一方、再訳は重ねられています。例えば文語では分かりにくいので、現代語に訳し直されたりしています。
↑
その機会に恣意的な災厄は為されている可能性はあるのではないでしょうか?
まあ、「それはカトリック教会がやってることでしょ」とか言われたら元も子もないですけど。
アーリアさん、メッセージ下さり、ありがとうございます。
>その機会に恣意的な災厄は為されている可能性はあるのではないでしょうか?
一つだけ重大なものがあります。
写本研究より、聖書「原文」には神の名としてテトラグラマトンというものが用いられていたことが分かっています。日本語では神聖四文字と呼ばれている古典ヘブライ語の子音四文字で、英語に置換すると、JHVHやYHWHに相当します。
ヘブライ語では母音を省略することがよくあるそうで、英語で言えばbuildingがbldg.と省略される様なものです。その為、現在では神の名の正しい発音が既に分からなくなっており、Yahweh(ヤハウェ)ともJehovah(エホバ)とも言われています。
聖書の別箇所では、略名としてYah(ヤハ)と書かれることもあります。JohnathanをJohnとする様な略かなと私は理解しています。
大切なのは聖書の神にはお名前があるということです。テトラグラマトンは聖書中に6000回以上も登場し、聖書中で最も登場頻度が高い名前です。それなのに、現在の大半の聖書では神、或いは主という「称号」に置き換えられてしまっています。その為、今日、聖書の神には名前があると知らないキリスト教徒が大勢います。
置き換えられた理由として、以下の3つが考えられます:
@神の名をみだりに唱えてはいけないと十戒にあるから。
確かにOh, my god(何てこった)の様に、神をみだりに乱発してはいけません。しかし敬意を持って神の名を用いれば問題無い筈です。
実際、神は人間にご自身の名を伝えましたし、神の名を唱える者が救われると聖書に書かれており、更にはイエスご自身も神の名が高められるように、また神の名によって云々、という言葉を多く残しています。
聖書中の人物名も、エホバにちなんだものが多いです。例えばイエスは「エホバは救い」という意味です。更にはハレルヤは「ヤハを讃美せよ」という意味です。
神の名を用いることは大切だと考えています。親しくなるには、先ずは名前を知ることから始まります。
A正確な発音が分からないから
この理由も賛同出来ません。例えばイエス(キリスト教徒の多くは三位一体説を信じ、イエスも神とみなしている)の名前でさえ、
英語ではジーザス
ドイツ語はイェーズス
フランス語ではジェジュ
ラテン語はイエズス
ヘブライ語はイェシュア
ギリシャ語はイエスース
という発音です。
イエスの正確な発音にこだわらないならば、エホバの発音だけにこだわるのは不自然と思われます。よって、この理由も却下だと私は思っています。
B真理を操作しようという意図がある。
私はこれが本当の理由だと思っています。
「エホバ」の名を「神」や「主」と置換し、神の名前を曖昧にすることで、神が誰かを曖昧にすることで、異教徒を改宗し易くなります。つまり、勢力の為に大切な教義が曲げられてしまった。古代において、また中世でさえ、宗教は政治と直結していました。はっきり言って宗教イコール政治でした。つまり政治的権力の為に、真理が操作されてしまった。
神の名が曖昧にされたことで、聖書がとても分かりにくくなりました。主と言った時、それがエホバを指すのかイエスを指すのか不明瞭になりました。名前という固有名詞が消され、代名詞的な称号にすり替えられてしまったからです。
三つ組の神を信仰する異教徒の改宗を容易にする為、聖書には書かれていない三位一体の概念が導入されました。その概念でイエスは神とされました。エホバの名前が消されてしまった為、三位一体が嘘であると見抜けないキリスト教徒が増えてしまいました。
ここに私はサタンの力が働いていると考えています。エホバはお名前を大切にされる方です。その方のお名前が、み言葉聖書から消されてしまった。また、イエスはご自身でなく、神に栄光を帰する方です。それなのにイエスに栄光が寄せられてしまった。エホバとイエスに対し、サタンの出来る最高の侮辱行為だと私は考えています。
その他にも、僅かに聖書訳が操作された箇所はあります。それが意図的であろうと無意識であろうと、例えばカトリックの幼児洗礼に都合の良い言い回しにされるなど。しかし、テトラグラマトンの喪失に比べれば小さな改ざんです。
「新世界訳」という聖書の翻訳は、上記を加味し、深い研究に基づき、聖書原文に忠実なので、私のお勧めです。