いきなり何の話かと思うかもしれませんが、そもそも「勉強」とは何でしょうか?
「物事を覚えるための作業」でしょうか?
確かにそれも間違ってはいません。しかし、それは本質ではありません。
「勉強」とは「物事を覚えられる環境に身を置くこと」なのです。
例えば、あなたは日本語の読み書きは普通にできていますよね。
少なくとも外国人が日本語を習得する上で難しいと感じること(「は」と「が」の違いとか)は、いとも簡単に使いこなすことができます。
我々の感覚からすればこれらのことは「いつの間にか」「勝手に」身に付いていたものです。
なぜなら、我々は生まれたときから日本に住んでいて、そこから何年も日本語しか使わない環境にいるわけですから、身に付いていて当たり前です。
当たり前すぎて勉強をしたという感覚さえありません。
しかし、それはその感覚がないというだけで、我々は日本語を習得するためのあらゆる経験をたくさん積んできているのです。
本を読んだり、テレビを見たり、人と話したり、起きている時間のほぼ全てを日本語と共に過ごしてきたのです。
これって無意識なだけで、よくよく考えてみれば途方もない修行だとは思いませんか?
つまり、あなたの地頭の良さというのは、あなたは既に学校での学びを記憶できる何らかのルーティーンに身を置いているのであって、勉強はきちんとできているのです。
ただあなた自身もそれが何なのか気づいていないだけなのです。
それが何なのかは私にも分かりませんが、それを「地頭が良い」とか「才能」だとかで片付けてしまうのは、そのご友人の単なる分析不足なのです。
実は脳にとてもよい食事や睡眠が「無意識に」できているのかもしれない。
脳科学的に記憶に定着しやすい何らかの思考作業を「そうだと知らずに」授業中にできてしまっているのかもしれない。
考えようと思えばいくらでも考えられることです。
理解出来ていないのなら申し訳ないのですが、そういったことが無意識的にできるのが「才能」「天才」と呼ばれるのではなのではないでしょうか…?
自分でも気づいてない=自分がどうやって勉強しているか分からない。おそらく地頭がいいと言われるのはそれを私が気づいていないから、言語化出来ていないからなので私にも責任はあるでしょう。
友達に「家でどんな勉強してるのー?」と言われれば私は「なんだろう…?特にないかな…………」みたいに答えます。これを聞けば才能があると思われるのも仕方ないですよね…。
文句ばかり垂れてすみません。
でも自分も勉強していると考えれば少し気が楽になりました。ありがとうございます。