いじめ関係の議論の過去の遺産(良スレ)を読んでいろいろと思うところがありました。
「いじめの定義」
もし「被害者が苦痛に感じ、いじめと思えばいじめである」のであれば、私を含めた鈍い連中にとって運動会はいじめであったに違いない。
いじめの定義を考えた時に、被害者の被害感情ばかりに思いやり最大限の配慮をしていて、できるだけ理性的に「いじめに当たらないモノ」を排除し、適切にじっさいの現場で運用するためという視点に欠けるように感じる。大人たちがいじめられっ子の為を思い、いじめの定義の輪郭を膨らせて、その閾値が低下させ、本来ならいじめに含まれないものまで含めることにより、結果として当初の狙いとは裏腹に「いじめられっ子も悪い?」という議論を起こす原因の一端になったと考える。そこで、いまいちどきちんといじめを定義し直したい。なお、ネットの性質上、いつまでも未完成ですから、皆さんのお知恵をお借りして少しでも完成系に近づけていければと考えています。
・力関係に差のある間柄において一方的に行われる加害行為であること(力の差であるから、したがって、単数複数は問わないし、攻撃が当事者間を行き来し、応酬する諍いの類いは根本的に違うものとする)
直近な喩えでいえば、単数のジャイアンに複数のスネ夫とのび太が結託してジャイアンを攻撃したところで、それはダメージにはあたらないように。
・単発ではなく、反復的に行われる加害行為であること。故意(悪意)があること。(その行為が偶然や単発の思いつきによるものでなく、明確な故意によって行われたものであることをわかりやすくするために)
・・・こんなところでしょうか?
ごめんね、時間差こそあれど‥オレはこれまでの時間「真田丸」を観ながら書いていたので
キミのレスを読んでいなかった。
とりま例によって、キミの認識は妥当であると感じているよ。
そして特に、
>もし「被害者が苦痛に感じ、いじめと思えばいじめである」‥(略)‥大人たちが
いじめられっ子の為を思い、いじめの定義の輪郭を膨らせて、その閾値を低下させ‥
についての指摘には大いに同感。
うん、まさにその陳腐な呪文が本来のメッセージ受信者(教育者・管理者)以外の者の
共有認識となってしまう事が、逆にイジメの本質を見誤る原因の一つとなっている
事なんかも、是正すべき課題であるとオレは思うんだよ。