>>276
あざーす!
>>1
自己価値、存在価値=人生観と定義した場合、
葉っぱに出入りする住人(スレ主を含める)は、そもそも語れる年齢なのかい?という問題
20歳までの学生時代が主な頃
40歳までの働き盛りが主な頃
60歳までの我が子が親元を離れ、再び自我を見直す頃
80歳までの年金暮らし、死に際を意識し余生をどう過ごすかを考える頃
その年代別に其々の自己価値、存在価値があるんでないの?
段階を踏んでいかないと…人生観は語れない
今の価値観だけで人生を語れる人は居ない
つまり…
このスレタイの条件というか、スレ主の求める議論の条件が…
そもそも語る側と受けとめる側がフィフティーフィフティーじゃない
否定する側が圧倒的に有利
スレ主は、否定しやすい立場にある
上記を指摘したいんだが…
意見を聞かせてくれるかな??
スレチなアホ共に今一度伝えておく(>>258)
再三言っているがここは質問スレではない
自己価値、存在価値を語るスレ(>>1)だ
君の思い込みによる質問にはこたえる必要がないとだけ伝えておこう
>>それに生きている意味が必ず見つかるわけでもないから、言ってしまえば元から君の人生は探す意味のない、生きる意味のない人生とも表現できてしまう
>>確かに生きる意味は必ず見つかるわけではないね。むしろ見つからないことが多いんじゃないかな。ただ、探すことに意義があると思うよ。生きている意味が必ず見つかるわけではないから探す意味のない、生きる意味のない人生と表現できるのは何故だい?探し物が見つからないならそれを探す行為が無意味だと考えているのかな?あまりにもそれは悲しいことだと思うよ。
もうその結論に達しているならこちらからはこれ以上何か言う必要はない
平たく言えば意味があるかないかの話なのだから、君がそう思うのであればこちらは説得や説明のしようがない
>>北斗の拳の登場人物であるケンシロウが言った「お前はもう死んでいる」とは奥義により相手を自分の死に気付かぬ内に葬り去った際に使用する決め台詞で君の言う人生のように生きている意味がない、死んでいるかのような人生を比喩として用いたもの
>>申し訳ない。北斗の拳はまったくもって見たことがないので知識不足を認めるけれど、(生きている意味がない、死んでいるかのような人生を比喩として用いたもの)のソースはどこか示してほしい。作者さんがそうおっしゃっているのだろう?そのページを見てみたいのでお願いするよ。
ひ‐ゆ【比喩/×譬喩】
ある物事を、類似または関係する他の物事を借りて表現すること。たとえ。
作者本人が明言してるわけじゃなくて、こっちが同じことのように感じたから書いただけだよ
>>生きる意味を探すことが人生なんてなんか極端じゃない?君の人生、生きている意味を探すだけなんだよ?
>>それが極端な理由を教えてほしいかな。「生きる意味を探すだけ」に費やす人生のどこが悪いのだろうか。生きる意味を探すために、世界一周旅行をしてみてもいいし、大学に通ってもいいし、可能性は無限大だよ。つまらない、と決めるのは自分自身だからね。あ、無限大といっても公序良俗に反することは個人的には良くないと思うけどね。
一つ言えるとするなら、言うのは簡単ってことかな
生きる意味と存在価値を聞いている、だれも朧げな回答は求めていない
君自身今生きている意味とその存在価値を聞きたい
未来の話をしていてどうする、聞いているのは今の君のことだ
今現在、そうやって未来に輝かしい希望を募らせるのは構わないがこれは今現在君自身が将来をそう過ごすと言えるものなのか
夢と希望で青春を謳歌するのが悪いとは言わないが希望だけ膨らませて未来のことを言っていても途中に挫折や不測の事態でその希望が成立しなくなったりもするわけだ
その場合、また別の手段で生きる意味を探すなんて言えるのか?
前向きに考えるとは言うが、今考えていることと未来の君が考えていることがまるっきり変わらないなんてことはない
逆に考えたら、その行動は「後悔」しか生まない結果になることもあるわけだ
人生の時間や金をその後悔に費やし、果たしてその先に君が満足する答えがあると言えるのか?
言えると言うならもうこれ以上、君に向ける答えはない
>>無学ですまないね。僕自身は一生懸命言葉を紡いでいるつもりなんだが、おかしいと思うことがあったら意見を教えてほしい。荒らしはともかくとして、>>1氏の意見は僕自身にとってとても有益なものになっているよ。新しい視点をくれてありがとう。
そう言ってもらえるととても嬉しいよ
考えが年代ごとに変わるのは分かったが、それを分かっている上で話し合うのことに意味があるんじゃないか?
君の中で話し合いって同じレベルの人物同士で話し合うものなのか???
あと人生論を語る上で経験(年代)が重要になるのは何故?
>>284は>>1じゃないよ〜。