>>51 ふむ。
僕の場合、過去を語るのは録画した記録を再生する事と大差がありません。
つまり記録として残っている情報を提示するだけなのです。
ふむ? 何度も言いますが、罪をどうしようと誰かに許しを請おうと、
アイラさんがアイラさんで在る事には変わりは無いのです。
逃げようとどうしようと、その現実は不変なのです。
僕が僕で在る事が変わらないのと同様に。
あなたの意識の中の葛藤が何なのかは僕には分かりませんが、
僕の今まで歩んで来た道は「虚無」を見続けていただけなので、
犠牲云々で言うのならば、数えるのが馬鹿らしい程に犠牲にしています。
しかしそれは「生きている」だけでも犠牲は伴うのですから、
リスクと言い換えるのならば、多少の差異はあれ、誰もが伴っているモノです。
逆に言えば、リスクの伴わない「生」等は無いのです。
そしてそれを不安に思うのが、「人」なのでしょうね。
「確か」かどうかは文脈から推し量ると曖昧ではありますが、
人生の「道」とは、そもそも不確かなモノなのではないですかね?
その「道」に「先人」は居ないのですから。
僕の「道」は、僕が歩んだ後に出来ます。
アイラさんの「道」は、アイラさんの歩んだ後に出来ます。
その眼前には、正確に言えば「道」は出来ていないのです。
広大な荒野か、鬱蒼とした密林か、果ての無い海原か。
そこに「道」を作って行くのが「人」なのではないですかね?