いじめは自分のせいだっていい加減気づけ2

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176:いざよい◆YU:2018/09/12(水) 00:54 ID:eIw

たとえば、吃音(きつおん)を持っている子が音読の時間につっかえながら読むので、くすくす笑い声が起こったり、マネをされるようになる。

あるいは場面緘黙(かんもく)を持っている子の番を、担任の先生が飛ばしたので、ひいきだと思った生徒から物を隠されたり言い返せないのをいいことに暴言を吐かれる。

運動があまり得意でない子がが、クラス対抗リレーや長縄飛びで足を引っ張って以来、無視されるようになった。

わたしは彼/彼女たちに弱点そのものを克服するべきだとは、ぜんぜん思わない。ひとには得意不得意があるもの。
ただ、この先ずっと(おそらく)共同体の中で生活していくわけだし、なんで私がと思う気持ちも十分わかるけれど、何か代わりの物で補っていく工夫も、あってもいいと思う。
これはいじめの善悪的な議論とは無関係だし、しかも「いじめっ子の改善」と「いじめられっ子の改善」は別にお互いに背反な関係性にはない。
じぶんの人生というゲームのたずなを強く握って、有利に進めていくうえで、少し違ったこともしてみませんかという提案です。

ただ、人の発達には生来的、環境的な素因も関与してくるために、必ずしも本人の意思だけでもなんとかなるものでないことも、たくさんある。

それにも関わらず、自分や自分の周囲という少ないサンプルを勝手に押し当てて、できないのは本人の自助努力が足りないからだと、
つまり自分がたまたま配られた牌が強かった人間である可能性には考えも及ばない、無自覚な救いようのないおバカさんたちも、やっぱり学校っていう集団のなかで「他者理解」を深めていく必要があると思う。


越後:2018/09/16(日) 15:37 ID:jGk [返信]

申し訳ないのだが吃音とかそういう先天性のあるものについての話はしてないんだ、言い方が悪かった。
ただし運動が不得意とかそういうのは違うだろう。
自分が運動不得意だと分かっているなら何故それなりの努力をしないのか。足を引っ張ってしまったとして、何かしらの誠意は見せたのか。そこが一番大事だと思うのだが。


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