>>53
サビぬきさん、コメント頂き、ありがとうございます。
>自分が思うに「聖書が他の歴史的な整合性と原典性を有する真性古典書物と決定的に異なる点」は、 ソレが2000年近くにも渡って、絶えず再編集と再訳をくり返され続けて来た現役書であると言う事ですよね。
再編集はほぼありません。次々と発見される古代写本から、写本が正確に行われ、内容が保たれてきたことが分かっています。
一方、再訳は重ねられています。例えば文語では分かりにくいので、現代語に訳し直されたりしています。
>ちなみに聖書に記された未来の大災害についての預言が、その功を奏して当該災害を劇的に回避した…みたいな事例や記述は存在すると思われますか? たぶんそんなの無さそうですよね。 ぶっちゃけ何事も起こらなければ、それは始めから無かった事との区別もつかないワケですし。 であるとしたならば‥聖書に記されている数多の預言らしきものの大半は、 何の役にも立たなかった“主のつぶやき”であったに過ぎないのではないでしょうか?
例えば大洪水を知り、信仰によって箱舟を建造したノアは自らを救いました。救世主に関する一連のメシア預言は、救世主がイエスであると特定するのに役立ちました。預言は無意味ではありません。
神エホバがニネベという都市の40日後の滅びを、預言者ヨナに託し、ニネベに遣わしました。ヨナの言葉を聞き、ニネベの民は真剣に悔い改めた為、エホバはニネベを滅ぼすことを思い留まられました。災害が回避された例です。
ニネベの人を恐れたヨナは当初、警告の任務を放棄して逃げました。結局は警告の任務を遂行しましたが、エホバがニネベの滅びを思い留まられた為、ヨナはふてくされました。しかしヨナは聖書のヨナ記で全てを自分で正直に記録しました。自分が逃げたこともふてくされたことも。聖書は正直で誠実な記録であると思われる例の一つです。
ダビデ王も同様に、自分がウリヤの妻と不倫したこと、妊娠を隠す為、戦争から帰還したウリヤに卑劣にも妻と寝ることを勧めたこと、忠実な戦士ウリヤが自宅で休もうとしないので戦争の最前線に送り込んで戦死させたことを自分で記録に残しています。聖書は正直で誠実な記録なのです。良い事だけを書いたヒーロー記ではなく、信頼出来る記録です。