確かに、2番が言う通りだ。ゲームそのものが無駄である認識を、万人に共通するものとして、普遍化することはできないね。無駄というのは、勉強とかお金稼ぎとかの、ある観点から物事を捉えた結果、生産性がないから無駄である、と結論付けられることが多い。しかし、それは、勉強とかお金稼ぎとかの将来性、あるいは生産性という観点、つまり限定されたレンズから物事を捉えているからこそ、無駄と判断されるのであって、究極的には、捉えている対象が無駄かどうかは、人それぞれだよね、といういわゆる相対主義に行き着く。
なぜなら、生産性は幸福と関係していて、何をもって幸福と感じるかは、人それぞれだからだ。ただ、勉強やお金稼ぎとかの生産性という捉え方は、例えば勉強して良い大学に入れば、良い職について高収入が得られる、とか、裕福であればあるほど生活は安定し、さらに余裕ができて幸福になりやすい、とかそういった当たり前と思われがちな考え方を根本としている。生産性は、経済学な言葉としてもしばしば用いられるが、長期での生活の豊かさの向上、という意味でも用いられる。
そして、いずれの考え方も指している方向は一つである。それは、いかにして幸福になれるのか、というところだ。つまり、生産性は、根本的には幸福性でもある。さらに言えば、生産性に乏しい=無駄である、というのは、ある行為・対象に対して自分が幸福と感じられない、つまり何も得られないという意味でもある。
したがって、ゲームという対象に、幸福を感じられる人がいる以上、ゲームは無駄である、と断定することはできない。
しかし、反論の余地としてこういうのもある。ゲームをしているのが幸福と感じられるから無駄じゃない、という考え方に対して、そのまま働きもせずにゲームをし続けたら、なんらかの生活習慣病になったり、あるいは働いていないから家計が停止して、電気が止まって、結果としてゲームできなくなるから、つまり幸福を感じられなくなるから、無駄であるという考え方もできる。その場合の無駄という言葉のニュアンスは、長期での幸福、未来へと持続可能な幸福の損失という意味が含まれているのだろう。
今思えば全くもってして、スレチだった。
>>2さんと>>7さんがゲームが大切だと思うのは良い事だと思う。それも個人の考え方ですし
しかし先ほどから言っているようにここはゲームについてのスレじゃない。
だからそれについてはよそでやって頂きたい
それで優越感と幸福についてだけど
優越感にも「幸せだと思うこと」や「満足感」があることから
結果的に幸福感と同じかと思われる。
極端かつ単純に言ってしまえばの話だけどね
幸福と優越を分ける分けないは人それぞれだから曖昧だし
決着をつけたところで意味はない。
そして本題のいじめについてだけど
加害者は楽しいけれど
被害者にとってはただただ時間の無駄であると考えて話し合いをしたい。
・・・ってかこれ結論もう出てるような・・・・