聖書こそが真理か?

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223:伊藤整一:2019/04/13(土) 00:20 ID:dxw

>>217
>論理的説得力さえあれば万人が信じるわけではありません。しかし事実より明白な説得力はありません。それでも信じない者は、やはり信じません。心は鈍くなったり、頑なになったりするからです。
つまり、神であっても全ての人間を洗脳から救うことはできないと。これでは神は完全とは言えないのでは?

>結果はどうでしょうか。上手くいっていません。人間は歴史の中で、王政、独裁制、民主主義、共産主義など、色々と試してきました。しかし飢餓や病気、戦争や苦痛など、問題は常に山積みです。人間は人間を上手く治められていません。
ちなみに共産主義国家は存在したことがありません。

>一方、神の王国は、全ての問題を解決します。神に従順で、神の統治を支持すること、これが最善だと聖書は教えています。
髪に従順ということは、神による独裁と言えるのでは。独裁は正当ですか?

>論旨が分かりませんでした。人間も胎内で成長していますよね。しかし極めて無防備で生まれます。
イルカは人間より低レベルだから胎内である程度成長できるのです。人間は母体の負担も考えると不十分になってしまう。それだけです。

>天体としての地球は生命ではないですが、如何でしょうか。
それがどうかしたのですが。今も昔も我々は肌身で地球を感じていますが。

>本当ですか。もう少し詳しく伺えますか。
DNAが決定するタンパク質は、2%程度しか人体に含まれていないのです。脳細胞などは再現できません。

>偶然でないとは、どういうことですか。そこに意志があるということですか。
意志ではなく力です。地球が木星や海王星のようになっていないのは、比較的太陽に近いため、太陽ができたのはチリが量子的揺らぎに従って集まったから、というように力が関わっています。



>適切とは何でしょうか。確かに緑の信号を青信号と呼ぶことはあるでしょう。しかし緑の信号を赤信号と命名するならば、そして赤の信号を緑信号と命名するならば、交通事故は増えるでしょう。その名前は適切ではないからです。 この点に関して、私の説明は論理的ではないでしょうか。心を頑なにされ、論理性度外視で、只、反論の為だけに反論されているのではないですか。お互い築き上げられる有意義な議論が出来ればと思います。
適切かどうか決めるには、まず答えが必要です。しかし、認知されたことのない存在には正解など存在せず、名前は自由です。発見者の捉え方によるのです。色盲の人は緑が黄色に見えたりします。しかし、彼らは見えている黄色を緑と判断しています。さて、これは不適切でしょうか? 私が言いたいのはこういうことです。


伝道者◆zc:2019/04/14(日) 15:28 ID:/0Y [返信]


>つまり、神であっても全ての人間を洗脳から救うことはできないと。これでは神は完全とは言えないのでは?

何をもって洗脳と言うのか、そして自由意志も絡む問題ですから、慎重な回答が必要でしょう。しかしパウロが一例ですが、神が人を完全に変えた例は聖書何にも、そして現代でも沢山あります。

>髪に従順ということは、神による独裁と言えるのでは。独裁は正当ですか?

公正な神は自由意志を認めています。神の国に入るかどうか、これは個人判断です。

しかし神の国に入るならば、その要求に心から従える必要があります。

入らないとしても地獄の様な罰はありません。神は愛の神ですから地獄はありません。只、滅びて意識が無くなるのみです。

>イルカは人間より低レベルだから胎内である程度成長できるのです。人間は母体の負担も考えると不十分になってしまう。

根本的には議論が解決していません。人間が進化論的に高度な生物であれば、赤ちゃんが無防備にならないレベルまで、胎内で成長出来る様に、「母体」が進化すれば良いのでは、と思います。そして三つ子や四つ子は当然の「多産」になり、また出産時の苦しみも軽減されて良い。痛みで叫んでいる状態では、外敵に対して母体も無防備だからです。「母体としての進化」は人間は弱いのではないでしょうか。

この点も聖書の説明に説得力があります。

創世記3:16

女に対してはこう言われた。「わたしはあなたの妊娠の苦痛を大いに増す。あなたは産みの苦しみをもって子を産む。

>それがどうかしたのですが。今も昔も我々は肌身で地球を感じていますが。

地球は生命でない、しかし優れているので、矢じりの様に自然発生ではなく、設計者、製作者がいるのでは、という議論です。

>DNAが決定するタンパク質は、2%程度しか人体に含まれていないのです。脳細胞などは再現できません。

エバはアダムの完全コピーではありません。しかしアダムのDNAがあれば、エバをゼロから造るよりも、ずっと役に立つ筈だという議論です。如何でしょうか。

>意志ではなく力です。

議論が堂々巡りになっています。その力は「偶然」そこにあるのではないですか。要はそこに意志があるのか無いのか、これが論旨です。

>色盲の人は緑が黄色に見えたりします。しかし、彼らは見えている黄色を緑と判断しています。さて、これは不適切でしょうか?

色盲の人に見えにくい色を判断させ、その判断が適切かと言えば、不適切でしょう。

この議論を継続するのであれば、先ず「適切」という語を定義する必要がありそうですね。同じ定義の上で議論しなければ、不毛な議論となるでしょう。


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