平和とは一瞬の連続の中に人間が精神的な安らぎを覚えることであって、
戦場の中心であろうと、その人物が安らぎに満ちた安定した状態ならば
それは平和であると考える。
ただし、集団の平和となってくると話は違う。ワイマール憲法から始まって、
日本の憲法で言うと確か第二十五条第一項だったと記憶しているが、
人間が人間である限り、お互いに干渉しない繋がりのある生活を
生存権に許可されて営んでいるに過ぎない。
逆に、平和ではない状態とは、人間と人間が関わった場合に発生する不安定な状態であるとも言えるだろう。
愛の反対は無関心だという言葉があるが、これは正しいと私は考えている。
つまり、人間は平和である限り何もできない。無関心を貫く平和と決別しなければ、
平和を捨てなければ人間は愛を、人間らしい生活を手に入れることすらままならないのだ。
人間が思考とモラルを捨てない限り本当の平和は訪れる事はない。
しかし、決して平和ではないこの瞬間こそが
もっとも人間らしく、未来へ繋がってゆく瞬間なのではないだろうか。
必ずしも平和を求める必要はない。否、必要とされていないのだ。
すでに平和は人類にとって廃墟のような存在となってしまったのだろう。
これが平和についての私の見解である。
ちなみにオレが考える“自由”とは「不自由からの解放」である。
で、この理屈の延長線上に於いて“平和”とは、「争乱が鎮静化した時」なのだと考えるワケだ。
一方で“何のモメ事も起こらない状態”は‥単に「フツーの日」と認識されるのでは無かろうか?