>>122
読みました。いっぱい突っ込みます。
>進化論は,幾つもの幸運の連続によって生命が始まったという考えに基づいています。それを基盤にして進化論者は,さらなる偶然が連続し,驚くほど多様で複雑な生物が生み出された,と論じます。
嘘です。ダーウィンもこんなことは言っていません。累積的な淘汰を考えると、タンパク質は決してアミノ酸をいちいちランダムに並び替えているのではないのです。詳しくはドーキンスの「盲目の時計職人」を読んでください。
複雑だから云々は彼らの感性によるもの。
>人間は作れるでしょうか。作ろうとしても,大きな壁にぶつかるでしょう。ヒトのゲノムとその機能の大半は,まだほとんど解明されていません。
ゲノム編集は発達していますけどね。人体に対してやった国もありますよ。ちうごくです。成功しています。
>ダーウィンの理論に否定的
ダーウィンの進化論は粗が多いのです。現代進化論と比べると愚論です。
>カンブリア爆発
カンブリア紀の化石が多く見つかったのは、当時の生物の多くが硬組織を獲得したからです。観測的な問題なんですね。詳しくはパーカーの「眼の誕生」をどうぞ。
>5コマのほうを根拠に,最初のイメージは正しかったと言い張る
これはおかしい。我々は、例えれば高尾山には蝶がいると論じているのである。高尾山に蝶がいることを示すには、そこから蝶を取ってくればいいのだ。同じで、進化論も進化の証拠を持って来ればいい。
>脳の大きさに基づいて“猿から人間”の順に化石を並べるのでしょうか。
それは印象論に過ぎない。例えば、ホモ・サピエンスの直前の先祖とされていたネアンデルタール人はホモ・サピエンスより脳が大きい。
>“ネアンデルタール人”というヒトに似た化石についてはどうでしょうか
彼らはヒト科のはず。
>どの様な理屈でそう思われるのですか?
神が生まれる可能性があるから創造論が正しくなるのでしょう? では、神が生まれたのも創造でないといけないから神が二匹になるのですよ。
あと、進化論の根拠が偶然だけとか大間違いですよ。科学をバカにしているのですか?
>適応や小進化はあると思いますが、大進化は信じていません。
では、メガ進化は?おっと、なんでもありません。
>猿はいる、人間もいる、両方共に沢山います。それなのに進化論が正しければ色々な段階で沢山いる筈の中間種は全く見当たらない。
像や馬の中間種は見つかっています。人間の中間種と言えるものも見つかったという話がある。
>純血種同士の犬よりも雑種犬の方が強い傾向があります。犬と犬を掛け合わせると、強い遺伝子が受け継がれる。しかし逆に犬と猫を掛け合わせると失敗する。超えられない境界線がある。
科が違いますから。同じ科なら理論上は可能です。
>私は識者ではありませんが、素朴に進化論(大進化)はおかしいと思います。
そうですか。
>聖書から回答します。人間は動物の愛ある管理を神から委ねられたからです。
全知全能の神ならわざわざ人間に任せる意味がない。人件費の無駄。そっrに、管理だけなら自由意志はいらん。
>神は公正を重んじ、独裁者的に対応するよりも、一時的にサタンを忍耐し、全てのことが公正に証明されることを選ばれました。
おかしい。サタンの挑戦されるまで手を打たなかった無能じゃないか。孫子曰く、上兵は謀を伐つ。謀は未然に防ぐもの。それをできない神()は無能も無能ですね。
>>118
>進化論によると、生命は偶然に発生した為、生きることの絶対的な意味、人生の客観的な目的が失われます。
それは化学進化説のことですね。
>進化論によると、勝てば官軍です。より繁殖した種が正です。つまり利己主義が推奨される基盤になります。
何が悪いの?
>進化論によると、進化が正です。原理主義的には、劣性種や弱者は抹消する方が種全体の為になるとも言えてしまいます。
いいえ、正しいと思います。無知無能は罪です。
読んで下さり、ありがとうございます。
私は科学者ではないので、私に答えられる範囲での回答となります。ご容赦下さい。
>神が生まれる可能性があるから創造論が正しくなるのでしょう? では、神が生まれたのも創造でないといけないから神が二匹になるのですよ。
先の投稿の通り、聖書の教えでは神が起源とされています。よって神は生まれません。
>像や馬の中間種は見つかっています。人間の中間種と言えるものも見つかったという話がある。
猿が1、人が10としましょう。何故、1も10も沢山いるのに、3や5や7は見当たらないのですか?進化論が正しければ、あらゆる進化段階が沢山いる筈ではありませんか?
>科が違いますから。同じ科なら理論上は可能です。
創世記の通りですね。種類を超えることは出来ません。つまり猿は人間にならないということです。
また続きます。
>全知全能の神ならわざわざ人間に任せる意味がない。人件費の無駄。そっrに、管理だけなら自由意志はいらん。
「動物の管理の為」に人間が造られたのではなく、「人間の為」に動物が造られたというのが聖書的な考え方です。
動物を観察することで神の英知を身近に感じ、動物の世話を通して愛や勤労の喜び、仕事のやりがいを学び、また動物から益を得る為です。益とは例えば農耕の際の助け、癒し、また後代には衣服や食料などです。
創世記1:29-30
神は言われた,「さあ,わたしは,全地の表にあって種を結ぶすべての草木と,種を結ぶ木の実のあるあらゆる木をあなた方に与えた。あなた方のためにそれが食物となるように。そして,地のあらゆる野獣と,天のあらゆる飛ぶ生き物と,地の上を動き,その内に魂としての命を持つすべてのものに,あらゆる緑の草木を食物として与えた」。そしてそのようになった。
動物は人間に与えられた、と聖書には書かれています。地球も植物も動物も、人間の為に神が創造して下さいました。
創世記2:19-20
エホバ神は野のあらゆる野獣と天のあらゆる飛ぶ生き物を地面から形造っておられたが,人がそれぞれを何と呼ぶかを見るため,それらを彼のところに連れて来られるようになった。そして,人がそれを,すなわちそれぞれの生きた魂をどのように呼んでも,それがすべてその名となった。それで人は,すべての家畜と天の飛ぶ生き物と野のあらゆる野獣に名を付けていた
名前を付ける為には観察が必要だった筈です。バリエーションに富んだ様々な動物の観察から、楽しみ、神への感謝や敬意を学んだことでしょう。
>おかしい。サタンの挑戦されるまで手を打たなかった無能じゃないか。孫子曰く、上兵は謀を伐つ。謀は未然に防ぐもの。それをできない神()は無能も無能ですね。
世俗の軍事に於いては、徹底的な洗脳はむしろ好ましいかもしれませんが、自由意志を重んじる公正な神にあっては、教育はあれど洗脳はありません。
自由意志を重んじるならば、反対意見を予め潰す操作もありません。
以下の聖句の通り、神は導きますが、自由意志により決めるのは各自です。
申命記30:19
わたしは今日,天と地をあなた方に対する証人として立て,あなたの前に命と死,祝福と呪いを置いた。あなたは命を選び,あなたもあなたの子孫も共に生きつづけるようにしなければならない。
洗脳ではなく自由意志の中での選択ですので、その結果につき、良くも悪くも責任を負います。
ガラテア6:7-8
何であれ,人は自分のまいているもの,それをまた刈り取ることになるのです。自分の肉のためにまいている者は自分の肉から腐敗を刈り取り,霊のためにまいている者は霊から永遠の命を刈り取ることになるからです。
コリント第二5:10
こうして各人は,それが良いものであれ,いとうべきものであれ,自分が行なってきたことにしたがい,その体で行なった事柄に対する自分の報いを得るのです。
>何が悪いの?
利己主義が推奨されてしまうと道徳は被害を被ります。進化論者であっても、人間が集団生活を営む上で、道徳は必要なものだと考えるのではないでしょうか?しかし進化論は本質的に利己主義を推奨する為、論理的なジレンマに陥ってしまいます。このジレンマは今の世の中で顕著に感じることが出来るのではないでしょうか?
>いいえ、正しいと思います。無知無能は罪です。
障害者や社会的弱者、病弱な人を抹消すべきだ、と本気で主張されているのですか?