルチャーになるとは、当時の日本人のほとんどが予想してなかったでしょうな。まだまだ「漫画なんか読んでると頭悪くなる」と言われていた時代でしたから…。

23:虎夫:2018/03/07(水) 00:33 ID:42.

《のび太の恐竜》
長ったらしいレスの後で恐縮だが、もう1つ映画関係のネタ。
ドラえもんの記念すべき劇場版第一作(当時は大長編と言っていた)は幸いにしてリアルタイムで鑑賞する事が出来た。剛田タケシ映画版善人説のルーツは意外と昔にあったのだwww
主題歌の作詞が武田鉄矢というのもスゴイが、同時上映が「モスラ対ゴジラ」なのも今思うと昭和っぽいというか、何気に感慨深い。
当然、次回二作目の"大長編"にも過度の期待を寄せたが、情報源であるコロコロコミックを買い逃してしまい、うだうだしてる内にどーでも良くなってしまって、結局二作目以降は1つも鑑賞する事無く終わってしまった。もちろん同時上映に至っては知る由もない(別に知らなくてもいいけど)。

24:虎夫:2018/03/09(金) 23:01 ID:42.

《怪ケシ》
昔はどこのガチャガチャコーナーにも怪獣消ゴムの台が必ず置いてあり(一回百円)、モノにした怪獣でトントン相撲をやるのが当時の定番だった。
負かされた怪獣は勝者の手に渡ってしまうのだが、二本足+尾のゴジラスタイルの怪獣が基本的に安定していた為、それらは切り札として温存された(四つ足の怪獣は使用禁止)。
そんな中で圧倒的チートっぷりを発揮していた怪獣がコンピューゴン(ザ・ウルトラマンに登場)で胴体が箱形の為、容易な事では倒れず、実際の強さや知名度では遥かに上の怪獣達を片っ端からひっくり返して、土俵上はさながら下剋上のミクロの決死圏、闘いのパラレルワールドと化していた(古舘伊知郎調で言ってみた)。
中学生の終わり頃にはそれらがキンケシ(キン肉マン消ゴム)に取って代わられ、今やキャラ消ゴム自体が過去の遺物になってしまった。そりゃカードの方がコンパクトで、持ち運びや収納保存も簡単だしなー。

25:虎夫 hoge:2018/03/12(月) 15:33 ID:42.

>>22
書いててイマイチしっくりこなかったんだけど、ひょっとしたら東映と東宝を間違えて記憶してたかも知れない…。
あれだけエラそうに書いといて後で指摘訂正されてもカッコ悪いので、先に断っておきます。年寄りの粗相だと思って勘弁して下せえ。
因みに我が日本ハムファイターズの前身がこの東映が親会社だったフライヤーズで、あの″喝″でお馴染みの張本さん等が主力選手だった1962年、元巨人監督の水原茂の指揮で初の日本一に輝いています。


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