人は誰しも夢を叶える力――"悪魔"を心の中に飼っている。
大抵の人間はそれを抑えながら生き、死んでいく。
しかし時として悪魔と契約する者がいる。
大抵は歴史に名を残し、数奇な運命を辿って死んでいく。
「皆さん、パガニーニというバイオリニストがいたんですね」
話を聞いているんだか聞いていないんだか、自分でも分からないくらい上の空だった。
一時限目の歴史の授業はまだ眠気が邪魔をする。
尻は痛いし、ストーブもねぇし、生理痛で腹は痛いしで、一秒でも早く終われと思いながら黒板を眺めていた。
「このパガニーニは人間離れした超絶技巧の持ち主だったため、悪魔に魂を売ったという噂まで流れたんですね。そのせいで死後、教会に埋葬を拒否されてしまうほどでした」
「え〜ひでぇ」
「所詮噂っしょ?」
「実際に魂を売ったかは分かりません。が、晩年のパガニーニは病気により悪魔のような形相だったと言われているので、余計怖がられたのかもしれないですね。うちはミッション系の高校ですから、その類の資料も多いと思います。気になる人は調べてみてください」
そういえばうちの学校は所謂ミッションスクールというやつで、宗教色がやや濃い校風となっている。
入学時には全員に聖書の配布がされるし、立派な礼拝堂が設立されていたりする。
かといって全員が全員熱心な教徒というわけではない。
私みたいにやむを得ず入学した者や、適当に入ったらミッション系でしたーっていう教えに関心のない人も結構いる。
今にも眠ってしまいそうなくらいぼけっとした頭でそんなことを考えた。
生理特有の眠気にうつらうつらしていると、突然バンッと机が叩かれる音がした。
目の前には爪に手入れの行き届いた長い指があって、視線を上げると黒ぶちメガネのレンズ越しに目が合った
「芝塚さ〜ん、眠いのは分かりますがしっかり聞いてくださいね。罰として放課後礼拝堂の掃除をしてください」
「ぅあ、はい……」
眠気はスッと引き、気が付いたら反射的に頷いていた。
やたら広くて掃除する場所の多い礼拝堂は、掃除罰の中でも最も重い。
迂闊だった。
この先生は居眠りしたらやたら掃除させたがることを忘れていた。
「はい、じゃあもうそろそろ授業終わりますね。次の時間の準備をしてください」
朝からツイてないなと肩を落とし、机に突っ伏した。
ウチの高校の礼拝堂はやたらでかくて仰々しい。
年に数回くらいしか使うところを見たことがないパイプオルガンや、ところどころ嵌められたステンドガラスは学校の設備の域を超えている。
正直こんなの作るくらいなら教室にエアコン付けろよと思うが、神様至上主義な校風なので期待はしていない。
「……で、お前は何して礼拝堂に?」
「あぁ、芝塚冥か。ボクは悪魔を崇拝する!と宣言したら物凄い形相で憤慨され、礼拝堂の掃除を命じられた」
「お前まだそんなこと言ってんのか……」
モップ片手に飄々と武勇伝を語るこの男、田中太郎は生粋の厨二……否、"廚弐病"患者だ。
中学の同級生で、出会った1年の時にはもう既に悪魔崇拝やら呪術やらに傾倒していた。
そして『悪魔への崇拝を深めるにはまず神の教えの理解から』という理由でこの学園へ入学したらしい。
よくこんなんで面接通ったなと未だに疑問だ。
「そういう君はまだ暴力沙汰か?」
「またってなんやねん、またって。私がいつも人殴ってるみたいに言うな」
この学校で唯一私の過去を知る田中には、変な噂を流さないか常に警戒している。
まぁ漫画とかでよくある、"人を殴って退学"だ。
でも私は別に何かを守ろうとしたわけでも、誰かを庇ったりしたわけでもない。
完全に――自業自得、だ。
まぁ田中は悪魔以外に興味は無いようだし、人に噂を流す気配はない。
変な奴だけど、悪い奴ではない……のか?
「前から思ってたけど、悪魔の何が良いわけ?」
なんとなく沈黙が気まずくて、私は雑巾を絞りながら何んとなしに言ってみた。
……が、その何んとなしが田中に火をつけてしまったようで、田中はモップを動かす手を止めて矢継ぎ早に語り始めてしまった。
「それはもちろん、神という絶対的存在への反逆が美しいからだ!多くの人が崇拝する神……それは本当に正しいものなのか僕は問いたい!」
「あ、そ……」
自分で質問しといてなんだけど、予想を遥かに超えた崇拝ぶりに若干引き気味だ。
もっとこう、厨二病らしく『かっこいいから』という理由かと思ったら割と真面目?に神への懐疑の念があるみたいで笑えない。
「
「まぁ、つまり結局――"カッコいい"からだ!」
「ですよね〜〜!」
結局そこに行き着いてくれて安心したよ私は。
やっぱ期待を裏切らねぇや。
「それに、この辺には悪魔を呼び覚ます魔法陣の刻まれた石板が眠っているらしいからな。ここに入学したのはその調査も兼ねている」
「はぁ? なにそれ……」
彼の厨二具合は右手の包帯が物語っているが、まさかここまで患っているとは……。
田中はステンドグラスの先をどこか遠い目で見つめながら、ぽつりと語る。
「その魔法陣は人の渇望や恨み、妬みなど強い想いに反応して悪魔を召喚すると言われている」
「バトル漫画のありきたりな設定じゃん。もっとマシなの考えろよ」
「ボクが考えたんじゃない! この学園の旧校舎にある資料室の文献に記されていたものだ!」
「へー文献」
おおかた田中みたいな"患ってるやつ"がそれらしいノートに禁断の書みたいに作って意味ありげに資料室に置いたんだろ、と言おうとしたが、喉奥で潰した。
患者には優しくしないとな……という哀れみがそうさせたのだ。
夢を壊しては気の毒だと思い、私は相槌だけ打ってバケツを片付けた。
「その顔は信じてないなッ! 悪魔の石板は本当に――!」
「ぎゃーやめろ! 汚水が飛ぶ!」
私の適当な態度が気に障ったのか、田中がモップを振り回した時だ。
「こらぁぁぁ! 田中君なにしてるの! 真面目にやりなさい! 罰として2人とも30分延長よ!」
「ああああああ゛っ!」
「はぁぁぁぁぁ!?」
聞き捨てならない発言に思わず持っていたバケツが落ち、激しい金属音がごわんごわん響いた。
タイミング悪く先生にモップを振り回している田中が見つかってしまい、連帯責任による追加罰で下校時間が遠ざかっていくのだった……。