そもそも日露戦争ってのは強大なロシア帝国が不凍港(ふとうこう:流氷に埋め尽くされない軍港)
の占領確保を意図して南下政策をとった事に起因しているのだから、我が国にとってこれはまさに
“皇国の存亡を賭けた防衛戦争”であり、その侵略行為を奇跡的に撃退出来たワケだから
当時の日本にとっての“勝利目標”は充分に達せられたものと考えて良い。
儲からなかったから国民の不満がどーたら‥ってのは、たぶん違うと思うな。
この戦争でアメリカが日本に肩入れをしたのは、ロシア海軍の本格的な太平洋進出を一時的にでも
足止めさせたいと考えたからに他ならない。
当時の欧米の認識として、まさか日本海軍がバルチック艦隊を全滅させて勝利するなどという事を
予想した者は誰一人として居なかった筈だしね?
>>30
ちなみにキミ、1905年に不発に終わった「桂・ハリマン協定」なんぞを例に出したりする以上は、
こちらは正式に発動された1917年の「石井・ランシング協定」の事も当然知ってるよな?
そこではアメリカ側は日本による満鉄の特殊権益を認めているぜ?
国民の不満がうんぬんじゃなく日露戦争での莫大な借金が国の財政を圧迫してたのがまず一つのきっかけになったってことだよ。なにせこの借金返し終わったの太平洋戦争後だからな?
しかもその石井ランシングは曖昧な表現で終わった上に破棄されるアメリカ側という。
そうだね。「ユダヤ系」だけどね。
その時は既にアメリカ人だったはずだと思う。
日本人が戦争で儲かったと実感したのは第一次世界大戦のときじゃないかな。日露のときはまだ思ってもなかったはずだよね。
>>38