>>245
>シーラカンスやアンモナイトは古代から残っている種ですが、彼らは神の寵愛でも受けているのでしょうか。
先に書いた通り、動物は自由意志を持たない為、罪を犯しません。よって裁きを受けません。残っている残っていないは、神の愛と直接関係がありません。
>自由なはずなのに誤用とは矛盾しています。自由なはずなのに誤用したから滅ぼされるとは。理不尽極まりない。
自由意志はエホバからの贈り物です。例えで考えてみましょう。
あなたの大切な友人が、あなたにペンを贈るとします。そのペンで何をするか、それは「あなたの自由」です。
そのペンを使って贈り主の友人に感謝の手紙を書けば、その友人は喜ぶでしょう。そのペンを大切に用い、仕事や日記など、毎日の生活に役立てるならば贈り主は喜ぶでしょう。
一方、そのペンを用いて贈り主を糾弾する小説を出版したら如何でしょうか。絶交状をしたためたらどうでしょうか。贈り主は悲しむでしょう。そのペンを用いて、他の様々な人を傷付ける苦々しい手紙を書いたらどうでしょうか。更にはそのペンを誤用して、人の目を刺したらどうでしょうか。贈り主は本当にがっかりするでしょう。
その様な事をしておいて、その友人から絶交されたら、それは果たして「理不尽極まりない」でしょうか。絶交状を書いたのは、そもそもあなたなのです。
自由意志を正しく用いて神を賛美したい、自由意志を誤用したくないとは、この例えで明らかです。