自由は何に対して自由なのか?を考えれば、この問題の趣旨は解決
自由の前提には不自由になるもの、なんらかの拘束になるものがあってこその自由
隙間産業が賞賛されるのはその異質さが成功した稀な実例、成功しなければ不純物であり需要なしの不良産業w
話がちょいと脱線してしまったがw、
例えば校則がゆるくて基盤になるものがなくて周りが金髪だらけだったなら敢えて金髪にする気持ちなんて持たないだろw
個性は無個性の存在があって際立つものだしね
そんな表裏一体的な関係に着眼出来たのなら、どちらが表面=基盤やら基本なのかを考えてごらんって話を俺は自然、不自然という言葉を使って説明してみただけ
黒色が当たり前の世界観で金色のものがポツポツと混じっていたのなら其れを異物として見られるのは当たり前
でもその金色の異物は、黒色の景色が辺りを占めているからこそ異物として注意力がはたらく色になるんじゃないのというお話が>>69レス
その話の根拠やらを校則という言葉も絡めて説明するのなら…
金色が綺麗な色として賞賛されるか?不自然な異物色と見られてしまうか?は、基盤(校則)はどっちなんだい?と自問自答してごらんなさい
基盤に対して基盤を崩す行為は異質で不自然なものであり自分がどちら側に属すものになるのかを冷静な判断で見極めましょ!
そしてそれを気付かせくれる元となるものがこのスレでいう校則であり煩わしく見られてしまいがちだが基盤は基盤であり必要不可欠な柱になるもんだし受け入れるしかないわな
それは染髪=悪ありきの考えだと思うんだけど...?
それに、染髪たって金髪だけじゃないし皆が皆金髪にしたいわけでもない。
例えば日本人の基本的髪色の黒、比較的オーソドックスな金茶、それに虹の七色と白で11色。30〜40人程度のクラスでコレだけでも十分個性って出ると思うんですよね
故に、自由は不自由がなくても自由なわけですよ。寧ろ自由があるから不自由という概念があると思うのだが?