>>14
他人の意見を聞き入れて納得することを"目的"とした場合、そのような形に近いのかもしれないが、議論においてもその形は取れるのではないだろうか。互いの知識量が一般的に平等というのは有り得ないのだから、それが質疑応答であっても議論であっても関係ないのでは?
自分の意見に自信を持っているからこそ相手の主張を聞き入れられない節があるというのは、一理あるが、自信があるからではなく相手の意見を飲み込みたくない強情さからくるのではないか。それが正であろうが誤であろうが変わらない。
自信がある、つまりは自分の意見が自分にとっては絶対と等しい訳であって、相手の意見が自分にとって認めざるを得ない状況であっても、自分の意見を押し付けてしまうことなのではないか。そういった互いに譲らない抗争が水掛け論を生み出してしまうのではないか。
そこで考えたのだが、例え水掛け論であったとしても、何を視点としているのかはハッキリしている訳だから、如何に認識のズレを相手に伝えることができるのかを重要視したら良いのではないか。