人殺しがいけない理由、と見なされるのは、社会秩序を守るため(=人間が死と苦痛から免れるために )国家(=政府と国民)による法で定められているからであって、実質的に人殺しそのものがいけないことではないと思います。ただ、人殺しを行うということは、社会秩序を維持するための法に違反するから、多数の人を守るために、教育機関、警察や刑事が機能しているんだと思います。要するに、人殺しは、現代社会の国家単位からしてみればいけないことであって、もっと大きな生物単位で見れば、善悪はないのだから、人殺しにもまた善悪はないということになるのだと考えています。
そして、人殺しに人権がないわけでありませんが、人殺しをした時点で(=他人の人権を侵害した時点で)、公益と社会秩序を維持するために、国家の法の下で、殺人犯などの法に違反した犯罪者の人権には大幅な制限がかけられることが実際に正当化されています。
少なくとも>>13は結論でしかない。
>>11
生物である人類が善悪という概念を持っているから、善悪は存在する。よって、人殺しに善悪は存在する。例えば、死刑囚の処分は善、一般市民の殺害は悪だ。また、法で縛られていなくても、必要のない殺人は禁止であると考える。
>法によってどこまでの行動の自由が認められるか
法律によって権利が制限されるという解釈で良い?