悪魔の子

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1:苗:2019/09/04(水) 00:11

 じりじりと、アスファルトに日差しが照り付けている。私は木陰のベンチに腰かけ、近場のコンビニで買ったお握りとペットボトルを手に、ぼんやりとそれを眺めていた。
 否、実際に眺めていたのはアスファルトではなかったのだが。

 小さな子どもだった。まだ、小学生になるかならないか。伸びきったシャツに、色の剥げたピンクのスニーカーを履き、黙って座りこんでいる。かれこれ十分は経っただろうか。あと五分経ったら話しかけてみよう、私はそう決めていた。
 不意にスーパーの買い物袋を提げた男性が、子どもの傍らに立つ。
「おとうさん」
 途端、子どもの顔がぱっと明るくなり、男性の手を取り、足取り軽やかに去っていった。私はほ、と息をつく。

「――よかった。あの子は、悪魔の子じゃなかったんだ」


 夏の日差し、蝉の声、蜃気楼揺らめくアスファルト。
 私は、彼女の事を思い出していた。

2:苗:2019/09/04(水) 00:12

 タイル張りの古い廊下に、暖かな日差しが窓から差し込んでいる。新しい上履きで、私は背広の背中を追いかけていた。
 この人は私の担任の先生になる人だそうだ。確か名前はイシカワ先生、だった気がする。気がする、というのは、彼から直接名前を聞いたわけではなかったから。私は母とこの人との会話の中で、何とかその言葉だけを拾ったに過ぎない。
 思い返せば、私はこの人と一度も目を合わせて話をしていないな、と思った。子どものことがあまり好きではないのかな。それなのに何で先生になったんだろう。というより、この人とこれから先、短くても一年、私は学校生活を送ることが出来るのだろうか。そんなことをいろいろと考えながら、私は黙ってその背中を追っていく。と、不意に先生は歩を止めた。
「はい、ここが教室だよ」
 初めて先生の顔をまじまじと見た。黒子の多い顔に、窪んだ眼、眉間にはしわの跡が刻まれていて、きっといろいろ大変なんだろうな、というのが第一印象だ。
 教室に足を踏み入れて、驚く。机の列が多かったからだ。
 前の学校では一クラス十五人ぐらいしかいなかったが、ここにはその倍ぐらい居そうだった。そういえば、前の学校より建物も大きいし、校庭も広かった。迷子にならないように気を付けなければ。
 先生に促されて、教卓の前に立つ。先生がチョークを黒板に走らせる音が背中越しに聞こえている間、教室にいる生徒たちの六十もの瞳は私に集中していた。
「静岡から転校してきた、望月楓さんです」
「……よろしくお願いします」
 頭を下げる。背負っていたランドセルが、とても重たく感じた。

3:苗:2019/09/04(水) 00:29

「今度楓が行く学校ね、転校生が多いんだって。だから、あんまり珍しくないかもね」
 そんなことを母が言っていたっけ。言葉通り、朝の会が終わっても珍しがって私の近くにくる人はいなかった。よろしくね、とか、静岡って遠いんだっけ、とか。そんなことを聞いて足早に去っていく。私も緊張であまり上手な言葉を返せなかったし、少し寂しい気はしたけれど、それでちょうどいい気もした。
 周りから人がいなくなり、せめて近くの人に挨拶ぐらいはしようと、右隣りを見た。チクチク頭の男子が、同じような男子と会話に興じている。話しかけるのもはばかられて、左隣りを見た。
 思わず、声が出そうになった。
 とても、小さかった。130あるかどうか、というところ。まるでおばあちゃんみたいに背中を丸めて、じっと木目の沢山入った机と目をつき合わせている。私の目線に気付いたのか、その子はやにわに顔を上げた。
「……なに?」
 ぼんやりとした目は、本当に私が映っているのかわからなかったけれど、たぶんちゃんと見てくれていたんだと思う。一応、目が合ったから。
「あ、えっと、隣だから、よろしく」
「……うん」
「えー……と、名前」
「……ゆうら」
 ゆうらちゃん。
 私は、その名前を筆箱の中に入っていたメモ帳に書き留めた。

4:苗:2019/09/04(水) 00:30

「楓ちゃん」

5:苗:2019/09/04(水) 00:33

「え?」
「だったよね、よろしくね」
 薄い唇が、弧を描いた。少しぎこちない笑顔を不思議に思いながらも、私も笑顔で返す。
「うん、よろしく、ゆうらちゃん」

 そこから、私たちは友達になったのだ。

6:苗:2019/10/08(火) 00:16

 家から学校までは大体一キロと少し。学校は駅に近く、敷地外を出ると駅前にあるスーパーの袋を下げた主婦や、背中を曲げた中年男性や、色んな人が行き来していて、その中に私と彼女はまぎれていった。
「私も家こっちなんだ」
 嬉しそうに体を揺らすと、何かがしゃらり、と軽い音を立てた。音の元を見ると、色の剥げた鈴が傷の多いランドセルの横に、刺繍糸のようなもので下げられていた。
 なぜか見てはいけないようなものを見た気がして、改めて彼女を見る。
「もしかしたら、家近いかもね。どのあたり?」
「わたしはあっち」
 彼女が指差したのは、濛々と煙の上がる煙突だった。夕陽の橙に、灰色の水をにじませたようなその色は、少し不思議で、そして不気味だった。
 工場方面と、私の住む団地方面に続く分岐点である歩道橋で、手を振って別れる。歩道橋の上を歩くと、風が吹いて、夕日が私の体を包むようで、少し暖かい感じがした。
 ふと、橋の上で踵を返し、工場の方を見る。相変わらず煙突は灰色を吐き出し、暖かな橙を侵食していく。
 あの空の下に、彼女は住んでいるのだ——そう思うと、私はなぜか、先ほどまで隣で笑っていた彼女が、とても遠い人のように感じた。

7:苗:2019/10/08(火) 00:39

幕間

 しゃら、と音がする。手を引き戸にかけている。がらりと音がする。音を立てないように、閉める。どすどす、音がする。土みたいな色の足が、床を踏みつけている。
 こんな風に乱暴に使ったら、床が抜けちゃうよ。
「ただいま——も、——か、あ——」
 ぴーん。金属を鳴らされたような音がして、耳にぎゅっと指を差し込む。土色の足が、何かを言っている。何を言ったのかな。顔を上げると、熱かった。今度はごー、と音がして、膝から下が抜けたみたいに玄関に座っていた。脚とお尻がつめたかった。
 腕を引かれる。引きずられるようにしてあるく。靴のまま、床を踏む。私は軽いけど靴は硬いから、これで本当に床抜けちゃうかも、あーあ。


 ゆらゆら、天井が揺れている。とうとう家は壊れる寸前らしい。
 ひっくり返った亀みたいになりながら、私はランドセルのちりちり、という音と、ごー、という音を聞いていた。耳障りだったそれが、だんだん一つの音楽みたいになって、歌のようになった。
 私は亀なのに、音が聞こえるらしい。すごいから、土色に自慢しようと思った。

「もうやだ」

 また、顔が熱くなった。


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