もちろん高水準の英会話技術を備えるに越したことはないわな
だけども学校教育上の意義を孕むなら、ダンスやら英語やらの社会注目の変遷に左右された形の単調な必修科目の量産より、
国語や日本史の「本来の意味」での高等教育化復権への着手のほうが、「必修」を要している現状だと思う
>国語や日本史の「本来の意味」での高等教育化復権への着手
で、その「日本史」の方なんだが‥
『縄文→弥生→飛鳥→奈良‥』の順でやらなくても良いと俺は思う。
どーせ、その時分の資料なんて曖昧だったりいーかげんなんだし;
もしも俺が社会科の教師だったとしたら、「応仁の乱」以前は最初の
学期始めの1、2時間目でダイジェスト版風にサラーっと流しちゃって、
以降の戦国時代あたりから本格的な授業を進めてゆくんだけどな〜‥って思う(笑)