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>>生きる意味を探す、とは言ってもそもそも「生きる意味」がなにか分かっていない
生きる意味が何かわからないから探すんだ。
>>なにか分からないものを長いながーい人生の中探し続ける、当然君の人生は生きる意味を探すもので自己価値はそれを探すことのみ
確かに生きる意味を探すのが人生とは言ったけれど、自己価値がそれだけとは限らないんじゃないかな。生きる意味を探す、という矢印一本、この矢印にいろんな経験がくっついていって自己価値になるんだと僕は思うよ。
>>その探し物を探すことが生きる意味(根拠)なら、その生きる意味が見つかった時には君の人生は目的を果たしたということになる。
僕自身は前述したとおり、理論的には生きる意味が見つかったとしても、実体験的には生きる意味は見つからないと思っているから目的が果たされる人生なんてないと思うな。
>>生きる意味が「探すこと」でそれが「見つかる」ってことは生きる根拠がなくなったのだから生きている意味がなくなる
なるほど、それでは仮に実体験的に生きる意味が見つかったとしよう。ならば見つかったそれが生きる意味になるわけで、なくなるわけではないと考えているよ。
>>生きる意味がないということは共に存在する価値もないとなるわけで死んでいるという結論に達せられる
生きる意味がないという状態はないと僕は考えているよ(前述ry)。それと、存在する価値がないから死んでいるというのはあまりにも早計すぎはしないかな。飛躍しているように感じたので、僕にもわかるようにそこの論理の間を説明してほしいかな。
>>それに生きている意味が必ず見つかるわけでもないから、言ってしまえば元から君の人生は探す意味のない、生きる意味のない人生とも表現できてしまう
確かに生きる意味は必ず見つかるわけではないね。むしろ見つからないことが多いんじゃないかな。ただ、探すことに意義があると思うよ。生きている意味が必ず見つかるわけではないから探す意味のない、生きる意味のない人生と表現できるのは何故だい?探し物が見つからないならそれを探す行為が無意味だと考えているのかな?あまりにもそれは悲しいことだと思うよ。
>>北斗の拳の登場人物であるケンシロウが言った「お前はもう死んでいる」とは奥義により相手を自分の死に気付かぬ内に葬り去った際に使用する決め台詞で君の言う人生のように生きている意味がない、死んでいるかのような人生を比喩として用いたもの
申し訳ない。北斗の拳はまったくもって見たことがないので知識不足を認めるけれど、(生きている意味がない、死んでいるかのような人生を比喩として用いたもの)のソースはどこか示してほしい。作者さんがそうおっしゃっているのだろう?そのページを見てみたいのでお願いするよ。
>>生きる意味を探すことが人生なんてなんか極端じゃない?君の人生、生きている意味を探すだけなんだよ?
それが極端な理由を教えてほしいかな。「生きる意味を探すだけ」に費やす人生のどこが悪いのだろうか。生きる意味を探すために、世界一周旅行をしてみてもいいし、大学に通ってもいいし、可能性は無限大だよ。つまらない、と決めるのは自分自身だからね。あ、無限大といっても公序良俗に反することは個人的には良くないと思うけどね。
無学ですまないね。僕自身は一生懸命言葉を紡いでいるつもりなんだが、おかしいと思うことがあったら意見を教えてほしい。荒らしはともかくとして、>>1氏の意見は僕自身にとってとても有益なものになっているよ。新しい視点をくれてありがとう。
>>生きる意味を探す、とは言ってもそもそも「生きる意味」がなにか分かっていない
>>生きる意味が何かわからないから探すんだ。
うーん、その生きていく上で必要な要素を探すのは分かってる。
ただ、生きている意味がある=存在する価値があるという見解で話しているから「あるかもしれない」なんていう答えはスレの内容にあってないんだよね。
単純に探す、と言ってもそれがしっかり見つかるわけでもなければその保証もないわけで延いては見つかる根拠もない
これって実質その探してるものがあるかないか分からないどころか存在してるのかさえあやしいわけじゃん?
それって自分の生きてる意味とか存在価値が存在しないと言ってるのと同じだと思うんだよね
いますぐその要素を出そうとするなら何かの物や人、事柄に対して「これが自分の生きる意味だ」と言いくるめることくらいしかこっちは分からないけど
でも、その場で考えることとか先で考える物って結局は、君自身の心境によって左右されるわけであって
それが「答えか?」と聞かれればハッキリとそうですとは言えないだろ?
考えや価値観なんて時間と共に変わってくもので、今現在の君の存在する価値と生きている意味を聞いているのだから
出来れば形の整ったものや形式を保っているものの答えが聞きたいかな
>>なにか分からないものを長いながーい人生の中探し続ける、当然君の人生は生きる意味を探すもので自己価値はそれを探すことのみ
>>確かに生きる意味を探すのが人生とは言ったけれど、自己価値がそれだけとは限らないんじゃないかな。生きる意味を探す、という矢印一本、この矢印にいろんな経験がくっついていって自己価値になるんだと僕は思うよ。
その経験が自己価値っていうけど、結局は学んだこととか起こった情景が記憶として処理されているだけで
経験=存在価値になるとはならないんじゃない?
生きる意味があるからこそ存在する価値があると思っているけど、生きる意味と存在価値を別々の視野で見るのはちょっとやめてほしいかな