むかしむかし、俺が死ぬ前の話。
自分の"殺した"人間の骨を使い、麻雀牌を作って収集している魔女がいた。
巧みな話術で人を惑わせ、時には怪しげな薬を渡し、人殺しの手伝いをしていたと思う。
彼女は確か、"半殺し屋"と名乗っていた。
>>02 登場人物
[東塚 黒之助 (ひがしづか くろのすけ)]
新米のキャリア刑事(25歳)。
幼少期に母を殺害した父を逮捕するため、密かに捜査している。
唯一父親の手がかりを掴めるかもしれない紗宵に頼ろうとするも、刑事としてのプライドとの間で苛まれる。
[秋南 紗宵 (あきなみ さよい)]
自称"半殺し屋"として復讐の手伝いをしている中年女性。
等価交換を信条としており、『誰かを殺めるなら自身も殺めろ』という条件を飲める者だけ依頼を引き受ける。
自殺した依頼人の骨を麻雀牌にして収集している。
普段は麻雀バーのオーナーを一人で切り盛りしている。
[東塚 浦之助 (ひがしづか うらのすけ)]
黒之助の父親。
妻を殺害し、黒之助に暴行などの虐待を行っていた。
約十数年間もの間逃亡しており、未だ行方は掴めない。
博打狂いで、特に高レートの賭け麻雀に明け暮れていた。
[東塚 衣亜 (ひがしづか いあ)]
黒之助の母親。
夫の浦之助からDVを受けた末に殺害されてしまう。
なぜか紗宵と面識がある。
[筒中 色之助 (つつなか いろのすけ)]
浦之助の隠し子と名乗る謎の青年(19歳)
黒之助と同じく父親の浦之助を捜しており、復讐を果たすために紗宵を頼る。
浦之助の残した借金を連帯人として背負わされており、とてつもなく貧乏。
[竹柴 索子 (たけしば もとこ)]
自称"色之助の彼女"だが相手にされていない女性(23歳)。
色之助に助けられたことから、借金を肩代わりする。
両親はマカオでカジノを経営しており、金銭感覚の狂ったお嬢様なところがある。
[萬屋 千鞠 (よろずや ちまり)]
黒之助の同僚の刑事で、黒之助に想いを寄せている。
不可解な自殺の真相を探っており、紗宵の元へと近づいていく。
「今月二件目ですよ、欠損自殺者! 多くないですか!?」
「あぁ、そうだな」
刑事というのは忙しいもので、昼食の時間ですら優雅にとることはできない。
東塚黒之助(ひがしづか くろのすけ)、今年配属されたばかりの新米刑事だ。
午後からの捜査会議に向けて、同僚の萬屋千鞠(よろずや ちまり)とコンビニ弁当をつつきながら配布された資料に目を通していた。
隣から萬屋が捜査情報に対して一々ツッコむので、鬱陶しくなってきた。
「ただ自殺しただけなら珍しくもありません。でも、なぜか自殺した加害者は必ず体のどこかが欠損しているんですよ! 腕とか、足とか。欠損した所も現場からは見つかっていないですし」
「……そうだな、変だな」
確かに奇っ怪だな、と少し冷たいトンカツを飲み込みながら思ったが、頭に捜査情報を詰め込むのに精一杯で、気の利いた返事をする気力が無い。
死因、脂肪推定時刻、被害者や加害者の相関関係、解剖結果。
これらを全て把握し、その上で自分の見解も述べられるようにしなければ置いてけぼりにされる。
まぁ、今回は痴情の縺れから成る刺殺だろう。
被害者は九島真太、加害者はその妻九島京子。
ベッドの上で二人とも亡くなっており、夫の方はは首を切られ、妻の方は腕が切り落とされ、もう片方の手で自身の心臓に包丁を突き刺している。
恐らく文字通り寝込みを襲った後に自殺したとみた。
ここまではドラマなどでお馴染み──よくある事なのだが、問題は自殺した妻、九島京子の片腕の行方だ。
現場からは見つかっておらず、侵入した形跡はあるが足取りは掴めていない。
「九島京子が切り落とした腕を誰かが持ち去ったんでしょうか? それとも九島京子が自殺した後に誰かが切り落としたんでしょうか? なんの為に腕を持ち去ったんでしょうか!? 持ち去った人物は九島京子とどういった関係なのでしょうか!?」
「それを午後からの会議で考察するんだろ。今分かったら苦労しない」
さっさと弁当を平らげた俺に対し、先程から話してばかりの萬屋の弁当は減っていなかった。
こいつは泳がないと死ぬマグロみたく、口を閉じたら死ぬのだろうか。
「そろそろ時間だ。俺はもう会議に行く」
「あ、待ってくださいよ〜クロノスさん!」
「その呼び方やめろっ!」
萬屋は焼肉をかき込みながら俺を追いかけた。
人懐っこい、悪く言えば馴れ馴れしい。
萬屋は"黒之助"が長くて呼びにくいから、と勝手にクロノスとあだ名をつけて呼んでいる。
いつしか他の部署にまで広まり、上司にまで"クロノス君"と呼ばれる始末。
実際、黒之助は俺の親父がクロノスを意識して名付けたものだから似ているのも当たり前だ。
だが、俺はこの名を忌み嫌っていた。
「本物なら苦しんでない」
ギリシャ神話に登場する有名な神、クロノス。
彼は自身の実父であるウラノスの局部を鎌で切断して殺害する。
クロノスだったら、実の父親を殺せた。
俺のウラノス──東塚 浦之助(ひがしづか うらのすけ)は、あと少しで時効が成立する。
「なにぼーっとしてるんですか、クロノスさん」
「……別に。眠いからコーヒー買ってくる」
コーヒーを飲んで一服吹かした後、会議の3分前に着席した。
大方資料は目を通してあるので焦ることもない。
会議が始まると、全員一斉にホワイトボードへ目を向けた。
顔写真や地図、遺体の写真がマグネットで貼られている。
管理官が手元のファイルを読み上げながら、考察を述べる。
「自殺した九島京子の右腕についてですが、持ち去った人物は恐らく玄関から入ってきたと思われます。鍵を破壊した形跡は認められなかったため、元から玄関には鍵はかかっていなかったのでしょう」
「鍵を所持してるのは、高校生の息子の九島裕司君だろう? 彼が持ち去ったという線は?」
「事件当日は恋人の家で一泊していたというアリバイがあるのでその線は薄いかと」
家中の窓は閉められており、唯一空いていたのが玄関。
まぁ、九島京子が戸締りを任されていたのならば、鍵をかけていないのも頷ける。
これから死ぬことが分かっているのだから、わざわざ鍵をかける必要もないと思ったのだろう。
「しかし腕か……利用価値のある臓器ならまだしも腕、しかも死んだ人間のを持ち出す者の意図が知れん」
理事官は顔を顰め、ホワイトボードを眺めた。
視線の先には、ミロのヴィーナスよろしく右腕を切り落とされた女性の遺体。
シーツとネグリジェに赤黒い血がこびりつき、スプラッター映画のワンシーンを彷彿させる。
と、その時、隣に座っていた萬屋がピンと右腕を上げて何か言いたそうにしていた。
「萬屋、なんだ?」
「はい! 恐らくこの事件も、今月に3件あった遺体欠損の自殺者と関連があります。今回は片腕、その前は左足、それから頭、そして先月は骨盤なども持ち去られていました。持ち去った人物は、恐らく身体中のパーツを集めるつもりなのではないでしょうか!? なんかこう……リアル人体模型、みたいな……!」
萬屋の発言に、次々とパイプ椅子の軋む音が響いた。
身を乗り出し、前後左右と相談し始める刑事達。
「猟奇趣味のある者の犯行か……」
「少なくとも九島京子に対する恨みとかではなさそうだな」
「それなら腕とかチマチマ集めてないで一気に持ち去るだろう?」
「馬鹿、いっぺんに持ってけないから分けてんだろ。今月は腕と足、来月は頭蓋骨〜みたいな感じで」
「デアゴスティーニの付録かよ」
萬屋の言った考察は分からなくもないが、俺はその可能性は無いと思った。
遺体は腐敗する。
腐敗した遺体は悪臭を放つから長いこと置いていけないだろうし、そんな家があれば目立つに決まっている。
「しかし遺体は腐敗するので、全て集まる頃には人体模型どころではないと思いますが」
中年の刑事が、ちょうど俺の思ったことを代弁して述べていた。
萬屋は悔しそうに唇を歪めたが、萬屋よ。
その線、そう遠くもないと俺は思うぜ。
「これでますます分からなくなってきたな……」
「もう一度捜査だ。萬屋の言う通り、自殺遺体の欠損はこれが初めてじゃない。過去に起きたこの手の事件を洗い直して関連性を見つけろ!」
「はいっ!」
会議はお開きとなり、次々と出口から人が吐き出されていく。
さーて、これからどうするか。
「息子に話を聞くか……」
事件当日に鍵を持っていたという九島京子の一人息子、九島裕司の元へ向かうことにした。
九島裕司は現在、警察の手によって拘束されている。
取り調べに来て欲しいと要請すると、すぐに手配してくれた。
龍柄の派手なスカジャンを着た九島少年は警官に連行され、取り調べ室に入れられた。
慣れたような素振りで、俺の対面にあるパイプ椅子へと腰掛ける。
両親が死ぬという突然すぎる悲劇と、何日にも渡る取り調べに疲れたのか彼はやつれていた。
よくよく見ると目の周りも僅かに腫れていて、泣いた跡がある。
「何度も申し訳ない、少し尋ねたいことがあって」
「……事件当日なら俺、恋人んとこ行ってたし何も知りません」
何度もしつこく訊ねられたのだろう、目も合わせず、投げやりな様子で返した。
「ご両親、いつも仲悪かったのか? きっとお前さんも夫婦喧嘩に巻き込まれたりしただろう」
「んなこと訊いてどうすんだよ。もうお袋が犯人だって分かってんだろ。構うなよ」
静かだが、憤りの篭もった声だった。
──似ている、20年前の自分に。
「いやなに、俺も母を父に殺されたことがあってね。お前さんみたいな境遇の子はどうも放っておけなくてな」
「……刑事さんも……?」
「19年前、俺が六歳の時。殴り合いの末だった。犯人の親父はあと1年で時効成立だ」
少年の訝しげな表情が一変、警戒が薄れた顔になった。
母親を殺されて良かったと思ったことは決してないが、こういう昔話は被害者遺族の心を開ける。
利用できるものは、できる限り利用する。
「浮気が原因だった。前は、あんなんじゃなかった」
物憂げな瞳からは、今にも塩水が零れ落ちそうだ。
これ以上家族のことを詮索するのは彼にとってもよろしくないと思い、話題を変える。
「そ、そうか……あー、そうだ、事件前に鍵を誰かに渡していたりとかしたか?」
「鍵? 別に渡してねぇけど……」
事も無げに返す辺り、嘘をついている様子も見られない。
だとすると、玄関の鍵は元から開いていたことになる。
まるで九島京子がわざとその人物をおびき寄せるように……。
「あぁもう散々だ。お袋も親父も死ぬし、百合は連絡つかねぇし……っ」
「百合? 事件当日に会ってた彼女か?」
頭を抱えて項垂れる彼の口から、聞き慣れない名が出る。
「そう。連絡しても出ねぇし、取り調べばっかで会いに行けねぇし……」
「あー……分かった。俺がその人のとこに連れてってやるよ……」
「本当か!?」
さすがにもう事件と無関係に近い彼を何日も閉じ込めておくのは不憫だろう。
連絡がとれないというのも警察としては事件性が無いか少し心配だ。
上にかけ合った結果、俺が同伴することを条件に、1日外出を認めて貰うことが出来た。
車を手配して少年を助手席に座らせると、小音でラジオをかけた。
ノリのいい女性DJのお便り紹介。
ラジオネーム"刺身とかに付いてる小さいタンポポみたいな花"さん。
くだらなさすぎて、すぐにラジオを切った。
「……で、その百合って人はどこにいる?」
「多分この時間なら、家じゃなくてバイト先にいる可能性が高いと思う。麻雀バーの"緑一色(リューイーソー)"ってとこ」
「麻雀……」
俺の親父も麻雀を嗜んでいた。
否、嗜むなんて上品な言葉じゃなくて、溺れていたって言う方が正しい。
高レートの賭け麻雀に手を出し、運否天賦に任せては一喜一憂していた。
幼い頃は積み木の代わりに親父の麻雀牌を積んでいた記憶がある。
麻雀に罪はないが、麻雀は嫌いだ。
あの牌のぶつかる音、ジャラジャラと響く点棒の音、ロン、ポン、チーの鳴き声。
「まぁいいや、緑一色(リューイーソー)ね」
エンジンをかけ、やり切れない気持ちでアクセルを踏んだ。
Googleマップで検索しても目欲しい情報は無かったため、九島少年の案内を頼りに走らせた。
踏み切り待ちで互いの会話が途切れ、沈黙が流れる。
カン、カンと規則正しい電子音だけが流れていく。
なんとなく気まずくなり、なにか話題を、できれば情報収集を、と無いに等しいコミュ力を発揮する。
「麻雀、やるのか?」
「ううん、麻雀全然分かんねぇ。1回だけお袋に『紗宵(さよい)さんに息子を見せてあげたい』って連れてこられて、そん時にバイトしてた百合と会って連絡先交換しただけ。麻雀やってんのはお袋。ちょっとだけお金も賭けてた」
「そうか……俺は親父の方が麻雀やってたなぁ」
麻雀という点でも、少年と俺には共通点があったようだ。
捜査情報で博打狂いとも書かれていなかったし、俺の親父とは違って本当に趣味、常識程度に牌を摘んでいるだけなのだろう。
まぁ低レートだろうが高レートだろあが、賭け麻雀は賭け麻雀、違法だ。
「捨牌読みもロクに出来ない、無駄にカンする、点数計算は遅い。今思えば、あんな男は食い物にされるだけだったよ」
「刑事さん詳しいじゃん。麻雀やってたの?」
「……少し、勉強してたことがあって」
『黒之助、大きくなったら俺とコンビ打ちでたんまり稼ぐんだからな。今の内にルール覚えとけよ』
あの男を狂わせるほど面白い麻雀ってものを、怖いもの見たさで少し齧っていた。
母を失い、父を逮捕することだけが目標だった時に、なにか一つでも熱中できるような趣味が欲しかったのかもしれない。
結局、牌の音は不快な過去を思い出させるだけで、俺を燃やしてはくれなかった。
──ガタンガタンと電車が忙しなく通り過ぎ、瞬きを一度したら既に車体は消えていた。
「あっ、次、左」
「はいよー」
もう一度ラジオを付けると、今度はまともなニュース番組が流れていた。
「あーここが緑一色(リューイーソー)だよ」
少年が指さしたのは、こじんまりとしたビルだった。
深いヒビ割れ、ガムテープで補強されたガラス、雨樋に巻き付くツタ。
テナント募集という看板がついていたが、当分店なんか入らないだろう。
幸いにも駐車場が空いていたため、車を停めてビルへ入る。
どうやらこのビルの地下一階が麻雀バーらしい。
「緑一色(リューイーソー)ってなんだ? 最初はみどりいっしょく、って読んじゃったよ」
「知らなかったんかい……麻雀の役だ。しかも役満、揃えられたら凄い。文字通り緑だけの牌で、最も美しい役だって言う人もいる。詳しくはググれ」
「へぇー、よく分かんねぇけど、すごいってのは伝わった」
そんな雑談を挟みながら古びたコンクリートの階段下ると、電光看板が点滅していた。
どうやら壊れかけているらしい。
"麻雀bar 緑一色"という筆書体の文字が踊り、下部には緑一色の牌が並んだイラストが描かれている。
ドアを開けると、一気に夜の世界に来たみたいになった。
窓が無く、明かりも白熱灯がぽつぽつとあるだけなので、午後一時に似つかわしくない薄暗さだ。
奥の方で全自動麻雀卓を囲む中年男性を横目にカウンターの方へと進む。
「いらっしゃいま……えっ、裕司君……!?」
丈の短いチャイナドレスを纏った少女が、お盆を落として九島少年を見ていた。
どうやら彼の推測通り、百合さんはバイトに出ていたらしい。
「警察に行ったんじゃ……あっ!」
「……警察?」
九島少年が顔を顰めた。
「なんで俺が警察に行ったって知ってるんだよ。連絡してないよな?」
「あっ……いやその……」
口篭り始めた彼女は、弁解できずに動揺している。
どうやら何か、事情を知っているらしい。
「あーらら。よくもドジ踏んでくれたねェ、百合」
予想外の展開に立ち往生していると、カウンターの奥の方から、一人の女性がコツコツとヒールを高らかに鳴らして現れた。
なんだ、この女──。
歳は多く見積って50くらいだが、ド派手な赤いスーツを着ている。
しかし若作りしているような見苦しさはなく、見事に調和していた。
ただでさえ着こなしにくい赤いスーツを、宝塚歌劇団よろしく着てみせている。
唇もこれまた血肉を貪った後のような真っ赤な紅を引いており、思わず自身も喰われそうな畏怖を覚えた。
髪は白髪のはずなのに、なぜか銀髪だと思わせるような輝き。
少し長めの前髪が片目を隠し、ミステリアスな雰囲気を漂わせる。
少女は勢い良く頭を下げると、申し訳なさそうに謝罪した。
「すっ、すみません紗宵(さよい)さん……!」
「まぁいいさ」
紗宵、聞き覚えのある名だと思ったら、先ほど九島少年の話に出てきた人物だ。
つまり九島京子と交流があった人物。
「九島さんとこの息子さんか、久しぶりだね。立ち話もなんだ、座ったらどうだい?」
「はぁ……」
俺と少年は顔を見合わせると、端っこのカウンターへと腰掛けた。
平日の昼間っから酒を飲む酔狂な連中は後ろの麻雀に熱中しているオヤジくらいなもんで、カウンターには俺たち以外の客はいなかった。
「好きなカクテル言いな。アタシの奢りだからうんと高いのでもいいさ」
紗宵と呼ばれていた女性は手際よくカクテルグラスを拭きながら言った。
「俺未成年だし……」
「あ、俺も勤務中なんで飲酒はちょっと……」
「ノンアルのカクテルもあるだろうが! ちっとは腕を自慢させておくれよ」
「んな事言われても俺にカクテルの善し悪しなんか分かんねぇよぉ。ノンアルのカクテルとか知らねぇし」
少年はメニューを訝しげに眺めてブツブツと呟いている。
「じゃあ無難にフロリダで……」
「ふろりだ?」
「ちょっと豪華なオレンジジュースだと思え」
フロリダとはもちろん、あのオレンジの産地で有名なアメリカのフロリダからついたカクテルだ。
オレンジジュースにレモン果汁や砂糖、アロマチック・ビターズ(リキュールの一種)を加えたもので、ノンアルコールカクテルの代表みたいなものだ。
「フロリダのカクテル言葉は元気。両親を亡くして落ち込んでる今のアンタに必要なもんじゃないかい? 少年」
「あっ、そういえばそのこと……! なんでおばさんと百合が知ってんだよ!?」
そんな会話を一言二言交わしたその間に、彼女はいつの間にか二人分のカクテルをカウンターに置いた。
カクテルグラスには夕焼けのようなオレンジが注がれ、レモンとチェリーがトッピングに浮かんでいる。
少年は恐る恐るカクテルグラスに口をつけると、一口含んで目を輝かせた。
どうやらお気に召したらしく、無言で二口目、三口目と飲んでいく。
「紗宵さーん、金ここ置いとくなァ!」
「はいよ。昼間っから酒飲んでないで、さっさと仕事しな!」
「いやぁ、紗宵さんに言われちゃ仕方ねぇな。ガハハッ!」
後ろで卓を囲んでいたオヤジ共も帰ったところで、バーテンダーの女性は話し始めた。
「アタシは秋南 紗宵(あきなみ さよい)。九島さんは常連でね、よくサンマしてたよ」
「サンマ……? なんだよそれ」
「三人麻雀の略だ。それで、あなたは九島さんの事件についてなにかご存知で?」
「あぁ? さっきから気になってたけど、アンタ誰だい? この坊主の兄貴かい?」
「申し遅れました、刑事の東塚黒之助と申します」
そういえば名乗り忘れていたことに気が付き、慌てて懐から名刺を取り出した。
「げっ、刑事さんかい。ウチはノーレート、一銭も賭けちゃいないよ!」
「大丈夫ですよ……賭博は畑違いですから、わざわざ面倒事に首は突っ込みませんし。ノーレートなら言うことありません」
俺の所属する捜査一課は殺人事件専門。
賭博やギャンブルに関しては暴力団対策課の領域なので、ここで賭け麻雀をしていようがしていまいが、どうこうするつもりはない。
なんというか、自分の捜査する事件以外は関わりたくない。
「それで、なんで俺が事件に巻き込まれてるって知ってるんだよ」
脱線しつつあった話を、少年が軌道修正した。
「あぁ、そうだった。それで九島さんにある日相談されたわけだ。『夫を殺害したい』と」
「なっ……!」
俺は思わず、食べていたチェリーをごくんと丸呑みしてしまった。
「アタシは泣き崩れる九島を見たら止めてやれなくてねェ。そこで頼まれたのさ。『息子にだけは見せたくない。結構当日になんとかして息子を家から追い出したいが、どうすればいい』と」
「俺を……?」
「そこで一ヶ月前から百合と出会わせて恋仲に進め、アンタを決行の日に外泊させて家から遠ざけたってわけなのさ」
少年は、先程から横で縮こまっている少女、百合を見た。
少年の瞳は震え、瞳孔が大きく開いている。
「悪かったね。九島さんの計画を知りながら、止めなかった。あまつさえ計画を手伝った……あの人の苦しそうな顔を見たら、止められなかったのさ」
「……大丈夫、っす。俺がいたら、別の場所で殺害するなりしただろうし」
意外にも彼は冷静に分析して呟いた。
憶測だが、彼にとって驚くべきことは母親の真相よりも百合のことだろう。
愛し合っていたと思っていた彼女が、まさか計画の手駒だったのだから。
フロリダを飲んだあとの甘酸っぱくてねっとりした唾液が、喉を不快にした。
「……ごめんなさい。最初は計画のためだったんだけど今は……」
「……刑事さん、車の鍵貸してください。先に戻って休んできます」
「え、あぁ……」
少年は百合さんの話を遮り、冷たくそう言った。
意地でも人前で泣くまいと涙を堪えている彼にいいえとも言えず、キーを渡すと、少年はひったくるようにして受け取って店内を出て行った。
「待って、裕司君!」
少女もそれを追いかけて店内から出ていき、店内はガランと静寂に包まれた。
まぁ、つまり、俺は紗宵さんと二人きりになってしまったわけで。
初対面、しかもかなりジェネレーションギャップのある女性と時間を潰さなければならない。
かといって今車に戻るなんて、泣いているであろう少年に追い打ちをかけるような野暮な真似はできない。
「刑事さん、麻雀はできるかい?」
「はぁ……一応ルール把握してますが……」
麻雀という手があったか。
共通の話題が少ない今、通じる話と言えば麻雀。
親父に昔無理矢理連れていかれた雀荘で何局か見てきた経験があるため、滞りなくゲーム進行するくらいはできる。
人生で初めて麻雀が役に立った気がする──!
「んじゃ、卓に着きな。手積みでいいね?」
いつの間にか紗宵さんはカウンターからいなくなっており、後ろの卓に座っていた。
彼女は俺の返事を待たずして、牌を机にばら撒いた。
全自動でも手積みでもどちらでもいいのだが。
「えっ、でも面子足りませんよ? 三麻にしても1人いませんし……」
麻雀というのは通常四人、少なくても三人。
世の中には二人麻雀というものもあったりするが、どれもルールが複雑だったり統一されておらず、あまり行われていない。
少し齧っただけの俺ができるはずもなく……。
「二人麻雀やったことないのかい?」
「すみません……」
「まぁいいさ。牌はひっくり返しちまったし……神経衰弱でもするかね。暇潰しにはなるだろうよ」
紗宵さんは手際よく洗牌(牌を混ぜる)した。
用意された麻雀牌は、なんだかいびつな上に、少し茶色がかっている。
古い年代物の牌だろうか。
「二枚ずつめくって、先に七対子(チートイツ)を完成させた方が勝ちでいいかい?」
「あ、はい」
麻雀牌は1〜9の数字が書かれた数牌と、東・南・西・北・白・發・中の字が書かれた字牌で構成されている。
それぞれの牌は同じ柄が四つずつ存在し、トランプで言えばハートのAが4枚ある、みたいなものだ。
七対子(チートイツ)とは、文字通り同じ柄の牌二つを7組揃える。
「この麻雀牌、字牌は入ってないんだよ。筒子、索子、萬子だけ」
「分かりました」
筒子、萬子、索子とは、ざっくり言えばトランプのハート、スペード、クローバーのようなものだ。
「それじゃ、アタシから取るよ」
紗宵さんは適当に選んだ牌を摘むと、躊躇なくめくった。
筒子の1と、索子の3。
次に俺がめくると、萬子の一と索子の8だった。
「まぁ最初はこんなもんか」
「そうですね」
思ったより盛り上がらない。
まぁたった二人で神経衰弱なんて盛り上がるようなものでもないだろう。
BGMで小さく流れていたジャズがサビを迎えた。
「ところでアンタ、麻雀牌が何でできているか知っているかい?」
「はぁ……竹とかプラスチックとか大理石とか、色々ありますよね」
「"今は"な。お、対子(トイツ)」
最初にめくった筒子の1を揃えた紗宵さんは、早速俺より1歩リードした。
俺もその次に索子の3を引き当て、それに追いつく形となる。
「昭和の頃は竹が主流だったが、その昔は骨牌(こっぱい)といってね。獣骨……主に牛の骨やクジラの骨なんかを使っていたのさ」
「骨……ですか」
また一対、紗宵さんが二枚揃えた。
紗宵さんは既に六つも揃えており、あと一組というところまできていた。
職業柄、骨と聞くと白骨死体やら遺骨やら物騒なものを思い浮かべてしまう。
そういえば、この牌も一つ一つ微妙な色や模様が違っている。
めくった萬子の4はさっきどこかで見た気がするが、覚えていない。
「この牌も、なんかの動物の骨で出来てるんですか?」
「あぁ、そうさ。何の骨だか分かるかい?」
「そうですね……」
アイボリーにほんの少し茶色がかった色で、手に持つと割と軽い。
牛肉の骨っぽいし、鳥の骨だと言われれば鳥の骨にも見える。
「骨の見分けなんてあまりつきませんから、なんだかよく分かりませんね」
「アンタは"こちら側"の人間の匂いがするから、特別に教えてあげるよ」
紗宵さんはやおら牌をめくると、萬子の4が出ていた。
「アンタの探している腕。それが答えさ」
「なっ……じゃあまさかこの……この麻雀牌は……!」
人間の骨、ってことじゃあないか。
そう思うと途端に気持ち悪くなって、俺は思わず持っていた牌を投げ捨てた。
「七対子(チートイツ)。アタシの勝ちだね」
紗宵さんは涼し気な顔をしたまま、綺麗に7組揃えた牌を見せる。
おい、おい、アンタが触っているのは人骨なんだぞ。
つい数週間前まで生きていた女の、腕の──骨。
「アンタ、依頼人と同じ目をしているんだよ。それに……アタシが唯一負けた女に似ている……」
「は……?」
紗宵さんは何故か懐かしむような表情で俺の方を見ていた。
唯一負けた女、なんだよそれ。
「復讐したいヤツがいるんじゃないかい?」
「なんで……」
「言っただろう。依頼人と同じ目をしてる、って」
そう言われて真っ先に思い浮かぶのは、親父の顔。
俺はそんなに顔に出やすい男じゃなかったはずだ。
むしろポーカーフェイスは得意な方で、俺の目なんかいくら見たって自分の姿が映るだけだっていうのに、この──この女は!
捜査していた腕の行方、言い当てられた復讐心。
とにかく動揺を落ち着けようと、汗ばむ手でポケットからタバコとジッポを取り出し、一吹きした。
タバコは俺を落ち着かせてくれる。
キャスター独特のバニラの香りが、少し鼓動を抑えてくれる。
「依頼人……あなたは……殺し屋かなにかで?」
やっとの思いで言葉を紡ぎ出すと、彼女もハイライト(タバコの銘柄)を取り出して吹かし始めた。
年寄りが好みそうな銘柄なことだ。
「ちょいと違うね。殺し屋とまではいかないさ。"半殺し屋"だ」
「半殺し……」
「殺害するのはアタシじゃなくて依頼人自身。アタシはあくまで、ターゲットの居場所を特定したり、希望の武器や薬品を調達するだけ。報酬はちょっとした金と──依頼人の命さ」
紗宵さんは麻雀牌の形をした灰皿にタバコを押し付け、火を消した。
俺はむせ返るような煙の匂いがしても、相変わらずぼけっと短くなったタバコを咥えたままだ。
「まぁ、依頼人を自殺させるって言った方が正しいね。人を殺めるなら、代償として自分を殺める。当然の等価交換さ。アタシはそのお零れとして骨を頂くってわけ」
「それを麻雀牌にしていた……と」
卓上にばら撒かれた牌ひとつひとつが、命だった。
144もの命だった物が、この狭い卓の上でひしめき合っているのだ。
萬子の2になった者、索子の1になった者、筒子の5になった者。
数分前まで、俺はその命だったものに触れていた──。
「九島さんは特殊な依頼だったよ……普通アタシのところに来るやつは大抵、復讐したい人間の居場所が分からないから調べて欲しいだの、毒薬で殺したいから調達して欲しいだの拳銃で脳天撃ち抜きたいだの、希望の殺し方を叶えるためにやって来る」
BGMのジャズが終わり、沈黙が流れる。
紗宵さんは立ち上がるとカウンターに戻り、レコードにスプレーをかけた。
「あの人は力が弱いから、夫が寝ている夜を狙うことにした。睡眠薬やスタンガンは使いたくないそうだからね。だがそうすると息子に気づかれてしまう。それを避ける為だけに私を頼り、命を絶った」
軽快なメロディーから一変、お洒落なバーに不釣り合いなモーツァルトの鎮魂歌(レクイエム)が流れる。
まるで九島さん──否、ここにある牌に追悼するように。
「あの人の骨は萬子の九にしたよ。"九島"だけにね」
卓の端に置かれた萬子の九は、確かに卓の上で、安らかに、眠っていた──。
面白い
画像|お絵かき|長文/一行モード|自動更新