ずっと前から解っていた、この気持ち。
でも私は、“ソレ”から逃げていた。
恐い。無理。出来ない。
そう思っているうちに、だんだん想いは消え失せる。
それが嫌なら。
だったら、勇気を振り絞って。
消え失せる前に。想いが色褪せてしまう前に____。
____想いよ、伝われ!
>>2
スタートダッシュ。
うん、良い具合だ。私にとっては結構行けている方。
200メートルは持久力も必要となる。最初から突っ走って後からゼイゼイなんてやっていたら大変なこと
になってしまう。
私は2番目を走っていた。前は、昨年優勝者の浅川( あさかわ )さんだ。
さすがというか、緊張なんて1ミリも感じていないように走っている。
浅川さんとの距離は、30センチもない。
抜かせる。
抜かすんだ。
私を応援してくれている人たちのために!
ゴールまであと3メートル。
最後の力を振り絞って、私は地面を蹴った。
浅川さんを抜かし、差をつけるために警察から逃げる泥棒の気分になって走った。
あとちょっと。
もう少し。
背後で、浅川さんの荒い息が聞こえた。
すぐそこまで来ている。
速く。
もっと速く走るの!
ゴールは目の前だった。
私は勢い良くゴールテープを切った。
そのすぐ後、浅川さんがゴールした。
私もしかして、勝った?
記録はどうなんだろう。優勝できるんだろうか。
ドキドキしながら結果発表を待った。
あと3分。3分後には結果がわかるんだ。
怯えちゃだめだ。きっと大丈夫。
「第3位、渡瀬( わたせ )悠菜( ゆうな )。」
まだ呼ばれない。
「第2位、浅川( あさかわ )未央( みお )。」
浅川さんが呼ばれた。
____ということは、もしかして?
「第1位、芹澤ひより。」
言葉が、出なかった。
無言のまま、表彰台に向かう。
なんなんだろう。賞状とトロフィーを貰っても、現実なのか夢なのかはっきりしない。
賞状の髪質も、トロフィーの重さも、全部わかっている。
だけど、信じられなかった。
常盤中学の応援席に戻っていく。
れいちゃんも榎下も絢斗先生もみんなも、おめでとう、と言葉をかけてくれる。
なんか、立ってる感覚がない。あれ?
私は本当に優勝したんだろうか。
確かめるには、あいつに聞くしかない。
「ねぇ、私本当に優勝したの?夢じゃないよね、これ。なんか、信じられない。わかんない。」
座って私に拍手を送る榎下に、思ったことを打ち明けた。
なんとなく、頭に浮かんだのは榎下だった。
2ヶ月前、足を捻挫してから今までが、本当に現実だったんだろうか。
色々ありすぎて混乱している。
もしかしたら、長い長い夢を見ているのかもしれない。
自分の考えに唖然とする私の頬に、痛みが走った。
「痛い?」
榎下だった。榎下が私の頬を引っ張っていた。
「ひょ、ひょっとふぁにしふぇんの⁉( ちょ、ちょっとなにしてんの⁉ )」
頬を引っ張られた私は、喋り方がままならない。
あたふためく私とは裏腹に、榎下は冷静そのものだった。
「痛いんなら、夢じゃないでしょ。おまえは、本当に優勝したんだよ。」
そう言うと同時に、私の頬を引っ張っていた手を離した。
引っ張られていた頬は、まだヒリヒリしている。
突っ立ったままの私を見て、榎下が少し笑った。
「おめでと。」
私はヒリヒリした頬を撫でながら答えた。
「ありがと。榎下のおかげだね。」
それは、さらっと出た言葉だった。
私にとっては普通の感じで言ったはずが、榎下は何故かぽかんと口を開けたままで静止。
「なにしてんの、榎下。」
それを見ていたれいちゃんが突っ込む。
私もれいちゃんに賛同した。
「なんか意識飛んじゃった人みたい。変なの。」
私たちは顔を見合わせて、ねーと言い合う。
榎下はまだ口を開けたままだった。
「まぁ良いや。それよりひよちゃん、優勝ほんとにおめでとう!」
ぱぱっとれいちゃんが話を切り替える。
「ありがとう!でもれいちゃんだって準優勝でしょ。すごいじゃん。」
「そんなことないよー。でもお互い走り切れたから、それに変わりはないもんね。私たちどっちもすごいよ!」
「うん、そうだよね!私たちすごいもんね!」
れいちゃんと手を取り合って喜んだ。
親友って良いな。こういうときにれいちゃんがいてくれて、本当に良かった。
榎下も………まぁそうだよね。
私たちが喜び合っている間も、榎下は静止したままだった。
なにやってるんだろう、あいつは。
「おーい、榎下!しっかりしろ!」
榎下の肩をぐらぐら揺らす。
榎下はそれで、やっと我に返ったらしい。
あれ、俺今までなにしてたんだ、と榎下は私に問いかけた。
「さぁね?」
私はとぼける榎下を馬鹿にしてやった。
帰りのバスの中、私は疲れて眠ってしまったらしい。
れいちゃんに揺り起こされる。
「ひーよーちゃん!学校着いたよ。」
そこで私はハッとして目を醒ました。
「私、寝てた?」
「寝てた寝てた。ぐっすり気持ち良さそうだったよー。」
れいちゃんがくすっと笑った。
「うそ、記憶がない。」
私はわざととぼけて、れいちゃんと笑い合った。
学校に着き、絢斗先生からの褒めの言葉を貰うと、解散ということになった。
れいちゃんとバイバイして、自転車に乗る。
榎下は何処にいるのかな。さっきは変にとぼけてたけど、ちゃんとお礼を言いたいから。
榎下を見ないまま、坂道まで来た。
ここまでくると同級生は榎下ぐらいしかいない。
でも榎下は見当たらない。仕方ない、明日にしよう。
何故か知らない間に、自転車をおす足をゆっくり目にしていた。
私、榎下を待ってるのかな。
心の何処かで。
今まであんなやつって思って意地を張っていた私は何処に行ってしまったんだろう。
素直にお礼が言えるような私じゃなかった。
榎下なんかに。
私も大人になってるのかな。
____榎下みたいに。
ふと背後で、自転車を漕ぐ音が聞こえた気がした。
榎下かもしれない。
なんとなく頭に浮かんだ。
後ろにいるのが榎下かもしれない。
そっと、後ろを振り返ってみた。
「____榎下。」
榎下だった。
坂道をじっと登ってきたのだろう。榎下は息が荒かった。
榎下が何も言わないので、仕方なく私から話し出すことにした。
「あの、ありがとう、榎下。私、榎下が先生にああやって言ってくれて、大会出れたし、優勝できた。
本当に、ありがとう。」
ちゃんと言えたと思う。少なくともさっきよりは。
でもそれで、また榎下が固まってしまったらどうしようという心配もした。
「あぁ、まぁ、良いよ。ひより頑張ってたから。だから優勝できたんじゃないの。」
今度は固まらずに、はっきりと、淡々と榎下は答えた。
話が続かない。なんとなく、気まずかった。
榎下が、私を追い越した。
慌てて後を追いかける。
「前さ、俺が大人になったとか、クールになったとか言ってたじゃん。」
いきなり榎下が話し始めた。
私は、
「あぁ………、そんなことあったね。」
と言いつつも、さっきからそのことを思い浮かべていた。
「そん時はおまえも子供だったと思うけどさ、今はだいぶ大人びたんじゃねぇの。前まで俺に向かって
ありがとうなんて言ったことねぇだろ。」
榎下は至って冷静だった。
榎下が、私が大人になったって、認めた……?
途端になんとなく嬉しくなった。
「そ、そうかな……。」
本当はありがとうってまた言っても良かった。
だけどなんとなく此処では、そういう風に言えなかった。
「まぁ、取り敢えずおめでとうだな。」
榎下は言いながら腕で汗を拭った。
「ありがとう……。榎下も優勝おめでとう!」
私は笑った。榎下の方が、頑張ってきたと思う。
私よりもずっと長く頑張ってきたんだ。
「別に。まぁどっちも優勝したから良いんじゃねぇの。ハッピーエンドってことで。」
ハッピーエンド……か。
まぁ私も榎下も頑張れたからそれで良いんだ。
絢斗先生のこともあったけど、でも全部良い方向に進んで、それで良い風に終われたから。
家に帰り、今日の結果を伝えると、誰よりも喜んでくれたのはおばあちゃんだった。
あの時、頑張りなさい、希望を忘れてはだめと言ってくれたおばあちゃん。
「本当におめでとうね。良かったねぇ。」
おばあちゃんの笑顔は、柔らかかった。
大会が終わった数日後、私はいつものようにれいちゃんと駄弁っていた。
大会が終わってから、毎日は飛ぶように過ぎていく。
季節はもう秋。10月へ移り変わっていく頃だ。
「おまえらいっつも喋ってんよな。よくそんなに話題尽きないな。」
榎下だ。れいちゃんへの恋は相変わらず続いているらしい。
多分だけど。だけど。
なんとなく、続いて欲しくないような、変な気分になる。
なんでだろう。別に、榎下のことなんてどう思ってもないのに。
「良いでしょ。女子には色々話すことがあるんだって。夏音( かのん )ちゃんと谷澤( たにざわ )君の恋愛状況とか、
前田( まえだ )先輩の彼女噂とか。」
れいちゃんはつんとして言う。
「そうそう。まぁ、榎下には関係ないことだけどね。」
私もそっぽを向いて言う。
榎下は、あっそと言って自分の席へ戻っていった。
「そういうひよちゃんこそさ、榎下とどうなの?」
「どうなの?って何が?」
れいちゃんはぽかん、とした顔になった。
「何がも何もないでしょ。榎下、絶対ひよちゃんのこと好きだって。」
れいちゃんはさらっと涼しい顔で言った。
何を言っているのだろう。榎下はれいちゃんのことが好きなのではないの?
「は⁉何言ってんのれいちゃん!そんなわけないでしょ。榎下なんて、恋なんかに鈍感そうじゃん。」
そうかなぁ、とれいちゃんは、自分の考えを変えなかった。
れいちゃんにいじられながら自分の席に戻る。
隣には榎下がいる。
れいちゃんの言っていたことは本当なんだろうか?
もちろんれいちゃんの方が私よりも遥かに女の子っぽい。女子力だって高い。
だから本当のこと……なのかもしれない。
本当だったところで、私はどういう反応をすれば良いんだろう……。
重い気持ちのまま机に突っ伏す。
私、何やってんだろう……。
外からは涼しい秋の風が吹き込んでくる。
制服は、半袖だと少し肌寒い。もうすぐ中間服に変える頃だ。
「なに落ち込んでんの、ひより。」
隣から声が降ってきた。
榎下のことを考えていたとき、本人から声をかけられるなんて、それほどの恐怖はない。
「いや……別になんでもないけど。」
私は向こうを向いたまま答えた。榎下の顔を見たくなかった。
「ふぅん。」
機嫌が悪いのかと榎下は察しとったみたいで、それ以上は話しかけてこなかった。
榎下がもし私のことを好きだとしても、私はどうなんだろう。
私って、榎下のことどう思ってるのかな。
そりゃあ嫌いじゃない。でもそれは、友達として好きってことなんだと思う。
榎下を男子として見たことって、ないのかもしれない。
榎下は、あくまで友達。そういう認識だ。
じゃあ私は、榎下のこと……好きってこと?
友達として、だけで。