親が反社会的勢力のせいでバイトができない

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1:匿名のギャング:2020/11/12(木) 23:35

期待の新人マフィア×根暗男子高生のBL注意な小説です。


*あらすじ
父が巨大ヤクザの元締めを務める深海珊瑚は、反社会的勢力に関わりがあるとして通算15のバイト応募に落ちていた。
そこで珊瑚は、父の血で汚れたスーツを洗濯していた経験を生かし、クリーニング屋を開くことに。
"持ち込まれたスーツがどんなに血塗れだろうと、決して理由は尋ねない"。
そんな珊瑚のクリーニング屋はヤクザ・マフィアの御用達となっていき…

2:匿名のギャング:2020/11/13(金) 12:38

「わ、悪かったよ、オマエらのモンに手ぇ出したのはよ、謝るから……許してくれぇぇえ!ミディスピアーチェ、ミディスピアーチェ!」
「お前の謝罪に、損失した10万ユーロ分の価値があるとでも? つーか……イタリア語ヘタクソ……」

新宿の夜の路地裏に、ひっそりと金属が弾ける。
アスファルトに倒れる男の命乞いは、銃声にかき消された。
男の息の根が止まったのを静かに見届けた青年は、まだ煙の立ち上る銃をジャケットの内ポケットに仕舞おうとして悲鳴を上げた。

「マジかよッ、この一張羅すっげぇ気に入ってたのに!」

イタリア製の1200ユーロ(15万円)した薔薇の刺繍入りジャケットに、薔薇ではない"赤"が跳ねていた。

「こいつ確かB型……ちくしょー、俺と相性の悪い血だぜ」
「だから言ったろチェスコ。ジャケット1枚買うのに苦労するような新人が、格好つけて任務に着てくるなって。血で汚れんのは分かってたことだろうが」
「けど安っぽい服なんか舐められるだけッスよぉ……」
「新人なんてそんなもんだ」

裏の世界で普段から上等な服を着ていいのは、血で汚れちまっても替えのスーツを沢山持ってる地位の奴に限るんだ。
もっとも、そんな地位まで登り詰めれば血で汚れるような仕事はそうそう回ってこねーけどな。

チェスコは、悟ったように語る中年の上司を見上げた。
くたびれたスーツはシワだらけだ。

20歳で"組織"に属して早20年、四十路に入ったにも関わらず、幹部どころか新人指導しか任されないという青年の上司。
"この世界"は年功序列ではない。

もっとも彼の場合、評価されないというより"新人教育"が天職過ぎて現場に駆り出されるだけで、待遇は悪くない。
現に彼は凄腕殺し屋やらマフィアのボスやらを何人も輩出しており、青年──チェスコも未来を期待された内の一人である。

「シミ抜き苦手なんだよなぁ〜。こうなったらクリーニング屋にでも持ちこんで──」
「馬鹿、こんなジャケットをカタギの店に持って行くな! 諦めて捨てるか……どうしても着たけりゃリンゴのアップリケでも付けてごまかすんだな。

上司の小粋なジョークにも笑えず、眉をひそめて不貞腐れる。
諦めきれずに何度も血のはねた裾を擦ったが、むしろシミはじんわりと広がり逆効果で、更に苛立ちが募る。

「どっかにねぇかな〜……どんな血塗れの服を持ち込まれても、決して理由を探らない。マフィア御用達のクリーニング屋……」

3:匿名のギャング:2020/11/13(金) 15:29





──私は反社会的勢力と関わりがないことに同意します。

明朝体で長々と綴られているバイトの誓約書に、レ点を付けけるのをためらう。

「あの〜……これってその……親がその……やく、ヤクザ……とか……って……」

男子高校生──深海珊瑚(ふかみ さんご)は歯切れを私悪くして尋ねた。

「あー……親御さん"ソッチ"の方……? 申し訳無いけど、揉め事を避ける為にも御家族の方にそう言った組織に属されている方は御遠慮頂いてて〜」
「で、ですよねー……」
(属してるっつーか、元締め……)

店長の口調は丁寧だったが、珊瑚は苦笑いの奥に嘲笑を見た。
そんな軽蔑を含んだ視線にも慣れてしまって、数年前までは俯いて戸惑っていた珊瑚も、現在では乾いた笑いを返す余裕ができている。

「すみません……今回はやめます……」
「申し訳ございません〜」

全然、申し訳なさそうな感じのしない空謝罪。
元々ダメ元で半ば諦めかけていた珊瑚は、深いダメージを負うことなく事務所を退出した。

4:匿名のギャング:2020/11/14(土) 19:44





「やっぱ無理だよな……"深海家"にいる限り……」

マフラーを巻き直して、ぬるくなったコーヒー缶をかじかむ両手で包んだ。
吐かれた白い息は薄暗い空を目指して上るが、儚く消えていく。



深海珊瑚には居場所が無い。

学校。
言わずもなが、避けられる。
どこから漏れたのか分からないが、悪い噂に敏感な主婦が言いふらした為に珊瑚は孤立。
あの子と関わるなと両親から釘を刺されたのか珊瑚と目を合わせる者さえおらず、教師もどこか萎縮した様子だった。

家庭。
"組長の息子"とあれば手厚く育てられるはずだが、珊瑚は正妻ではなく愛人との間にできた妾の子である。
愛人との間にできた子なんてこの世界ではそう珍しくもないが、八代目を狙う正妻とその子供の目が屋敷ですれ違う度に厳しく、珊瑚に継ぐ気はなくとも肩身が狭い。

そんな家庭から抜け出す為、高校入学からすぐにバイトを探し始めた。

そして今日、通算15回目の面接に落ちる。
気がつけば入学から1年が経とうとしていて、桜は蕾を付けていた。

5:匿名のギャング:2020/11/14(土) 23:17

「もうこの人生ダメだろ……バイトですら受からねぇのに就職なんか無理だし……結婚だって……」

もし万が一、僕なんかのプロポーズに泣いて喜んでくれるような恋人ができたとして。
相手のご両親へ挨拶に伺おうものなら、思いっきし殴られて、その後敷居を跨がせては貰えないだろう。
そうなると必然的に結婚相手はヤクザに理解のある裏社会の人間に限られてきて、僕はまた"普通の家庭"から遠のいていく。

──と、そこまで珊瑚が考えを巡らせた時だった。


「すみませ〜ん、珊瑚君?」
「ゑ」

優しい声色で話しかけられた珊瑚は警戒心も持たず、のろのろと振り向いた刹那だった。

「ゔお゛ゑっ!?」

右頬に強い衝撃を喰らったかと思うと、次の瞬間には電柱に左耳が打ち付けられていた。
電灯に群がっていた蛾が逃げる。

「あなた……達は……!」
「悪いね。恨みはねぇけど姐さんの頼みとありゃあ、ね」

気崩したスーツを纏う四人の男達は、一見仕事帰りのサラリーマンと並んでも何ら違和は無い。
しかしシャツから覗く鮮やかな刺青は、自身が裏社会に身を置く者だということを分かりやすいほどに主張していた。

「あの人の差し金かよ……ッ!」

自分の息子を継がせたいが為に邪魔者を消す正妻。
さながら平安時代の皇室のような激しい権力争いの魔の手が、一男子校生に伸ばされていたのだ。
修羅場は見慣れてしまった珊瑚だが、傍観者ではなく絡まれる側になると、恐怖で心臓が暴れ始める。

6:匿名のギャング:2020/11/16(月) 01:52

珊瑚は何とか立ち上がって逃走を試みるも、その行く手は増援の三人によって阻まれた。

「おっと残念、こっちにも三人いるんだよなぁ」
「ま、じかよ……ッ」

こんなことなら、裏社会とは関わらないつもりだから必要ない、なんて意地張ってないでちゃんと護身術を習っておくべきだった──なんてどうにもならない後悔が頭をよぎる。

「ちこーっと大怪我負ってくれりゃ殺さずに済むからよぉ、大人しくしててくれや」
「ゔあ゛ぁあ゛嫌だぁ! テメェがくたばれやぁぁあ!」

珊瑚はナイフ片手に歩み寄る男の首を目掛け、夢中でスクールバッグをぶん回す。
根暗な性格とはいえヤクザの息子、ドスの効いた罵倒と反抗は忘れない。

「お゛え゛っ!?」
「リーダー!」

辞書と参考書の詰まったスクールバッグの威力は思いの外強かったようで、男は汚い嗚咽を漏らしてその場に蹲った。
他の組員が怯んだその隙をつき、珊瑚は大通りを目指して駆け出す。

「くそ、靴が!」

すぐ成長するんだから大きめにしとき、なんて理由で少しブカブカなローファーは突然すぐに脱げ、その拍子に駐輪場へ激しくダイブしてしまう。
すぐに追いついた男達は自転車を一台引っ掴むと、アスファルトに這い蹲る珊瑚へ投げ飛ばす。

「ぐっ、あ……っ!」
「あの方の息子なだけあって、まぁ暴れてくれますわな」
「あんまり手こずらせんなや。俺らが忙しいの分かっとるやろ坊主!」
「ぅ、ぐ……っ」

学ランの襟を乱暴に掴まれ、首の痛みに呼吸が狭まる。

「もう口きけんようにしたろかァ? そうすりゃ組長の座は奪えんやろ、なぁ!?」

男は珊瑚の半開きの口に、使い古された折り畳みナイフの刃を捩じ込んだ。

「……っ!」

珊瑚は間一髪で刃先を噛み、なんとか刃の侵入を防ぐ。
しかし、このまま喉奥を貫かれるのも時間の問題だった。
唯一動かすことのできる眼球を精一杯動かし、刃より鋭い視線でサングラスの奥を睨めつける。
その瞳が光っているのは、街灯のせいだけではない。

「なんやその目はァ、ムカつくなァ! おいテメェら、ボーッとしてねぇで手伝わんかい! こいつの目隠しときや!」
「さーせん!」

経緯を静観していた残りの男達もその一声で動き出し、珊瑚の目を乱暴に押さえつけた。
歯茎から血が出るくらい強く噛んで口内への侵入を拒むが、刃は確実に喉奥を目指して進んでいる。

(くっそ、このままだと刃が──)

そして遂に、刃先が喉奥の口蓋垂へ触れた時だった。

7:匿名のギャング:2020/11/16(月) 19:37

「Ho sentito che le strade giapponesi sono pulite(日本の道路は綺麗だって聞いたんだが)」

聞き慣れない発音の言葉が、冬の乾いた空気をふるわせる。
思わぬ割り込みに野太い声は止み、代わりに革靴の尖った音だけが響いた。
繊細な薔薇の刺繍と赤いシミが裾を飾るテーラードジャケットを纏った金髪の青年は、ヤクザの群れへと躊躇うことなく歩み寄っていく。

「ゴミはゴミ箱、雑魚は墓……それが"この世界"の定め──だろ?」

今度は発音の完璧な日本語を、形の良い唇から紡ぎ出す。

「あぁ!? どういう意味──」

ナイフを手にしていた男が珊瑚の口からナイフを引き抜き、青年に突き刺そうとした瞬間だった。

「んぐっぅ!?」

ほんの数秒──瞬きをしていたその間に、男の口には青年の靴の踵が捩じ込まれる。
青年はジャケットのポケットに手を突っ込みながら、涼しい顔で踵を男の口内へとグリグリいたぶるように押し込んだ。

「てめぇ、ぐっあ……!」
「1000ユーロ(12万円)したフェラガモの革靴だ、味わえ。その汚ねぇナイフなんかよりよっぽど美味いからよぉ〜」
「しっ、渋崎ィ!」

どこで済んだのか分からないコケと靴墨の苦さに、男は顔を顰める。
いきなりのことで唖然としていた取り巻きも我に返り、頭に血を上らせて青年へ掴みかかった。

「このガキ! どこの組のモンだ!?」
「──俺はさぁ、ジャケットを汚されて今日は気分が悪ぃんだよ……不快なモン見せんな」
「質問に答えんかいこのボゲェ!」

青年は次々と繰り出される拳を慣れた様子でかわし、長い足を捌いて男達を軽く蹴り飛ばす。

「う、わ……」
「おいお前、ぼけーっとしてると死ぬぞ」

呆れたようにため息をこぼす青年に促されて、珊瑚はどうにかローファーに足を通して立ち上がった。

「に、逃げます逃げます!」
「じゃあ、ちょっとこれ被ってろ」

青年は素早くテーラードジャケットを脱いで珊瑚の頭に被せ、スラックスのポケットから小型のスプレー缶を取り出す。
珊瑚は突然暗くなった視界に取り乱した。

「えっ、えっ、なんでジャケット!? 前が……」
「目つむってろ。無駄に涙を流す羽目になるぜ」

そして小型のスプレーの側面をナイフで刺して穴を開け、男達が群がる中へと放り投げる。
缶の穴からプシューと勢いよく空気の抜ける音がして、霧状の粒子が宙を漂った。

「っあぁぁあ目がァアーァ!」
「さ、催涙スプレーか……!」

物理攻撃しか頭になかった男達は予想外の攻撃に対処できず、目を抑えてアスファルト上をのたうち回る。

「おい、ゴミ共が泣き喚いてる内にズラかるぞ」
「あぁ〜っ、数Aの教科書がぁぁあぁあ〜っ!」
「数学の教科書なんか放っとけ! 無くたってユークリッドは裏切らねぇ」

珊瑚は後ろ髪を引かれる思いだったが、青年に手を引かれて人影のない廃墟ビルへと逃げおおせた。

8:匿名のギャング:2020/11/17(火) 12:02

「はぁ、はー……ひ、酷い目に遭った……」
「災難だったなぁ学生さん」

ツタの絡んだ壁、ひび割れたコンクリートの地面。
音の反響だけはやたら良く、珊瑚の上がった息がこだました。
珊瑚は同じく結構な距離を駆けたはずの青年を見上げたが、呼吸一つ乱さず涼しい顔をしている。

「助けてくれて、ありがとうございます……」
「助けたわけじゃない。ジャケット汚されてイラついてた時に、調度サンドバッグ見つけたからストレス発散しただけ」

(サンドバッグ探してたなんて嘘だ。だったら催涙スプレーなんか使わずに、ただボコボコにすれば良い。僕を早く遠ざけるために……)

青年の意図が読めた珊瑚は、あえて口に出さず"そういう事"にしてやった。
この手の人は善行=恥ずかしいことだと思っている節があるのか、人を助けるのにも言い訳をしたがるということを珊瑚は理解していた。

「にしてもお前……ホンモノの"怖いお兄さん"達が地味なガキ一人をよってたかって狙うなんて普通じゃねぇぜ。まだ未来ある学生なんだし、"お遊び"も程々にしとけよなー」
「なっ、僕は何もしてない! 彼らを怒らせるようなことなんて何も……強いて言うなら、僕が存在すること自体が彼らを怒らせてるんだけどさ……」

珊瑚は瞳を曇らせる。
どうやら青年は、珊瑚がヤクザにちょっかいをかけて返り討ちに遭ったと誤解しているらしかった。
ヤクザだって暇ではないのだ、六人率いてたった一人の無関係な少年に絡むとは考えにくいので、青年がそう誤解するのも無理はない。

「あの人が……浅山紅葉(あさやま くれは)が息子を組長にする為に僕を消したがってるから……僕は、組長なんか目指すつもり全く無いのに……」

本来、組織の込み入った話を部外者──ましてや敵対勢力かどうかも分からない裏社会の人間に話すなんて正気の沙汰ではないが、組織がどうなろうが知ったことではない珊瑚は自分の鬱憤を吐くのが最優先だった。
こんな一高校生が抱えるにしては重すぎる境遇など、同級生にも先生にも、組員にも馬鹿正直に話せないのだ。

「僕なんかより本家の血を引く楓(かえで)君のが組長にふさわしいなんて分かりきってるのに……あのババアは無駄に慎重だから、僕みたいな芽ですら摘まなきゃ気が済まない……」

次第に弱々しい鼻声になっていき、珊瑚の目は充血していた。
珊瑚はそれほど多く語らなかったが、察しの良い青年は珊瑚が後継争いに巻き込まれているということをすぐに理解した。

「僕を襲ったあの人達だって、クソババアに命令されただけなんだ。仕事なんだよ……貴方に泣かされたけど」

珊瑚を気の毒だと感じ、心が痛まないわけではない。
しかし、部外者の青年が珊瑚にできることは無い。
せいぜい励ますのが関の山である。

「まぁ強く生きろよ。来月までなら日本にいるし、絡まれてんの見かけたら助けてやるくらいはできるけど」

この広い東京で、襲われている所をまた偶然通りすがるなんて無いにも等しい確率、約束しているようでしていないような、そんな曖昧な響きしかない。

9:匿名のギャング:2020/11/19(木) 22:32

「そんじゃあな〜」

青年は珊瑚の手からジャケットを奪うように取り返すと、靴音を響かせて背を向ける。
洋画のワンシーンと見紛うようなシーンに引き込まれていた珊瑚だったが、すぐ我に返って青年のジャケットを掴んだ。

「ま、待って!」

絞り出した声はブレている。

「なんだよ、怖くて一人じゃ帰れねーってか?」
「それもあるけ、ど……」

珊瑚を襲った組員の残党が徘徊している可能性もあって一人で歩きたくないというのも本音だったが、それ以上に恐れていることがある。
珊瑚は青年の進行方向に先回りして行く手を阻むと、勢いよく頭を下げた。

「一晩で良いんで、泊めてください!」
「……は?」

青年の怪訝そうな声に珊瑚はビクリと肩を震わせたが、それでも引き下がることなく頭を下げたまま「お願いします」と消え入りそうな声で懇願した。

「なんで俺が……」
「このまま屋敷に帰ったら殺される……財布にネカフェ泊まれるくらいのお金ないし……」

泊めてもらえるような友達もいないし、と余計なことまで言いそうになった口を結ぶ。
青年の迷惑そうな顔に目頭がじんわり熱くなったが、それでも珊瑚は食い下がる。

「金やるからネカフェにでも行け」
「僕制服だから補導される……」
「じゃあお巡りさんに助けてもらえ」
「無理だよ、屋敷に戻される! 警察は殺された後にしか動いてくれない! 僕が命狙われてますなんて言ったところで、信じて貰えないんだ!」

家族から命を狙われるという過酷な境遇を背負う16歳は限界を迎えていた。
気まぐれとはいえ、颯爽と救ってくれたヒーローから離れたくない、依存したい、守ってもらいたい。
やっと味方になってくれた存在だから。
甘ったれた考えだとは承知しつつも、止められない。

野宿でもしていろと突き放そうとした青年だったが、この寒空の下、チンピラがいるかもしれない中放り込んでしまえば罪悪感で眠れなくなる気がして、諦めたようにため息を吐いた。

「……一晩。一晩だけお前に安心を保証してやるよ。このチェスコ様が」

10:匿名のギャング:2020/11/22(日) 01:30






チェスコと名乗った男の部屋は、派手な見た目に反して地味だった。

「ま、適当に寛げよ」

珊瑚が通されたのは小じんまりとしたマンスリーマンションの一室で、小綺麗ではあるが少々年季が入っている。
備え付けの地味な家具と申し訳程度の日用雑貨、二着のスーツがハンガーにかかっているのみで、生活感はあまり無い。
雨風凌げる寝床として機能してくれればそれで良い、というような拘りの無さを珊瑚は感じた。

「割と……物ないんですね。派手なスーツ着てるから、部屋も派手だとばかり……」

失礼だと思いながらも、珊瑚はソファに座ると落ち着きなく部屋を一瞥する。
黄みを帯びた白熱灯が暖かい。

「まぁ日本に長居するつもり無いから物は最小限ってのもあるし、下っ端の報酬じゃ贅沢は出来ないってのもある」
「えっ、下っ端!? こんな高そうな服着て、強いのに……」
「それが狙いだ。下っ端だって悟らせないよう、一応品のある格好は心がけてるつもり。ま、このスーツはお陀仏だけど」

チェスコはジャケットを脱ぐと、およそ15万円した代物の扱いとは思えないほど乱暴に床へ放り投げた。
深紅の繊細な薔薇の刺繍の横に、楕円形の赤い飛沫が咲いている。

「えっお陀仏って……」
「あぁ、捨てる。俺B型の血が大嫌いなんだよ。B型のヤツとはどうも相性が悪い」

そうジンクスを語るチェスコは未練を吹っ切たのか、ネクタイを緩めながら淡々と告げる。
安くないとはいえ、いつまでもジャケット一枚に執着していると器の小さな男になってしまう。

「何ジロジロ見てんだよ」
「あの……このくらいなら僕でも落とせるかもしれないです」

珊瑚はフローリングにくたりと横たわるジャケットを拾い上げると、口角を釣り上げて微笑んだ。

11:匿名のギャング:2020/11/24(火) 00:14



「まず、血っていうのはタンパク質を含みます。タンパク質はお湯で固まるので絶対にお湯で洗っちゃダメです。水に浸すんです」

珊瑚はジャケットを広げて洗濯表示を確認すると、洗面器に水を張り、血が滲んでいる箇所をゆっくり浸した。
洗面器の水はほのかに赤みを帯びていく。

「なるほどな……お湯こそ最強だと思ってた」
「皮脂なんかの汚れはお湯がいいんですけど、血は冷水が良いです」

珊瑚が慣れた手つきでシミを丁寧に叩くと、赤黒い血がゆらりと水面へ浮き上がった。

「幸い付着してた時間が短かったのでほぼ落ちました。 薄らと残った部分は酸素系洗剤に頼ればなんとかなります」

歯ブラシ1本と粉洗剤だけが鎮座するシンプルな洗面所に酵素系洗剤があるはずもないが、ドラッグストアは遠くない。
匿ってもらった礼がてら後で買いに行こうかと珊瑚が思案していると、チェスコが感心したように横から覗く。

「へー、見事なものだな」

その眼差しは尊敬が入り交じっていて、珊瑚は大したことしていないのに……と申し訳なさとくすぐったさで身を捩った。

12:匿名のギャング:2020/11/25(水) 00:21


「別に……このくらいの血のシミ抜きなんか誰でもできるし……」
「いーや、俺には出来なかった。だから"誰でも出来る"は違う。少なくとも俺の前では誇っていいぜ」
「……ありがとう……」

謙遜する日本人の態度に慣れているのだろうか、"俺の前では誇っていい"という言葉が珊瑚の胸にすとんと落ちる。
不思議なくらいにもたらされる安心感。

チェスコがジャケットを窓際にかけて干している間に、珊瑚の意識は8年前へとタイムスリップしていた。




"貴方、どうせ継ぐ気ないんでしょ。なら家政婦の真似事でもいいから家事手伝いなさい"

8歳の頃"クソババア"こと紅葉に気圧されて嫌々始めた屋敷の洗濯係。
竹籠へ無造作に積まれたシャツやタンクトップは赤い血染みを作っていることがしばしばあり、珊瑚は悪戦苦闘しながらも落とし方を調べ、一着一着丁寧に洗った。

アイロンがけも習得し、組員がシワひとつない衣服に袖を通すのを見届けるのが珊瑚の楽しみになっていた。

「やるじゃねぇか、珊瑚!」

組員からの反応も良く、刺青だらけの大きな手で頭を少し乱暴に撫でられる瞬間が珊瑚は好きだった。

洗濯係として貢献すれば、紅葉からの当たりも和らぐのではないか。
8歳の珊瑚はそんな淡い期待を抱いて、縁側を通りがかる紅葉に干した衣服を見せた。

"紅葉さん、見てください! 僕、一人で血のシミを落とせるように……"

しかし紅葉は、珊瑚の弾んだ声色をぴしゃりと遮る。

"──当たり前です、このくらい出来て当然。世の女性は毎月やってるんですよ"

余計な時間を取らせるなと言わんばかりの早足で、楓を連れて中庭を突っ切っていく。
砂利の音がざくざくと耳を刺す。

彼女の着用している光沢の美しいシルクのブラウスと息子の楓が着ているキャラ物のTシャツは、プロのクリーニング屋が仕上げた物だった。
目に痛いくらいの白さ。

(結局、僕がやっていたのは所詮"おままごと"で……組員の人達も気を遣って褒めていてくれただけなんだ)

風にはためく組員の衣服から香る淡い柔軟剤の匂いに、鼻の奥がつんとしたのを珊瑚は今でも覚えている。

13:匿名のギャング:2020/11/26(木) 01:10

「おい、どうした」

チェスコの不審がるような声に、8年前へトリップしていた意識が浮上する。

「あ……洗濯のことでちょっと、昔を思い出して……」

声帯を絞ってやっと出せたのは、蚊の鳴くような鼻声だった。

紅葉の仕打ちに対する悲しみなのか、チェスコに褒められた嬉しさから来る嬉し泣きなのか。
単に悲しみや苦しみに潰されるよりも、二つの感情に板挟まれる時の方が胸は苦しくなる。
珊瑚は泣きそうなことを悟られないよう軽く深呼吸をし、迫り来る嗚咽を隠した。

「昔のことって……15、16歳の癖にオッサンみたいなこと言うなお前」

既にそこらのオッサンと同じくらい濃密な人生を過ごしてきた16歳は、冷蔵庫を漁るチェスコの背をぼんやりと眺める。

「飲み物、ドクペしかねぇけどいいよな?」
「えっ、こんな夜更けに!? 僕は水でいいです」

14:匿名のギャング:2020/11/28(土) 23:28




──時を同じくして浅山家 屋敷。

畳の香る上品な和室に、ししおどしの音色が響く。

朱色のワンピースを着た中年の女性と学ランを着崩した少年が、凛とした佇まいで、高く積まれた縮緬の座布団に座っている。
そしてその2人を、刺青をしたガタイの良い男達がひれ伏して囲む。
中央に君臨する二人こそ、浅山会組長の正妻、浅山紅葉(あさやま もみじ)とその息子 楓(かえで)である。

「どういうことです……? 男子高校生相手に6人がかりで手こずるとは……」

紅葉の憤りを含んだ、不機嫌そうな、呆れたような声色は屈強な男達でも顔をこわばらせるほどの威圧がある。

「じゃ、邪魔が入ったんですよ! 外国人の男が……」
「邪魔ですって……?」

紅を引いた唇は、悔しげに引き結ばれていた。
血を貪り啜ったような赤い口元に、思わずガタイの良い男も震え上がる。

「珊瑚の奴を手にかけようとした所で、いきなり外国人の男が催涙スプレーを……!」
「お黙りなさい!」

上品な佇まいからは想像できないほどドスの効いた声に気圧された男は、歯をカチカチと鳴らして退いた。
ライオンを前にした子うさぎ。

「理由はどうであれ、珊瑚の始末に失敗したことは事実。モタモタしていると珊瑚を取り逃します。まぁ着の身着のままの高校生に出来ることなんて限られているから、そう遠くへ逃げられないでしょうけど……」

紅葉は煙管をふかし、唇の隙間からため息をつくように煙を吐いた。

15:匿名のギャング:2020/11/30(月) 23:28

「必ず楓を組織のトップにするのです。楓はあんな妾の子より頭も良いし、武術にだって長けている。どちらが相応しいかなんて、一目瞭然──」
「母上!」

早口で流れていた紅葉の言葉が、突如せき止められる。
その声の主は、それまで大人しく静観していた楓のものだった。

「もういいでしょう、珊瑚への迫害は」

沈黙を破るように、ししおどしが落ちた。
紅葉は予想外の発言にフリーズしたのか、瞳孔を開いたまま楓を凝視している。

「珊瑚はボクと組長の座を争うつもりは無いと言った……後ろ盾も力も無い彼を放っておいたところで、危険因子になるとも思えません」
「っ……貴方は跡継ぎ争いの過酷さを舐めている! アイツはそうやって油断させてるの! そんな甘い考えでいたら珊瑚に組長の座を奪われるわよ! それでもいいわけ!?」

紅葉は吐き捨てるように叫ぶと、勢いよく立ち上がって襖を力任せに開いた。

「奥様!」

ずかずかと縁側を突き進んでいく紅葉に続いて、組員もぞろぞろと参勤交代よろしく後を追う。
一人残された楓は、ししおどしを虚ろな目で眺めながら独り言を呟いた。

「どうせオレは、一生兄貴に勝てない……」

学校の成績も運動神経も容姿も、何一つ珊瑚に劣るはずのない楓だが、なにか珊瑚に負けたのか悔しさで顔を歪めている。
それは誰にも見せたことの無い顔だった。

16:匿名のギャング:2020/12/03(木) 16:27







設定しておいたスマホのアラームが、ぼんやりと覚醒しきれていない耳に入る。
珊瑚は気だるさに抗い、充電ケーブルに繋がれたスマホを操作して身体を起き上がらせた。

「6時……」

幸い学校の無い土曜日なので二度寝をしても問題は無い。
しかし、いつもの起床時間に身体が慣れてしまって再び眠りにつくのは無理がありそうだ。
薄いブランケットを敷いただけの雑魚寝のせいで寝違え気味だが、珊瑚は深く気にせず伸びをした。

「んだよ、もう起きたのかよ……」
「あ……おはよう、ございます……」

珊瑚の設定したアラームで目が覚めてしまったチェスコは不機嫌そうに顔を顰めたが、すぐにタオルケットを被り直して二度寝へ戻る。
エアコンで暖かいのをいいことに一糸纏わぬ姿で寝ているようで、程よく筋肉のついた脚が放り出されている。
ベットのスプリングが軋んだ。

(なんか欧米人ってやたら裸で寝るよな……男とはいえ気まずいし目のやり場に困る……)

「なに見てんだよ。飯なら冷蔵庫から勝手に食えば」
「えっ、あ、はい……」

朝食の催促だと勘違いしたらしいチェスコは、枕に顔を顰めたまま曇った声を出す。
珊瑚はチェスコに言われて初めて、自分が空腹であることをようやく思い出した。

スカスカの冷蔵庫から消費期限切れの食パンを一枚取り出し、トースターへ入れずにそのまま咥える。
乾燥気味でパサパサしており、決して美味しいとは言えないが、この際腹を満たせれば不味くても構わない。

充電ケーブルから画面の割れたスマートフォンを引き抜くと、親指をホームボタンに乗せてパスコードを解除した。

(昨日のゴタゴタで画面は割れてるけど、ネットに繋がりさえすれば勝ちだな)

ブックマークしていた有名都市銀行のサイトを開き、ネットバンキングのログインページへ飛ぶ。
いつか使えるかもしれない、とこっそり浅山紅葉のお客様番号とパスワードを入手していた珊瑚は、英字キーボードを慣れた手つきでタップした。
秘密の質問も、彼女の溺愛する息子に関するものに絞って入力すれば良い。
三回ほど入力した所で、あっけなく"浅山紅葉"名義の口座が開かれる。

「8万……」

ゼロが六つ並ぶ残高に、珊瑚は小さくガッツポーズを決めた。

17:匿名のギャング:2020/12/04(金) 10:58

>>16
訂正 ゼロが4つ

18:匿名のギャング:2020/12/05(土) 15:18


二年前、この時代持っていて損は無いということで浅山紅葉が一応ネットバンキングを開設したものの、8万を入金したきり使われていない口座がある。
マネーロンダリングの経由に使えるかもしれないと踏んで作ったはいいが、いちいちパスワードや番号や秘密の質問を入力することが多すぎて面倒との理由で放置されていた。

スマートフォンの画面に向かって『しゃらくせェこのボゲェッ!』と怒鳴り散らす紅葉の姿を、珊瑚は鮮明に覚えている。

「ちょっと早いお年玉もらっとくよ、クソババア」

どうせ何をしたって命を狙われる羽目になるので、何も怖くなくなった珊瑚は8万を自分の口座へと振り込む。
全財産8万ではまだ少し心もとないが、一文無しの素寒貧よりは大分楽になった。
住所不定を回避できれば職も探しやすくなる。

「可愛い顔して意外と悪い男だな……腐ってもヤクザの息子か」
「うわぁぁぁゴッフォ!!!」

突如背後から覗き込むようにして現れたチェスコに驚き、珊瑚は咥えていた食パンを喉奥に詰まらせて激しく咳き込んだ。

19:匿名のギャング:2020/12/06(日) 01:45


「に、二度寝したんじゃ……!?」
「お前のせいで目が覚めた」

チェスコは顔にかかった綺麗なブロンドの髪を、ふーっと気だるげにひと吹きした。
ふわりと一筋の金髪が揺れる。
ベットから降り、水が半分入ったペットボトルを引っ掴んだ。

「お前、スクールは? 学生じゃねーの?」
「あぁ……なら今日は高校は休みです」
「ふーん」

チェスコはペットボトルのキャップを片手で開け、唇へと押し当てる。

(ジャポーネの高校って確か16歳からだよな……ってことはコイツは少なくとも──)

「ブ──ッ! おま、まさか16歳!?」
「そうですけど?」

口に含んでいたミネラルウォーターを勢いよく吹き出し、今度はチェスコが激しくむせる番だった。

「んなっ、その顔で酒飲める年齢だったのかよ! 13、4歳くらいのガキかと思ったぜ……」
「ガキ!? 酷い! あと日本はお酒20歳からです!」
「なるほど……日本人の寿命が長いのは老化が遅いからなのか! だから酒を飲んでも良い体になるまで20年もかかる……」
「チェスコが欧米人だから見慣れないアジア人の年齢が分からないだけですよ……」

20:匿名のギャング:2020/12/14(月) 11:10



そんな他愛無い話をしていると、ピンポーンと音割れ気味の呼び鈴が鳴った。
ドアが3回ノックされ、男性の流暢なイタリア語が流れる。

「あぁ、アルタさん……」

チェスコは床に脱ぎ捨てられていたシャツとスラックスをひっ掴み、素早く着用した。
ドアスコープを確認して知り合いの姿を認めると、チェーンを開けて中年男性を迎え入れる。

「Ciao Chesco. Hmm? Chi è questo ragazzo?(やぁチェスコ。ん? 彼は誰だ?)」
「ひっ」

珊瑚は男性の姿に、思わず悲鳴のような声を漏らした。
薄手のワイシャツには赤い斑模様が付着しており、カーキ色のスラックスにもベットリと赤黒い血が染みている。
錆びた鉄のような匂いが、ムスク系の香水の匂いと混じって珊瑚の鼻を刺す。

「Raccolto.Figlio del capo della Yakuza giapponese(拾った。"ジャポーネ"のヤクザの息子)」

珊瑚は辛うじて聞き取れたジャポーネとヤクザという単語から、自分の紹介をされていることを察した。


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