>>166
>0→1→10には、1→10さえも含まれていますので、やはり論旨に影響はありません。
人間は無から何も作れないわけではないし、アミノ酸だって時間をかけて実験を行えばタンパク質にはなるかと、それをもっと時間をかければ原始生物くらいはできるでしょう。人間は無から何も作れないという主張は撤回していただきたい。
>肉体の破損状況の話でしたら、死そのものではなく、死に方や状況のことではないでしょうか。
そんな話はしていません。死とは修復不能なぐらい壊れた機械同様ということを言いたいのです。
>例えばマリア・マグダレネです。以下の流れから、イエスを見分けなかった女性はマリア・マグダレネだと分かります。
朝早く暗い頃でしょう?当時は照明などないから顔が見えない可能性がある。
>マリアはイエスを信じていました。救世主の復活は古から預言されていましたし、イエスご自身も仰っていたことです。
信じているかどうかは個人の感情であって、あなたにも聖書を書いた彼らにも分かり得ない事ですよ。まあ、大工のおっさんの与太郎を信じるなんてありえないと思いますが。
>科学者は物理法則を発見し、命名しましたが、物理法則自体を作ったわけではありません。例えば重力の例でお考え下さい。
定めたのは科学者。作ったのは原始宇宙。
>人間は無から何も作れないわけではないし、アミノ酸だって時間をかけて実験を行えばタンパク質にはなるかと、それをもっと時間をかければ原始生物くらいはできるでしょう。人間は無から何も作れないという主張は撤回していただきたい。
もしかすると時間を掛ければ、人間も命を作り出せるかもしれません。しかし、それでも創造論の反証にはなりません。
聖書の論旨はこうです。命は自然に出来ず、そこには知恵や意志、力や技術が要る。
>朝早く暗い頃でしょう?当時は照明などないから顔が見えない可能性がある。
少し長いので引用を避けますが、ルカ24:13-31をお読み下さい。この箇所で、あなたの暗さの論旨は適用出来ません。
>信じているかどうかは個人の感情であって、あなたにも聖書を書いた彼らにも分かり得ない事ですよ。
論旨はマリヤや使徒が信じていたかどうかですよね?彼等は信じていました。迫害を耐え、殉教する程までに信じていました。