個人的には差別と少子化に因果関係を結びつけるのは偏見ではないかなと思います。差別が横行している後進国で人口が増加することは労働力として産み落とされていると断定してその場合名無しさんのいう差別を度外視してしまうのはどうなんだろう。それなら同性愛(の男性同士の本番のみ)が法律で禁止され女は家庭に収まるものといった差別偏見が特に根強かった明治維新以降の日本は何故あんなにも人口が増えたのだろう?嫌で嫌で仕方ないけれど“社会に操られている”から“仕方なく”結婚し子供を育てた? 果たして明治の時代はそんなに主体性のないあやつり人形のようなフヌケばっかりだったのでしょうか?ただ抑圧されるだけ、辛いだけの社会ならデモが起きたりもしくは自殺率が増えたりするのでは?
現代における差別の問題は差別する側以上に差別されたと思う側の根本的な物の見方に問題があると思います。既にあるこの社会において自分はどう生きるか?という問いより先に他人への批難を優先し自己の影響の輪の外側に干渉しようとするからです。
「変な目で見るな」とか「世の中は我々を理解できてない!」とか「(珍珍股に挟みながら)ワタシの性自認に従いワタシを女湯に入れろ!」とか。
>「(珍珍股に挟みながら)ワタシの性自認に従いワタシを女湯に入れろ!」とか。
だがそれは脱衣場に警官待機で、ピョコンと出てしまったら即タイホ!‥みたいな情況で認めてやりたい気がしないでもないなw
>>142
>逆に全てを必ず尊重しなければならない世の中になってしまったらその方が息苦しいし生きづらいと思う。
だよね。社会通念に適う健全な生理的拒絶感までも“尊きLGBT容認”の為に我慢しろ!とまで言われたら、それはかなり息苦しい世の中になっちゃいそうだもんな。