それにいつのまにか形而上の絶対は省くという条件が付け加えられてるけど。
なぜそうなったったんだ?伊藤が勝手に条件付け加えてないか?
bigbang理論も物事の説明をつけるために現状では絶対として君臨してるだけだぞ。
今ここにお湯が存在しているなら、以前誰かがお湯を絶対に沸かしたに違いない。
お湯のが存在すりいなら沸かすと言う行為が何処で行われたのは絶対である。
こういうスケール小さい話の延長線上にbigbang理論もあるわけ、お湯を沸かすという生活一般の時間の経過が計測しやすい事柄ならまだしも、bigbang理論ともなれば時間の経過が追えない。それこそ物事の説明をつけるために人間が仮定している形而上の出来事ではなのかね?
なぜかは知らないが伊藤は形而上を省いてるからさ。
僕から言わせれば
わざわざbigban理論を持ち出さなくても
『今ここにお湯が存在しているなら、以前誰かがお湯を絶対に沸かしたに違いない。』
で十分だと思うがね。
>>1では概念上の絶対はみとめている。つまりそれを省いた上での話。
bigbang理論が絶対であるとは一言も言っていないし、そんな話は一度も出てきていないはず。
それは、お湯を沸かしたという状況でしか通用しない。不適当です。相対の反対であることをよく考えてください。
軽元素の存在量など観測的証拠は形而下のものであって形而下のものから出されたbigbangも形而下ではないか。bigbangという概念は形而上であるが事実自体は形而下であると言える。また、bigbang自体は経過を追うことはできる。「宇宙の年表」とでも調べたらいい。
>>196
誰も以前だなんて言ってません。勿論、以後の話です。