過激さと稚拙さの装飾に惑わされ、そちらにばかり目が行くが、あくまで一貫していじめられっ子に強くあって欲しいという彼の趣旨そのものについては、彼なりの一種の愛の形だと思うし、そう間違っているとも思えない。多様なパーソナリティが衝突し合う中で、周囲の全員に迎合を求めるより、ひとりが変化したほうが、コストがいいからね。
間違ってはないと思うんですけど…そういう考えもいいと思うんですけど…
やっぱり納得いきません。
それでもいじめっ子に一番の非があると思います。そう考えることの何が間違いなのでしょうか。