❮天使の庭❯
「ですから、人間ひとりひとりの魂···つまり、「人生」とは、互いに影響し合っているものであり、誰が取るに足りない者だから
必要ないとかではなく、互いに「生かし合っている存在」···尊い存在なのです。
そうして、互いを尊んで、互いに至らぬ点があるとしてもよく忍耐し、また反省を怠らず精進して生きて、神の御許に還るのです。
成功して巨万の富を得るか何の実りもない人生を送るかは重要なことではありません。「どれだけ愛に生きたか?」を問われます。
例え成功者として巨万の富を築き上げ、称賛された人生を送ったとしても、愛に生きることがなかったなら、神の御許で
「マイナス(不合格)」の評価を受けるのです。「神の子」として互いに愛し合って生き、神に仕えて生きることを愛していれば、
それこそ幸いなことです。神は、そういう人を喜ばれます。」
天使は、目の前に飛んできた蝶々を、片手で握り潰してしまった。
「見なさい。」
天使は微笑むと、手を開いて見せた。
手の中の蝶々は何事もなかったかのように、またひらひらと飛んで行った。
「神のお許しがなければ、どんな虫や鳥も落ちることを許されないのです。
神の憐れみがそれほどなら、人間に対してはいかなるほどでしょう。
···ですから、"愛"には、つまり「神の視点」から観て、「身分」などでの差別があってはならないのです。
貧しい者はとか裕福な者はとかで偏って見ることは神の御目にはなく「全てが平等」なのです。
全ての者は尊ばれている生命であり、その「大事な役目」を担って人生を生きているのです。
「大事な役目」を遂行しているときは苦しいものです。それはそれだけ大切な役目を、ちゃんと果たしているからです。
役目を放り出して楽な方に逃げているとき人は、神を侮ったり、「神に見守られている」とは思えず、
「監視されている」と感じて嫌な気分でいるものです。」
天使は澄み渡る空を見上げた。
「しかし、人は皆、罪人です。どんなに偉大な人物であっても···われわれ「天使」も、神の御目からすれば、清いものではないの
です。ですから、苦しみ、辛さを経験することは嫌なことでもありますが、罪による穢れを浄化することにもなるのです。
浄化されなければ、神の御許に宿るには相応しくないからです。神とは"焼き尽くす火"です。
相応しくない者は、その火で焼き尽くされて滅びるだけです。
われわれ天使といえど、穢れが酷ければ堕天使となり、地獄で永劫の罰を受けます。
本当に"善い"とされる方は神おひとりなのです。」