>>49 人はそもそも臆病なのですけどね。
誰かの幸福や幸せを願う事は、別段珍しい事ではありません。
ですが、残念ながらあなたの仰る「自己犠牲」とは、
単純に「自暴自棄」になった心の妄想でしかありません。
僕も「愛」について全てを理解している訳ではありませんが、
御自分を愛していない方に手を差し伸べられても、
僕は問答無用でその手を振り解くでしょうね。
その様な「自殺願望」を押し付けられても迷惑なだけですし、
「心中」する気は毛頭ありませんしね。
「愛」とは「言葉と想い」です。
その上での本質とは「望まない事」だと、そう僕は思っています。
人は「愛し、愛される事は当然である」と安易に考えている様ですが、
望んでしまえばそれは「欲」でしかないのです。
衝動的に理由もなく、突き動かされるまま誰かに手を差し伸べてしまう。
それが実を結んで始めて「自己犠牲」は完遂します。
自分の意思、自分の立場、そして自分の命。
それらが大切なのだと信じているからこそ、他者のそれらを救いたいと願う。
そこに見返りがあろうとなかろうと、それは関係が無いのです。
「愛する」だけの一方的な行為が、本当に「愛」なのでしょうか?
自然や動物を愛するのは大変結構な事だとは思いますが、
自然や動物が必ずしもあなたを愛している訳ではない。
僕も自然や動物は好きですが、そこに「愛」と言う概念は用いません。
アイラさんが「怖い」と思う様に、誰もが「怖い」と思うのでしょう。
「傷付きたくない」「傷付けたくない」と誰もが考えます。
しかしそれを恐れたままでも、誰かは「傷付く」のです。
あなたの記憶に関しては、僕にとっては過去でしかないのです。
同様に、僕の記憶に関しても過去でしかなく、変える事は出来ません。
僕とアイラさんの大きな相違点は、僕はそれを鮮明に思い出せますし、
それを受け入れながら砕け散ってしまった心を考えている事ですね。
変えられない事は「越えて行く」しかないのです。
過去は変えられなくても、今を越えて行く事は出来るのですから。