>>44
>宗教の話でそれが真理かどうかを話し合うのは正直ナンセンスだと思う
科学では否定も証明もできないし、結局は自分がそれだと思ったらそれが真理だし なにより個人の価値観…
ヤキソバさん、コメント頂き、ありがとうございます。
確かに聖書は宗教の本です。科学書でも医学書でも歴史書でもありません。
でも聖書の中にも科学に関した記述、医学に関した記述、歴史に関した記述があります。それぞれの記述に関して、科学者が、医学者が、歴史家が検証することは可能です。
例えばノアの日の大洪水の際、神がノアに与えた造船指示に関して、箱舟の仕様の一部が聖書に記録されています。以下、聖書から引用します。
創世記6:14-16
あなた自身のために,やに質の木の材で箱船を造りなさい。その箱船の中には仕切り室を造る。それを内側も外側もタールで覆わねばならない。そして,あなたはそれをこのように造る。すなわち,箱船の長さは三百キュビト,その幅は五十キュビト,その高さは三十キュビト。あなたはその箱船のためにツォハル[屋根,もしくは窓]を造り,それを上方,一キュビトに仕上げ,また箱船の入口をその側面に付ける。あなたはそれに下の階と二階と三階を造る。
創世記はモーセによって紀元前1513年に「書き終え」られました。つまり上記の文章は、少なくとも今から3532年前に書かれたということです。(そして写本研究により、聖書は素晴らしい精度で代々写本され、原本の内容が保持されてきたことも明らかにされています。)
上記の箱舟の仕様は、かのタイタニック号に匹敵するクラスの大きさで、3532年前の人類が持っていなかった設計知識です。今日、船の設計技師は箱舟のスペックがあらゆる面で非常に適切であること、何故それが3500年以上も前に書かれた書物に記録出来たのか、驚いています。
このことは人間業を超えた力が聖書に働いていること、つまり聖書は神からの書物である可能性を示唆する一例です。
また聖書は道徳が書かれた本でもあります。その道徳基準は世間の発想からすると意外なものが多いですが、当てはめて実践する時、その教えが本当に有効であると味わい知ることで、各自が自ら検証出来るでしょう。
神はいるのか、悪は何故あるのか、世界の目的とは、人生の目的や存在理由とは何か等々、形而上学的な論理構造も、聖書の教えは非常に優れています。
聖書の教えは心に響き、凶悪な犯罪者を善人に変化させることも出来ます。悲しんでいる人に慰めや希望も与えます。
それらのことを「総合的に」勘案する時、正にこれこそが真理であると確信することが出来ると私は感じています。