>>205
Bigbanという大風呂敷を広げた上でbigbangは絶対ではないとは。
少なくとも今ここに再現できく範囲の話ではなく、途方もないスケールの話をやってる事に代わりはない。
仮にbigbangが事実だと仮定するまでは良いとしても、それを証明するとなったら、その手法は途方もない実態の無い話の積み重ね繰り返す他なく、それで導き出される答えもまた実態が無いではないか。
それより再現性と簡易さをもって短時間に一般として起こりうる現象を用いた方がよい。
『今ここにお湯が存在しているなら、以前誰かがお湯を絶対に沸かしたに違いない。』
『果実のリンゴがカットされたリンゴになっていた、どこかでリンゴが絶対に切られていたに違いない。』
こういったありふれた現象を軸に話進めたほうがいい。
ただ単にこういった現象を宇宙規模まで単純に拡張した話が伊藤の言うbigbangの話であって、お湯が沸いた、物が切れた。こういった現象の延長線上にあるスケールが大きくなった話であって、逆に単純な現象を絶対としないなら宇宙規模の絶対をどうやって説明できるのか疑問。
>>205
絶対を議論する上で宇宙規模の大風呂敷ひろげられたら、語るだけでこの場の時間的なリソースを無限に割り割くはめになる。ふつうは単純な話から始めるのが懸命だと思うんだけどな。
>>208
そもそも私は絶対は存在しないと考えているから。bigbangは時間は絶対に存在するという論を覆すための材料の1つに過ぎない。
>>207
違う違う。bigbangは量子的に均衡のとれた世界(無の世界)に誕生した宇宙が急激に膨張したことを言うので、私はbigbangの存在を証明することで無の世界の存在を証明しようとしたの。
だから軽元素の存在量についてはbigbangのことなの。
無の世界を証明し、時間を否定するために証明しようとしている。あなたの単純な考えでは分からなかったようですね。残念。