>>769さん、大変お待たせして申し訳ない。とてもデリケートな質問ゆえ回答に四苦八苦していましたが、自分なりに考えがまとまったので、お返事させていただきます。
内容量が多いので二つに分けさせていただきました。
ご家族が宗教に対して不賛同でいらっしゃるとのことで、さぞかしあなたは苦しい思いをしていると思います。お疲れさまです。
>>769さんは、自分は洗礼を受けていないから正式にクリスチャンと名乗るには心の抵抗がある、と悩んでいるのですね。
そもそも洗礼とは、イエス様との一体化、そして従属化への第一歩のために行う儀式のようです。全身を水に浸すことがいわゆる「一体化」を象徴しています。ですから、水を浴びることそのものが目的ではないのです。洗礼によって自身の罪が洗い流される、と誤認している方もいますがそんなことはありません。罪がなければ洗礼を受けられないのでは、罪人以外はクリスチャンになることができなくなってしまいます。
そして洗礼は「イエス様への従属化」と先に書きましたが、洗礼は「自分はイエス様に従います」という表しになります。「イエス様の命令なので自分は洗礼した。自分は本当にイエス様を信じ従う者なのだ」という確信を得ることができます。
でも、これはあくまでも洗礼を受けた本人の心持ち次第なのです。
キリスト教は「信仰と恵みによる救い」をモットーとしています。信じる者は救われるのです。洗礼を受けていないからクリスチャンではない、とはいえないのです。それに、今ある肉体は仮の器でしかなく、あなたが死んでから神様の元へ向かうのはあなたの魂だけです。肉体を清めようと、心の底から神様を信じていないのではクリスチャンとは言えません。
形から入るのではなく、魂からの信仰を大事にしてみてはいかがでしょうか。
後半に続きます。
>>820- お忙しいところご回答ありがとうございます。
形から入るのではなく、魂からの信仰が大切とのお言葉に改めて自分の至らなさに気が付きました。
無意識にも洗礼を受けなければならないと考えに縛りをつけ、心から神様を想えていなかったのではと思うと何とも…
これからは自分なりに出来ることを見つけることから始めてみようと思います。
整理をつけさせて下さりありがとうございました、しゅしゅさん