真の暗闇が支配する道。
「そうか」
少年は初めて声をあげた。
「私が生きた意味は、これだったんだ」
狭い空間に響いた自分の声を聞きながら、彼は這う速度を上げた。
少年は道を這って進んでいる。
そうするしかないほどに狭いのだ。四方に壁が迫り、一切の光が遮断されている道である。勿論音もない。
何も見えない。
何も聴こえない。
目的地までの距離も分からないまま、ただ狭く真っ暗な道を這っている。
こんな状況下で平静を保つにはどうすればよいか。
考えあぐねた少年は遂に結論に達した。
ひたすら独り言を言い続けること。
何でも良いから静寂を作らないこと。
一度方法を思いついてしまえば案外簡単なもので、後は自然と言葉が口をついて出てきてしまう。
「イザークだったら、もっとましな方法を思い付くのだろうね」
少年は友人の名を挙げ、自嘲気味に笑った。
そして出来る限り詳細にその姿を思い浮かべる。
幼い頃からずっと一緒に過ごした友人だ。すぐに思い描くことが出来た。想像上の友人は笑顔で立っている。
すると少年の気持ちも少し落ち着いてきた。
「私はね、教皇になんかなれなくたってもう構わないんだよ」
大きく息を吸い込み、「だって」と続ける。
「私は真実を求めてこの道を進んでいる、これだけでもう十分じゃないか」
友人を頭に思い浮かべたまま、まるで彼に同意を求めるかのように少年は言った。
自分の息が徐々に荒くなってくるのを感じる。だが身体の疲労とは対照的に、少年は言葉を止めることが出来なかった。
「ねえイザーク、君も今こうして道を這っているのだろう?」
無論その問いかけへの答えは無い。
「皆んなも唖然としていたね。まさか『コンクレンツァ』の内容がこんなことだっただなんて」
数時間前のことを思い返し、少年は大きく息を吐いた。
あの時。
自らの後継候補である、齢15になる35人の少年達を前にして、年老いた教皇は言った。
「そして覚えておきなさい」
彼らは口を固く結んだまま次の言葉を待った。これから行われることへの緊張からか、誰もが顔を青ざめさせている。
教皇はそんな少年達一人一人と目を合わせてから、静かにこう告げた。
「コンクレンツァに敗れた者は魂を失うのです」
誰も声をあげなかった。
声を上げることすら出来なかったと言う方が正しい。
負けた者は魂を奪われる。
彼らはそれを今まで一度も教えられたことがなかった。
しばらくしてようやく、少年らの内の1人が絞り出すように言葉を発した。
「失う?」
全員が彼の方に視線を移す。
「魂を?」
その顔にははっきり悲痛の色が浮かんでいる。
少年はそこから先が続かないようだった。言葉を探すように黙ってしまう。
少しの間が空いた。
他の少年らは皆んな俯き、先程の仲間の声を待った。
「それはつまり」
とうとう彼は口を開いた。自分の目の前に立つ老教皇を見据え、今度ははっきりした口調で言う。
「教皇になることができなかったら、本当に、私達が生きた意味は無いと?」
再び沈黙が訪れた。
誰も何も言わない。
だが少年達が考えていることは同じであった。
「生きた意味がない」。
彼ら全員にとって、生まれた時からずっと聞かされ続けてきた言葉である。
全員が、今日この日のコンクレンツァを勝ち抜くために生きてきた。
「コンクレンツァ」という言葉は「競争」を意味する。
それはつまり、「教皇の後継者を決めるための競争」のことだ。
少年達は人々に知られることなく、「cler」ーー聖職者居住区の奥深くで共に育てられてきた。
だから読んでいる書物の中で登場することはあったにせよ、彼らは実際に仲間の34人以外の子供達を見たことがない。
大人も、上聖職者達と今ここにいる教皇以外には会ったことがない。
自らの両親にさえも。
少年達にとって「家族」や「友人」と呼べる存在はこの34人であって、様々な物事を教えてくれる「親」と言うべき存在は聖職者達であった。
もし自分がコンクレンツァに勝利することができたとしても、他の仲間達は全員魂を奪われてしまう。
15年間共に暮らし勉強に励んできた、家族同然の仲間がである。
他の仲間全員の命を犠牲にして、後継権を勝ち取れと言われているようなものではないか。
少年達にはまだ信じることができなかった。
しかもそれを「親」とも「師」とも仰いできた教皇本人が言ったのである。
信じろと言う方が無理なのかもしれない。
そうであるから、誰もが教皇の間違いであることを望んだ。
これは教皇の言い間違いで、彼は今すぐ先程の言葉を訂正してくれるのだろうと。
「生きた意味がない」などと言い続つづけてきたのはただの脅しであって、コンクレンツァに負け教皇になれなかったからといって、魂を奪われることなど間違ってもないのだと。
少年達の中には抜きん出た者など一人もいなかった。
35人それぞれが「選ばれた者」として幼少期から高等な教育を受けてきたのである。
全員が膨大な知識を我が物にし、生まれ持った「力」をこれ以上ないほどまでに高めてきた。
そして一人一人が、もう10年もすれば優れた上聖職者になり得る能力を持っているのだ。
因みに上聖職者に昇格出来る人間の平均年齢は65歳である。
これらを言い換えれば、少年達にとっては仲間の全員が強力な競争相手であるということだった。
勝者となった1人以外は全員魂を失うだって?
それでは私達が今日まで学んで得た知識や技術はどうなる?
教皇になれなかったという理由で、全てが無駄になってしまうのか?
34人の逸材が無駄死にすることになると?
そんなの、あまりにも無慈悲じゃないか。
あまりにも残酷じゃないか。
様々な思いが少年達の頭を駆け巡った。
いや、教皇はきっとすぐにでも先の仲間の言葉を否定してくれる。
そうに決まっている。
少年達は教皇の方に顔を向けた。 彼の口から全てを訂正する言葉が発せられるのを待ちながら。
教皇は無言のまま少年らの正面にある教壇へ向かった。
深く被った冠のために、その表情は分からない。
古い壇である。
彼が一歩一歩踏み出す度に、ぎしぎしという音があたりに響き渡った。
教壇に登った教皇は、そこに立てかけてあった長い樫の杖を掴むと、ゆっくりと少年達の不安げな顔を見渡した。
すっかり白くなった濃い眉に埋もれた、2つの薄緑色の目が再び彼ら一人一人の視線を捉える。
不気味なほど落ち着いた動作だった。
そして遂に教皇は答えた。
「その通りですよ、テオロード」
先程声を上げた少年がびくっと肩を震わせた。
食い入るように教皇の目を見つめ、今の言葉が本当のものであると悟る。
「そんな...」
少年、テオロードの薄紅色の唇は、恐怖のあまりわなわなと震えていた。
「教皇、一体どういうことですか?!」
「そんなこと、私達は今日びまで一度も聞いたことがなかった!」
「なぜ、後継候補に生まれついた私達が...魂を失わなくてはならないのですか?」
「そんなの、あ、あまりに無慈悲です!」
堰を切ったように他の少年達も声を上げ始めた。
途端にその場が騒然となる。
誰もが混乱していた。
誰もが平常心を失っていた。
そんな彼らを見つめる、教皇ただ一人を除いては。
「信じるのです」
不意に発せられた教皇の言葉で、ぴたりと少年達は話すことを止めた。
「信じなさい。これまで修練に励んできた自分自身を」
両手を広げてそう言うと、教皇は握っていた杖の先を正面の少年達の方向へ向けた。
それから大きく真横に振る。
突如強風が巻き起こった。
風はすぐに竜巻に変わり、少年達を呑み込む
ように拡大していく。
「!?」
自らの「力」を以ってしても抗いがたいほどに強い力が、彼らをぐわっと空中に持ち上げた。
いくつもの悲鳴があげられたが、そのほとんどが轟々と唸る風にかき消されてしまう。
彼らが思わず天井を見上げると、そこには大きな穴が開いていた。
穴は漆黒の暗闇に包まれていて、その中からはなにも見いだすことが出来ない。
何か未知の、恐ろしく巨大なものが渦を巻いて自分達を待ち構えている。
彼らは本能でそう感じた。
「全ての闇に打ち勝ちなさい!」
竜巻の合間から教皇が上げた叫び声は、はっきりと少年達に伝わってきた。
「闇に打ち勝ち、地平線の神ホランディーナの元へ辿り着いた者こそが、コンクレンツァの勝者です!」
天井がぐんぐん近付いてくる。
巨大な穴からは、彼らを奥へ吸い込もうとするかのような強風が吹いていた。
死にたくない。
生まれた時から信じてきた教皇によって、少年達の思考は完全に惑乱させられていたが、この思いだけは全員に共通していた。
「クッ、クソッ!!」
「嫌だ、嫌だあ!!」
誰もが持っている限りの「力」を出し切って抵抗する。
けれど無駄であった。
暗闇は簡単に少年達を呑み込んでしまった。
一瞬感じた激しい身体の回転。
少年達は意識を失った。
※このレスは本編とは無関係です。
荒らし、誹謗中傷はご遠慮下さい。
この「天空七百年」は、別作「揺天涯」で書けなかったファンタジー要素を大いに取り入れたものです。
ずっとファンタジーに憧れていたので、遂に手を出してしまいました!
ただ初挑戦のため、稚拙な部分や見苦しい部分も多数あると思います(~_~;)
そこで、どなたでも結構ですので、お気軽にここまでのご指摘・感想を下さい!!
私の文章能力向上のため、どうかよろしくお願いしますm(_ _)m
(アクション描写上手くなりたい)
以上がこの少年が持つ、こうして道を這うまでに至った記憶の全てである。
彼も例外なく巨大な穴に吸い込まれ、意識を失った。
そうして目を覚まし気が付いたのだ。
自分がこの暗く狭い道に倒れていることを。
あの時本当は何が起こったのか、彼には分からなかった。
あれからどれくらいの間道を這っているのかも、なぜ自分がこの道を進んでいるのかも分からない。
ただ1つだけ分かっていることはーーこの道の先には真実がある、ということだけである。
「はあっ...はあっ...」
少年は懸命に前へ前へと進んでいた。
回想をしている内に、いつのまにか自分の独り言が止まっていることにも気が付かないほど無我夢中で。
「っ、うわっ!?」
激しい呼吸を繰り返しながら這っていた彼であったが、突然何かに後ろから引っ張られ、思い切り地面にあごを打ち付けてしまった。
ゴンッと鈍い音が響く。
「...痛い」
うつ伏せになったまま、彼は口の中で呟いた。
手探りで自らの腰の辺りを調べる。
どうやら、トゥニカの緩みを締めている腰紐を自身の手のひらで押し付けてしまったらしい。
邪魔だ。
少年は舌打ちした。
この修道服を煩わしいと感じたのは、生まれて初めてかもしれない。
この空間には音というものが無い。
こうして自分があげた声や物音以外、何も聴こえない。
未だに消えないあごの痛みを感じながら、少年はゆっくりと顔を上げた。
不意に眼に涙がにじんだ。
「なぜこんなことになってしまったんだろうね、イザーク」
頭の中に思い浮かべていたはずの友人の姿も、いつの間にか消えていた。
すごく文がお上手だな、と思います。
読ませるのが上手く内容のしっかりと入ってくる、文学的な文体ですね。
ささやかながら応援してます!
>>10
お褒めの言葉、ありがとうございます!
自分はまだまだ動作描写が不十分ですので、これからもっと精進していきたいです( ̄▽ ̄;)
とても励みになりました、頑張ります!
ーー思えば、何故自分はこんなふうに懸命に暗闇を這っているのだろう。
少年は力無く、上げかけていた額をもう一度地面に押し付けた。
生まれた時からずっと、教皇の言いつけを守って修練に励んできたのに、一体なぜ?
他の皆んなだって同じだ。
私達は、神に愛されたはずの「選ばれた者」ではなかったのか。
70年間に一度、cler内部で秘かに取り行われるコンクレンツァ。
その内容はコンクレンツァのその日まで、いかなる身分の聖職者にも、参加者の少年達にすらも一切明かされない。
それを知っている人間はただ一人。
つまり現教皇であった。
コンクレンツァの年に丁度15歳になる男子にのみ 、その参加資格は与えられる。
当然のことながら条件はこれだけではない。
もう1つの条件は、神から与えられた「力」を持つ「選ばれた者」であるということだ。
この「力」というのは本来、神に仕える聖職者として数十年間clerで祈り、働いて初めて神から授けられるものだとされている。
それを「選ばれたもの」は生まれながらにして既に会得しているのだ。
そういう赤子は、産み落とされた後すぐに母親から引き離され、上聖職者達に引き取られることになる。
35人の少年達は正にこの「選ばれた者」であった。
そして彼らに求められたのは、全く未知のものであるコンクレンツァを勝ち抜けるだけの、より洗練された「力」と精神力、そして何よりも知識を身に付けることだった。
それがすなわち修練である。
設定おもしろい。
でも、ちょっと設定説明文っぽくなってる気もします。
主人公、ずっと1人で通路を這ってるし、
34人のキャラクターの個性が今の所不明なので仕方ない部分あると思いますけど
ファンタジーなので、もう少し展開にメリハリとか
勢いとかあって良い気もします。
>>13
ご指摘本当にありがとうございます。
もう一度読み返してみたらその通りでした...設定説明は、やはり一度に詰め込み過ぎない方がいいのでしょうか。
場面場面で出せばもうちょっとすっきりして見えますかね?´д` ;
そうですよね、同じような場面がつづくと読み手も飽きてしまいますものね(-_-;)
もっと思い切って展開を進めることを意識して練り直そうと思います。