さび抜きさん、スレ立ち上げと、軌道修正役の司会進行ありがとうございます。
でも、『こうあるべき❗』は少しユルメテ頂かないと、自由で既成概念から外れた、新たな発想や着眼点がこぼれてしまいそうです。←(全く話題逸れますが『理系』でらっしゃいますか⁉)←今後、読みすすめるにあたっての予備知識として。←失礼。
なるほど‥言われてみれば確かに、細かい説明抜きに“剛腕進行”されちゃうと
自由な意見は書き込み難くなるのかもしれないな‥うん、そこは素直に反省しよう(笑)
ならば「>>112-113」のくだりを丁寧にやり直そうかな。
ぶっちゃけ昭和と平成の境目(昭和64年/平成元年)にいじめ環境の実質的な大変換点なんぞは
存在しないワケだから、俺が言った「昭和の時代の“強く恐い先生”」というのはあくまでも
表現上の偶像に過ぎないモノとして、感性の部分で処理して欲しかったのだけれど;‥。
だが、一方でボンサイ氏の「3年B組金八先生」という長寿教師モノTVシリーズを引用する事で
それを「時代を語る上でのスケール(モノサシ)」として使用する‥というやり方は巧いと思ったw
で、本題に戻る。
(これも観念的な意味で)昭和と平成の時代を「いじめ」の観点から比較した場合、
まず確実に言える事は
@「暴力性の高い凶悪なイジメは明らかに減少している」
A「但し、広い意味でのイジメの認知率は増加している」
上記の2点。
要するに同じ1件とカウントされるであろう「20世紀のいじめ」と「21世紀のイジメ」が
全く異なるものである以上、比較対照はその意味をなさないものであろうかと俺は思うのである。