対外的な話じゃないならボカロ≒オルゴールは不適切だよ。
オルゴールマニアの人たちがオルゴール界隈を形成していて新たな作品を聴いて仲間内で共有したり、
オルゴールのイベントを開いてそれに参加したり、
オルゴールを主人公にした装置そのもの以外の創作物を作っていたりするんだったら話は別だけど。
それにボカロ曲を聴いている人全員がボカロというソフトウェアそのものが好きなら、
人によるボカロ曲のカバー、所謂歌ってみたを聴くボカロファンはそうそういないだろうし。
>対外的な話じゃないなら
その免責要件の意味はよく分からないけれど?‥オレが「ボカロとオルゴール」の近似性を主張する
一番の理由は、それが一定の非成長的制約条件下でのみアイデンティティーを認められ得る
「演奏(歌唱)システム」であるという事。
いみじくもキミが指摘した通り「ボカロは萌えアニメと不可分」という定義を有するのであるのならば、
オルゴールもまた17世紀頃に開発された当時の「筐体(きょうたい=箱)+ムーブメント」の形式を
守り続けて行かない限りはソレと認定されない宿命を持つモノなのである。
無機質で一定以上の感情が盛り込まれない(アニメ的な)歌声こそがボカロの本質であるものとして、
今以上に人声に近付きそれを超える歌唱力を獲得する為の開発努力を拒む存在であるという事ならば、
それは長い歳月を経た後にも一部のマニアの間でおいて愛好され続けているオルゴールに
決して優越するモノであるとは考えられない。
ちなみにオルゴールだって18世紀頃のヨーロッパでは、殺到する注文に製造が追いつかない大ヒット商品だったんだぜw
果たして300年後の未来までも、ボカロは今の形を保ったままで存在しているのかな?